ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

人気小説家の原田マハさんの単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きの続きです

2019年10月10日 | 
 人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きの続きです。

 この題名にある「タブロー」とは、絵画のことです(浮世絵も含まれています)。

 この単行本「美しく愚かものたちのタブロー」は、2019年5月30日に文藝春秋から発行されました。価格は1650円+消費税です。



 この小説は、大正時代から昭和半ばまで(主に第一次世界大戦前後)に、欧州(主にフランスと英国)で名画を買い集めた松方幸次郎(まつかたこうじろう)による“松方コレクション”づくりの話です。

 小説の最終章は、1953年6月のパリ市での話に飛びます。当時の吉田茂内閣総理大臣から幻になりつつある「松方コレクション」返還の交渉担当者としてパリ市に赴いた田代雄一(たしろゆういち、美術史研究者)は日本大使館に帰ると、日置紅三郎(ひおきこうさぶろう)という日本人が訪ねてきたことを知ります。

 日本大使館のメンバーは、日置紅三郎を得体の知れない日本人として、大使館内に入れません。そこで、「近くのホテルで待っている」との伝言を田代に残します。

 田代は、以前に松方とクロード・モネの家を一緒に訪ねた日置という男性を思い出し、そのホテルに向かいます。

 日置は、元々は日本海軍の仕官技術士兼飛行士でした。そしてフランスの日本の大使館付き武官でした。軍艦から飛行機開発に乗り出したいと考えた川崎造船所の松下社長に見込まれた日置はスカウトされ、嘱託技師になります。そして、飛行機開発を学ぶためにフランスの飛行機開発会社に出向します。

 その後、飛行機の開発が棚上げになり、パリ市に住んで、“松方コレクション”の管理担当者になります。

 “松方コレクション”の多くはフランスのロダン美術館に手数料を払って保管していました。1939年に第二次大戦が始まり、“松方コレクション”を日本に送り出そうと計画しますが、日本に持ち込むと“100パーセント”の関税がかかると分かり、そんな大金が払えないために断念します。

 1940年5月に、ロダン美術館に保管されていた“松方コレクション”を3台のトラックに積んで、アポンダンという寂しい村に運びます。

 このアポンダンという寂しい村にある農家を購入し、この農家に何とか運び込みます。日置はフランス人女性のジェルメンヌと住む住居として選んだ鄙びた農家でした。

 1939年にドイツはフランスと英国に宣戦布告し、第二次大戦が始まります。1940年5月にドイツ軍がベルギー、オランダ、フランスに越境し、進軍します。約1カ月後の6月にドイツ軍はパリ市を占拠します。

 1941年に入ると、田舎のアポンダン村までドイツ軍がやって来ます。ドイツ軍兵が、日置が住む農家にまで調べにきます。日本人がどうしてこんな田舎に住んでるのかを怪しみますが、農家の中を調べることもなく、ドイツ軍は帰って行きます。

 ドイツ軍がフランスを占拠している中で、田代の妻のジェルメンヌは病死します。

 さらに、米国などの連合軍がフランスのノリマンディー海岸に上陸し、パリ市解放へと進んで行きます。

 こした戦局の変化に従って、田代はアポンダンの農家に保管していた“松方コレクション”をパリ市に戻すなどの措置を採ります。その運び出すトラックなどの輸送費を捻出する算段を考えます。

 この際に、松方から指示されていた“松方コレクション”を守る経費を捻出するために、数点を売却します。この辺が、実際の苦労だったようです。

 人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きについては、弊ブログの2019年10月2日編をご覧ください。

人気小説家の原田マハさんの単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きです

2019年10月02日 | 
 人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きです。

 この題名にある「タブロー」とは、絵画のことです(浮世絵も含まれています)。

 この単行本「美しく愚かものたちのタブロー」は、2019年5月30日に文藝春秋から発行されました。価格は1650円+消費税です。



 具体的には、大正時代から昭和半ばまで(主に第一次世界大戦前後)に、欧州(主にフランスと英国)で名画を買い集めた松方幸次郎(まつかたこうじろう)による“松方コレクション”づくりの話です。

 松方幸次郎は、1866年1月に薩摩藩士の松方正義の三男として誕生します。

 父の松方正義は、薩摩藩藩主の薩摩久光の側近として働き、異例の出世を果たします。明治政府成立後は、肥田県知事になり、大蔵卿時代には日本銀行設立の立役者となります。さらに、第四代と第六代の内閣総理大臣に就任します。

 松方正義の長男と次男がベルギーとドイツに留学していたなどの経緯から、三男の幸次郎は米国のラトーガス大学に留学します(東京大学予備門で退学処分になった経緯から)。

 さらに、兄の影響を受けて日本の外交官になろうと決意し、米国のエール大学法学部に編入し、さらに大学院に進んで博士号も取得します。

 1891年に父の松方正義は第一次松方内閣を組閣します。そして、三男の幸次郎は首相秘書官に就任します。ただし、この内閣は短命でした。

 神戸市の川崎造船所の創業者の川崎正蔵は、3人の息子が他界したために、後継者を探していました。実は、松方幸次郎の米国留学費用の面倒を、川崎正義がみていました。

 そこで、川崎正蔵は、青年の松方幸次郎が後継者にふさわしいかもしれないと思い、面会します。松方幸次郎を気に入った川崎正蔵は、父親の松方正義に「川崎造船所の社長はご子息をおいてほかにはいない」と乞います。

 松方幸次郎は30歳で川崎造船所の社長に就任し、川崎造船所の悲願だった大型船対応のドックを建設し、船の修理業から造船業に乗り出します。

 1904年に日露戦争が始まり、日本の造船業は一気に活況を呈します。川崎造船所は海軍から潜水艦の注文を受けるなど、駆逐艦と輸送艦などを含めて合計17艘を受注します。

 日露戦争などを通じて、川崎造船所は代成長します。松方幸次郎は1902年と1907年の欧州の造船業を視察に出張しています。

 しかし、日露戦争後の不況の際には、川崎造船所の従業員5000人もの人員削減を余儀なくされ、涙を流します。

 1914年6月に第一次大戦が欧州で始まります。英国の同盟国だった日本は連合国の陣営として、同年8月にドイツに宣戦布告します。

 こうした第一次大戦の勃発により、今後は船不足になると予想した松方幸次郎は、“ストックボート”というある程度つくった船を、注文を受ける前に事前に用意する事業戦略を編み出します。

 欧州諸国から注文が入ると、価格を(5倍や6倍に)釣り上げて高値で売りさばく戦略です。

 第一次大戦の進展によって、造船の原料となる材料の鉄鋼の日本への輸入量が激減し、価格が高騰します。このため、松方幸次郎は渡米し、米国でできる限り安い鉄鋼を入手しようと努めます。

 同時に、川崎造船所の従業員を官営製鉄所の八幡製鉄に派遣し、鉄をつくる技術を学ばせます(これが、川崎製鉄のルーツになります。川崎製鉄は現在のJFEです)。

 ここまでは、川崎造船所(現在の川崎重工業)が事業成長した話です。

 川崎造船所がつくった“ストックボート”を高値で売るために、松方幸次郎は同社のロンドン出張所に詰めていましたが、空き時間を見つけては、ロンドン市中心部で開催される日本人会に顔を出していました。

 この日本人会で、美術商山中商会のロンドン支店長だった岡田友次と、英国に留学して西洋画家として成功していた石橋和訓(わくん)の二人から「日本のために美術館を創っていただけませんか」と詰め寄られます。

 日本が世界の各国と互角に勝負していくためには、なんといっても文化力がたりない。それを改善し向上させるためには「美術館」が必要と口説かれます。

 話のいきさつを飛ばすと、優れた美術館がなければ、日本人芸術家は育たず、政界・財界での優れたリーダーが登場する確率が低くなる・・日本は文化後進国となり、世界の列強に遅れをとることになる・・。

 「日本を国際的な文化大国にする、そんな人物は松方幸次郎をおいてほかにいますか?」と口説かれて、松方コレクションの収集は始まります。

 人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の始まりは、弊ブログの2019年9月28日編をご覧ください。

人気小説家の原田マハさんの最新単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えました

2019年09月28日 | 
 人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えました。

 この題名にある「タブロー」とは、絵画のことです(浮世絵も含まれています)。

 具体的には、大正時代から昭和半ばまで(主に第一次世界大戦前後)に、欧州(主にフランスと英国)で名画を買い集めた松方幸次郎(まつかたこうじろう)による“松方コレクション”の話です。

 “松方コレクション”を基にした大規模な展覧会である国立西洋美術館開館60周年記念の松方コレクション展は、今年2019年6月11日から9月23日まで開催されました。



 この単行本「美しく愚かものたちのタブロー」は、2019年5月30日に文藝春秋から発行されました。価格は1650円+消費税です。



 この小説の主な進行係は、田代雄一(たしろゆういち)が務めます。田代雄一は日本を代表する美術史家であり、東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授や帝国美術院付属美術研究所の所長などを歴任した人物です。

 第二次大戦で、連合国軍に負けた日本はサンフランシスコ講和条約締結などを経て、日仏国交を正常化し、フランスとの友好国になんとかなります。

 この時に、当時の内閣総理大臣だった吉田茂は、国会議員として付き合いのあった松方幸次郎が集めた“松方コレクション”の返還を密かに模索します。

 1953年6月に、田代雄一は、吉田茂総理大臣から特命の交渉人として、文部省の事務官と一緒にフランスに向かいます。この時には、就航したばかりのエールフランス機で、サイゴン、カラチ、ベイルートの3都市経由で合計50時間かかってパリ市に到着します。

 (この空路でフランスに向かうことができなかった以前は、日本の横浜市からフランスのマルセイユ市まで、約30日の船旅でした)。、

 このエールフランス機の中で、田代雄一は文部省の事務官に「1921年から1925年にかけて、イタリアなどの欧州留学をした際に、英国ロンドン市からフランスパリ市に向かった時に、パリ市に滞在していた松方幸次郎さんに出会いました」と語ります。この時に、松方幸次郎は西洋美術に詳しい田代雄一青年に、「フランスのノルマンディー地方の田舎に住んでいるクロード・モネの家を訪ねよう」と伝えます。

 訪ねてみると、モネは巨大なカンヴァスに向かって、太鼓橋がかかったスイレンの花が咲く池を描いていました(スイレンの花が咲く池は何枚も描いています)。この時に、クロード・モネは80歳を超した老人でした。

 この時の出会いを契機に、松方幸次郎はクロード・モネに、「スイレンの花が咲く風景の絵を譲ってほしい」と頼みます。

 こうした松方幸次郎が欧州で買い集めた“松方コレクション”は、第ニ次大戦中はフランスの美術館にかくまわれていました(ドイツのナチ軍に没収されないために)。

 第ニ次大戦後はフランスではフランスの印象派などの名画が多く含まれている“松方コレクション”はフランスのものだという雰囲気になっていました。

 1951年9月に米国サンフランシスコ市で、サンフランシスコ講和条約の締結を果たした吉田茂総理大臣は、密かにフランスとの日仏国交回復を図るために、フランスの外務大臣との会談を申し込みます。

 このフランスの外務大臣との会談の席で、吉田茂総理大臣は「第ニ次大戦前に外交官としてモスクワ市の美術館を訪れた時に、館内にはフランス絵画の名画が多数展示されていることに驚きました」と語ります。

 「当時、フランス絵画の名画がソ連の国民に感動を与えていたことに驚き、名画を多数輩出するフランス文化の実力を知った」と吉田茂総理大臣は伝えます。

 そして、「日本人もフランス絵画をこよなく愛しているにもかかわらず、ほとんどの国民は本物のフランス絵画を見たことがない」と伝え、このために松方幸次郎は日本国民に本物のフランス絵画を見せたい考えて収集した」と説明します。

 「フランスが“松方コレクション”を日本に贈ってくれたならば、日本でのフランス文化の有力な宣伝になるはず」と伝えます

 「これはフランスにとって損にはならない・・。必ず有益な成果になる」と、吉田茂総理大臣は立て板に水のように一気に語ります。

 この結果、フランスのシュリーマン外相は「ウィ」と答えます。実際には、この後には、“松方コレクション”の具体的な返還内容の詰めの交渉があるのですが・・。

 こうして、松方コレクションを受け入れる受け皿の建物として、日本政府は東京都台東区上野公園に国立西洋美術館を建てます。

人気ミステリー作家の伊坂幸太郎さんの新刊「クジラアタマの王様」を読み終えた話の続きの続きです

2019年09月20日 | 
 人気ミステリー作家の伊坂幸太郎さんの新刊の単行本「クジラアタマの王様」を読み終えた話の続きの続きです。

 この小説はなかなか難解な話です。数回読んで、あちこちに散りばめられた伏線がつながり、話の全体の展開が分かり、その面白さに気がつきます。

 この単行本「クジラアタマの王様」は、2019年7月5日にNHK出版から発行されています。価格は1500円+消費税です。



 単行本「クジラアタマの王様」の小説の主人公である岸さんは、自分が見る夢の世界で、ロールプレイングゲーム(Role-Playing Game) の主人公の一人として活躍しています。

 以下は、この小説のネタばらしです。

 自分が見る夢の世界で、怪物と戦うチームの一員である小沢ヒジリ(おざわひじり)さんは、最初に現実社会で顔見知りになった時は、人気歌手グループのメンバーでしたが、15年経った今は、世界的な映画俳優になっています。

 そして、もう一人の怪物と戦うチームの一員である池野内征爾(いけのうちせいじ)さんは、東京都議会議員から国政の衆議院議員になり、なんと国土交通大臣になり、さらに今は厚生労働大臣に就任しています。

 この池野内征爾議員は、国土交通大臣の時には宅配業者から多額の政治献金を受けていたとのニュースが流れ、厚生労働大臣である現在は、補助金通知決定の通知を受けた法人から違法献金を受けていたという疑惑のニュースが流れてます。これが伏線です。

 夢の世界で、怪物と戦うチームの一員同志である3人ですが、小沢ヒジリさんによると、チームではなく一人で怪獣戦ったこともあるそうです(夢の中の戦いは、小沢ヒジリさんは覚えていますが、岸さんはほとんど覚えていないのです)。
 
 そして、小沢ヒジリさんが夢の中で、大きな牛の怪獣と戦って負けると、小沢ヒジリさんが所属する芸能事務所が脱税容疑で調べられます。夢の中の戦いの結果が現実社会に反映します。

 現在は課長に出世した岸さんは、池野内征爾議員に呼び出されて話をすると、言い訳として「政治家が献金をもらうのは常識なのかもしれません」といって、「私から献金を求めていないのに、相手が勝手に献金し、受け取ったことがある」といいます。

 話は、日本で新しい“鳥インフルエンザ”が流行し始める動きになっていきます。そして、岸さんの娘の佳凛さんが、近所のおばあさんが身体の具合が悪かったので、家まで送り届けた時に感染したようです。

 この時代の日本では、“鳥インフルエンザ”患者が出た地域やその家庭を探しだし、「不注意だ」などとの“うわさコメント”を出す不穏な時代になっています。現在の一部のSNS(Social Networking Service=ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のように、無責任な投稿意見が個人を傷つける風潮が強まっていました。

 実は、このSNS的なうわさ情報は、各自が持っている「パスカ」に届きます(この情報端末「パスカ」は、伊坂幸太郎さんの単行本「スピンモンスター」に登場したものです。伊坂幸太郎ファンでないと分からない話です)。

 日本で流行始めた“鳥インフルエンザ”は、日本の製薬企業が研究開発したワクチンによってなんとか収拾します。岸さんの娘の佳凛さんも救われます。

 実は、この“鳥インフルエンザ”ワクチンは、海外の製薬企業が研究開発し、成功していました。日本の政治家の中で、この海外の製薬企業と結び付いた者たちが、「池野内征爾議員の国内製薬企業からの政治献金疑惑」を流してました。

 作者の伊坂幸太郎さんは、政治献金疑惑の中身を書いていません。今回、日本の製薬企業が研究開発したワクチンによってなんとか収拾できたのは、夢の世界で怪獣を倒した結果、池野内征爾議員に幸運な結果になったとも読み取れます。

 物事の正否、裏表も、実は曖昧なものだと伝えたいようです。

 単行本「クジラアタマの大様」の最終章の第4章「マイクロチップと鳥」は話が飛び飛びになります。全体の流れをつかむだけでも、予想以上に苦労します。何となく、この続きがまだあるような気もします。

 人気ミステリー作家の伊坂幸太郎さんの新刊「クジラアタマの王様」を読み終えた話は、弊ブログの2019年9月18日編から始まっています。

人気ミステリー作家の伊坂幸太郎さんの新刊「クジラアタマの王様」を読み終えた話の続きです

2019年09月19日 | 
 人気ミステリー作家の伊坂幸太郎さんの新刊の単行本「クジラアタマの王様」を読み終えた話の続きです。

 この小説の展開はなかなか難解です。数回読んで、あちこちに散りばめられた伏線がつながり、話の全体の展開が分かり、その面白さに気がつきます。

 この単行本「クジラアタマの王様」は、2019年7月5日にNHK出版から発行されています。価格は1500円+消費税です。



 単行本「クジラアタマの王様」の小説の主人公である岸さんは、自分が見る夢の世界で、ロールプレイングゲーム(Role-Playing Game) の主人公の一人として活躍しています。

 以下は、この小説のネタばらしです。

 主人公が見る夢の世界で、主人公の一人として活躍します。このことは、第二章のはじめの部分で、仲間の一人である東京都議会議員の池野内征爾(いけのうちせいじ)さんと話をしたことで気がつきます。

 いくらか年長の池野内さんは、昔から夢の中で、仲間たちと火を噴く大トカゲなどの“敵”を倒しているなどの話をします。「夢の中のことをいくらか覚えている」と語ります。

 この夢の中には「アフリカなどに住むハシビロコウ(動かない野鳥として有名)が出てくる」と説明します。以前に「夢の中の広場で、闘う仲間をお互いに探す顔写真が載っている“ビラ”が並んでいて、その中から岸さんを闘う仲間に選んだ」と語ります。

 不思議なことに、岸さんが大学の卒業記念に石川県の能登半島などに出かけた時に、金沢市内のホテルに宿泊した際に、夜に火事が起こります。

 この時に、池野内さんは出火した5階の部屋の隣に泊まっていました。岸さんと友人は、斜め上の6階の部屋に、泊まっていました。

 そして後で分かることなのですが、夢の世界での戦う仲間の一人の小沢ヒジリさんも、このホテルに泊まっていました。

 このホテルの宿泊者たちは、外の非常階段から下に避難を始めます。ところが、この非常階段は自動車がぶっかったことで、3階より下の部分が折れてなくなっていました。

 避難客は上の階からとんどん降りて来ます。しかし、3階部分以下には、非常階段がないために下りられません。

 下に駆け付けた消防士の方の機転で、偶然あった大きなサイコロの模型の上を切り出し、その大きなサイコロの模型の中に水を入れて多くな“プール”にします。

 このサイコロの模型の“プール”に、避難客は次々と飛び込み、助かります。池野内さんも岸さんも、小沢さんも助かります。しかし、この時は(現実の世界では)お互いに顔見知りではないため、気が付きませんでした。

 池野内さんによると「このサイコロの模型の“プール”で助かったのは、池野内征爾さんと岸さん、小沢さんの3人が夢の世界で怪獣を倒したからだ」と説明します。

 池野内さんによると「夢の世界で怪獣を倒すことに成功すると、現実世界の難題が解決する」と説明します。

 金沢市のホテル火事でも、3人が夢の世界で怪獣を倒した結果、消防士の方々が近くにあった大きなサイコロ模型を転用して、救助用のプールにするアイデアがでたと説明します。

 この消防士の方々が大きなサイコロ模型を転用して、救助用のプールにするアイデアは、劇画風の漫画でそのいきさつが説明されています。このいきさつを読み取ることが求められます。

 作者の伊坂幸太郎さんは読者にあれこれと考えさせます。

 人気ミステリー作家の伊坂幸太郎さんの新刊「クジラアタマの王様」を読み終えた話は、弊ブログの2019年9月18日編から始まっています。