気ままに

大船での気ままな生活日誌

ぶらりひょうたん 再び

2008-10-05 08:44:35 | Weblog
先日、高田保さんと彼の名著”ぶらりひょうたん”を少しだけ紹介しました。昨日、いつもの”ぶらり散歩(汗)”をしているうち、”ぶらりひょうたん”のことを思い出し、大磯の高田保公園に行ってみることにしました。

高田さんは昭和18年から57才の若さで亡くなられる昭和27年まで大磯に住まわれ、この間、風刺的政治評論”ぶらりひょうたん”を毎日新聞に連載し(のちに単行本になる)、また、町の教育委員長も務められ、町民に慕われていました。そういうこともあり、没後、個人名を冠した公園(ほかに聞いたことがありません)をつくってもらったのです。

ボクは大磯町は何度も訪れていますが、西行の鴫立庵や日本初の海水浴場等のある海側ばかりで、山側には行ったことがありませんでした。第一、大磯駅は海側にしか出口がないのです。高田保公園はその山の中腹にあることが駅前の案内図で分かりました。



りっぱな住宅の建ち並ぶ坂道を、はあはあ言いながら、登って行くと、途中から眼下に大磯の浜辺が見渡せるようになってきました。さらに登ると、ようやく公園に到着。記念公園という雰囲気ではなく、ただの普通の原っぱの公園でした(笑)。でも、目を奥の方に向けると、なにやら墓標らしいものが見えました。近づくと、”高田保ここに眠る”の銘が彫られていました。高田保公園であることが確認されました。合掌。



ふと右斜め横に目をやると石碑が。 そこには、”海のいろは日ざしで変わる/高田保”の銘が。さすが、時事評論の達人らしい言葉です。



この公園からは、眼下に、左側に茅ヶ崎の烏帽子岩や江ノ島、右側に箱根の山々も望むことができます。この公園のすぐ下が、高田保邸でしたから、高田さんもほぼ同じ景色を毎日観ていたことになります。もちろん大磯町も一望でき、海辺の旧吉田茂邸もまる見えです。きっと、”おれの方が上だ”と悦に入っていたと思います。そうそう、こんな話もあります。当時、大磯のこの二人の有名人を引き合わす企画を持ちかけると、どうせ俺の方が吉田邸に出向かなければならないんだろう、それなら断る、と言って実現しなかったようです(笑)。いつも時事評論で批判ばかりしていたので、会うのが照れくさかったのでしょうね。



さて、ボクが何故、こんなに高田保さんにこだわるかというと、ボクは数年前まで土浦に隣接する街に住んでいて、土浦の公園(たしか亀城公園だったと思う)で、大部前に高田保さんの記念碑を見かけいたからなのです。高田さんは土浦生まれだったのかと、ボクの記憶の引き出しに入れられたままだったのですが、こちらに来てから訪れた大磯図書館で、彼が大磯の有名人でもあることを知って驚いたのです。

・・・

ボクはその足で、海側の大磯図書館に回りました。久し振りに”ぶらりひょうたん”を読んでみたかったからです。しばらく、くすくす、ふむふむと読書を楽しんで、書庫に戻すとき、こんな資料をみつけました。



”土浦文学”という小冊子で、土浦の文学愛好家グループが発刊している雑誌のようでした。5冊もあり、それぞれ高田保特集をしています。高田さんの友人、知人が書いている記事が多く、いろいろなことが分かり、面白かったです。高田さんは土浦中学(今の一高でしょうか)を1番で入って(昔はこういう言い方をよくしましたね/笑)、早稲田を出て、浅草の劇場に泊まり込んで、脚本を書いていたそうです。劇作家だったのですね。土浦から鎌倉に転居したとも書かれていました。初耳でした。去年、鎌倉文学館で開催された”文学都市かまくら100人”のカタログを開いてみましたが、高田さんの名前は載っていませんでした。なんでのせないのであるか。その後、大磯に移ったようなのです。鎌倉に住み続けていれば、小林秀雄さんあたりと酒を飲みながら、大げんかをしていたことでしょう(爆)。

”ぶらり散歩”は止められませんね。新発見が必ずあります。今日も、日本橋あたりを”ぶらり散歩”するつもりです(汗)。




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