気ままに

大船での気ままな生活日誌

秋野不矩展 in 葉山

2008-10-04 08:59:51 | Weblog
”インドは植物も動物も実にバイタリティがある。地上に落ちた花は、5日でも7日でも今落ちたばかりの様に活き活きして萎れない”。これは展示室内のパネルに書かれた、女流日本画家、秋野不矩(ふく)さんの言葉ですが、それはまさに彼女自身のことだと思いました。

年譜で知られた彼女のバイタリティのすごさに度肝を抜かれてしまいました。54才でインドのタゴール国際大学に1年間、客員教授に招かれて以来、すっかりインドが気に入ってしまい、その後も10数回にわたり、それも93才で京都美山町のアトリエでなくなる直前まで、インドに通いつめたのです。

”私はインドについて何も知らなかった若い頃から描きたいと思った絵のことを思い出す。太陽が真上から直射する炎天下、救いようのない熱さの中でわっと泣いている裸の子供の姿である”

葉山の県立近代美術で開催されていた”生誕100年記念/秋野不矩展”は、彼女が21歳で京都に出て日本画を学んで以来、90代の亡くなる直前までの作品を、1)京都時代、2)上村松篁らと結成した”創造美術”(現在の創画会)時代、3)”インド時代”とほぼ年代順に展示してありました。京都時代の”朝露”等のオーソドックスな美人画、創造美術時代の”青年立像”等のシンプルな画風もそれぞれ良かったですが、やはり、黄土色を基調にしたインドの風景、そしてインドの人物や仏像を描いた作品が、秋野不矩さんの心が直に表現されているようで、気に入りました。

”私は日頃思う。頭で考えるより体で行う中で識ろう。インド人が裸足で土を踏むような心で絵をかこう。雨が降ればぬれて当たり前、海の人が波涛を頭からかぶって平気な様な気持ちで風土を受容しておそれない心で絵をかきたい。祈りながら”これも秋野不矩さんの言葉。

”私の絵を一枚の絵だけではなく、全体の流れの中でみて欲しい、一枚一枚の絵はそのときの私の心を写したもので、自分史のようなものだから”そんな意味のこともどこかで述べていました。ボクも最近、こうゆう鑑賞方法を覚えてから、美術展に足を運ぶ回数が増えたように思います。好みの作家だけではなく、どんな作家の作品群からも、彼らの悪戦苦闘した(あるいは順風満帆でも)人生を垣間見ることができるのは楽しいことですし、いろいろな感動や励ましをもらえるものです。今回も、50、60(たぶん70才でも)は鼻たれ小僧(お嬢)よ、まだまだこれからよ、とぼくら中高年客を励まして下さいました。オイラも90まで枯れちゃいられない、萎れないぞ、と思ったのでした(汗)。

。。。。。

若き京都時代の作。”朝霧”

日展を脱退た後の創造美術時代の作。”青年立像”。5人いた自分の子供がモデルだった。同様、”少年群像””裸童”等も子育てしながら描いた。

京都市立芸術大学に就職。50を過ぎ、離婚そしてインドへ。後半生はインドの絵ひとすじ。秋野不矩芸術の完成。1999年文化勲章受章。2001年死去。

”裏町(カルカッタ)” ボクも裏町歩きが好き(汗)。

”帰牛”。インドでは牛は神様。”河渡”等を牛をモチーフにした作品も多い。

”朝の祈り”。この隣りに飾られていた”地の祈り”も印象に残る。”土の祈り”も良かった。”祈り”がモチーフ。少女の赤い衣装もいい。絵はがきがなかったが、真っ赤なショールが印象的な”インド女性”も良かった。秋野さんは黄色と赤がお好きとのこと。


美術館前の葉山の海辺。今はもう秋、誰もいない海だった(笑)。


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