こんばんわ。先月末の”晩夏の東博散歩”、その2です。
東博の特別展”故宮の世界”が行われている平成館の一階廊下沿いの企画展示室で、”チベット仏教の美術/皇帝の愛した神秘の美”と題した関連展が開かれている。写真撮影が可能で、また二つ折りのていねいな解説カタログまで頂けたので、それらを元に、ここに記録しておこうと思う。
チベット仏教の美術品をこうしてまとめてみることはめったにない。ぼくのブログ日誌の古いページをくくってみると、2012年に北京故宮博物院200選(東博)、そして、2009年9月に”聖地チベット/ポタラ宮と天空の至宝”(上野の森美術館)でも見ているはずだが、ほとんど忘れていた(汗)。
今回の展示品は、東博所蔵のものが主だが、仏画、仏像、法具、仏塔の優品がそろっている。その順に紹介しようと思うが、まず、入り口に本展の目玉ともいうべき仏像が飾られているので、それから始めたい。男女の仏が抱き合う姿で表わされる父母仏(ヤブユム)だが、チベット仏教に特徴的な仏と言われている。インドでの女神信仰の高まりを受け、男性の仏が妃と交わることで多数の仏たちを生み出すと考えられていたようだ。守護尊(イダム)と呼ばれ、絶大な力をもつ仏として信仰されている。
チャクラサンヴァラ父母仏立像 中国・チベットまたはネパール15~16世紀
7世紀ごろに、ヒマラヤ山脈の北側に広がるチベットにインドから仏教が伝えられた。以来、インド仏教を忠実に継承しながらも独自の発展を遂げた。チベット仏教は高度な仏教思想と神秘的な儀礼で知られ、儀礼で用いる仏像、仏画、法具等が伝わっている。モンゴルや中国などの周辺地域でもチベット仏教が広く信仰され、清時代の皇帝、とくに乾隆帝(在位1735-95)が傾倒したとのことが知られている。
仏画
チベットでは軸装された仏画のことをタンカと呼び、かってインドにあったパタという布教仏画を継承するものだという。曼荼羅や仏、祖師、伝説上の人物が描かれている。
ガルバ・ヘーヴァジュラ十七尊曼荼羅(『ヴァジュラーヴァリー』曼荼羅集のうち14番)(清時代・18世紀)
白色ターラー菩薩像(モンゴル出土 清時代18世紀)
シャンバラ王ラウドラ・チャクリン像(清時代・18~19世紀)
仏像
チベット仏教でも、主要な礼拝対象である仏像は、インドや中国からの仏像を手本に作られた。材質はいろいろであったが、銅製の仏像彫刻に鍍金(メッキ)で仕上げた金銅仏が好まれた。その後、モンゴル、中国でチベット仏像を忠実に写すことが流行した。
無量寿仏坐像 (明時代・宣徳年間 (1426~35))
除蓋障菩薩坐像(八大菩薩のうち)(清時代・18世紀)
各種仏像
八臂十一面観音菩薩立像(清時代・17~18世紀)
ツォンカパ坐像(清時代・17~18世紀)
六臂マハーカーラ立像 (清時代・17~18世紀)
法具、仏塔
九鈷鈴 明時代・宣徳年間 (1426~35)
盤 白色如意宝珠マハーカーラ (明時代・万暦年間(1573~1620))
チベット式仏塔 (清時代・18~19世紀)
河口慧海コレクション
19世紀当時、鎖国状態にあったチベットに初めて訪れたのは、大阪・堺市出身の河口慧海(1866~1945)だった。チベット語の経典を求めて、二度に渡りチベットへ入り、道中の印度やネパールで得たものを含め、数多くの文物を持ち帰った。東京美術学校で展示会が開かれ、チベット仏教が注目された。その遺品の大半は東北大学に寄贈され、昭和48年に東博にも一部、寄贈された。そのコレクションもここに展示されている。
菩薩立像 (ネパール、14~15世紀)
風俗資料(女性用の装飾品、硬貨など)
とてもおもしろい展覧会でした。東博散歩はまだつづきます。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
東博庭園の池(蓮花がまだ咲いていた)
蟒蛇がいました。
動けません。
呑まれていくと、そこは森羅万象に繋がっている。
闇です。
何も無い、無限の世界でありながら、身体は浮かんだまま。
このことでした。
何と言う必然的な出来事でしょうか。
ある意味、連れて行ってくださった気がします。
ありがとうございます。
目の焦点が合わなくなりましたので、明日またゆっくり訪問させていただきます。
アナザンさんの不思議な夢と絡ませて拙ブログを楽しんでいただきうれしく思います。
神秘的な仏像さんの姿にはおどろきました。
ありがとうございました。
昨晩は失礼致しました。
さて、リンク先には「展示品が盗品であり、展覧会がチベット支配を正当化するための中国の政治宣伝であることを広く知らせるために活動しています。」なんて書き込みまでありますね!
政治がらみなんでしょうが「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝-」展に抗議する国際連盟という書き込みも怪しいんですかね?(笑)
しかし、
>男性の仏が妃と交わることで多数の仏たちを生み出すと考えられていたようだ。
ごく自然な表現かも知れませんが、原始宗教って皆こんな仏像だったのかな?なんて勝手にイメージしました。
乾隆帝は清王朝の最盛期を創出したのだとか!
いやー、中国の歴史は知れば知るほど興味深いものですね。
>チベットでは軸装された仏画のことをタンカと呼び、かってインドにあったパタという布教仏画を継承するものだという。
これ掛け軸のルーツ何でしょうかね~?(笑)
いやいや、日本の文化が無関係ということはないでしょうね。
>無量寿仏坐像 (明時代・宣徳年間 (1426~35))、除蓋障菩薩坐像(八大菩薩のうち)(清時代・18世紀)
これは日本のお寺に座っていても不思議じゃーない気がします。
>ツォンカパ坐像(清時代・17~18世紀)、六臂マハーカーラ立像 (清時代・17~18世紀)
こうなると、外国の香りなんでしょうか?
>九鈷鈴 明時代・宣徳年間 (1426~35)
この上の部分は日本の仏像によく見ますね。
全くの無知ですが(汗)
ふぁ~、河口慧海という人も変わった生き方をしたんですね~。
黄檗僧、仏教学者というより探検家そのものの気がします。
コレクションの見事なこと!!!
何だか、私もチベット探検に出掛けた気になりました(笑)
有難うございました。
>リンク先には「展示品が盗品であり、展覧会がチベット支配を正当化するための中国の政治宣伝であることを広く知らせるために活動しています。」なんて書き込みまでありますね!
このコメントには返事もしませんでしたが、削除もしませんでした。半分本当かと思うからです(笑)。大英博物館も泥棒博物館と言われていますしね。でも、中国のチベットやウイグルなどの少数民族に対する仕打ちはひどいことはたしかなことです。
>これ掛け軸のルーツ何でしょうかね~?(笑)
そうだと思います。仏像も印度、中国、日本へと入るうちに、いろいろ変遷があり、似たようなものもありますね。父母仏も日本では歓喜天に変わっています。顔は象形ですが。鎌倉の宝戒寺でも祀られています。
>九鈷鈴 明時代・宣徳年間 (1426~35)/この上の部分は日本の仏像によく見ますね。
九鈷鈴は、鈴に付した柄の形式によって独鈷鈴(どっこれい)、三鈷鈴、五鈷鈴、宝珠鈴、塔鈴などと称される金剛鈴の一種で、その音色によって諸尊を驚覚し歓喜させる密教法具のようです。仏像の冠と似ているといえば、似てますね。
>ふぁ~、河口慧海という人も変わった生き方をしたんですね~。黄檗僧、仏教学者というより探検家そのものの気がします。
そうですね、ミニ西遊記のような(笑)。
ありがとうございました。