おはようございます。まだ、魯山人と京都シリーズですが、早くおわらせねば、すぐ桜旅がやってくる(汗)。
鴨川と合流する少し手前の高野川沿いにある、内貴清兵衛の松ヶ崎山荘での3年間の滞在は、魯山人を大きく飛躍させたようだ。料理の腕を上げると同時に、芸術品をみる目を肥やしていく。その後、魯山人は舞台を北陸に移し、数々の数寄者と交わるが、とりわけ、金沢の細野燕台との出会いは大きな意味をもった。燕台は美食家であるが、食器にもうるさく、陶工に自分好みの器を作らせたりしていた。
燕台は山代温泉の須田せい華窯を魯山人に紹介する。この地にしばらく逗留し、温泉街の老舗の濡額を制作しながら、はじめて陶芸の技術を習うことになる。その後、”北陸に山の尾あり”と評判の高い金沢の料亭”山の尾”の主人、太田多吉に会いに行く。太田は茶人でもあり、古陶磁器の名品を蒐集していた。若いのに率直な物言いをする魯山人は、気難しい太田に好まれ、彼から、料理や器について多くのことを学んだ。
さて、先を急ごう。”知られざる魯山人(山川和)”によると、中村竹四郎との共同で、大正14年星岡茶寮の開寮する。そして、茶寮用の食器を焼くために北鎌倉、山崎に緑豊かな広大な敷地を借り、星岡窯をつくる。これで、房次郎(魯山人)の夢は実現する。順調にいっていた星岡茶寮も、その後、9年間に渡る訴訟問題となり、結局、茶寮は竹四郎、窯は魯山人に分けられる。昭和11年、53歳のときだった。背水の陣で臨んだ魯山人だったが、日本橋の黒田陶苑らの支援もあり、雅陶三昧の時代に入るのである。
さて、この本では、民芸運動の柳光悦らへの罵倒、柳を離れた青山二郎との交流、イサムノグチ・山口淑子夫妻の星岡窯での逗留、”人間国宝”の打診を断る、など面白い話もいっぱい紹介されている。それらを、いちいち書いていたのでは、いつまでたっても終わらないので、そろそろ、ぼくの旅日誌に戻ろうと思う。
祇園白川の”骨董通り”の梶・古美術店を訪ねる。ここでは魯山人の作品をたくさん扱っていて、自由に触ることもできる。店主の梶高明さんはあちこちで美術鑑賞講座を開いている方だが、我々にもミニレクチャーしていただいた。さて、この二つの唐津ぐい呑み、どちらが真作でしょうか、と投票させたり、お皿の5点セット、それぞれ模様が微妙に違いますが何故?とか質問しながら、分かりやすく、魯山人作品の特長を教えて下さる。お料理がのったときに一番、うつくしく見えるのが魯山人の食器だという。魯山人の器でお茶も一服。楽しいひとときだった。
梶・古美術店

魯山人作品


祇園白川の辰巳大明神。 この周辺は映画やテレビドラマの撮影によく使われる。ぼくの知っているだけでも、”科捜研の女”、”京都地検の女”、映画では”舞妓はレデイ”。

辰巳橋もよく出てくる。

辰巳橋の通りに、創業天明元年という鯖寿司の老舗”いづう”がある。

四条通り沿いの何必館・京都現代美術館にも寄る。3年ほど前、ポスターの”秋田おばこ”に惹かれ(汗)、木村伊兵衛展をここで見たことがある。今回も特別展は写真展だったが、三階の魯山人展示室を主に見学。撮影禁止なので、紹介は一切しない(笑)。
その代り、横浜で開催中の”村上隆のスーパーフラット・コレクション” から魯山人作品を。壁に濡額、台上に器が並ぶ。

各地の焼き物を写しているが、とくに織部、志野を好んだようだ。魯山人に”写す”という言葉を使うと激怒するらしい。ただ、真似ているのではない、その上をいっているのだと。






ようやく、次回で最終回の予定です。美食家魯山人で締めたいと思います。
(京都早春の旅#9)