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気ままに

大船での気ままな生活日誌

名残りの紅葉 京都にて 

2012-12-06 18:39:09 | Weblog
その日の朝、そうだ京都へ行こう、と飛び出した。まだ、名残りの紅葉がみれるはず。小田原からはこだま号。がらがら席でのんびりと。浜松辺りで早弁食べて、ゆったりすごして、京都着。時間は1時をちょい回わり、さあ、どうするかと思案して。まずは、奈良線に乗り換えて、一つ目の駅が東福寺。いわずと知れた、みやこ一の紅葉の名所。駅に下りれば、おどろきもものきさんしょのき。あの日の混雑どこにある。

ちょっと、不安になってきて。もしかしてもしかして、名残りの紅葉さえ、ないのかも。でもねったらでもね、北門、通り抜ける頃、高校生の集団ががみえてきて、何やら賑やかになってくる。不安の雲が切れはじめ、臥雲橋がみえてきた。ここは、通天橋が前にみえ、紅葉林が一望できるとこ。

さあ、紅葉はどうか。わくわくどきどき、走りて向かう臥雲橋。

あっ!

楓林は丸裸。紅い葉っぱは、土の上。暗雲、立ち込む胸の中。でもねったらでもね、よくよくみると、無惨な姿に目をそらした先に、まだまだ名残りの紅葉あり。おっおっと気を取り直し、拝観したのでごぜえます。

通天橋からの楓林


でもねったらでもね。まだまだ残る紅葉に女学生も大喜び。


あとは、美しい紅葉ばかりでござんした。どうぞご覧くださいましぇ。

紅葉が絨毯のように




通天橋を背に。まだまだ若いんだね、お父さんの季節だね♪ はあ?






メタセコイアも輝いていた初冬の東福寺だった。


前向きに考えると、なんでもすばらしい東福寺の紅葉だった。

(つづく)



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さようなら勘三郎さん

2012-12-06 10:54:51 | Weblog
勘三郎さんが亡くなられたことを、ぼくは京都で知った。名残りの紅葉見物に来ていたのだ。昨日、5日の朝、嵐山に向かう路面電車の中で知った。スマホの画面からショッキングなニュースが飛び込んできた。食道癌で入院されていたことは知っていたが、まさか、こんなに早く逝ってしまうとは、まだ57歳というではないか。当然、来春の新歌舞伎座こけら落しには元気な姿をみせてくれるものと思っていたのに。

2010年4月の歌舞伎座さよなら公演、”御名残四月大歌舞伎”のことを思い出している。さよなら公演は一年ほど続き、その間、二、三度観ているが、いよいよ最後月が始まり、どうしても観ておこうと、千秋楽に近い日に、第二部の一幕見席の長い長い列のあとについた。やっと、券は買えたが、もう満席で、立ち見だった。でも歌舞伎座最後の公演がみられるだけで、うれしかった。当時は新歌舞伎座なんか歌舞伎座じゃじゃない、と思っていたから。

演目は、”寺子屋”(菅原伝授手習鑑)で、そこに勘三郎が出ていたのだ。松王丸に幸四郎、千代に玉三郎、そして、戸浪が、勘三郎だったのだ。加えて、武部源蔵に仁左衛門と、最終公演に相応しいオールスターキャストだった。あっと言う間の一幕だったが、今、思うと、最後の歌舞伎座の勘三郎をみることができ、やっぱり、あの日、出掛けて良かったと思う。そして、第一部では、勘三郎、勘太郎(現・勘九郎)と七之助の親子での”連獅子”の公演もあった。今、思うと、これも一幕見で、観ておけばよかったと思う。きっと、こけら落としでも親子で是非やりたかった演目だろう。

その前夜、ぼくは東福寺、清水寺そして夜間ライトアップの高台寺の名残りの紅葉を観たあと、南座からそう遠くない京料理のお店でひとり酒を楽しんでいた。南座では勘九郎襲名披露公演で勘九郎と七之助が出演している。そのときは、すぐあとに、こんな悲劇が待っているとは、ご両人もぼくも知る由もなかった。

ご冥福をお祈り致します。

 
御名残四月大歌舞伎(2010年)


名残の紅葉(東福寺)


八坂の塔と沈む夕陽
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