まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

とんでもない光景・・・

2007年12月04日 | う゛う゛ー
 師走に入り、気温が急に下がったせいか、葉っぱの色づきが早くなりましたね
 今朝、ベランダの窓を開けると、「かさかさ・・・かさかさ・・・」と音がします。???と思ったら、風に吹かれて、桜の葉っぱが落ちる音、なんですねえ
 季節の移ろいを「愛でる」ことも素敵ですが、音を感じる、ということは、なかなか意識していませんでした 日頃は、都会の騒音の中で、あまり自然の音を感じることはありませんが、静かな朝や夜などは、きっと、「それなり」の音があるのでしょう。
 もっと、敏感になってみよう、と思った時間でした

 さて、先日、ひょんなことから、休日の朝の時間、ファーストフード店に行きました 時間調整のために立ち寄った、自宅の最寄り駅のMでしたが、コーヒーを持って3階席に行き、私は驚愕、でした 驚きました、ではなく、まさに「驚愕」したのです
 というのも、奥の席に入って行こうとしたら、そこにはキャップを斜めにかぶり、だぼだぼのジーンズを履いた・・・という感じの中学生?と思しき5人。
 テーブルの上に座り、椅子に足を乗せ、大きな声で話しています 何か言うと「ヤバイ、ヤバイ」と「マッジー、マッジー」という言葉を連発。すでにジュースは空っぽになっていて、そこは傍若無人な彼らの振るまいが許される空間になっていました

 私は、彼らに注意するほど勇気があるわけでも、野暮でもなく(いっとき、オヤジ狩り、という事件が横行しましたねえ・・・)、すごすごと入り口のほうの席に引き返しました そして、コーヒーを飲み始めたのですが、じつは、ラッパー風の彼らに驚いたせいで気づかなかったのですが、入り口付近の席も、十分に驚愕に値する人達の空間でした

 私の左隣・・・
必死に携帯電話でゲームをする父親 その横で「パーパー、下手くそ 何やってんの- だめじゃーん!」と半泣きになってダメ出しをしている4,5歳の男の子。
 父親は、息子が何か言うたびに「うるせ-」と画面を見たままで怒鳴り、ゲームを続けます。
 男の子は、席の上に靴のままであぐらをかき、ずっと文句を言いながら、父親の携帯画面に顔を寄せて見ています

 私の向こう側・・・
大きな裁ちバサミで、スポーツ新聞の記事を切り抜く50代の男性。たくさんの新聞を積み上げ、お目当ての記事を見つけては切っていきます 見ていると、競馬や競輪、競艇の成績表のようなものです。手慣れた感じで作業を進めていましたが、テーブルの上も、椅子の上も、新聞だらけになっていました

 私の右隣・・・
5,6年生の息子が、必死に問題集に鉛筆を走らせます 顔と問題集の距離は、もう10センチ程度。彼の手の動きから、どれほど彼がその問題に集中してるかがわかりました その隣では、経済関係の新聞を読むお父さん。息子が小声で何を言うと、お父さんは新聞をたたみ、別の問題集を広げます。明らかに、中学受験塾の日曜テストまでの調整時間、という親子でした

 私は、まるで「作ったドラマ」の中にいるように感じました。
こんなに、申し合わせたように、さまざまな人達がこの同じ空間にいていいの?
 私に、わざわざ話題を提供してくれるために、誰かが仕掛けた何か 思わずそう思ってしまいました
 そのうちに、20歳くらいに見える女性がコーヒーを持って入ってきました。
私がしたように、最初は奥まで行き、きゅっと眉をひそめて戻ってきました 
 奥の席で、わーっと例の彼らが湧いたかた思うと、そのうちの一人が、女性の席の前に座り、「ナンパ」を始めました
 私は、心臓がどきどきしました。これからどうなるんだろう?無関心を装い、出ていってしまおうか?いや・・・どうしたらいいのだろう・・・
 女性は、男の子が何を言っても、全く無視、でした まあ、明らかに彼らの間に5歳程度の年齢差があるので、女性も強気だったのかもしれません
 私はずっと必死に見ていてはいけないのだろうなあ、と思いながらも、どこに目をやってよいのかわからず・・・
 すると、私の視線を感じたのか、男の子が、急に私のほうを振り返りました。「」ぎゃーーーーーー。
 その男の子は私の顔を見て、顔だけをぎゅっと前に突きだし、にこっと笑って「ちわッス!」と言うのです。思わず、私はニコッと笑い、目礼しました。
 彼の顔、彼の目は、普通の、かわいい中学生でした。瞬時に、彼は悪い子じゃないな、と思ったのでした。何だか、私は急に悲しくなってしまいました・・・

 世の中では、「子どもが変わった」と言います。私も、そうだなあ、と思っていました。
 でも、実際には、子どもは、何もかわっていないのではないだろうか?そう思いました。
変わったのは、彼らを取り巻く世界と、彼らを育てる親たちのほう、でしょう

 そして、『我が家では、子どもには、いろいろな人がいることを教えたいです!』というご両親がおいでになりますが、現代社会では、良い悪いという価値判断ではなく、その「いろいろな」振れ幅が昔よりも想像以上に大きい、ということを、じつは実感していらっしゃらないのではないだろうか?と、しみじみと思う瞬間があります。

 今週末のMでも、同じ光景が見られるのでしょうか・・・

 

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2 コメント

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めまいがする! (何とか塾の塾長)
2007-12-04 22:25:26
いやー、もう、世の中本当にいろいろな人がいて、こっちが疲れてしまいそうです。人はみなそれぞれ違うんだということは当然のこととして認めなければなりませんが、それにしても、生きていくってエネルギーのいることなんですかね!(漠然としたコメントでスミマセン)
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コメント、ありがとうございました! (まどか先生)
2007-12-04 22:32:33
本当にそうですねえ
毎日、エネルギーのいることだらけ、です

人それぞれが違う、ということは十分に理解し、認めてはいても、あまりに「違い」の度合いが大きいと、それを見ているだけでも努力と根性がいります
いや、忍耐、でしょうか
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