先日、行きつけの美容院に行きました いつもお願いする美容師Iさんとは、すでに10年以上のお付き合い。元町の草分け的美容院のオーナーでもあるIさんは、ヘアーアーティストとしての腕もさることながら、しっかりとしたご自分をお持ちのとても魅力的な方で、最近ウッディーに改装された店内も、お店で働く美容師さん達も、当然I氏の厳しい目にパスした上級のもの 月に一度の美容院通いは、とても楽しみな時間です
そんなIさんとは、いつもカットやカラーをしていただきながら、多方面のお話をするのですが、先日は「最近の親子談義」に花が咲きました
Iさんの美容室には、乾燥する店内を気遣って、あちこちにキャンディーボウルがさりげなく置かれています おしゃべりの私などは、時々話しすぎて喉がカサカサになり、遠慮がちにではありますが、そこに置かれたキャンディーをいただきます
今回、そのキャンディーが話題になったのですが、Iさん曰く・・・
「うちのお店は一見さんは少ないのですが、でも時々、ふらりと子ども連れのお客様が来てくださるんです そんな時、お子さんはお母さんのカットが終わるのを、入り口近くのソファで待っていてね、次から次へとキャンディーをバリバリ・・・ お母さんも、それを見ていても平気なんですね。なーんにもおっしゃらない 僕なんか小さい頃、同じように店の人がくださるものをもらう時も、何となく躊躇し、いただいてしまって良いものかどうか心配になり、親の顔を見たものですよ そしたら、父や母が「じゃあ、ひとついただきなさい」って声をかけてくれてね。それでやっと安心していただいたものです 気を利かせて、さあもう一つどうぞ、なんて言ってくださろうもんなら、心の中ではうれしくても、僕自身はもっともっと困ってしまって また親の顔を見て・・・そしたら、親も苦笑しながらお店の方に、すみませんねえ、お気遣いをいただいて、なんて声をかけ・・・僕には「じゃあ、最後のひとつをいただきなさい」なーんてね。ちゃんと静かに釘を刺すって言うんでしょうか そんなもんだったですよねえ・・・そんなことを思い出しながら、何だか、ちょっとバリバリと食べる子も、何も言わない親も、見ていたら悲しくなってしまいます・・・」
私はI氏が話された「そんな様子」を、思い浮かべることができました 私とIさんは、確か10歳ほど年が違うのですが、私が子どもの頃も、まさにそういう感じでした。
両親と一緒にお邪魔をしたお宅 お茶菓子として出されたお菓子は、気を利かせた亭主が帰り際、「さあお嬢ちゃん、これをどうぞ」と言って、半紙に包んで「ありがとうございます」といただいてしまうのは憚られ、必ず父や母の顔を見て、確認をしてからニッコリとして、いただいたものです
お店の試食なども、やはりいただくのはお行儀が悪い、と母に注意されていたように覚えています ですから、今の子ども達のように、試食の前に群がって次から次へとパクパクと食べる、などということはさもしいことと思えてしまいます
確かに、お店に置かれたキャンディーは、「どうぞ、ご自由にお召し上がり下さい!」ということであり、それがイヤなら置かなければいいんじゃない!という理屈もあるでしょうね
もしここで、昭和の時代のことは知りません とにかく、今の時代は、「置いてあるものは、自由にいただいて良い」という意味と解釈をするわ!と言われてしまうと、ピシャリと、上手にそれに反論することはできない・・・そうも思うのです
しかし、お行儀や礼儀云々ではなく、こんな理屈はいかがでしょう?
そこに用意されたキャンディーは、「お客様向け」のもの。
お客様とは、そこでカットやパーマ、カラーという施術を受け、それに対してお支払いをする人のことを言います
そういう意味では、母親の付き添いであり、時々フロアをうろうろして美容師さん達に迷惑をかけたり、時には泣いたり、大声を出して他のお客様を不愉快にさせる子どもは、その日の「お客様」ではないのです
キャンディーのサービスは、オーナーの心遣いではありますが、そこが美容院という有料の施設である限りは、その心遣いは、お客様へのサービスの一環、そういうことでしょう
この話題は、「たかがキャンディー」の話しですから、ケチなことを言うなよという反感を買ってしまうかもしれませんね。しかし、やっぱり私は「されどキャンディー」の話しであり、キャンディーはあくまで「ひとつの例」であって、この話題の本質は「キャンディー」ではなく、本当は「親の社会への意識」だと思うのです
じつはこのIさんとの話しは、次から次へと「今どきの親子」の新しい話題へと発展し・・その日のカットとカラーは、まるで幼児教育の座談会に出席したかのような充実感がありました
ちなみにIさんは、ギャングの盛りであるご子息、幼稚園児のパパでもあり、日々試行錯誤をし、いろいろ考えながら育児を楽しんでおられます
たかがキャンデー、されどキャンディー・・・あなたなら、いかがですか?
そんなIさんとは、いつもカットやカラーをしていただきながら、多方面のお話をするのですが、先日は「最近の親子談義」に花が咲きました
Iさんの美容室には、乾燥する店内を気遣って、あちこちにキャンディーボウルがさりげなく置かれています おしゃべりの私などは、時々話しすぎて喉がカサカサになり、遠慮がちにではありますが、そこに置かれたキャンディーをいただきます
今回、そのキャンディーが話題になったのですが、Iさん曰く・・・
「うちのお店は一見さんは少ないのですが、でも時々、ふらりと子ども連れのお客様が来てくださるんです そんな時、お子さんはお母さんのカットが終わるのを、入り口近くのソファで待っていてね、次から次へとキャンディーをバリバリ・・・ お母さんも、それを見ていても平気なんですね。なーんにもおっしゃらない 僕なんか小さい頃、同じように店の人がくださるものをもらう時も、何となく躊躇し、いただいてしまって良いものかどうか心配になり、親の顔を見たものですよ そしたら、父や母が「じゃあ、ひとついただきなさい」って声をかけてくれてね。それでやっと安心していただいたものです 気を利かせて、さあもう一つどうぞ、なんて言ってくださろうもんなら、心の中ではうれしくても、僕自身はもっともっと困ってしまって また親の顔を見て・・・そしたら、親も苦笑しながらお店の方に、すみませんねえ、お気遣いをいただいて、なんて声をかけ・・・僕には「じゃあ、最後のひとつをいただきなさい」なーんてね。ちゃんと静かに釘を刺すって言うんでしょうか そんなもんだったですよねえ・・・そんなことを思い出しながら、何だか、ちょっとバリバリと食べる子も、何も言わない親も、見ていたら悲しくなってしまいます・・・」
私はI氏が話された「そんな様子」を、思い浮かべることができました 私とIさんは、確か10歳ほど年が違うのですが、私が子どもの頃も、まさにそういう感じでした。
両親と一緒にお邪魔をしたお宅 お茶菓子として出されたお菓子は、気を利かせた亭主が帰り際、「さあお嬢ちゃん、これをどうぞ」と言って、半紙に包んで「ありがとうございます」といただいてしまうのは憚られ、必ず父や母の顔を見て、確認をしてからニッコリとして、いただいたものです
お店の試食なども、やはりいただくのはお行儀が悪い、と母に注意されていたように覚えています ですから、今の子ども達のように、試食の前に群がって次から次へとパクパクと食べる、などということはさもしいことと思えてしまいます
確かに、お店に置かれたキャンディーは、「どうぞ、ご自由にお召し上がり下さい!」ということであり、それがイヤなら置かなければいいんじゃない!という理屈もあるでしょうね
もしここで、昭和の時代のことは知りません とにかく、今の時代は、「置いてあるものは、自由にいただいて良い」という意味と解釈をするわ!と言われてしまうと、ピシャリと、上手にそれに反論することはできない・・・そうも思うのです
しかし、お行儀や礼儀云々ではなく、こんな理屈はいかがでしょう?
そこに用意されたキャンディーは、「お客様向け」のもの。
お客様とは、そこでカットやパーマ、カラーという施術を受け、それに対してお支払いをする人のことを言います
そういう意味では、母親の付き添いであり、時々フロアをうろうろして美容師さん達に迷惑をかけたり、時には泣いたり、大声を出して他のお客様を不愉快にさせる子どもは、その日の「お客様」ではないのです
キャンディーのサービスは、オーナーの心遣いではありますが、そこが美容院という有料の施設である限りは、その心遣いは、お客様へのサービスの一環、そういうことでしょう
この話題は、「たかがキャンディー」の話しですから、ケチなことを言うなよという反感を買ってしまうかもしれませんね。しかし、やっぱり私は「されどキャンディー」の話しであり、キャンディーはあくまで「ひとつの例」であって、この話題の本質は「キャンディー」ではなく、本当は「親の社会への意識」だと思うのです
じつはこのIさんとの話しは、次から次へと「今どきの親子」の新しい話題へと発展し・・その日のカットとカラーは、まるで幼児教育の座談会に出席したかのような充実感がありました
ちなみにIさんは、ギャングの盛りであるご子息、幼稚園児のパパでもあり、日々試行錯誤をし、いろいろ考えながら育児を楽しんでおられます
たかがキャンデー、されどキャンディー・・・あなたなら、いかがですか?