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現地記事転載:「イスラエルの核曖昧政策に一石を投じたカタール」(4完)

2025-03-19 | 現地紙記事転載
(原題) How long can Israel’s policy of deliberate nuclear ambiguity hold?
2025/3/11 Arab News

「カタールは、イスラエルを非核中東の枠組みに引き入れたいという強い意志を表明している。これはイスラエルの核兵器問題をガザ協議に持ち込むための真剣な試みである可能性が高い。私はカタールの外交政策を非常に真剣に受け止めている」とスミス所長は語った。「彼らはジェスチャーや見せかけの行動には興味がないと思う。彼らは、カタール憲法に記された、自国は地域と世界に平和を広める使命を持つ国家であるという理念を真剣に受け止めている。」

「ガザでの不安定な停戦は、カタールをはじめとする国々の多大な努力の成果である。彼らがそのような役割を果たすことができたのは今回が初めてではないため、彼らは自分たちが仲介者、橋渡し役であると強く認識している。彼らがどのような評価をしているのか、この取り組みを開始するのに今がよい時期だとどう判断しているのかはわらないが、彼らだからこそ真剣に受け止めている。」

 
イスラエルは、核兵器を実際に使用する可能性が2度ほどあったと考えられている。1967年のアラブ・イスラエル戦争(注、第三次中東戦争)の前夜、イスラエルは戦争に負けて制圧される可能性があると見込まれた場合に敵を威嚇するために設計された「デモンストレーション」核爆発を放つ寸前だったという主張が2017年に浮上している。この計画は、イスラエル系アメリカ人の歴史家でイスラエルの核史の第一人者であるアヴナー・コーエンが行ったヤコブ退役将軍へのインタビューで明らかにされ、ヤコブの死後に初めて出版された。

イスラエルがこの地域に核災害をもたらす寸前だったと伝えられたのはこれが最後ではなかった。2003年、コーエンは、1973年のヨム・キプール戦争(注、第四次中東戦争)でイスラエル軍が制圧されそうになったとき、当時の首相ゴルダ・メイアが最後の防衛手段として核爆弾とミサイルの使用を承認したと明かした。この終末計画はコードネーム「サムソン」で、ペリシテ人に捕らえられた際に神殿の柱を倒し、自分と敵を殺した聖書の強者にちなんで名付けられた。イスラエルが引き起こすであろう核災害の影は、この地域を今も悩ませている。

SIPRIは2024年の報告書で、2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃を受けて「後に内閣から除名された大臣を含む数人のイスラエルの政策立案者や評論家が、イスラエルはガザのハマス戦闘員に対して核兵器を使用すべきだと示唆した」と指摘した。

核兵器禁止に関する国連条約の実施を推進する100カ国の非政府組織の連合である核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、カタールの取り組みを歓迎している。ICANのプログラムコーディネーター、スージー・スナイダー氏は以下のように述べている。

「イスラエルの核兵器は公然の秘密であるため、同国の核施設が国際的な保障措置の対象となるべき時期はとうに過ぎている。イスラエルの核兵器を廃絶し、中東の他の国がそのような兵器を取得しないようにすることは、この地域のすべての人々の長期的な安全にとって極めて重要である。核軍縮がなければ、真の平和は実現しないだろう。」

以上
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