石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(124)

2024-03-04 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)(10

 

124イラクのクウェイト進攻と湾岸戦争(1/5)

 ヒジュラ暦1400年、西暦1980年に始まったイラン・イラク戦争は、地上戦では一進一退の消耗戦の様相を呈し、またペルシャ(アラビア)湾では互いが相手の石油積出施設を空爆、さらにイランがペルシャ湾を航行する石油タンカーを攻撃し、ペルシャ湾の入口であるホルムズ海峡の封鎖をほのめかすなど事態はエスカレートしていった。しかしようやく1988年になって両国は国連の調停案を呑み停戦にこぎつけた。この時、イランのホメイニ師が停戦の受諾は「毒を呑むよりつらい」と語ったのは有名である。

 

 イラン・イラク戦争はイラクにも大きな犠牲を強いた。内政は崩壊の一歩手前であった。しかしフセインは一筋縄ではいかぬ独裁者である。彼は災いを逆手にとって権力保持に突っ走った。国内では強権的手法を一層強め、二人の息子を使って部下には忠誠を強要し、南部のシーア派、北部のクルド族それぞれの住民を弾圧した。フセインと彼の忠実な部下たちは国内では少数派のスンニ派である。彼らは権力を失うと過酷な報復が待っていることを自覚している。だから部下たちはフセインの命令に絶対服従を誓い、反政府勢力を弾圧した。絶対的独裁政権が意外と強固なのはそれなりの理由があると言えよう。

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 


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