はじめに
イスラエルのネタニヤフ首相(組閣に失敗し再選挙に直面しているが)にノーベル平和賞が授与されるかもしれない、と書けばフェイク・ニュース或はブラック・ジョークと一蹴されるかもしれない。しかしイスラエルでは1978年のメナハム・ベギン及び1994年のイツハク・ラビンの二人の首相が平和賞を受賞している。トランプ米国大統領が出現して以来、イスラエルと米国の関係は過去に例を見ないほど強固となり、パレスチナ問題に「ある種の進展」をもたらしていることは間違いない。これが中東の恒久的な平和を意味するかどうかは解釈の分かれるところであるが、中東の力学バランスが崩れ、パレスチナ問題が沈静化していることはまぎれもない事実である。
ネタニヤフに追い風
トランプ大統領は米国大使館のエルサレム移転、ゴラン高原のイスラエル編入容認など矢継ぎ早にイスラエル支持政策を打ち出している。来年の中間選挙を控えて自らの選挙母体であるキリスト教福音派の支持獲得が目的だと言われている。イスラエルの総選挙時期と重なったため、当初劣勢を伝えられたネタニヤフ率いるリクードが僅差で勝利をおさめた。再選挙の結果は不明だが第5次ネタニヤフ政権が成立する可能性は濃い。ネタニヤフはヨルダン川西岸の入植地を拡大し、ゴラン高原に強固な軍事基地を建設するつもりであろう。これは国連が認めたイスラエル・パレスチナ二国家共存を真っ向から否定するものである。
一方米トランプ政権は核合意協定(JCPOA)から脱退し、更にイラン産原油の輸入禁止を日本、中国など全世界に強要、また同国の革命防衛隊をテロ組織に指定するなど、イランの孤立化を図り、政権内部の強硬派はイランの政権転覆すら公言している。対抗するイランは態度を硬化させている。イランの脅威におびえるサウジアラビアは米国への依存度を高め、挙句はイスラエルと協力関係を模索する動きすら見せ始めた。
サウジアラビアと並ぶ地域の大国エジプトとトルコもパレスチナ支援の色合いを薄めつつある。エジプトではシーシ大統領が憲法改正国民投票により独裁基盤の強化に狂奔、トルコのエルドアン大統領も国内での強権政治色を強めている。そうした中で両国は米国の経済・軍事支援を当てにしてトランプ大統領との「駆け引き(ディール)」に余念がない。米国はイラン、サウジアラビア、トルコ、エジプトの中東四大国と熾烈なディール合戦に明け暮れている。中東は今や「ニュー・ディール」の時代である。
トランプのニュー・ディール外交(diplomacy)
ニュー・ディールとはトランプゲームで親がカードを配りなおすことを意味している。米国の1930年代のニュー・ディール政策は恐慌を克服するためルーズベルト大統領が実施した国内向けの金融緩和・財政出動政策であった。これに対してトランプ大統領のニュー・ディールは国内政策(domestic policy)ではなく対外政策(diplomacy)であり、中東はもとより中国、EU、南米など地球的規模での米国の覇権外交である。
イスラエル・パレスチナ和平問題におけるディール外交の核心は、クシュナー大統領上級顧問の和平工作と言えよう。トランプ大統領の娘婿でありユダヤ教徒であるクシュナーは、大統領から和平工作を任され6月初めのラマダン明けに和平案を提示すると言明している。伝えられるところではこれまでのイスラエル・パレスチナ二国家共存策は取らず、パレスチナを「大イスラエル国家」に取込み、経済開発によってパレスチナの地位向上を目指す内容と見られる。その一環としてパレスチナ開発投資国際会議(6月下旬、バハレーン)を提唱している。
クシュナーの和平案がイスラエルに肩入れした一方的なものであることは明らかである。パレスチナ自治政府は既に明確な拒絶の意思を示しているが、国際社会はパレスチナに冷淡である。パレスチナは国際的に孤立し、イスラエルの領土内で二級市民として隷属させられる運命が待ち構えている。
ノーベル平和賞の現実
皮肉にもこのような状況が中東に平和をもたらそうとしている。「平和」と言う言葉に抵抗があるなら「戦火を交え(Hot war)ない政治的・社会的状況」と言って良かろう。そしてそのような状況を作った政治家にはノーベル平和賞授賞の資格がある、という訳である。
これまでの例を見ても中東におけるノーベル平和賞の授賞基準は、平和達成の既成事実ではなく平和が実現することを期待して選定されている。さらに現在では中東の平和は紛争当事者間の妥協と言う形から、強者による一方的かつ威圧的な非戦闘状態の実現という形に変質しつつある。
過去二度のイスラエル首相のノーベル平和賞授賞を見ると、最初の1978年のベギン首相とエジプト・サダト大統領の共同受賞は第四次中東戦争(1973年)後、クリントン米国大統領の仲介で両者は周囲の反対を押し切って和平に踏み切った。二度目の1994年のラビン首相の場合(ペレス外相及びアラファトPLO議長との共同受賞)はノルウェーのオスロ合意で和平が達成されている。二つのノーベル平和賞はいずれも紛争当事者同士が妥協した結果である。
ところが現在イスラエル・パレスチナ間に生まれようとしているのは紛争当事者の一方であるイスラエルが米国の強い後押しを受けて創り出そうとしている強権的な平和であって過去2度の場合とは異なる。これを「平和」と呼ぶかどうかは判断が分かれるが、紛争のない状態が生みだされることに違いは無い。その意味でネタニヤフがクシュナーの和平調停案に沿ってパレスチナとの紛争を(皆無は無理としても)鎮静化させることが出来れば、彼にノーベル平和賞受賞の資格があると言えよう。
トランプ大統領はその時、きっと次のようにツイートするに違いない。「おめでとう!ネタニヤフ。君の平和賞受賞は自分と自分の婿のおかげであることを忘れないように!」と。
しかし最後にもう一つ重要なことを指摘しておきたい。1978年の平和賞ではサダト大統領が3年後に、そして1994年の受賞者ラビン首相はその2年後に暗殺されているという事実である。中東にまつわるノーベル平和賞は本人に名誉をもたらすと同時に本人の生命に危険も及ぼしていることは肝に銘じるべきであろう。
以上
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荒葉一也
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