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第3章 アラーの恵みー石油ブームの到来(15)
078 富の分け前を求めて湾岸産油国に殺到する出稼ぎ(3/4)
パレスチナ難民の教師シャティーラが息子のアミンを連れて1956年にクウェイトに移り住んだことはすでにふれた。第二次中東戦争でイスラエル領エイラートから隣町のヨルダン領アカバに逃れたザハラの一家もヨルダンでの生活が一向に楽にならないため15歳になったばかりのザハラを出稼ぎのため一人でクウェイトに行かせた。彼は零細商店の小僧になった。
クウェイトは難民を支援するという大義名分のもと大量のパレスチナ人を積極的に受け入れた。しかしクウェイト人たちは難民に同情した訳ではなく彼らを安い賃金で働く労働力として酷使した。それは形を変えた奴隷制度であった。砂漠のテント生活から一足飛びに豊かな都市生活に移ったクウェイト人はほとんど無学で粗野であったため、富の分け前を求めて群がり集まった出稼ぎのパレスチナ人たちを残酷で横暴に取り扱った。ザハラはじっと耐え忍び、安い給料の殆どを故郷の家族に送金したのであった。家業で習い覚えた経理の知識を糧に24歳の時イラクに出稼ぎに出たアンマンの商人の息子カティーブの身の上も似たようなものであった。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com