Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

nightmare

2016-10-21 00:10:00 | コラム
nightmare…悪夢、の意。

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寝ているあいだに見た夢で、ほんとうの意味で悪夢だったのはふたつ。

ひとつは、オウム・村井幹部を刺殺した男が(なぜか)自分を刺し、刺した直後に「あ、間違えた」と呟いた夢。



起きたら、汗びっしょりだったよ。

もうひとつは、ビルから飛び降りた母親を地上でキャッチしようとしたが失敗、自分の目の前で母親の頭部が破裂した夢。

飛び起きて、自家製仏壇に手を合わせつづけたよ。


起きているあいだに経験したことで、ほんとうの意味で悪夢だったこと―すぐに思い浮かべるのは、あの出来事だ。

私服警備員、いわゆる万引きGメンをやっていたときのこと。

当時の自分は社内でいちばんの逮捕率を誇り、少し天狗、、、いや訂正、「かなり」天狗になっていた。
(入って数ヶ月で次長候補になったのだもの、天狗も無理はない・・・と自己弁護しておく)

が、ゆえのミスだったといえるかもしれない。

とあるスーパーの警備中、カニ缶ふたつを窃盗する50代の主婦を発見する。

手提げカバンに隠しこむ様子をしっかりと確認(=現認)し、彼女が店外に出たところで声をかける。

「分かりますよね」
「・・・」
「分かりますよね」
「えっ、なんですか」
「分かりませんか?」
「・・・分かりません」
「とりあえず、事務所まで来てもらえますか。そこで話しましょう」

いまから思えば・・・だが、そのとき、彼女はふと微笑を浮かべたような気がする。


事務所にて―。

「カバンのなかのものを、すべて出してもらえますか」

彼女は、素直に従った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これで、すべてですか」
「はい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なかを、確認してもいいですか」
「どうぞ」

あるはずのカニ缶が、なかった。

冷房ががんがんかかっている事務所なのに、汗が止まらなかった。

「どうしたの?」
「・・・いえ」
「私が、万引きしたとでも?」
「・・・いえ」


要は、誤認逮捕をしてしまったのである。


店長が割って入り、その場は収まった。

自分はそのあいだ「あぅ…」「うぅ…」くらいしかいえず、謝罪のことばも発せなかった。


彼女は帰宅後、息子に「万引き犯に間違われた」と告白じゃなくって告発、
翌日、スーパーの店長から警備会社にクレームの電話が入った。

「すごい剣幕なんです。当人と責任者を家に来させろって」


自分はボスと一緒に、彼女の自宅を訪れる。

菓子折りを投げつけられた。
口汚く罵られた。

けれども反論することは出来ない、自分とボスはひたすら頭を下げつづける。

それでも謝罪は受け入れられず、結局、会社がン十万円の慰謝料・示談金を支払うことで納得してもらった。


ボスは同僚に「牧野が精神的に参っている。会社が金を出したことは内緒で」といったそうである。

たしかにその事実を知ったときは、堪えた。

自分への処分は「そのスーパーへの出入り禁止」だけだったが、出来ることならば、慰謝料を給料から引いてもらいたかった。

いや実際に、そうしようとしたのである。

しかし、そうしようとする前に、思わぬ事実が明かされたのだった。


事件から3週間後―。

そのスーパーの店長から、自分宛に電話が入った。

「牧野さんは、まちがっていなかった」というのである。

どういうこと??

2週間分の防犯カメラの映像を上書きする前に、少し気になった店長は、あの日のあの時間帯をチェックしてみた。

すると・・・

カニ缶をカバンに隠しこむ姿は確認出来なかったが、カバンからカニ缶を出し、関係のないコーナーに投げ入れた姿が映っていたのだった。


つまり。
盗ったあと、自分の存在に気づいた彼女は、自分に声をかけられる前に、商品を放ったということ。

だから、あの微笑だったのか・・・。


とはいえ。
自分のミスには変わりない、現認したあとも、犯人の動きから目を離してはいけないのだから。


店長はいう、「牧野さんの名誉のためにも・・・とは思うんだけど、正直、これ以上のゴタゴタは懲り懲りでね」

「えぇ、分かります」
「ごめんね。ただ、牧野さんにはこれまでいっぱい捕まえてもらったから感謝している、けっして恨んではないということを伝えたくて」
「はい、ありがとうございます」


モヤモヤが残ったが、これもまた経験である。

ただ悪夢はここからで、きっちりと現認し、その後の犯人の動きからも目を離していなかったにも関わらず、声をかけられなくなってしまったのだ。


もし、自分の見間違い・勘違いだったらどうしよう?


連勝街道まっしぐらのファイターが、カウンターかなにかでノックアウトされたあと、まるで別人であるかのようなフットワークになり、勝てなくなっていく感覚。

刑事なのにピストルを盗まれてしまう、映画『野良犬』(49)の感覚。

これか! と思った。


精神面でのリハビリが必要となった。

ボスに助けられ、同僚に励まされ、ハニーに慰められ、2ヶ月くらいを要して本来の自分へと再生していった。


きのう―。
原稿が、久し振りにボツになった。

超のつく長文であり、思わず「ギャラも出ないし・・・悪夢だ」と呟いてしまったが、長々と綴ったこの出来事を回想し、「ボツなんか、ぜんぜん悪夢じゃないじゃん」と思い直したのである。





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明日のコラムは・・・

『17.01.21 カウントダウン始めるぜよ!!』
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好き、嫌い。

2016-10-20 00:10:00 | コラム
食い物で嫌いなのは・・・

ほしぶどう
つぶあん
プルーン
小豆

・・・くらいなもの? だ。

似ているでしょう、形状とか色合いとか。

豆が嫌いなわけじゃないからね、枝豆も納豆も好きだし。


嫌いな同性のタイプは、これはずっと変わらない・・・

いきがっているもの
痰を吐くオヤジ

痰のほうは、自分も「やりそうな年齢」になってきたので、気をつけねばいけないが。


ところで少し前に、「イチローが嫌いだ」というフレーズが登場するCMが話題になった。

誰もがピンとくると思うが、自身の弱さと対峙しなければならなくなるので、「嫌い」という逆説の意味が込められている。





イチロー?

オメーは、好きなのか嫌いなのかって?

どっちでもない。

同い年として、敬意、、、ではないなぁ、畏敬というほうが適切かもしれない、その仙人のような生きかたに恐怖すら感じているという意味で、少しだけ好きかな。

素直にすげぇなと思う。
アスリートとして、非の打ち所がない。

ただ、ひとつだけイヤだったのは・・・。

イチローが俳優に挑戦したとき、「巧いようにみせる」演技が鼻についたことと、それを笑っちゃいけない・貶しちゃいけないという空気に支配されていたこと。

あれは、受け手がいけないよ。

フツーに、「演技はダメだったね」といってあげたほうが、本人のためにもなるのではないだろうか。(と、エラソーに書いてみた)

あれだよ、宮沢りえに「歌はやめておけ」といえなかった周囲が悪い―というのに似た感覚。


ところで雑誌などでよく企画される、「嫌いな有名人」のランキング。
あれは読んでいて面白いが、いっぽうで「みんな、嫌いなひと多いなぁ!」と妙に感心してしまう。

友人と話していてもそれは感じることで、自分、好きなひとなら際限なく挙げられるが、嫌いなひとってそれほど居ないのだ。

試しに、いくつかのジャンルで挙げてみよう。


<格闘技>

過酷な世界なので、尊敬こそすれ・・・と最初から思っているから、挙げるとしたらひとりしか居ない。

タール、、、じゃない、オイルを塗りたくって真剣勝負の舞台に上がった、秋山成勲である。

微妙な線に居るのが、応援したい気持ちはあるのに、そうさせてくれないロンダ・ラウジー。



なぜかというと彼女は、試合前に、相手とグローブを合わせないからだ。

どれだけ煽ってもいいけど、敬意も大事よ。

<その他のスポーツ>

大久保博元・・・デーブ大久保ね

彼を好きだという野球ファンも希少だとは思うが、でも球界関係者からは評価が高いのだよね。
じゃなきゃ、監督やらせないだろうし。

でも、イヤだなぁ。

<映画>

映画監督で嫌いなひとは居ない。
かつて山田洋次が苦手だったが、それはあくまでも苦手であり、嫌いというのとはちがう。

俳優では、しばらくリチャード・ギアとジュリア・ロバーツの『プリティ・ウーマン』(90)コンビが嫌いだった。

作品が嫌いなだけだったのに、出ている演者までペケになってしまった稀有なケース。

能天気な世界観にイライラしたのだが、現在ではふたりとも、嫌いじゃないよ。
ただ「好き。」ではないので、敢えて「嫌いじゃない。」という表現をしておく。

<タレント>

りゅうちぇる、、、くらいかな笑

ごめん、分からないんだ面白さが。

ああいうのが気持ち悪いとか、そういうことは思わないのだが。

矢口まりっぺやベッキー、のりぴー、小保方ちゃん、田代まさしさえ面白がっているのに、りゅうちぇるはペケ、、、とかいうと、とくに女子に怒られる? のだが、嫌いなんだからしょうがない。


・・・ほか、「現在の」谷亮子とか、「現在の」今井絵理子とか、解説をしているときの松木安太郎とか、「声援を送っているときの」あびる優とか、「映画に手を出したときの」三谷幸喜とか、、、。


あれ、けっこう居るほうなのかも笑笑

でも好きなひとを挙げると、確実に500人は超えます。

映画監督とAV女優だけで、そのくらいいく自信あり。

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明日のコラムは・・・

『nightmare』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(186)

2016-10-19 00:10:00 | コラム
すんど「め」→「め」しあ(メシア)

米映画史に残る名作、『ベン・ハー』(59)のリメイクが本国で大コケしたらしい。




日本では年末~年始公開(たぶん)なので、なんともいえないが、最新技術で表現されたであろう二輪戦車競走は見ものなのかもしれないが、核心にハートがなかった、、、ということなのかも。

ところでオリジナルの『ベン・ハー』は、「なーーーんも分からん」ガキのころの自分でも感銘を受けた。

スケールのでかさで楽しめたという点も大きいが、さりげなく映るキリストの存在に神秘性を感じたものだった。




メシアとはヘブライ語で、「日本語的に訳すと」救世主となり、英語では、メサイア「Messiah」となる。

一部のひとにとっては、キリストこそまさにメシアなのだろう。


フィクション映画に絞って、話を展開させていこう。

自分の世代が映画的メシアを挙げれば、それはケンシロウか、ジョン・コナー(1)になると思う。

自分より下の世代になると、ネオ(2)になるのではないだろうか。

(1)は『ターミネーター』シリーズ(84~)の抵抗軍指導者、








(2)は『マトリックス』シリーズ(99~2003)の天才ハッカーである。


ジョン・マクレーンも、ナカトミビルに現れたメシア。
桑畑三十郎も、宿場町に現れたメシア。

なのだろうけれど、本人が嫌がるだろうから除外。


(1)は物語はややこしかったが、コナーが真のメシアであることは「はっきりと」分かった。

簡単にいえばこのシリーズは、コナーを死なせないために、周囲の人間がすごく頑張る、、、という物語だった。

ロボットを登場させてまで守るべきひと―なってみたい気もするが、荷が重いのでイヤかな。

メシアは格好いいが、必要以上に命を狙われる存在なんだねぇ。


厄介なのは(2)のほうで、映像は楽しいし、ネオ本人も周囲も「メシアかな?」と疑ってかかるところとかはユニーク、なのだが、小手先の知識というか、「知っていること、聞いたことあることば、とりあえず詰め込んでみました」的な哲学問答のシークエンスが邪魔をして、素直に映像トリップに浸らせてくれないのである。

監督本人も、じつは分かっていないでしょう?

だって分かっていたら、パート1のエンディングで、ネオを、トリニティのキスで復活なんかさせないと思うもの。

白雪姫じゃん!! って。


だから自分は、ネオをメシアとは解釈したくない。

まだアムロ・レイのほうが、メシアとしての資質を備えているんじゃないかな~。


次回のしりとりは・・・
めし「あ」→「あ」いきゅー。

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明日のコラムは・・・

『好き、嫌い。』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(185)

2016-10-18 08:30:23 | コラム
る「す」→「す」んどめ

寸止め

空手・剣道などの競技で、拳・足や木刀などを使った強烈で有効な打撃を相手の体に打ち込む寸前で止めること。

(デジタル大辞泉より)

…………………………………………

分かっている。

そりゃ、分かっているさ。

そんなこと、わざわざ調べなくとも。

けれども自分のような、身体の70%がザーメンで出来ているような産業廃棄物系男子? は、寸止めと聞けば、すぐに下半身事情を想起してしまうのであった。



まぁそのほうが、健全だともいえる。

単なる照れなのだろうが、20代の知り合いで、好みの女子についてでさえ語れない男の子が居てね、余計なお世話だけど心配になる。

正直、米大統領選より心配だ。
東京五輪より心配だ。

自宅に、大量のAVを勝手に送ってやろうかしら。

まぁいいや。


さて「お・あ・ず・け♡」みたいな寸止めの展開がある映画というと、どうしてもお色気路線にかぎられてしまう。

究極的にいえば、弾が出るか出ないかを興じるロシアン・ルーレットも「寸止め競技」といえるのだろうが、お色気のない映画でそれを見つけるとなると、与えるほうではなく、与えられるほう? が「ぎりぎりで思い留まる」変化球の寸止めばかりであることに気づく。


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)の、いちばん好きなシーン。

ケーキと引き換えに童貞を捨てようとする男の子は、彼女を待つあいだにケーキのことが気になり、少しだけ生クリームをいただく。

・・・・・あぁ美味だ。

こりゃたまらん、男の子は結局、食欲に負けて性欲を放棄する。

流れるエンニオ・モリコーネの音楽がまた、慈愛と哀切に満ち満ちていて、ジーンときてしまう名シーンとなっている。





核を持ち込んだテロリストを撃ちたいのに、その側を歩く子どもと親の存在が邪魔で引き金を引くことが出来ない狙撃手―『ピースメーカー』(97)のクライマックス直前は、この映画の白眉だろう。




さぁ自分なら、どうする?

ジョージ・クルーニーはもちろん、ニコール・キッドマンでさえ「撃て!」といってくるけど。

「多少の犠牲はやむおえない」という考えは分かる、分かるが、やっぱり引き金は引けないと思う。

それが出来るのがハリー・キャラハンであり、マーティン・リッグスだったりするのだろうね。

だからきっと自分は凡人の烙印を押されるであろうが、それでいいかなと。

そういう意味では、寸止めのプロ? だ。
いっぽうで「あっちの分野」では、寸止めは苦手。

すぐにイクし、寸止めしようとも思っていない。
だから余計に早漏気味になる、、、と。

ん?

聞いてない?

分かっているよそんなこと。
でもここは自分のブログであるし、ブログというのものは主がいちばん偉いんじゃ!!


あすのしりとりは・・・
すんど「め」→「め」しあ。

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『シネマしりとり「薀蓄篇」(186)』
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となりのひとなら、もう越しましたよ

2016-10-17 00:10:00 | コラム
ん?

自分が原因かな。

昼夜逆転の生活をしているからかな。

笑い声もでかいから、気になったのかな。

それとも格闘技の放送や、AVを、大音量で流しているから、、、だろうか。

あるいはバランスボールで、ドッタンバッタンしているからか。


去年の暮れあたりに、ずぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っと空き家だった、わが家の隣りに入居者があったことを本ブログに記している。

で、その住人さんがいつの間にか引っ越していた。

そういえば先日、深夜に「なんか、している」物音は聞こえたけれども。

会っても挨拶する程度の関係性である、しかし隣人なのだからね、ヒトコトくらいはほしかった。

「それがない」ことにより、自分の所為だろうか、とか、なにか問題を抱えていたひとだったのか、、、とか、深読みしてしまうのだから。

まぁたぶん、仕事の都合とか、そういうことだとは思うが。


ともかく。
また、隣りが空き家になってしまった。

下には長く住む住人さんが居るし、べつに寂しいってわけではない。
ないが、自分の隣りだけ「すぐ居なくなる」というのが、やっぱりちょっと引っかかったりしてね。


『花様年華』(2000)じゃないが、艶っぽい女子が引っ越してこないかな、、、などという、ほぼあり得ない想像をしてしまう。

東京に住むようになって3度ほど住処を変えてきたが、いちどもそんな出会い? はなかったな!!


それにしても「道ならぬ恋」を描く物語には、こころ揺さぶられる傑作が多い。

自分の終生の愛読書『それから』もそうだし、
映画では『近松物語』(54)にはじまり、『ピアノ・レッスン』(93)とか、『イングリッシュ・ペイシェント』(96)も素晴らしかった。

ん?

そんな展開に、憧れている?

今年の芸能界は、道ならぬ恋が多いし?

・・・いやぁ、度胸ないね自分には。
そんな度胸要らないし、ただちょっと、甘い想像をしてみて、軽くエレクトしてみたいっていうだけだ。





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