Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(200)

2016-10-25 03:03:24 | コラム
録音にせよ録画にせよ、CMカット機能などあるはずもない時代―80年代前半―なので、観ながら聴きながら録る、、、というのが基本で。

テレビの前でラジカセの録音ボタン/ビデオデッキの録画ボタン、停止ボタンに指を置き、CMをカットする技術は、自分の世代くらいまでなら皆が習得していたのではないかな。

初めてカセットテープに録音したのは、アニメ『夢戦士ウイングマン』(84、テレビ朝日)のエンディングだったと記憶する。




そのあとは、番組全体を録音していた『斉藤由貴 ネコの手も借りたい』(ニッポン放送)だったかな。


初めてビデオテープに録画した映画は、香港産の『燃えよデブゴン』(78)である。

サモ・ハン・キンポーが主演、大流行したカンフー映画のパロディ作品。



原題は(ひどいことに)『肥龍過江』という。

まぁでも、監督も務めたサモ・ハンが自身で冠したタイトルだからね、その自虐性が素敵じゃないか。

「肥龍」は読んで字のごとくだが、「過江」とはなにか。

これはブルース・リーの『ドラゴンへの道』(72)に由来し、この原題が『猛龍過江』なのである。

タイトルそのものがパロディになっているわけで、だからほんとうは『デブゴンへの道』としたほうが、しっくりきたはず。

ただ『燃えよドラゴン』(73)のほうが有名だから、こっちに寄せたということだろう。


特別サモ・ハンが好きだったわけではない。

もちろん嫌いじゃないよ、成龍ジャッキーの兄貴的存在であったし。

元祖「動けるデブ」といったらいいのか、このひとを彷彿とさせるのが、芸人「タイムマシーン3号」の関ちゃんだろう。




嫌いでも、好きでもない。
というのは、たぶん、自分がまだ肥満児だったから、親近感を覚えつつも、弱めの近親憎悪? を抱いていたのかもしれない。

この映画を録画したのは、結局「たまたま」だったんだ。

成龍の映画が「先に」放送されていれば、そっちを録ったろうし。
成龍がシュワ氏やスライに代わっても、それは大きな問題ではなかった。

単に、我が家にビデオデッキがやってきた「その日」に放送されていたのが『燃えよデブゴン』だっただけ、、、なのだよね。


リモコンを持ち、荻昌弘の解説が始まったと同時に録画ボタンを押す。
CMに入れば一時停止を押し、始まればそれを解除する。

こうして2時間、テレビの前に居座り緊張しながら録画したものである。

そうして、きちんと録れているかを確認するために再度、鑑賞する。

そんなわけだから、べつに好きでもないのに傑作とも思えないのに、『燃えよデブゴン』の、ほとんどのシーンを覚えている映画小僧なのだった―。


おわり。


※成龍は石丸さん、サモ・ハンは水島裕さん。

これゼッタイ。




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明日のコラムは・・・

『いちれつ!!』
コメント (2)
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