Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(186)

2016-10-19 00:10:00 | コラム
すんど「め」→「め」しあ(メシア)

米映画史に残る名作、『ベン・ハー』(59)のリメイクが本国で大コケしたらしい。




日本では年末~年始公開(たぶん)なので、なんともいえないが、最新技術で表現されたであろう二輪戦車競走は見ものなのかもしれないが、核心にハートがなかった、、、ということなのかも。

ところでオリジナルの『ベン・ハー』は、「なーーーんも分からん」ガキのころの自分でも感銘を受けた。

スケールのでかさで楽しめたという点も大きいが、さりげなく映るキリストの存在に神秘性を感じたものだった。




メシアとはヘブライ語で、「日本語的に訳すと」救世主となり、英語では、メサイア「Messiah」となる。

一部のひとにとっては、キリストこそまさにメシアなのだろう。


フィクション映画に絞って、話を展開させていこう。

自分の世代が映画的メシアを挙げれば、それはケンシロウか、ジョン・コナー(1)になると思う。

自分より下の世代になると、ネオ(2)になるのではないだろうか。

(1)は『ターミネーター』シリーズ(84~)の抵抗軍指導者、








(2)は『マトリックス』シリーズ(99~2003)の天才ハッカーである。


ジョン・マクレーンも、ナカトミビルに現れたメシア。
桑畑三十郎も、宿場町に現れたメシア。

なのだろうけれど、本人が嫌がるだろうから除外。


(1)は物語はややこしかったが、コナーが真のメシアであることは「はっきりと」分かった。

簡単にいえばこのシリーズは、コナーを死なせないために、周囲の人間がすごく頑張る、、、という物語だった。

ロボットを登場させてまで守るべきひと―なってみたい気もするが、荷が重いのでイヤかな。

メシアは格好いいが、必要以上に命を狙われる存在なんだねぇ。


厄介なのは(2)のほうで、映像は楽しいし、ネオ本人も周囲も「メシアかな?」と疑ってかかるところとかはユニーク、なのだが、小手先の知識というか、「知っていること、聞いたことあることば、とりあえず詰め込んでみました」的な哲学問答のシークエンスが邪魔をして、素直に映像トリップに浸らせてくれないのである。

監督本人も、じつは分かっていないでしょう?

だって分かっていたら、パート1のエンディングで、ネオを、トリニティのキスで復活なんかさせないと思うもの。

白雪姫じゃん!! って。


だから自分は、ネオをメシアとは解釈したくない。

まだアムロ・レイのほうが、メシアとしての資質を備えているんじゃないかな~。


次回のしりとりは・・・
めし「あ」→「あ」いきゅー。

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明日のコラムは・・・

『好き、嫌い。』
コメント (1)
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