Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(185)

2016-10-18 08:30:23 | コラム
る「す」→「す」んどめ

寸止め

空手・剣道などの競技で、拳・足や木刀などを使った強烈で有効な打撃を相手の体に打ち込む寸前で止めること。

(デジタル大辞泉より)

…………………………………………

分かっている。

そりゃ、分かっているさ。

そんなこと、わざわざ調べなくとも。

けれども自分のような、身体の70%がザーメンで出来ているような産業廃棄物系男子? は、寸止めと聞けば、すぐに下半身事情を想起してしまうのであった。



まぁそのほうが、健全だともいえる。

単なる照れなのだろうが、20代の知り合いで、好みの女子についてでさえ語れない男の子が居てね、余計なお世話だけど心配になる。

正直、米大統領選より心配だ。
東京五輪より心配だ。

自宅に、大量のAVを勝手に送ってやろうかしら。

まぁいいや。


さて「お・あ・ず・け♡」みたいな寸止めの展開がある映画というと、どうしてもお色気路線にかぎられてしまう。

究極的にいえば、弾が出るか出ないかを興じるロシアン・ルーレットも「寸止め競技」といえるのだろうが、お色気のない映画でそれを見つけるとなると、与えるほうではなく、与えられるほう? が「ぎりぎりで思い留まる」変化球の寸止めばかりであることに気づく。


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)の、いちばん好きなシーン。

ケーキと引き換えに童貞を捨てようとする男の子は、彼女を待つあいだにケーキのことが気になり、少しだけ生クリームをいただく。

・・・・・あぁ美味だ。

こりゃたまらん、男の子は結局、食欲に負けて性欲を放棄する。

流れるエンニオ・モリコーネの音楽がまた、慈愛と哀切に満ち満ちていて、ジーンときてしまう名シーンとなっている。





核を持ち込んだテロリストを撃ちたいのに、その側を歩く子どもと親の存在が邪魔で引き金を引くことが出来ない狙撃手―『ピースメーカー』(97)のクライマックス直前は、この映画の白眉だろう。




さぁ自分なら、どうする?

ジョージ・クルーニーはもちろん、ニコール・キッドマンでさえ「撃て!」といってくるけど。

「多少の犠牲はやむおえない」という考えは分かる、分かるが、やっぱり引き金は引けないと思う。

それが出来るのがハリー・キャラハンであり、マーティン・リッグスだったりするのだろうね。

だからきっと自分は凡人の烙印を押されるであろうが、それでいいかなと。

そういう意味では、寸止めのプロ? だ。
いっぽうで「あっちの分野」では、寸止めは苦手。

すぐにイクし、寸止めしようとも思っていない。
だから余計に早漏気味になる、、、と。

ん?

聞いてない?

分かっているよそんなこと。
でもここは自分のブログであるし、ブログというのものは主がいちばん偉いんじゃ!!


あすのしりとりは・・・
すんど「め」→「め」しあ。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(186)』
コメント (1)
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