「初めてのサッカー」についての話。
まずは、中学時代の通知表を。
ほんとうは中1時代の「体育の成績1」を載せたかったのだけれども見つからず、「2」をもらった中2時代を。
すでに肥満児だったので運動能力や実技は「ほぼゼロ」のはず、いや「マイナス」でもいいくらいだが、「保健」で「お情けポイント2」が加点されただけだと思う、だから「実質1」と捉えてもらっていい。
※(端のほうに)落書き計算式(?)があるが、なぜそんなことしたのかは覚えていない。たぶんバカだったのだろう。
※どのくらい肥満児だったのか、、、というと。
3年間での増えかたが、身長の伸びに比べて異常だが、それでも中3時点では「まだ」77kg。
これが高校1年の夏になると、一気に3桁に突入してしまうのだった。
それでようやく「これじゃあモテるわけがない」ことに気づき、ダイエットを始めると。
まぁそんなヤツだから、スポーツなにやらせてもペケというのは想像がつくでしょう。
それでも体育の授業や昼休みには、どこかのポジションについてプレーしなければいけない。
(尤も昼休みの「遊びの延長的スポーツ」に関しては、中学後半からは参加しなくなったが。主に図書館で映画の本を読んでいた)
野球の場合は、その体格でキャッチャーに任命されることが多かった。
漫画『タッチ』あたりの影響かな、太っている=キャッチャーだろ、みたいな。
(実際の名捕手には、あまりガタイがいいひとって居ないのだけれどもね!)
ガタイがいいといっても単に脂肪の塊だったわけで、肩は強くないから盗塁を刺すことも出来ないし、ぜんぜん役に立っていなかった。
いなかったが、「なり手」が居なかったため、ずぅ~~~っとキャッチャーをやっていた。
自分もその気になって、誕生日のプレゼントにキャッチャーミットをねだったりもしたしね。
81年―。
『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『キャプテン翼』の連載がスタートし、サッカーブームが到来する。
それまで野球に夢中だった同級生たちは急にMIKASAのサッカーボールを愛用し始め、PUMAのロングソックスでお洒落(?)するようになる。
当然、草野球は草サッカーに。
自分はどこのポジションについたかというと、「キャッチャーと同じ発想で」キーパーだった。
実際においても、漫画やドラマ、映画においても、名キーパーにデブなんか居ないっての!!
とはいっても。
肥満児にほかのポジションなんか出来るわけもなく、消去法でキーパーをやらざるを得なかった、、、といえるかもしれない。
だから。
皆が翼くんや岬くん、日向くんのシュートを真似ているとき、自分はひとりで若林くんや若島津くんの「横っ飛びセーブ」を真似ていた。
訂正、真似しようとしていた。
ほんとうに出来るほどの運動能力はないしね。
格好だけでも・・・と、adidasキャップを買ってみたりもした。
実際のところは。
当然、正面のシュートしか止めることが出来ない。
しかし。
蹴るほうも知識が浅いうえに技術も未発達だったため、けっこうな確率で正面を狙ったシュートがきた。
自分はボールの動きを読んだわけではなく、ただ突っ立ていただけでセーブ出来る幸運(?)に恵まれ、
「まっき~、すげー! 若林みたい!!」
などと褒められ、おおいに図に乗ったのであった。
たが。
そんな展開が長くつづくわけもなく、数ヶ月後にはゴール枠の端を狙われ、自分の評価はガタ落ちしていくわけだが。
なんというか、まぁ・・・でも、なかなかよい青春時代だったのかもしれない。
おわり。
※あぁ沖田浩之・・・。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『接客スマイル』
まずは、中学時代の通知表を。
ほんとうは中1時代の「体育の成績1」を載せたかったのだけれども見つからず、「2」をもらった中2時代を。
すでに肥満児だったので運動能力や実技は「ほぼゼロ」のはず、いや「マイナス」でもいいくらいだが、「保健」で「お情けポイント2」が加点されただけだと思う、だから「実質1」と捉えてもらっていい。
※(端のほうに)落書き計算式(?)があるが、なぜそんなことしたのかは覚えていない。たぶんバカだったのだろう。
※どのくらい肥満児だったのか、、、というと。
3年間での増えかたが、身長の伸びに比べて異常だが、それでも中3時点では「まだ」77kg。
これが高校1年の夏になると、一気に3桁に突入してしまうのだった。
それでようやく「これじゃあモテるわけがない」ことに気づき、ダイエットを始めると。
まぁそんなヤツだから、スポーツなにやらせてもペケというのは想像がつくでしょう。
それでも体育の授業や昼休みには、どこかのポジションについてプレーしなければいけない。
(尤も昼休みの「遊びの延長的スポーツ」に関しては、中学後半からは参加しなくなったが。主に図書館で映画の本を読んでいた)
野球の場合は、その体格でキャッチャーに任命されることが多かった。
漫画『タッチ』あたりの影響かな、太っている=キャッチャーだろ、みたいな。
(実際の名捕手には、あまりガタイがいいひとって居ないのだけれどもね!)
ガタイがいいといっても単に脂肪の塊だったわけで、肩は強くないから盗塁を刺すことも出来ないし、ぜんぜん役に立っていなかった。
いなかったが、「なり手」が居なかったため、ずぅ~~~っとキャッチャーをやっていた。
自分もその気になって、誕生日のプレゼントにキャッチャーミットをねだったりもしたしね。
81年―。
『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『キャプテン翼』の連載がスタートし、サッカーブームが到来する。
それまで野球に夢中だった同級生たちは急にMIKASAのサッカーボールを愛用し始め、PUMAのロングソックスでお洒落(?)するようになる。
当然、草野球は草サッカーに。
自分はどこのポジションについたかというと、「キャッチャーと同じ発想で」キーパーだった。
実際においても、漫画やドラマ、映画においても、名キーパーにデブなんか居ないっての!!
とはいっても。
肥満児にほかのポジションなんか出来るわけもなく、消去法でキーパーをやらざるを得なかった、、、といえるかもしれない。
だから。
皆が翼くんや岬くん、日向くんのシュートを真似ているとき、自分はひとりで若林くんや若島津くんの「横っ飛びセーブ」を真似ていた。
訂正、真似しようとしていた。
ほんとうに出来るほどの運動能力はないしね。
格好だけでも・・・と、adidasキャップを買ってみたりもした。
実際のところは。
当然、正面のシュートしか止めることが出来ない。
しかし。
蹴るほうも知識が浅いうえに技術も未発達だったため、けっこうな確率で正面を狙ったシュートがきた。
自分はボールの動きを読んだわけではなく、ただ突っ立ていただけでセーブ出来る幸運(?)に恵まれ、
「まっき~、すげー! 若林みたい!!」
などと褒められ、おおいに図に乗ったのであった。
たが。
そんな展開が長くつづくわけもなく、数ヶ月後にはゴール枠の端を狙われ、自分の評価はガタ落ちしていくわけだが。
なんというか、まぁ・・・でも、なかなかよい青春時代だったのかもしれない。
おわり。
※あぁ沖田浩之・・・。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『接客スマイル』
社会人だったので^^;
過ぎて懐かしいのが 青春なのでしょうか