工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

第23回 国際鉄道模型コンベンション 始まりました

2024年08月16日 | 鉄道・鉄道模型

 鉄道模型の夏の祭典はまだまだ続きます。恒例の「国際鉄道模型コンベンション」が本日から東京ビッグサイトで始まりました。あいにくの台風接近ということで、今日お越しになる方はくれぐれもお気をつけて。

 私は今年もミニチュア人形のYFS様のブースにおります。先日T-TRAKジオラマSHOWで公開いたしましたジオラマも持ち込んでおりますので、ぜひご覧ください。会期中3日間は会場におりますので(金曜は短めの滞在になりそうですが)、皆様とお会いできたらと思います。


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パトルイユ・ド・フランス余話

2024年08月16日 | 飛行機・飛行機の模型

 パリ五輪も先日閉幕し、日本勢の活躍に胸を熱くされた方も多いでしょう。決勝が夜中や明け方ということで、なかなか生で観られないもどかしさはありましたが、私も大いに楽しんだ一人でした。

 東京大会のことをバカボンパパの言葉を借りて「忘れたいけど思い出せない」と書きましたが、読者の方から、あれは「忘れようとしても思い出せない」が正しいのではとご指摘を頂戴しました。さすがディオゲネスクラブの会員、教養が違います。ということで以上のように訂正させていただきます。

 さて、パリ五輪の開会式でフランス空軍のアクロバット飛行チーム「パトルイユ・ド・フランス」が大空にハートを描いていました。このパトルイユ・ド・フランスですが、フランスらしい国旗と同じトリコロール塗装で知られています。このチーム名、ご存じの方もいらっしゃるのではと思いますが、実は偶然の産物でした。

 第二次大戦後の欧州では、各飛行隊や基地ごとにディスプレイチームを作り、さらにその中から年度ごとの「代表」を選ぶ国もありました。複数のチームがあった、というのはフランス、イギリス、イタリアなどで、なかなか元気な時代だったと言えましょう。フランスでもランス所属の第3戦闘機隊にF-84Gによるディスプレイチームが誕生します。F-84Gというとタミヤの1/72キットでもおなじみ、初期のジェット機にあたります。このチームが1953年、当時仏領だったアルジェリアのコンスタンティーヌで開催された航空ショーでに登場します。このときは他の部隊の航空機も参加していたのですが、このチームの飛行の際に、アナウンサーがそのフライトに感激のあまり「バトルイユ・ド・フランス」(直訳するとフランスの斥候隊、となりますが、実際には「フランスの編隊」といった意味のようです)とあたかもフランス代表のように紹介したのがはじまり、とされています。

 使用機もアメリカ製のF-84Gからウーラガンやミステールといった自国製のジェット戦闘機が使われるようになりました。F-84Gの塗装は特別なものではなかったのですが、ウーラガンから「アクロ機」という感じの、胴体にトリコロールの帯が入り、さらにはナショナルカラーの青や星を配したカラーリングに、そのあとを継いだミステールでは主翼にトリコロールを配した塗装となっていました。そして1964年からはジェット練習機のマジステールが採用され、1981年まで使用されます。部隊も空軍大学の中に置かれることになりました。マジステールも最初の数年間は胴体は銀色で、そこにトリコロールなどを配した塗装でしたが、後に胴体は青色を基調とする塗装となります。車などのいわゆる「フレンチブルー」よりもダークブルーっぽい色が特徴でした。

 1981年からアルファジェットに交代し、今に至っております。ちょうどこの時期はヨーロッパの他の国でも、さらには日本でもアクロチームの機種改編が重なりました。ヨーロッパらしい機数の多い編成が特徴で、8機で演技を行っています。アルファジェットになってからも、こまかなところで塗装やマーキングに変化が見られました。主翼下面に空軍を示す「Armée de l'Air」という白い文字が入ったり、垂直尾翼の塗装も微妙に変化が加えられたりしております。また、アルファジェットの方がブルーが明るくなっています。フランス国旗もジスカールデスタン大統領の時代だった1976年に三色旗の青の部分が明るくなり、現在のマクロン大統領になってから、2020年に元のダークブルーに戻っています。

 チームはそのときどきの隊長のカラーが演技に反映されるそうですが、演技をしめくくる8機での「ファイナル・ブレイク」など、いくつかの「伝統の科目」には手を付けないという暗黙のルールがあります。日本でもブルーインパルスは最後の演目である「ローリング・コンバット・ピッチ」と呼ばれる編隊を解いて旋回しながら着陸アプローチする演技は機種が変わっても以前のままです。

 模型でもパトルイユ・ド・フランスの機体を楽しむことができます。1/72になりますが、本家フランスではエレールがフーガ・マジステールをキット化し、パトルイユ・ド・フランスのマーキングもセットされています。

8年ほど前(2016年)に作りました。だいぶ前にエレールから再販されたので複数買い、一つはベルギーのチームで作りました。古いキットですのでそれなりの覚悟がいります。風防枠に傷をつけてしまったり、相変わらずな工作ぶりです。青は調色して暗めのブルー色を作るのに難儀した記憶があります。何か「媚びない青色」という感じがしまして、気に入ってます。

 

 

背の低い、個性的なフォルムです。

胴体の前後方向の白帯や、胴体下面の白帯はデカールを使っています。

 

アルファジェットはフジミです。

1980年代のキットで、高校生の時に組み、そして8年くらい前に組んだのがこちら。今の目で見るとだいぶつらいところもありますが、昔は好キットとして受け入れられていました。ヨーロッパの翼も珍しかったですしね。ブログで御紹介するつもりがなく作っていますので、出来の方は・・・というところで失礼いたします。こちらはこちらで独特の青色で、調色するのに苦労しました。

 

さて、改めて手元の文献からいろいろ調べたりしてみましたが、このチーム名が最初に呼ばれたとされるアルジェリアのコンスタンティーヌという街、かつてはフェニキア人(ローマのライバル・カルタゴで有名ですね)の都市で、キルタと呼ばれていました。後にヌミディアの首都となり、ローマの支配下となり、ということで古代史をかじった者としては懐かしい名前がたくさん出てきます。4世紀初めにキリスト教を国教にしたローマ皇帝・コンスタンティヌス一世の名前を取って町の名前も変わりました。その後も北アフリカの都市として栄えました。飛行場が作られたのは第二次大戦中のことで、連合軍の手によるものだそうです。件の航空ショーからあまり経たずにアルジェリアも独立運動が激しくなりましたので、パトルイユ・ド・フランスという名前も、いろいろな意味で嬉しい偶然の産物だったのではと思います。

 

参考文献 「ローリングインザスカイ 世界のアクロバット飛行チーム」(講談社)こちらは徳永克彦さんの撮影による世界のアクロチームのガイドなのですが、本ブログの記載にあたっては中村浩美さんの「大空の華麗なサーカス」という記事を参考にしました。

「世界のアクロバットチーム」梶田達二著 文林堂 こちらはイラストレーター梶田達二氏の作品集です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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