goo blog サービス終了のお知らせ 

工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

いままで、お世話になりました。はてなブログに引っ越します

2025年05月20日 | 日記

 ここでのブログももう少し続けようと思っていたのですが、毎回「サービス終了のお知らせ」が大きく表示され、フォロワー様も含め多くの方が新天地に向かわれており、なんだか閉店セールのような感じになっているものですから、私も引っ越し作業を進めてまいりました。

 ということでこちらでの投稿は今日でひとまずおしまい、これからは「はてなブログ」様でお世話になろうと思います。

https://marco2018.hatenablog.com/

 7年弱の間でしたが、読者の皆様、私の拙い文章をお読みいただきまして、ありがとうございました。ブログは年寄りのメディアだとか、オワコンだ、みたいな言われ方をしますと、文章で伝えることが大切な場合もあるし、写真や短文ではない、長い文章ではないと伝わらないものもあるから、私はブログという手段を選んだ、と反論したくなります。事実、私も四捨五入すれば60なので、年寄りではあるのですが、ブログを表現手段として利用する、というのは年齢に関係ない事と思います。インスタもXもアカウントは持っている(Xに至っては仕事に絡んだエゴサーチのために持っているようなものです)のですが、自分の思いや画像は切り取られて一人歩きしてほしくない場合もあります。そんなときのためにも、ブログが役立つ場面があるのではないかと思います。

 ゆく川の流れは絶えずして・・・と言いますが、出会いと別れの繰り返しは世の常でございます。これまで本ブログをご愛顧いただいた皆様、そしてこの場を用意してくださったgooの皆様、本当にありがとうございました。皆様のご多幸をお祈りしつつ、ここを出ていくこととしましょう。

 では、行ってまいります。

 

 

 

 


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デザインで回顧する「西ドイツ」 

2025年05月13日 | 日記

連休前のことですが、東京都庭園美術館で開催されている「戦後西ドイツのグラフィックデザイン モダニズム再発見」という展覧会を観てきました(5/18まで)。

(会場の庭園美術館・私が訪れたときは雨が降っていました。個人的には大好きな建物です)

 

この展覧会、ドイツ在住のグラフィックデザイナー、研究者であるイェンス・ミュラー氏が設立した「A5コレクション」の一部を日本に紹介しているもので、本展覧会も、戦後西ドイツのポスター等が中心となっています。

既に「西ドイツ」という名称も過去のものとなっておりますが、東西にドイツが分かれていた頃、西側ではどのようなグラフィックデザインが受け入れられていたのかを知る機会でもありました。展覧会ではまず、ルフトハンザ航空のための様々なデザイン、ポスターなどが展示されています。オトル・アイヒャーが1960年代に手がけた紺色と黄色のシンプルな組み合わせとLufthansaの文字は私も好きなデザインです。

また、ミュンヘン五輪の際のピクトグラム、といった五輪関連のデザインの展示もありました。ピクトグラムに関しては東京五輪(1964年)で本格的に登場していますが、こちらはオトル・アイヒャーがパステル系の色と組み合わせたピクトグラム、ポスター、ガイドなどのデザインを手がけており、古さを感じさせませんね。

1950年代までのポスター等はさすがに印刷技術の面でそれほどの美しさでもないものも見かけまして、中には戦前のデザインをひきずったようなものも見かけます。もっとも、1960年代以降の印刷技術の向上は日本のそれよりも先んじていたと思われ、現在でもドイツの印刷機械と言えば有名です。1960年代の幾何学模様とシンプルな配色のポスターは、幼少期に見たヨーロッパのデザインや広告のポスターって日本のそれとは全然違っていて、確かにこんな感じだったよな、と思わせるものばかりでした。本展覧会では、キール・ウィークと呼ばれる港町キールで開催されるセーリングフェスタのためのポスターや、ハンス・ミヒェル、グュンター・キーザーによるヘッセン放送局の公開コンサートのためのポスターなどが印象的でした。

こうした図形に依ったデザインだけでなく、イラストや写真を用いたコラージュなども1970年代以降顕著になります。好き嫌いはありますが、こういうの流行ったんだろうな、と思わせるものが展示されていましたし、日本のポスターにも影響を与えたようなデザインのものもありました。中にはドイツで公開された日本映画のポスター、なんていうのもありました。

いわゆる商業広告だけでなく、政党のロゴなどのデザインも展示されていました。小ネタみたいなものですが、1970年代の社会民主党(SPD)のロゴはヘルムート・シュミットというデザイナーの手によるもので、同名の政治家がその頃同党出身の首相として活躍していました。デザイナーのシュミットの方は日本ともゆかりのある方で、ポカリスエットなどのデザインもてがけています。

本展覧会の元である「A5コレクション」では有名、無名問わずさまざまなポスター、刊行物をコレクションしており、著名デザイナーだけでなく、図録でも詳細不詳となっているデザイナーがてがけた作品もいくつかありました。そういった中にお気に入りを見つけたりできたのも楽しかったです。

展覧会場の東京都庭園美術館は建物の内部も美しいですので、そちらも併せて楽しめる展覧会でした。庭園美術館、独身の頃は女の子と随分訪れたものでしたが、思えば久々の訪問でした。

キール・ウィークのポスターはコースターとして売られていましたのでお土産になりました。

 

 

 


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12年前の使徒座空位

2025年05月08日 | 日記

バチカンでは先月亡くなられたフランチェスコ(フランシスコ)・ローマ教皇の後任を選出するコンクラーベが行われます。今から12年前の2013年ですが、当時のベネディット(ベネディクト)16世が異例の「生前退位」を表明し、その年の2月末に退位しました。退位からコンクラーベの間に、私と家人はイタリアを訪れておりました。3月2日にローマに着いて、ローマに数日滞在したのですが、教皇がいないときのバチカンというのはどうなっているのだろうと思いました。バチカンにはサン・ピエトロ大聖堂をはじめ、コンクラーベが行われるシスティーナ礼拝堂、さらにはバチカン美術館もあります。ミケランジェロの「最後の審判」、「ピエタ」に限らず、それぞれに有名な美術品を収蔵、公開していることでも有名です。せっかくここまで来て、観られなかったら残念だなあという思いもあり、こういった施設が開いているのか、ホテルで尋ねてみました。私たちが泊ったホテルはフロントとは別にコンシェルジュがいるような立派なところでした。家人は初めての欧州ということもあり、少しでも快適な滞在をと思い、ローマではちょっといいホテルを奮発しのです。

コンシェルジュ氏は「もちろん開いてますよ」と答えてきました。閉めている理由なんてないでしょ、という感じです。こうして2013年3月4日にタクシーでバチカン美術館まで行きました。バチカン美術館を午前中いっぱい観て、中にあったカフェテリアでピザを賞味し、システィーナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂を拝観した記憶があります。彫刻や絵画などに圧倒された後、売店を覗いてみると教皇空位を現したイタリア語である「SEDE VACNTE」と印刷された文字の入った切手が台紙とともに売られていました。商魂たくましいと申しましょうか、滅多にない機会ですし、しかも数百年ぶりの生前退位という珍しい事態でもあります。私も実家のお土産の分とともに買いました(汗)。

サン・ピエトロ大聖堂の前も「コンクラーベ仕様」になっていました。スイス人の衛兵だけでなく、イタリア国家警察や憲兵がいるのはいつものことですが、コンクラーベの結果を示す煙突の煙が見やすい場所に即席のプレスセンターができていました。

(スイス人衛兵)

 

(左は国家警察、右が憲兵のパトカー)

 

(憲兵の「移動交番」)

 

(サン・ピエトロ大聖堂側から広場を見た写真です。中央左に即席のプレスセンターがあります)

(拡大したのがこちらです)

 

また、広場の一角には臨時の郵便局もできていました。

テレビのニュースでも下馬評のような感じで、どこそこの枢機卿が有力候補、みたいな報道がありましたが、その通りにはならないのもコンクラーベです。先日、日本の新聞でも次期教皇に誰が有力か、みたいな記事が載っていました。フランチェスコ教皇のときもそうでしたが、意外な方が選ばれることもあります。

私はキリスト教徒ではありませんが、イタリアを何度も訪れておりますと、バチカン、そしてカトリック教会の存在というのは否応なく感じます。日曜昼には公共放送でバチカンのミサの様子を中継していますからね。野次馬的で少々失礼ではありますが、どんな人が次の教皇に、というのは気になるところではあります。

ちょうどこのブログを書いているときにBBCではシスティーナ礼拝堂から中継を行っていて、礼拝堂に「鍵をかける」ところまで映していました。教皇空位を示す「使徒座空位」がいつまで続くのか、新教皇選出を示す白い煙がいつ出てくるか、待つこととしましょう。

 

 

 


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これぞ究極の玩具道楽!?

2025年05月05日 | 玩具道楽
ブロック玩具のレゴとF1のコラボについては前回のブログでも紹介しましたが、日曜に行われたマイアミGPでは、ドライバーパレードに車体をレゴで作ったF1マシンがドライバーを乗せてパレードしました。以前も日本GPに合わせてトヨタのスポーツカーをブロックで作ったものがありましたが、今回、レゴ側がF1マシンを用意したようです。
ドライバーパレードと言いますと、クラシックカーを使ったそれが知られていましたが、いつだったかのGPでオイルをまき散らすトラブルがあり、それ以来、トレーラーの荷台のようなところに20人のドライバーが収まって「市中引き回し」のごとくパレードしています。一人一台の車があてがわれるわけではないのでどうも味気ないなあと思っていましたが、今回は2シーターのマシンとなっていて、各チーム2人のドライバーがそれぞれのチームのマシンを模した1台の前後に乗って楽しんでいます。動力がどうなっているのか気になるところですが、自走しているようです。
動画を見る限りどのチームのドライバーもみんな楽しそうで、童心に帰っている(中には10代のドライバーもいますが)感がいたします。レゴのF1マシン、今回限りなのかどうかは分かりませんが、また観てみたい感もあります。もっとも、実物大ですので、そのまま輸送するのは少々難しそうな感じもします。
いつもなら子供の日に「玩具道楽」としていろいろな玩具をご紹介していますが、今回はもともと仕込んでいるネタが無かったのと、グランプリでこんな楽しい話題があったので、とりあげた次第です。
 
 

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2025春・鈴鹿への旅 拾遺 つづき

2025年04月30日 | 旅のあれこれ

(前回からのつづき)

7 オレンジ色、目立っています

マクラーレンが昨年はコンストラクターズタイトルを獲るなど、完全復活、といったところで、今シーズンもノリス、ピアストリの二人が序盤戦をリードしています。チームカラーはオレンジで、昔のマルボロカラーや、90年代後半のシルバーアロー時代とは異なるカラーリングです。海外からの観客が増えているせいもあってか、マクラーレンのファンも多く見かけます。イギリスなどでは昔から「チームとしてのマクラーレンのファンは一定数いる」なんていうことを聞いたことがあります。

(写真は決勝レース後、マクラーレンのピットが見えます)

 

8  日本の味、どれがお気に入り?

メルセデスにリザーブドライバーで帯同しているバルテリ・ボッタスは、鈴鹿で優勝経験もありますが、日本で早速大好きな某カレーチェーンのカレーを食べていたとか。ほうれん草とウインナーのトッピングまで注文ということで、カスタマイズぶりも日本人なみですね。これに限らず、名古屋でもみそかつのお店にF1帰りの外国人が食べに来ていましたし、土地の料理にチャレンジするのは好感が持てます。F1中継の解説者として活躍された故・今宮純氏は、世界各国での取材経験から「郷に入れば食に従え」と、その土地ならではの料理を食べていたそうです。海外に行ってもファストフードでは、あまりにもですよね。

 

9 昔と変わったよな・・・。グランプリにおける日本と世界の距離

その昔は日本GPは年に一回、世界(とりわけヨーロッパ)が日本にやってくるという感もいたしまして、ドライバー、チーム、メディア、そしてあの頃は少なかった海外のお客さんも含めて彼らの肩越しから海外をのぞき見していたような感じすらあります。時は流れ、今ではハースのように日本をイメージした塗装だったり、レッドブルはあえてピット上の表記も日本語にしていました。日本的なものに対して我々以上に世界が興味を持ってくれるようになった、ということでしょうか。海外のファンも日本のコスプレファンにカメラを向けたりしていますね。そういうのも含めて、日本GPを楽しんでいる感があります。

(カタカナでユウキとマックスとありますね)

 

10 それぞれのニッポン日記

泊まっていた名古屋のホテルでは、台数は限られていましたがコインランドリーがあり、私も使いました。前のお客さんの洗濯が終わるのを待つ間に、フェラーリのキャップをかぶった白人の青年がいて「F1なの?」と聞いたら「そうだよ」とのこと。待っている間にいろいろ話しました。3月下旬から2週間くらいかけて大阪、東京と回って名古屋に泊まっているとのこと。「東京で雪が降ってびっくりした」と3月下旬に雪が降った話になり「東京も1月や2月に降ることもあるんだよ。でも3月は珍しいね」なんて話しておりました。彼はF1の現地観戦が初めてだったようで、何回目?と聞いてきたので、鈴鹿は1997年からずっとだけど、と答えたところ、驚いていました。

 

11 ガラガラ浴場(駄)

そのホテルですが、ちょっとした大浴場を備えており、たくさん歩いて疲れた体にはありがたいのです。外国人が多く泊まっているからなのか、いつも空いており、聞こえてくるのも日本語ばかりでした。やっぱりいろいろな意味で外国人にはハードルが高いのかな。私自身、昔はシャワーオンリーでもなんとかなりましたが、今ではホテルでも大浴場とかあると嬉しくなるというのは、年を取った証拠ですね。

 

12 レース後も大盛況

決勝後にグランドスタンドの観客を対象に行われるストレートウォークですが、ずいぶん人が入るようになりました。以前のブログにも掲載しましたがレース後に話し込んでいるチームスタッフを簡単に撮影できましたし、フェラーリのスタッフに「表彰台おめでとう」とか「次のレース、がんばってね」とかフェンス越しに話したものですが、ウォールの前方に近づくこともかなわず、早々に退散しました。

13 マナーとルールは守って!!

お客さんがたくさん来るようになり、また海外からの観客も増えている中、以前ほどではないにしても、なんだかなあ、な光景も見かけました。こちらは決勝終了後のストレートウォークのひとこま。

ピットウォールによじのぼって、表彰式を撮ろうとしているのは全員ジンガイだわ。チームが設置した機材、配線などもあるので登っちゃだめ、だったのではないかと思います。決勝終了後のストレートウォークは鈴鹿にF1が戻ってきてから始まったと思いますが、こういうのは見たことなかったわ。ドライバーの無線のFワードが話題になっていましたが、思わず悪態をつきたくなったな。あなたたち、ファンを名乗る資格はないぞ。

 

14 お土産は、何にしよう

お土産のコーナーもにぎわっていました。私はこんなものを買いました。

ドミニク・ドゥーセさんのお店で買ったホンダ初勝利60周年を記念したクッキー缶です。

中身はこんな感じです。

甘さ控えめ、バター香るお上品なクッキーです。ついつい食べてしまいます。

豚児にはこれまでミニカー、Tシャツと買ってきましたが、今回はこれ。

シビック・TYPE-Rのレースコントロールカーのトミカにしました。鈴鹿で実際に走っています。

 

お土産と言えばこちらも。レゴがF1と組んでマシンのおもちゃをリリース。各チームのマシンがリリースされていて、黄色い買い物袋を見かけました。実は大人向けにもマルボロカラーのマクラーレンだったり、マンセルのウィリアムズ・ルノーも出ています。後者はマンセル自身もCMに出演。ドライバーの人形にはちゃんと自慢の口髭も描かれています。こういうCMにマンセルって似合います。

チーム、ドライバーのウェアなどは売り切れたものもあったようです。昔はグッズショップもバチモンすれすれだったり、何年落ちだろうというような古いチームグッズの露店がサーキット内にも出ていたのですが、最近は管理が厳しいのか、見かけなくなりました。掘り出し物を見つける感覚ではなくなってしまい、ちょっと残念な気もします。

 

15 これ、誰のマシン?

名古屋駅前にもF1を体感できるコーナーがありました。このマシン、レッドブルカラーで11番なので昨年までのレッドブルのドライバー、ペレスを思い出す方もいて、外国人が誰のマシンだろうと言っていたので、これはアユム・イワサ(岩佐歩夢)のF2マシンだよ、と教えてあげました。岩佐は昨年の日本GP、金曜日のフリー走行に出走していましたし、今シーズン、無限のエースとしてスーパーフォーミュラでも活躍しています。

 

16 運べません、なんて言わないで

 伊勢鉄道が決勝後のXで「今日中に待っているお客さん全員を乗せられないかも。お願いだから近鉄の白子駅まで歩いて近鉄に乗って」といった投稿をして話題になりました。伊勢鉄道の鈴鹿サーキット稲生は鈴鹿サーキットに最も近い駅で、名古屋まで直通できることもあって、外国人を含めて利用が多いです。それゆえに混雑してしまい、駅前に長蛇の列となったようです。ただ、この日は偶然近隣で救急搬送などもあって余計に駅前が混乱したような話も聞いています。

 私が初めて鈴鹿でF1を観た1997年を含め、数年間はJRも波動輸送のディーゼルカー、14系客車も動員して臨時列車を多数運行していましたが、最近はたくさん運ぶ、ということがむずかしいようですし、定期列車の特急「南紀」でさえ金曜日は4輌編成で、指定席の通路まで自由席の乗客で一杯になっていました。もうちょっとJRさんも含めて本数増やしてくれないかなあ、と思うのですが・・・。

(近鉄・白子駅行きのシャトルバスも長蛇の列だったとか。ちなみにタクシーのライドシェアも試験導入されました)

私は金曜の下りだけJR+伊勢鉄道を利用しましたが、サーキットまでの足は選択肢がいろいろありますので、あえて遠回りしたり、頭と足を使いながら、ベターな選択をしたいです。以前は「穴場」だった平田町も外国からの観客も含め、金曜日からそこそこ人を見かけました。

 十数年前と思いますが、鈴鹿サーキット稲生駅に決勝後、レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表が私服で通訳らしき人を伴い、ローカル列車を待っている姿を見たことがありましたが、あんなこと、もうできないですね。

 

17 同じ場所で、同じ時間に

私の場合、10年前にたまたま近くに座っていたファンたちと意気投合し、それから毎年鈴鹿で会いましょう、が合言葉になっています。似たようなエリアの席を買っていることもあり、毎年セッションの後などで話をしているのですが、今年は示し合わせたわけでもないのに同じ時間にスタンドの裏にいたりして、よく話をしました。お互い観戦の百戦錬磨、どの時間にトイレに行ったらいいか、食事を調達するか、空いている時間を考えて行動している、ということでしょう。住んでいる地域は全く違うのですが、また来年、と再会を約してサーキットを後にしたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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