工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

広報担当とミナルディのメモ帳

2023年04月24日 | モノものがたり
私のような趣味人というのは多分にコレクター気質もございまして、長く趣味を続けてまいりますと、さまざまなものが手元に集まってまいります。
そんな私の周りにあるものから、趣味に因んだ珍しいものやおもしろいものをご紹介するのが「モノものがたり」です。
今月はスケジュールに入っていた中国GPがキャンセルされたことで、レースが1か月ほど空いた状況になっています。レースの無い時期にちょっとF1に因んだ話となります。
 今から20年近く前になりますが、私は勤め先で広報担当のようなことをしていました。月刊1万部弱の無料の広報紙を作っていて、仕事に関係したところにちょくちょく取材に出ておりました。出先でインタビューをしたり、誰かの講演やセミナーをまとめて記事にしたりということをしていたのですが、その時によく使っていたのが、今回の「モノ」であるメモ帳です。

(2003年オーストリアGP、2004年サンマリノGPのものです。2003年のミナルディにはフェルスタッペンのお父さんが、2004年にはハンガリー出身のバウムガルトナーがいました)
 これはイタリアに本拠を置くF1チーム・ミナルディがメディアなどの関係者向けに配っていたものでした。以前恵比寿にあった「Mr.CRAFT」という模型店でF1関連のグッズ、ミニカーなどを扱っていて、海外のグランプリのプログラムやドライバーの集合写真、大きなものでは本物のレーシングスーツやF1マシンのパーツ、変わったところではエンツォ・フェラーリ、ニキ・ラウダらのサインの入った大きな灰皿なんていうものもありました。そんな中にこのメモ帳が売られていました。
 安価だし、チームのメディア向けグッズなんて珍しいから買ってみるかというわけで、いくつか購入しました。どのチームでもこういったものを作っていると思われますが、各国で開催されるグランプリごとに製作されていて、コースのレイアウト図や前年のグランプリの結果などが掲載されています。

ミナルディチームはこのブログでも何度か紹介していますが、もともとはイタリアの小さなF1チームで、日本人スタッフが在籍していたこともありましたし、日本人ドライバーが在籍していたこともありました。現在ではレッドブルの傘下に入り、トロ・ロッソを経てアルファタウリという名前になっており、2021年シーズンから角田裕毅選手が所属しています。
 さて、このメモ帳ですが、広報担当になってしばらくして「そう言えばあのメモ帳あったなあ。取材で使ってみるか」という感じで棚から取り出してきました。今ですと会議でも講演でも、パソコンに打ち込んでいる方の姿を見かけますし、私のところでも、会議中はペーパーレスということで、パソコンでメモを取ることが多いのですが、当時は手書きが幅を利かせており、私も手書き派だったこともあり、簡単に書けてポケットにも入るこのメモ帳は便利でした。
 他のチームやブリヂストンのようなサプライヤーのメモ帳などもあったのですが、ミナルディのそれはとても使いやすいものでした。おそらく、四角く薄いグレーのマス目が主張し過ぎず、書きやすかったからでしょう。また、表紙がそこそこ厚みがあって、手にしたときに安定感があったからでしょう。

 一字一句間違いなく記載する必要がある場合は、ICレコーダーに録音して、それを再生しながら記事を書きましたが、そうでないときの方が圧倒的に多く、このメモ帳も大活躍しました。
 私自身は人見知りなところもありまして、初対面の方に取材というのがいつも緊張の連続でした。そんな中でこのメモ帳を持っていると妙に落ち着いたものです。そしてこのメモ帳で書きつけたあとは、一度取材先の近くの喫茶店などに場所を移し、B5サイズのノートに「清書」していきます。インタビューの様子や相手の表情、空気感などを思い返しながら、メモ帳に書いた内容を起こしていくわけです。
 そのあとは職場に戻り、パソコンの前に向かいます。1時間もすれば1,000字の原稿を打ち込むことができました。
 私が携わったのはわずか2年でしたが、この仕事はとても貴重な経験でした。何よりいろいろな方と会えましたし、読者の方から「どこに行けば手に入りますか?」といった定期購読のご要望をいただくと嬉しかったものです。インタビューではあまり考えすぎたり、自分の意見をさしはさまず、シンプルに「なぜ?」と聞いてみることが相手の答えをたくさん引き出せることに気づかせてくれたのもこの仕事でした。
 その後、取材と言った形でメモ帳を使うこともないのですが、このメモ帳を見ると今もあの頃のことがよみがえってきます。
 そしてこちらはGP Car Storyのミナルディ特集号。小さなチームがたくさんの人に愛された理由がわかります。





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ただいま、勉強中!?

2023年04月20日 | 工作雑記帳
 先日のブログを読まれたいつものベテランモデラー氏から「タモリ俱楽部と言えばその昔、北斗星に乗るという企画があって、なぎら健壱が仙台駅で置き去りにされた一件も書いて欲しかった」というご指摘がありました。そうそう、まだ北斗星が運用を開始してから日が浅かった頃かと思いますが、そんなことがありました。なぎらさんは新幹線で追いかけて盛岡で追いつくのですが・・・。ベテランモデラー氏のご指摘のとおり、あの頃は鉄道ネタも少なかったと思います。
 さて、今日は模型の製作、とりわけ建物、小物などの塗装に関することです。AFVのモデラーの方々はよくご存じかと思いますが、塗料や最近ではキットもリリースしているスペイン・AKインタラクティブからAKラーニングシリーズというジオラマ制作のためのテクニック、ヒントなどを紹介した本が出版されています。日本語翻訳版がモデルアートから発売されていて、模型店で入手できます。
 私が持っているのは「ジオラマ模型 建物製作の極意」と「木材を再現する質感塗装の極意」です。前者は実感的な建物の製作方法、塗装方法について解説がされており、キットの活用だけでなくプラ材、発泡材、コルク、金属線、さらには本物の石に至るまで動員してその特徴、作例などが掲載されています。
 「木材~」ですが、模型ではプラスチックやレジンでできている木の樽、箱といったものから船の甲板に至るまで、実感的な塗装が施された作例を見ることができます。ただ茶色い色を塗っておしまいじゃないのが木の質感の難しいところで、グレーをベースにした方がいいことも時にはあるでしょう。また、気候などで色も変わりますし、本書にあるように木部と接している金属はどんな色なのかとか、改めて実物もきちんと観察しようと思った次第です。また、双方の書物では水性塗料がほとんどの場面で使われていますので、安全性やにおいなどにもある程度配慮されたものとなっています。

 本書は1/35の情景等を製作する場合を前提に書かれていると思われますので、Nゲージやそれに近いスケール(1/144~1/160)、1/72やHOゲージ(1/80~1/87)では仕上げ方も少し異なってくるかと思われます。カトーの木造商店やGMの商店、住宅の仕上げがリアルなものとなっていたら、それは本書のおかげかもしれませんね。

 もう一冊はこちら「やこうれっしゃ」(西村繁男著 こどものとも 傑作選)です。鉄道を題材にした児童文学では有名で、豚児のために買ったものですが、子供向きだからこそ、きちんとした内容となっています。本書には文字は出てきません。すべて見開きの絵で展開していきます。まず、スキー板を担いだ旅客も見える冬の上野駅のコンコースから物語が始まります。ホームに停まっているのは夜行急行のようです。新聞輸送とおぼしき荷物車が見えます。やがて列車は上野をあとにし、車内の旅客の種々相が描かれています。


オロネ10とおぼしきA寝台、リクライニングシートを倒した状態のグリーン車、B寝台車、そして座席車の人たちが一夜を明かしていく様子が車内を描いた絵と共に紹介されます。やがて夜が明け、台車などに雪をたくさんつけた列車は金沢とおぼしき駅に到着します。この列車は急行「能登」をモデルにしているようです。この本、駅の様子や列車内のお客さんがどう過ごしているかなど、実に丁寧に描き分けていて楽しいです。情景を製作したり、列車内に人形を乗せる場合など、こういう人いるよね、とか車輌によっても過ごし方が変わってきますので、車輌に人形を乗せるときもそれぞれの旅客の背景も考えながら乗せると、ぐっと実感的になります。本書も豚児と一緒に眺めていても楽しく、Nでは難しいけど16番ならこういう光景も作れそうだな、などと思うのでありました。
 模型のお勉強?はまだまだ続きます。そこからいいものが生まれたらいいなとも思うわけです。
 

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雨の週末に、いろいろ想う

2023年04月16日 | 日記
 この土日は東京も雨模様で、特に土曜日は一日降られましたし、日曜日も天気の急変があり、週末モデラーとしてはやることがあまりなく、せっかくサフ吹きまでして準備万端、だった飛行機の塗装も日曜の夕方、雨が上がってからちょこっとやった程度でした。雨のときは天気に左右されない水性塗料の色差しとか、紙で作る小物なんかをいじっています。で、米軍のレーションカートンとか、16番サイズの分散クーラーって何ができるのでしょうか?

 週末というと東京では金曜深夜の放送だったタモリ俱楽部が先月末で最終回でした。始まりがあれば終わりがあるものですが、40年続いた番組が最終回、というのは、やはり寂しいものです。眠かろうが学生の頃は翌日授業があろうが観ていましたので、週末のルーティンが変わってしまった感すらあります。かつてはそのあとの「Showbiz Today」とか先日亡くなった高橋幸宏さんが司会をされていた「アクセル」とか爆笑問題の「検索ちゃん」なんかも引き続いて見ていて終わった頃には深夜1時、となっていたわけです。
 メディアなどではタモリ俱楽部というと90年代以降に人気コーナーとなった「空耳アワー」の話が出てきますが、私はこの番組が「Convenience Cabaret」という副題がついていた80年代半ばくらいから見ていたので、ドラマ仕立てのミニコーナーや、スラングを題材にした「夜の英会話」、路上観察的なテーマの「東京トワイライトゾーン」なども好きでした。「東京トワイライトゾーン」は今では孤独のグルメの原作者として有名になった久住昌之氏が出ていましたっけ。渡辺祐氏、山田五郎氏といったサブカルに欠かせない面々もミニコーナーに出演されていて、学生時代に山田五郎氏の物まねを宴会でよくやっていたものです(恥ずかしいなあ)。
 各回の企画も柔らかいものばかりではありますが、放送で知って「へえ」となるような、世の中の隙間をついたものもあり、それもまた魅力だったと思います。ゆるい内容を真面目に作っていたからこそ、深夜の人気番組だったのでしょう。一時期〇〇区横断ウルトラクイズというのもあって、私の高校時代の同級生が出場していたことを思い出しました。
 そして空耳アワーですが、私の場合このコーナーで改めて聴いてみよう、となったアーティストもいます。ジプシー・キングスは「バンボレオ」、「ベン・ベン・マリア」などで空耳界にその名を刻んだのですが、CDも買いましたし、来日公演(ジプシーから派生した「チコ・ザ・ジプーシズ」も含めて)も観に行っております。白状しますと、ライブで「バンボレオ」がかかるとつい「医者も手が空いちゃたまんねーな」と口ずさんでしまうのですが・・・。クイーンもまたしかりでベスト盤を買ったのはフレディ・マーキュリーの没後以降のことです。うちの家人は「キラー・クイーン」の「Gunpowder gelatin」が空耳で見て以来「がんばれ田淵」にしか聞こえない、と言っています。ちなみにうちの家人のお気に入りはもともと好きだったマイケル・ジャクソンの「スムースクリミナル」に出てくる名作の「パン、茶、宿直」だそうですが。空耳アワーについては、以前イタリア語を勉強していたときの先生(イタリア人)に「外国語が日本語に聞こえるのってどう思う?」と聞いたところ「空耳アワー大好きだよ」という答えが返ってきました。日本暮らしがそれなりに長い方で、日本語も話せるから理解できるのでしょうが、日本語を母語としていない人でも楽しめるものなんだなと思ったものです。
 また、タモリさんの趣味に合わせた「タモリ電車倶楽部」という企画もありました。他の出演者の方が前のめりになってしまうこともありましたが、路線、工場、車輌基地などなかなか入れないところに行くわけですから当然ですよね。個人的にはベテラン俳優の故・原田芳雄さんが出演された回が印象深く、好きな車輌の話や鉄道の話をしているときの様子が実に楽しそうで「この人本当に鉄道と鉄道模型が好きなんだな」と思いました。
 このブログでたびたび紹介しているT-SQUAREとの接点もありました。2004年にewiを学ぶという企画があり、スクエアの代表曲「TRUTH」の一節を出演者で練習するというものでした。そこでドラムを叩いていたのがまだ正式にバンドメンバーとなる前の坂東慧さんで、弱冠20歳と紹介されていました。もともとバンドを支え、退団後もサポートで参加していた則竹裕之さんがスケジュールの関係で出演できず、急遽決まったことらしいですが、ここでの共演でその才能にほれ込んだ伊東たけしさんが「放っておいたら他のバンドに取られちゃうからうちで押さえちゃえ」と言ったとか。当時は安藤正容さん、伊東さんの「ユニット」だったスクエアがキーボードの河野啓三さんも招き入れてここからバンド形式に戻り、その後10数年その状態が続きました。そういう意味ではこの番組がスクエアにとっても大きな転機となったのです。
 いろいろと書き連ねてきましたが、昭和、平成、令和と三つの時代にクオリティーを保ちつつ「流浪の番組」としてずっと続いていたというのはやはり驚きであります。オープニングのお尻の映像が昭和天皇の「ご不例」から御大葬のあたりまでは風景の映像に差し替えられたり、御大葬の前後だったか、珍しく「総集編」的な回もありましたが、思い返すとあれは日本中が「特異な日々」だったという証左でしょう。
 最終回も普通に進行し、タモリさんのあいさつがなければ「また来週」と言って終わりそうなエンディングでした。またそれが視聴者に「ロス」感を与えているのかもしれません。ともあれ、出演者の皆様、スタッフ(ハウフルスさんには本業で一度お邪魔したことがありますが)の皆様、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。一週間いろいろあって疲れていても、それが解消されるような、そんな番組をずっと続けていただいて、ありがとうございました。

(タモリ電車倶楽部・西武池袋線100周年企画の際に出演者が乗車した編成の車内に、こんなサインがしばらく残されていました。2015年筆者撮影)
 
 

 

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ローマで撮られたある写真のこと、番外編

2023年04月10日 | 工作雑記帳
 二回にわたってローマの街角風ジオラマを掲載しましたが、実際のローマの街角や石畳、それからフィアット・トポリーノの実車についても今日はご紹介します。私の模型よりも(たぶん)役立つこと請け合いです。
 まず、今回作ったローマの街角の「現代編」です。

背景の壁は途中で切れていますので、右側の空間が道路にも、広場や交差点でも使えるようにしています。石畳はタミヤの製品ですが、茶色、黒などいくつかの色を薄めて上から塗ることで単調さを防いでいます。
では実際の石畳を見てまいりましょう。2013年春に撮影したものです。

自動車の方が気になりますか?そりゃそうですよね。黄色いフィアット500なんて、ルパン三世かと思いますよね。でもここは足元にご注目。実際はこんな感じでかなり「黒い」です。他の場所もみてみましょう。いずれもローマ市内です。

パトカーの足元も・・・

ちょっと画像は暗いですが、広場もということで、実際のイメージがつかめましたでしょうか。あまり聞きたくない話かもしれませんが、石と石の隙間に注射器が落ちていたりすることもあり、それもまた、街のリアルではあります。
風情のある通りです。

でもこの石畳、靴には優しくありません。スニーカーでも一日歩き回れば文字通り足が棒になります。
紀行番組で街歩きに特化したものもありますし、ストリートビューなどでも街の様子は分かりますので、ローマに限らず日本に居ながらにして海外の風景を作ることも可能です。あとは、いかに「ありそうな」風景を作るかですね。

 さてお次はフィアット・トポリーノです。愛知県長久手のトヨタの博物館に展示されています。

なかなか落ち着いた塗装です。
フロント周辺。ホイールの「FIAT」の文字やサイドのステップに注目。

分かりづらいですが、シートの形状はタミヤのシムカとは異なります。

フロントの反対側。方向指示器などが見えます。

小さな乗用車は昔からイタリアの「お家芸」ですね。


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ローマで撮られたある写真のこと、その後

2023年04月04日 | ジオラマあれこれ
 前回の「ローマで撮られた写真」ですが、あの話には続きがあります。フィクションですがご笑覧ください。
「・・・私は手紙を元にローマ市内の住所をたどってみた。ローマっ子は生き馬の目を抜くというか、他の街にはない空気感、人の気質があり、東京で生まれ育った私であっても、空港や駅についた瞬間から自分の中でテンションを一段上げないと、丁々発止のローマっ子とのやりとりについていけなくなる。手紙の住所の近くにバールがあり、近所の人たちのたまり場になっていた。ちょっと緊張しながらバールに入り、主人にこの住所とこの名前の住人が今も住んでいるか尋ねてみた。地元っ子の視線が私に注がれる。『ああ、この近くだよ。これ、あの婆さんの若いころの写真かい?』近所の人たちに案内されるようにその家の前に向かうと、自分の国で見たような服を着た、でも顔かたちはイタリア人の女の子がいた。『アレッサンドラ、あんたのひいおばあちゃんにお客さんだよ』こうして私は80年後の写真の女性に出会うことになった・・・」

ランボルギーニ・アヴェンタドールをバックにたたずむのは、ウクライナ・マスターボックス1/35のおなじみのキット「かわいいファッションリーダー ミナミとマイ」です。

(この箱絵、どうみても秋〇原のビ〇クカメラのあたりから見た図だよな。っていうかこのブログを書いている時点の自分の職場と激近なんですけど。画面だと右奥にイエローサ〇マリンの入ったビルがあって、左奥が秋〇原の駅の方で・・・。ちなみにメイド喫茶の客引きはいてもこういうファッションの子は見かけません)

 どちらがミナミでどちらがマイかは分かりませんが、女の子の一体を組んで、箱裏を参考にファレホなどで塗りました。日本人としては少々スタイルが良すぎということもあって、シャドウや目の色で西洋人になっていただきました。ひ孫は日本にあこがれる女の子のようです。
 ジオラマは市販のケースにタミヤの石畳のシートを切り出して貼り、前回と同様、薄手のスタイロフォームで壁としてアクリルガッシュで彩色しました。
 掲示板のポスターは実際にローマと近郊で使われているものをネットから持ってきました。「SPQR」の文字がありますが、実際にこんな感じで掲示が出ています。左側の公共施設の案内表示も実物のそれに近づけるようにしました。自作デカールで場所の名前などを入れてあります。
 バックの自動車ですが、アヴェンタドールはアオシマの「楽プラ」の1/32です。

 以前他の車種を組んだことがありますが、彩色済みのスナップキットとしてよくできています。そうは言っても玩具っぽさを消したかったのでボディはタミヤのキャンディライムグリーンを吹き付けました(色の細かい霧もなぜかいつも以上にベランダに降り注いだけど)。シャシーや室内はセミグロスブラックに、プラ製のタイヤはタイヤブラックで筆塗りしました。ホイールについてもシールを貼る指定になっていましたが塗装にしています。以前BBCの人気番組「トップギア」でもやっていましたが、実際にランボルギーニをローマで「路駐」するとなると、後ろも見えないので大変な苦労を伴いそうです。
 もっとも、ランボルギーニに限らず、この自動車も来ています。

 現行のフィアット500、前回のトポリーノのまさしくひ孫みたいなものです。ブラーゴ1/32のミニカーです。

「・・・私はマリアというおばあさんに、手紙のことなどを話すと、とても懐かしそうに当時のことを話してくれた・・・。そしてひ孫のアレッサンドラはこれから『マンガ・フェスタ』という日本関連のイベントに行くらしかった。日本が大好きでいつか日本に行きたい、と願い『私はミナミよ』と日本人の名前を家族の前では名乗るほどらしかった。このおばあさんが年の割にはと言っては失礼だが、頭脳明晰で言葉もはっきりしているし、江戸っ子だった私の祖母をどこか感じさせた・・・」

 ちなみに今回の内容はすべてフィクションですが、前回のヴェネツィアのコインショップの話で日本の手紙を翻訳したというのは本当です。現地の映像や写真を見るたび、イタリア帰りたい(だから帰るって言うなよ)の気持ちは高鳴るばかりです。

 

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