工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

静浜基地航空祭2024へ

2024年05月23日 | 飛行機・飛行機の模型
 東京みなと祭の翌日になりますが、航空自衛隊静浜基地に行ってきました。今年もこの時期に航空祭があり、この小さな基地に行ってきました。おいおい、家から近い横田でもオープンハウスやっているだろう、と言われそうですね。特に今年の横田はF-22も来ていたようですし・・・。こちらも負けてはいません。久しぶりにブルーインパルスのフライトもありますし、楽しみにしている飛行開発実験団の戦闘機のデモフライトもあります。
 焼津駅から少し歩いたところにある焼津新港から無料のシャトルバスが出ており、それに乗って基地に向かいます。あいにくの小雨交じりの天気でちょっと気分も萎えてしまいます。9時を少し回って基地に着きました。
売店を冷やかして飛行場地区に入ると、ちょうどUH-60Jの救難展示が始まったところでした。

今年はU-125Aはおらず、ヘリのみの展示でした。
午前中に百里基地・第3飛行隊のF-2がやってきました。第3飛行隊というと三沢というイメージが強く、百里と言われてもピンとこないのです。

曇天+逆光なので黒くつぶれてしまっています。失礼(一応コントラストとか調整したのですが)。二機のパイロットは二人とも静岡出身だそうです。
「ご近所」の浜松からT-4とT-400が来ました。

(T-4)

おなじみT-7の大編隊

プロペラの付いた飛行機がのんびり飛んでいるのを見るのだって楽しいものです。自分が年をとったせいなのか、以前は興味の向かなかったプロペラ練習機を眺めるのも楽しいなあと思うようになりました。

ブルーインパルスはお昼前後に登場







浜松からのリモートショー形式ですが、昔(T-2時代)の入間でもそういった形式はありました。こういう天気ですので写真の方も期待できませんが、航空祭のブルーインパルスのフライトそのものが個人的には久しぶりなので(昨年の鈴鹿のような例もありますが)、楽しみました。
ここで帰り支度となるお客さんもいるわけですが、フライトの無い昼の時間に地上に目を転じてみましょう。

外来機は陸自のヘリコプターです。CH-47Jは内部も入れました。

さすがに操縦席は撮影禁止とのこと。

出っ張ったお腹周りを見ると自分なんてまだまだ、と妙に安心してしまいます(するなよ)。

新鋭のUH-2も来ました。見るのは初めてです。


16式機動戦闘車が来ました。何度か走り回って機動力をアピールしました。結構土ぼこりが舞っていました。舗装されているエリアなのですが。

走行前に何か打ち合わせ中のようですね。

亡父は戦後登場した国産戦車を見るにつけ「昔これくらいのものが作れたらなあ」と物騒なことを言っていたものです。戦後進駐軍が持ち込んだM-4シャーマンやM-24と比べると日本軍の戦車は・・・と思ったのでしょう。キャタピラがないものの、74式と同じ火力を持つ装甲車輌を見たら、どういう印象を持つでしょうか。「なんだか腰高だなあ」と言うかもしれません。
基地の支援車輌や陸自のゲストたち

新旧消防車のそろい踏みです。真ん中のちょっと古い方も1/144か1/72で出て欲しいなあ。


ロシア、ウクライナの双方が使用したと伝えられる高機動車です。


午後は民間のアクロ機「ウイスキー・パパ」のフライトです。



スポーツ専用のプロペラ機とあって、軍用機ではあまり見られないような機動も見せていました。映像で観た方が面白いのですが・・・。

フライトの〆は飛行開発実験団のF-15J、F-2です。

F-15J、♯801号機ということで、F-15Jの第一号機ですね。


こちらはF-2です。

F-2のフライトの最後の方で帰り支度をはじめ、バスに乗り込みました。ちょっと渋滞に巻き込まれたりもしましたが、それでも15:20くらいにはバスも焼津新港に到着。てくてく歩いて焼津駅に。東海道線と新幹線の乗り継ぎにだいぶ時間がありましたのでお土産を買いました。家人と豚児も大好きな静岡のお菓子「こっこ」を買い、だいぶ混み合っていたひかり号に乗り込み、19:00前には帰宅しました。
コロナ明け直後は半日のみ開催の静浜の航空祭でしたが、久しぶりに一日開催でした。小さな基地とは言いつつもイベントもたくさんあって楽しめました。そうそう、基地で買ったグッズに珍しいものがありましたので、後日ご紹介いたしましょう。
















 

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2機のF-104J その2

2024年04月30日 | 飛行機・飛行機の模型
 F-104Jの話、続きです。もう一機は銀色の機体と打って変わって黒い機体です。

 1980年前後からF-104Jについては迷彩塗装を各部隊で試みるようになります。戦技競技会と呼ばれる各部隊対抗の大規模な訓練に合わせて、当初は識別帯を入れていたのが、やがて本格的な迷彩塗装に移行します。グレー系の迷彩色が多い中で、第204飛行隊の機体のうち2機が、1980年にこの黒いいでたちで現れました。
 この黒いF-104Jについては書籍などで採り上げられていたので私も以前作ったことがあったのですが、機番などのデカールがシルバリングを起こしてしまい、気に入らない結果となりました。艶消しの塗装面にデカールを貼るとシルバリングといってデカールが密着せずに「白浮き」してしまうことがあり、「ここにデカール貼りましたよ」な感じになってしまい、ちょっとみっともないわけです。これを防ぐには一旦艶あり塗装で仕上げてデカールを貼り、その上から艶消しのクリアを吹き付けることになります。
 というわけでこちらもストレートに組み、サーフェーサー吹き、1000番の耐水ペーパーで水研ぎの後、この独特な色を塗っていきます。機番部分はMr.カラー374番で、こちらはF-2戦闘機の洋上迷彩の明るい方です。72番のミディアムブルーでもよいかもしれません。ノーズ部分はセミグロスブラックです。F-104Jのうち一定数の機体が後にノーズコーン部分が黒くなっています。インテーク周りのつや消し黒の部分は銀色の機体と同じです。これらをマスキングののち、Mr.カラー2番の黒色を基調に328番のダークブルー(ブルーエンゼルスのブルーです)、301番のダークグレー(FS36081)を少量入れました。
胴体、主翼、燃料タンクなどを塗装し、デカールを貼った状態です。この時点では艶があります。注意書きなどは最低限残して塗りつぶされています。第204飛行隊のF-104Jについては、今回の作例の637号機の他にも565号機が黒塗装となっており、こちらはノーズコーンは通常の上半分ダークグリーン、下がエアクラフトグレーですが、機体後部のタービンラインをエアブレーキの部分以外塗りつぶすという徹底ぶりでした。


この後艶消しのクリアーを吹き付けてデカールの保護と艶消しの仕上げとしていきます。残念ながらそれでも少しシルバリングが出てしまったところがありました。
実機も写真で見た限りこんなパサパサな艶消しでした。


後方から見た姿です。


さて、飛行機の工作というのは、どうしても部品を切り離してから塗装して、少し先の工程までしまっておいて、といったこともよくあります。脚柱や脚のカバーなどは左右で形も違いますので、分かりやすく保管できるようにと、私は無〇良品で購入したポリプロピレン製の小物入れ(5色セット)を使っています。翌端灯と同じく、左は赤、右は緑ということで、左側の脚カバーはこちら、とか右側の主脚はこっちの緑のケース、といった使い方で紛失も防いでいます。


今回、こちらのキットにもパイロットを乗せました。紙でコロコロというメーカーからそのものずばりのF-104J用のパイロットフィギュアがレジンで出ています。

足が計器盤の基部につかえてしまうので切断していますが、それ以外は特にいじっていません。オレンジスーツの上に青いジャンパーを着た姿にしました。
搭乗した姿です。


改めて完成写真です。こちらも当時のパッチ(ワッペン)の復刻版と一緒です。

新田原基地所属の部隊らしく、パッチには九州のシルエットがあります。

第204飛行隊は乗員の養成と戦闘機部隊としての顔の両方があり、長く西方の守りについていました。後にこの部隊の名前はF-15Jに引き継がれ、百里基地に所属していましたので、関東のファンにはなじみ深いものとなりました。現在は西方、南方重視ということもあり、沖縄県那覇基地に移っています。

航空自衛隊のF-104Jについては1980年代に入って勢力を減らし、これらの迷彩塗装も「最後の輝き」となりました。演習のための塗装とは言っても、退役までその色のままだったという機体もあったようです。イタリア空軍のようにロービジ塗装で2000年代初頭までF-104Sを運用したのとは異なり、日本の方が転換は早かったと言えるでしょう。


あらためて今回と前回の2機です。特に今回の機体については1984年刊行の旧版「世界の傑作機」に掲載された小さな写真や、モデルアートの増刊に掲載された作例写真などから考えたり、推理したりしながら作っていく感じでした。リベンジ、とまではいきませんが、何とか自分の腕で自分に納得させられたかな、というところです。









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2機のF-104J その1

2024年04月29日 | 飛行機・飛行機の模型
 久々に飛行機のキットの話です。冬の間に作った飛行機の中に、ハセガワ1/72のF-104Jがありました。平成初期のリリースで今となってはベテランキットですが、1/72では入手のしやすさ、価格、ディティール等でベストかと思われます。ストックがあったのと、以前作ったことがある機体ながらちょっと気に入らなかったところがあった関係で、もう一度作ってみようとなったのが、今回ご紹介する2機のF-104Jです。
 まずは銀色のこちら。第203飛行隊所属機です。203飛行隊は北海道・千歳基地の所属で、F-15Jに改編されてからも、201飛行隊とともに千歳基地にあり、北方の守りを担っています。

キットはストレートに組んだだけで、特別な付加工作もしていません。胴体が前後と左右で分割されてますので、そこをきれいに接合するのと、銀色は塗装の時に下地の傷が目立ちますので、サーフェーサー吹きをきちんと行い、あらかじめ傷を消しておくことが注意点でしょうか。
コクピットや計器盤はかなり細かくモールドされています。これを初めて見たときは1/72のキットの進化にいたく感動したものです。塗装でもデカールでもいいのですが、私は塗装で再現しました(完成後は見えなくなってしまいますが、それはそれとして)。

塗装ですが、銀色ということで、私はMr.カラーの航空自衛隊機アルミナイズドオールドタイマーカラー(名前が長いな)のアルミナイズドシルバーを吹きました。これは文字通り、航空自衛隊機のオールドタイマー(F86FやF104Jなど)の銀塗装を再現するためのカラーで、最近のMr.カラーの8番の銀色と違い、輝きが抑えられています。光の当たり方によってはこんにふうにグレー色のようになります。

キットにはパイロットフィギュアはありませんが、他のキットからコンバートしたパイロットをコクピットに座らせました。

宇宙服のようなヘルメットですが、これは高高度飛行訓練用のものです。この部分のみエポキシパテで作っています。高高度飛行訓練はF104J、F4EJ等でおこなわれており、60,000フィート以上の高空に進出し、敵を迎撃するためのものでした。ヘルメットだけでなく、専用の与圧服も着用していたそうです。ちなみに与圧服はそれぞれのパイロットの体型に合わせたオーダーメイドだったとか。航空自衛隊のパイロットとして活躍し、退官後にアクロバット飛行でも知られた"ROCK"岩﨑貴弘氏(故人)によれば、年に一回は必ず行う必要がある訓練で、高高度まで上がると空の色も違っていたそうです。こうした訓練はミサイルの性能向上などで不要となったそうですが、生粋のインターセプターである「マルヨン」ことF-104Jを象徴しているように感じ、この姿としました。
航空自衛隊のF104Jといえば、胴体後部の無塗装部分が特徴的で、これをどう表現するかというのも、モデラーの腕の見せ所でもあります。だいぶ古い資料ではありますが、モデルアート2000年10月号特集におおくらとしお氏が詳細な説明をされており、それを参考にしています。なお、垂直尾翼直下のクロームシルバーの部分はMr.カラーのスーパークロームシルバー2を吹きつけました。

塗り分けはなかなか難しく、私の腕ではこんなところです。
以前も203飛行隊のF104Jを作ったことがあるのですが、その時はクロームシルバー部分を塗ってから磨きだすタイプの塗料を使っており、磨きだしが上手にできなかったことなどもあり、今回再チャレンジ、となりました。ただ塗るだけですから今回の方が手軽です(輝きの方は少し足りなかったかも)。ちなみに1/144で再現する際はアルミテープや糊つきアルミ箔などを使っています。
第203飛行隊はF-15Jに改編された後も千歳基地にありますが、尾翼の部隊マークが変わっていないというのも特徴的です。こうしたマークは機種改編時に変わることが多く、しかもF-104Jの場合は垂直尾翼いっぱいにどの部隊もさまざまなマークを描いておりましたのでF15Jの小さな日の丸のサイズに合わせるとなると、マークも変更せざるをえなかったのでしょう。しかし第203飛行隊の場合、赤で数字の2と3を、そしてそれに挟まれた形で白と黒で熊(パンダではありません)を描いたマークは変えることなく、今に至っています。


(昔のパッチ(ワッペン)も個性的なものが多いです。こちらは復刻されたものを買っています)

さて、せっかくですので浜松広報館にある実機の写真から、細部部分をお目にかけましょう。古いものもありますが、マーキングの参考にしていただければ幸いです。ライトグレー塗装の機体ですが、無塗装部分などはそのままになっています。

コクピットは一部テープで保護、補強があります。

コクピット後方、Mr.カラー44番で塗装指示がある部分です(笑)。





機首からインテークにかけて。真横から撮っていますのでマーキングの参考にしていただければ




尾部の無塗装部分です。

参考文献 世界の傑作機№104 ロッキードF-104J/DJ "栄光" こちらにはさきのロック岩﨑氏が演習でF-104Jで米軍のF-15を「撃墜」した顛末が書かれており、興味深く読みました。 
モデルアート2000年10月号 こちらはハセガワ1/48でF-104がリリースされたのに合わせて特集が組まれました。





 

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祝 キット化50年

2024年01月31日 | 飛行機・飛行機の模型
 ごぶさたしておりました。実は1月は本業がなかなか忙しく、今日、ようやく解放されたところでして、やっとパソコンに向かう余裕ができたというところです。
 このところ飛行機の話題が雑誌の休刊だとか航空祭の中止といった湿っぽい話ばかりでしたので、今日はちょっとだけ明るい話をしましょう。
 モデルアート増刊の「飛行機模型スペシャル」の最新号が、1/72のF-15キット化50年という特集を組んでいます。F15は1972年に初飛行しましたが、その2年後にはハセガワがまだ試作段階の機体をもとに1/72でキット化しており、これが世界初の1/72のイーグルのキットだったそうです。もちろん、アメリカ本国もモノグラム、レベルといったメーカーからキットが発売されます。やがて実機が改良を重ねるのに合わせてキットも進化し、他メーカーの参入などもあり、今ではファインモールドのキットが最新版として君臨しております。余談ですがこの時代のハセガワさんは試作機段階の機体も積極的にリリース、F16もデモ塗装をしたYF16でした。

 今号もファインモールドのキットの紹介という面もあるのですが、歴代のキットをまんべんなくチョイスしており、できるかぎり「当時モノ」も集めております。河野嘉之氏によるキットや実機の解説、秋山いさみ氏によるちょっと昔のF15Jをファインモールドのキットから再現する記事など、私にはどストライクの記事が並びます。個人的に「忘却の彼方」にあったのが今はなきイタリア・エッシーのキットで、繊細な凹モールドだったのですが、同時期にハセガワも新版のキットを出したため、影が薄くなってしまいました。エッシーのキット、金型が日本製という噂があるのですが、聞いたところではあの時代のフジミとエッシーは日本の同じ木型師が木型を作り、金型は今もあのプラモデルでかなり有名なところが手掛けていたんじゃないかと思います。それはさておき、風防のボリュームが抑えられた、独特の解釈のF15を見ることができて収穫でした。
 モデルアートにとっても1/72のF15は特筆すべき記事がその昔に載りました。70年代後半からモデルアートの飛行機関連のライターとして活躍された故・黒須吉人氏のデビューが1976年3月号で、レベル製F15のレビューでした。「新人」としてはページ数を費やし、レドーム内のレーダー、コクピット後方の電子部品などを自作した力作でした。
 F15の実機は米国、サウジアラビア、イスラエル、日本と導入国が限定されてはいますが、国情に合わせたサブタイプも多く生まれており、本来制空戦闘機だったF15に戦闘爆撃機としての能力を付与したストライクイーグルなどはその最たる例でしょう。初飛行から50年が経っても、まだ進化があるのでは、と思います。それだけ名機なのでしょうが、それだけに今後もさまざまなキットが生まれるのではと思います。
 私も1/72のF15は10代の頃からお世話になりました。ハセガワの凸モールドのキットから組みました。エアブラシもなかったので、特徴ある迷彩も筆塗りでした。202飛行隊の武人埴輪のマークの色が薄いとか、いろいろ思い出深いです。その後はハセガワの新版が「決定版」だったものですから、このキットばかり組みました。
 その中でも一番目立つのがこちら。第305飛行隊が航空自衛隊50周年の時に施したスペシャルマーキングです。梅の花を大胆にあしらった塗装が特徴です。50周年塗装の中でも相当なインパクトでした。通常の塗装を覆うようなマーキングですので、通常の迷彩塗装も迷彩が残っている箇所をきれいに塗り、その上から塗料、デカールを駆使して再現しました。ハセガワからこのマーキングの機体もキット化されましたが、私はサードパーティーのデカールを使いながら仕上げています。ちょうど2月に入るところですので、この機体で梅のお花見はいかがでしょうか。








 それにしてもこの特集の前号は「ヨーロピアン・ジェットファイターの系譜」でしたので、2号続けて魅力的な特集で「おれがこういうのに弱いの、どうして知っているんだ」という気分です。


  



 
 

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入間基地航空祭が中止になって・・・

2024年01月19日 | 飛行機・飛行機の模型

令和5年度の入間基地航空祭は、1月20日に開催される予定でしたが、自衛隊が能登半島の地震の対応等に当たっていることから中止となりました。地震の状況を鑑みればやむなしというところでしょう。被害の状況をメディアで見る限りでは、かなり甚大な様子がうかがえます。
そもそも11月に開催されることが多い入間の航空祭ですが、5年度は航空観閲式を11月に入間基地で実施した関係で一般公開の方は1月になりました。1月開催というのは今までなかったのではないかと思いますし、冬の入間基地ってどうなのか、という期待とそして雪などの天候面の不安もあったのですが、結局中止となりました。
令和4年度は抽選で選ばれた人のみでしたし、その前の2年間はコロナ禍で開催されていませんので、私も随分ご無沙汰となっています。
開催を記念してこんなパッチ(ワッペン)も用意されていました。普段は開催記念くらいでは購入しませんが、デザインと、そして売り上げの一部が赤十字を通して能登半島地震の被災者のために寄付されるということで購入しました。

入間と言えばC-1が並ぶ光景が当たり前でしたが、退役が進んでいます。そして大きい方は配備が進むC-2です。迎春の文字も今年だけの特別感がありますね。

入間基地が中止になったから、というわけでもないのですが、家族で西武線に乗ってちょっと遠出を、ということで先日秩父まで行ってきました。昨年9月に続いてにはなりますが、家人が「冬枯れた武蔵野を車窓から眺めたい」ということで、各駅停車を使いながら秩父を目指しました。家人が前回の秩父行きでラビューもさることながらボックスシートの4000系を気に入ったというのもあるのですが・・・。
秩父はさすがに寒いですし、前回と同じようなところを見て回り、食べてとなりました。駅に併設して特産品も売られており、地元産のシイタケ、唐辛子、ニンニクを買いました。この組み合わせで「アヒージョ作ろう」となりまして、小エビも調達して次の日の夜でしたが、作って食べました。シイタケの味がしみて殊のほか美味しかったです。
さて、秩父で買ったお土産がもう一つ。

タバコと思いきや「チャバコ」と書いてあります。そう、この中にはスティックタイプの狭山茶が入っています。いろいろな車輌などのデザインがあるようで、これは西武の110年記念ということで、西武鉄道モハ151形(旧西武鉄道モハ550形)が箱の写真に使われております。いわゆる「川造型」ですかね。裏は村山貯水池の写真です。

注意書きもタバコのそれをもじったものです。この「ちゃばこ」ではなくても西武鉄道の歴史への興味は高いのですが(笑)。

さて、今日の結びは飛行機に戻りまして、入間基地に因んだこんなジオラマを。

何年か前に作りました1/72のT-33(製品はプラッツ、部隊マークのみハセガワ)と牽引車(ハセガワ)を使ったジオラマで、本名名義で浜松広報館のプラモデルコンテストに出品したものです。
入間基地と言えば飛行点検隊という空自唯一の部隊があることでも有名です。当時の浜松広報館の方が以前入間基地にいらしたということで「入間基地にT-33のこんな風景の写真があった」と言われて、驚いたことを覚えています。基地の施設内にあった写真なので、当然部外者の私は見ることができませんので、飛行機と隊員と車輌を自分なりにアレンジしたジオラマだったのですが・・・。

そしてT-33というと独特に折れ曲がった搭乗用のラダー(はしご)でして、何度も失敗を繰り返して、プラ材を曲げながら作りました。








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