工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

最高の人々、最良の日々 その1

2021年01月31日 | ときどき音楽
 以前にも書きましたが、T-SQUARE(本稿ではスクエアと略)で長年キーボードを務められた河野啓三さんがバンドを離れ、昨年秋に最後の参加作品となった「Creme de la creme」(クレームの中のクレーム、ではなくてフランス語でクリームの中のクリーム=最上のもの、最高の人々という意)がリリースされました。料理の用語が転じて「最高の~」といった使われ方をするのはフランスらしいところですが、それはさておいてこのアルバムは現メンバーでのセルフカバー、河野さんの作曲された曲のベスト、レコーディング風景のDVDの三枚入った豪華版であります。
 このCDを聴きながら、河野さんとスクエアの20年を思い出していました。

 私が河野さんの名前を初めて知ったのは2000年秋、スクエアが安藤まさひろ、伊東たけし両名のユニットとして「再出発」したときのライブの場でした。5人編成で長く続いてきたスクエアでしたが、1998年に和泉宏隆さん(キーボード)、本田雅人さん(サックス、ewiなど)の退団があり、その後は新しいメンバーを入れながら続いておりましたが、いろいろあって(本稿ではそれがテーマではないので詳しくは書きませんが)、1991年にバンドを離れた伊東さんが戻ってきたタイミングで二人のスクエアとなり、他のメンバーはレコーディングやライブによって変動するスタイルとなりました。そこで河野さんに声がかかったというわけです。
 この再出発のCDは「FRIENDSHIP」と言って、発売記念ライブだったかが六本木の(今はなき)スイートベイジルで行われ、私も観に行きました。お店の名前は聞いておりましたがお洒落な店というイメージが強く(実際そうでしたが)、少しばかり緊張して入店した記憶があります。
「FRIENDSHIP」のCDの帯のコピーではありませんが「おっ、伊東たけしが帰ってきた」という気持ちでライブを楽しみました。この時のドラムは1985年からバンドを支えていた則竹裕之さん、ベースは村上聖さんでした。河野さんについては「秘蔵の古いライブ音源などを持っていて、古い曲のエンディングなどをよく知っている」と紹介されていました。
 このライブには私以外に同行者がいたのですが、同行者は1999年、2000年のキーボード・松本圭司さんの没入するようなソロプレイのイメージが強かったのか、河野さんの演奏はあまり印象的ではなかったようでした。先日、このライブを収録したDVD「FRIENDSHIP LIVE」を改めて見てみましたが、河野さんのキーボードはバンドとしての一体感やこれまでの積み重ねを大切にしつつも、ソロプレイでは時折オリジナリティを見せており、その後のスクエアでの演奏の片鱗を感じさせるものがありました。

 その後もツアー、さらにはスクエアが「ユニット」から「バンド」に戻ってからも河野さんはスクエアの一員として活躍し続けることになります。2003年にはスクエアのデビュー25年を記念し、1987~1990年メンバーによる「THE SQUARE」名義のツアーやカシオペアとの「VS」ライブもありましたが、河野さんはサポートメンバーとしてシンセサイザーなどを演奏されていました。
 その後もスクエアには欠かせないメンバーとして、また旧メンバーによる「Reunion」ライブでもサポートを務められ、リーダーの安藤さんの次に長くステージの上に立ち、スクエアと関わっているのではないかというくらいの活躍をされていました。
 先日リリースされた「Creme de la creme」の河野さん作曲のベスト盤を聴きますと「RONDO」や「THROUGH THE THNDERHEAD」のようにそれぞれのパートに見せ場があってライブで大盛り上がりになる曲もあり、得意な都会的でおしゃれな曲もありで、バンドの作曲者としても多大な活躍をされてきたんだなあと改めて気づかされました。都会的なナンバーは私もお気に入りで、伊東さんのサックスや安藤さんのギターが絡むとまたいい味になるのです。バラードについてはライブでは以前のキーボード奏者・和泉宏隆さんの名曲が演奏されることが多いとはいえ「かわらぬ想い」などの名曲もあり、この曲は初めてスクエアのライブを聴きに行った私の家人がとても感動したと言っており、個人的にも思いのある曲です。ソロ名義のアルバムからも私の好きな「FIRST IMPRESSION」も入っておりますし、ここに含まれていない曲も含めて、たくさんの名曲を書かれてきたんだなあと思います。インストゥルメンタルの曲は歌詞が無い分、聴き手がイメージをそれぞれ膨らませながら聞くことになりますが「RONDO」や「時間旅行」などは私の中で明確なイメージがいつも浮かぶ曲となっています。
 フュージョンのキーボードというと、前述の和泉さんやカシオペアの前キーボード・向谷実さんのようにステージで笑いを取るような方もいるのですが、河野さんはそういうタイプではなく、マイクを向けられてもおとなしめなMCをされていました。そうは言っても謎のラップだったり(失礼)、年末ライブで琴の音色にしたシンセサイザーでTRUTHを演奏したりとった面もあり、真面目に音楽をしながらお客さんを楽しませるという感じがありました。
 一昨年のご病気の治療とリハビリに専念されるということで、ライブなどから離れるわけですが、新しいアルバムへの曲の提供など、今後もスクエアと関わるとアナウンスされています。体を大切にされ、機会があればステージでお姿を拝見できることをお祈りいたします。
 この稿、セルフカバー盤の方も書きたいことがありますので、次回に続きます。もしかすると別の記事をはさんで、となるかもしれませんが、ご容赦ください。

写真は2017年名古屋で。終演後に観客に撮影許可があって撮影したものです。左から、安藤まさひろさん(ギター)、河野啓三さん(キーボード)、伊東たけしさん(サックス、ewi)、坂東慧さん(ドラム)、田中晋吾さん(サポート・ベース)。サポートの田中さんも含め、このメンバーで実に15年(5年に一度のスーパーバンドはありますが)変わらず演奏をされていました。


 

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在宅勤務の小さな味方

2021年01月21日 | 日記
 二度目の緊急事態宣言で、おうち時間が増えている方もいらっしゃるのではと思います。昨年の緊急事態の時に比べれば、電車もだいぶ混み合っておりますので、なかなか在宅勤務も難しいのではと思います。
 私の仕事はもともと在宅勤務にそぐわないものですから、通常は毎朝通勤電車に乗るわけですが、昨今の情勢を受けて家で仕事という日があります。昨年も在宅勤務に慣れるまでは、お昼に何を食べようかということでずいぶん迷いました。今いる私の職場は駅にも近くて駅ビルもあるので、お昼ご飯を買うにしても食べに行くにしても困らないどころかどれを買おうか迷うくらいなのですが、家ではそうはいきません。家から最寄りのコンビニも外食のお店もちょっと歩きますので、家で何かを作って、ということになります。
 そんな時に時間をかけずに手軽に食べて、ということで、少なくとも週に1度ある在宅勤務のお昼はレトルトのカレーを温めてご飯にかけて食べる、ということが多くなりました。
 もともとカレー好きというのもあるのですが、レトルトのカレーも種類が多く、なかなか飽きません。個人的には呉で発売されている海上自衛隊の艦艇等のレシピを再現したカレーがお気に入りです。呉はご存知のとおり海軍時代からの港町であり、今日でも海上自衛隊の基地が置かれています。呉市内の飲食店では海上自衛隊の各艦艇監修のもと、呉にゆかりの艦艇のカレーなどを提供しています。こうしたカレーの中には、レトルトパウチではありますが、市販されているものもあります。種類も豊富で、味付けも艦艇ごとに違いますので、飽きることがありません。そんなある日のお昼は潜水艦「そうりゅう」のカレーにしてみました。

パッケージには味のタイプなども書かれていて、フルーティーでコクのあるビーフカレー、とあります。温めてご飯にかけてみました。

確かにやや甘口ではありますが、後で辛さもしっかりついてくる、という感じで美味しい一皿でございました。自分で市販のルーからカレーを作る際は、中辛や辛口の場合が多く、カレー一つとっても作り手によって本当に味が違って面白いものです。
 有名な話ではありますが、海上自衛隊とカレーの関係は旧海軍にさかのぼることができ、航海が続く中で曜日の感覚を忘れないように海軍では土曜日に、現代の海上自衛隊では金曜日に提供されるようになった、と伝えられています。もし、毎日が在宅勤務で曜日によって違うものにしたい、曜日の感覚を忘れないようにしたい、手っ取り早く食べたい、という方にも曜日を決めてレトルトカレー、というのはおすすめかもしれません。
 さて、海上自衛隊のカレーは缶詰で売られているものもありますし、このようにレトルトになっているものもあり、どれが一番おいしいですか?と聞かれることもあります。どれも美味しくみんなおすすめではあるのですが、やはり潜水艦のそれが一番美味しいように思います。長い航海(しかも海の中)での数少ない楽しみが食事、という潜水艦のカレーが一番美味しいという噂は本当でした。


 
 

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2020年のF1シーズン雑感

2021年01月17日 | 自動車、モータースポーツ
 昨年のF1グランプリは、他のプロスポーツと同様に新型コロナウィルスに翻弄される形となりましたが、夏にシーズンが開幕した後は17戦が開催され、12月に閉幕しました。ルイス・ハミルトンの七度目の王座と最多勝ということで、昨年は特にハミルトンとメルセデスの「横綱相撲」が目立つシーズンではありました。そのハミルトンも含め、複数のドライバー、スタッフが異なる時期に新型コロナウィルスで欠場というアクシデントもありましたが、何とかシーズンが成立したわけです(シーズンオフにもドライバーの感染が報告されています)。
 昨年は特に、F1世界選手権開幕から70周年という節目の年でしたし、私の個人的なことになりますが、テレビ観戦を始めてから30年目、初の現地観戦から25年でしたが、もちろん現地観戦も叶わず、34年ぶりに日本でF1が開催されない年となりました。私なりにこの異例のシーズンを振り返ってみたいと思います。

〇 同じ国、同じサーキットでの連戦があった
 開幕戦のオーストリアと第二戦のシュタイヤーマルクGP、第4戦イギリスGPと翌週の「70周年記念GP」など、同じサーキットでの連戦というのはF1の歴史でも初めてのことでした。関係者の安全のため、レース数を増やすための苦肉の策ではありますが、一国一開催で複数回の開催の場合は他のサーキットを使い、他の国、地域のGP名(例・ヨーロッパGP、サンマリノGP、ルクセンブルクGPなど)を冠するというこれまでの歴史が崩されたわけです。イギリスGPが開催されたシルバーストーンサーキットはF1の歴史が始まったまさに1戦目が開催された地でもありますので、70周年記念GPにふさわしい地でもあります。もとは軍用飛行場だったシルバーストーンはコースレイアウトも大きく変わっております。いずれこのサーキットの話もしてみたいと思います。
 また、バーレーンのようにコースレイアウトを変えて連戦というゲームのようなことも行われました。イタリアでは計3戦が開催、モンツァのイタリアGP以外にムジェッロのトスカーナGP、イモラのエミリア=ロマーニャGPが日程に組み込まれました。
同じ国で複数回GPが開催される場合は、地方の名前を冠するようになりましたが、トスカーナGPとか、エミリア・ロマーニャGPなどと聞くとF1以前にあちこちでグランプリが行われていた1940年代後半のようだなと思いながら、テレビを見ておりました。

〇  メルセデスの圧勝と大不振のフェラーリ、一矢報いたホンダエンジン
 メルセデスは昨シーズンも強かったです。レギュレーションに適合するチームが一人勝ち、というのは2000年代前半のフェラーリや2010年代前半のレッドブル・ルノーなどがありますが、いいマシンに乗ってそこで勝ち続けることが大切なわけですから、ルイス・ハミルトンは「偉大なドライバー」と言えましょう。一方、フェラーリは1992年以来、ラップリーダーが取れなかったシーズンとなりました。1992年のことはよく覚えております。長年レースを見ていると「そういうシーズンもある」と思うわけですが、果たして2021年シーズンはメルセデスに追いつくことができるのか?特に若いドライバー二人がどこまで頑張れるか注視したいと思います。
 ホンダエンジンは供給先のレッドブル、アルファタウリの両チームで優勝ということで、一定の成果のあるシーズンだったのではないでしょうか。2021シーズン限りで撤退という残念なニュースも入っていますので、有終の美を飾れるのか期待したいですし、また一部で噂される2022年以降の何らかの形での関与があるのかも気になります。

〇 人種差別撤廃のための行動
 アメリカでの黒人差別に関する一連の事件をきっかけに、決勝前に人種差別を止めよう、という動画が流されているほか、ドライバーたちが集まってポーズを取る、ということが行われるようになりました。ドライバーはもちろん、スタッフも含めれば現代のF1はその国籍、肌の色もさまざまです。その昔、ホンダエンジンが圧倒的に強かった頃ですが、当時のFIA(国際自動車連盟)会長の口から「F1にイエローはいらない」というかなり差別的な発言があったことを思えば隔世の感があります。
 
〇 肝を冷やすクラッシュ
 バーレーンGPでグロージャンのマシンがガードレールに激突、マシンは前後で真っ二つになり火災も発生、という恐ろしい事故がありました。幸い本人は両手の火傷程度で済みましたが、映像を見たときは肝を冷やしました。安全対策の乏しかった1970年代などではああいったクラッシュがあれば命に関わってきますので、現代のマシンの構造、サーキットの対応などが命を救ったことになりましょうが、安全対策に終わりがないことを認識させられたシーンとなりました。

〇 一つの時代の終わり
 名門ウィリアムズチームですが、チームを所有、運営していたウィリアムズ家がチーム運営から離れることになりました。チーム名は存続しますが、昔ながらのプライペーターが退場するというのは寂しいものがあります。

〇 初優勝は2人
 ピエール・ガスリー(仏・アルファタウリ)とセルジオ・ペレス(メキシコ・レーシングポイント)の二人が初優勝を遂げました。ガスリーの初優勝は以前このブログでも書きましたが、ペレスはバーレーンで開催のサクヒールGPで初優勝を遂げました。デビューした頃は小林可夢偉のチームメイトという印象があり、その後もさまざまなチームで期待されておりましたが、実に初優勝まで190戦かかっており、「遅い初優勝」の記録を作ったことになります。

〇 ベテランも若手も・・・
 日本でも人気のキミ・ライコネンが最多出走記録を更新しました。また、若手ドライバーも頑張っています。個人的にはハミルトンらを追うようにF1までたどりついたノリス、ラッセルといったイギリスの若手に今後注目です。

 思いついたままに昨シーズンの雑感を記してみました。今年はアルファタウリ・ホンダから角田裕毅がデビューします。久々の日本人ドライバーの誕生です。新型コロナウィルスの流行状況がどうなっているか分かりませんし、スケジュールの変更がすでに噂されていますが、今年はもしかしたら無理にしても、また世界中のファンと感動を分かち合い、サーキットで笑い合う日がきっと来ることを願って、本稿の結びとします。


  






 

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牛に牽かれて玩具道楽!?

2021年01月11日 | 玩具道楽
 久々の玩具道楽でございます。本来ならこういう干支にちなんだネタは三が日のうちにやった方がいいわけですが、前にも書きましたように、私のパソコンの不具合が原因で家人のパソコンを借りることとなり、松の内も過ぎての更新でございます。
 プレイモービルは人形遊びを中心とした玩具ではありますが、動物たちと組み合わせたセットなども早くから販売されております。1980年代初頭からそれまで馬くらいしかなかった動物にさまざまな動物が加わり、牛も入っています。ウェスタンのシリーズなどに水牛がセットされていたこともありました。牛つながりということでは、ネイティブアメリカンのセットにバイソンが入っておりました(余談ですが戦前の日本にはバイソンのコンビーフというのが輸入されており、私の亡父も食したことがあったようです)。
 私の手元にあるプレイモービルの牛たちです。

 プレイモービルには農場というシリーズが定番商品として展開されており、こちらは1999-2005年までカタログ入りしていた3077の牛の親子と男の子です。

 カタログ落ちした後もしばらく流通しておりまして、私が購入したのも2008年で、翌年の年賀状のデザインに入れるためだったかと思います。
 牛の親子は色違いで袋に入った「アドオン」というシリーズでも見かけました。

こちらはジャージー牛の親子という名前で売られていました。
 プレイモービルでは小さな箱に1体だけ入った「スペシャル」というシリーズがあり、こちらはヨーロッパでは子供のお小遣いで買えるようなものですが、2004-2005年のカタログにラインナップされていたものの中に、子供と子牛の入ったものがありました。

 子供二人で牛を手なずけている図でございます。

 この時代の農場シリーズ、作りがほのぼのとしていて気に入っています。やはり年賀状に使おうと思って羊やにわとりのセットを持っています。
 我が家のもう一つの牛のセットはこちら、2013年リリースのこちら、品番5425です。

 アルムアプトリープと呼ばれ、アルプスで夏の間放牧されていた牛たちが里に下りてくる際に花飾りをつけた様子のセットです。


 大きなカウベルはまさにスイスアルプスの牛を表しています。スイスを旅行された方ならお土産さんでカウベルのミニチュアを見たことがあるのではないでしょうか。
 このセット、花飾りとカウベルをつけた牝牛が三体、親子三人、子牛と子ヤギが一体ずつ入っています。


 これ以外にもプレイモービルでは、1-3歳向けの123というシリーズで牛を製品化していました。123は小さな子供でも扱えるようにとがった部分をなくして、口に入れても安全なような作りにしています。2008年にマルタ島のプレイモービルの工場見学をした際に、ちょうど123の牛を組み立てているところでした。胴体の左右に接着材か何かがついていると思われる薄いシートを挟んで固定する作業をしていました。
 玩具の牛をいろいろ書いてまいりましたが、子供のころ持っていたトミカの一台にトヨタ・ハイエースの荷台にリアルな作りの牛を積んだのがあったなあとか、いろいろ思い出しておりました。
 鉄道模型でも家畜を積む「カ」という形式の貨車もありますし、牛のフィギュアも出ています。鉄道の家畜車は通風をよくするため、隙間が開いているのが特徴ですが、貨車の車体が黒いので、模型の牛を積んでも見えにくくなってしまうのが残念なところです。

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バンパイアよ、どこへ行く

2021年01月07日 | 飛行機・飛行機の模型
航空自衛隊のF4EJ改ファントムⅡ戦闘機の引退の話題は、これまで何度かこのブログでも書きました。先日、百里基地にいた440号機が退役し、航空自衛隊の広報施設である浜松広報館での展示が決まり、当地に運ばれたと聞きました。
この440号機、世界で5000機以上生産されたファントムのファミリーのうち、最後に生産された機体であり、ラストオブラストがこうして保存されることは、航空史に残る機体ということでもあり、意義のあることです。
さて、ファントムを受け入れるにあたり、浜松広報館ではそれまで屋内の展示格納庫で展示されていた8機を屋外に搬出、隣接する浜松基地の敷地内に設置することとなりました。
この中には昨春このブログで何回かに分けて書きましたバンパイア練習機、T28、T1、T6、T33などの固定翼機、H19、S62といったヘリコプターが含まれています。
航空自衛隊初期から活躍した機体や、戦闘機と違って脇役かも知れない機種が多いわけですが、これらの機体をいままでのように好きな時に見ることができなくなるのは、何とも残念としか言いようがありません。私以外にもバンパイアやマイナーな機種のファンがブログなどでこうした機体に出会えるのがここの魅力と言っており、行く末も含め、不安に思う方もいらっしゃるのではないかと思います。バンパイアはともかく、T33は浜松基地の代名詞だった時代もあり、何故広報館を追われるのか、と思っております。また、美しい塗装の救難ヘリを見るのも好きでしたので、いなくなってしまうのは残念です。
浜松広報館の良いところは過去にさまざまな役割を果たした機体を屋内で、いつでも見られる形で展示してきたところにあると私は思っています。バンパイアについて書いたブログでも触れましたが、バンパイア、T28、T1はあの場所で並んで展示されていることに意味があり、見る側にもそれぞれの機体が果たした役目と、戦闘機も含めて今日の機体との関係を理解してもらう「気づき」を与えていたのではないかと思います。また、救難ヘリも屋外、屋内の展示機で歴代の機体を見ることができ、変遷を実機を見て知る格好の機会でした。主役脇役を問わずこういった機体が積み重ねてきた歴史の上に、今のF35やF2、さらにはブルーインパルスでもおなじみのT4がいるわけです。言葉が乱暴かも知れませんので不快に思われる方がいらっしゃったら申し訳ありませんが、今回のように一般の方が入れない、しかも屋外に出してしまうのは大切な過去を切り捨てて、人目のつかないところに追いやるようなもので、甚だ遺憾に思います。
今回搬出される機種の中にはバンパイア、T28のように、日本に一機しかいないものや、T6のように美しくレストアされたものもあります。屋外保存で心配なのは昨今の災害の大型化であり、60年以上前の機体もありますので破損、損傷などが原因で解体、というのは一番考えたくない末路であります。岐阜や所沢などでは珍しい試作機も屋内で展示されております。コロナ禍もあり、余計なことにお金を使えないのは承知の上ですが、今回の移動が一時的なもので、近い将来広報館に格納庫が増設され、これらの古い機体が再び屋内で展示されることを切に願いつつ、本稿の結びとします。

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