工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

黄色いマシンに心ときめかせた日

2018年11月29日 | 自動車、モータースポーツ
 長いF1シーズンも終わり、見るF1からシーズンオフは読むF1というわけでもないのですが、レース関連の本のご紹介です。
 10月に発売となっていますので、すでに読まれている方も多いとは思いますが「GPCarStory JordanEJ12(三栄書房)」についてです。
 このGPCarStoryというのは、少し昔のF1マシンに毎号1車種ずつスポットを当て、マシンの解説、関係者の証言などを掲載しているシリーズです(たまにチームやドライバーなどでワンテーマにしている号もありますが)。
 軍用機に興味のある方なら、こういった本ということですと、同じように毎号1機種を取り上げて刊行されている「世界の傑作機」というシリーズを思い浮かべる方もいるかと思います。
 今回のJordanEJ12というのは、2002年にジョーダンチームがホンダと組んでグランプリを走ったマシンであり、佐藤琢磨選手のデビューマシンでもあります。
 本書では、ドライバー(佐藤琢磨とG.フィジケラ)、デザイナーやエンジニア、ホンダ側のスタッフの証言などを通して、このマシンがどのような特性を持ち、どのように戦ったのかを紹介しています。また、このシリーズの他のマシンと同様、グランプリごとの細かな仕様の違いなども詳しく説明しています。
 もちろんスポーツですから、ライバルも存在するわけで、このマシンが戦っていた中団グループのライバル、97年のチャンピオン・J.ヴィルヌーヴのインタビューも掲載されています。
 当時の報道で、ジョーダンチームは懐事情が芳しくないようなことが伝えられていたのですが、そのあたりの内幕もチーム関係者のインタビューに書かれており、興味深く読みましたが、こういう話は「今だから話せる」ということなのでしょう。
 日本のファンにとって、このマシンの活躍のハイライトは日本グランプリでの佐藤琢磨選手の5位入賞ではないかと思います。イギリスF3王者の称号を手に「飛び級」のF1デビューを果たした琢磨選手は「ついにF1で勝てる日本人が来た」という印象を抱かせるものがありました。日本でレースの経験を積んで、というのではなく、ヨーロッパのF3でタイトルを獲ってF1デビューというのは、他のチャンピオンたちがたどった道のりであり、デビューイヤーも大いに期待していたところでしたが、なかなかシーズン後半までいい結果を残せていませんでした。
 このシーズンはM.シューマッハ(フェラーリ)の強さが圧倒的で、既に夏にはタイトルが決まり、最終戦の日本グランプリは言ってみれば消化試合なのですが、それでもホンダエンジンのマシンを駆る日本人ドライバーが母国に凱旋するということで、佐藤琢磨選手に期待が集まったわけです。この年はトヨタもF1参戦初年度でしたので「ジャパニーズ・パワー」が何かと注目を集める鈴鹿となりました。
 地元ということもあって予選から好調を維持し、この年自己最高の7番手を獲得、決勝でも快走を見せて5位に入賞したのです。このレースは私もスタンドから観戦しておりましたが、観客の声援、応援の旗や手を振る様子などで琢磨選手のマシンがどこを走っているのかが分かるくらいサーキットが興奮のるつぼと化していました。日本グランプリで日本人が入賞するというのも久しぶりで、私もとても嬉しく、大いに感動したことを覚えています。
 レース後の会見で、レースの勝者のM.シューマッハも「今日の勝者は二人いる。僕とタクマ・サトウだ」と言ったくらいですから「皇帝」シューマッハもルーキーの活躍を認めたレースだったのでしょう。
 この年の日本グランプリには、個人的な思い出がもう一つあります。私はレース後も感動の中でなかなか帰りたくないという感じでサーキットで余韻にひたっており、帰りの列車に乗るために鈴鹿サーキット稲生駅に向かったのが少し遅くなりました。案の定、駅には既に列車を待つ長蛇の列ができています。これでは列車に乗れるのがいつになるか分かりませんでしたので、意を決して鈴鹿サーキット稲生駅から近鉄の白子駅まで歩くことにしました。
 私のような考えのファンも相当数おりまして、1時間以上歩いて白子駅にたどりつきました。その後、近鉄の急行で名古屋に出て、名古屋でご飯を食べてその日のうちに帰京したのだと思います。白子駅まで歩いている間も、何かとても清々しいというか、楽しい気分だったのを覚えています。今、同じことをやれと言われても30分も歩かないうちに、膝が痛いとか、足が痛いとかなってしまいそうです。私も若かったということですね。体力は戻ってきませんが、あの頃の感性だけはサーキットに置き忘れることなく、これからも持ち続けたいですし、こういったレースにまた出会えることを祈りつつ、結びとしましょう。

2002年日本GPのプログラムをバックに、ホンダがサーキットで配布していたポストカードと、マシンの1/43ミニカーです。


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飛行機はそんなにピカピカなものではない?

2018年11月23日 | 飛行機・飛行機の模型
 このブログでは鉄道模型の話題が多いのですが、模型に費やす時間という意味では、飛行機の模型もかなりの割合を占めています。組み立てやすさ、コレクションに場所を取らないといった理由で、1/72の軍用機が中心なのですが、Nゲージとの共存、共演ということも考えて、1/144の航空機、特に旅客機を組むことが多くなりました。
 展示会などでは旅客機の模型というとクリアーで仕上げて、顔が映るくらいピカピカに仕上げたものもみかけます。美しい仕上げのためには下地作りから塗装、磨き出しとどれも細心の注意をはらう必要のある工程ばかりですから、モデラーとしては腕の見せ所でもあり、私などはまだまだ・・・といつも思っています。
 実物の旅客機などではどうでしょうか。就役から時間の経過や、天候などにも左右されますが、部位によって光沢が異なっていたり、中にはつや消しかな、というくらいのものもあります。以前イタリア・ヴェネツィアからパリまで乗ったエールフランスのボーイング737-200などはかなりのベテランで、胴体はつやがあったものの、主翼などは模型だったらつや消しでもいいかな、という感じでした。ヨーロッパのモデラーの作品の中には、わざわざつやありで仕上げた後で、エンジンの排気が当たる部分を汚したり、オイルもれのような汚しをかけている作例がありました。DC-9のように胴体にエンジンがマウントされている機体では、実際にはそういった排気の汚れもあるでしょう。もし、ジオラマや鉄道模型のレイアウトなどに旅客機を組み込む場合には建物、車輛などの仕上げと違和感がないように、ということで仕上げも変わってくるのではと思っています。飛行機もまたストラクチャーの一つである、という考え方に立てば、顔が映るほどにピカピカである必要があるのか、という疑問も生まれます。私自身もバランス良く見せるというのはとても難しいと感じており、答えが見つかっていないところです。もちろん、ピカピカのつやあり仕上げを否定するつもりは全くなく、デカール等マーキングの保護のためにもクリアーかけは必要と感じています。将来、レイアウトを製作してその一角に空港(自衛隊の基地でもよいのですが)を組み込みたい、と考えておりますので、その時には風景や車輛と違和感なく飛行機を溶け込ませたい、と思っているのですが・・・。
 旅客機の話を中心に書きましたが、旅客機がつやありで軍用機がすべてつや消し仕上げかというと必ずしもそうではありません。各国のアクロバット飛行チームの機体はほとんどが美しく塗装され、ピカピカにされていますが、それ以外にも航空自衛隊のF-4EJ戦闘機は導入からしばらくはつやありのガルグレーと白に塗り分けられていました。また、先日の入間基地のYS11をはじめ、軍用とは言っても用途によって、また視認性を高めるために鮮やかな塗装となっているものもあります。
 かつては金属地肌そのまま、というような機体もあって、当時の写真を見るとそれこそ鏡のようにピカピカになっているものもありました。ほかにもF100やF104といった機体のように、使われている金属によって部分的に色合いが異なり、そこがまた模型ではアクセントになる場合もあります。金属色は特に近年、さまざまなメーカーから塗料が発売され、進化を遂げていますので、どれを使って自分好みに仕上げるか、という選択肢も増えました。
 今回は単なる雑感となってしまいましたが、飛行機の塗装というのはとても奥の深いものですから、今後も気になったことや気が付いたことなどを折に触れて書いていきたいと思っています。
 

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あの日から40年、50年

2018年11月12日 | 鉄道・鉄道模型
 このブログは鉄道の記事もテーマにしていますので、やはりこれには触れておかないと、ということで、少し遅いのですが書きたいと思います。
 今年は昭和43年10月1日の国鉄(当時)のダイヤ改正から50年、昭和53年10月1日のダイヤ改正から40年という節目を迎えました。
 改正年月から、前者は「よん・さん・とお」、後者は「ゴーサントオ」などとも呼ばれ、いずれも大規模なダイヤ改正でした。
 私は「よん・さん・とお」以降の生まれですが、まさにその時代の在来線の車輛を幼少時に書籍で見たり、時には乗ったりして育った世代です。私の中のイメージではありますが、電車・気動車をはじめとした特急、急行列車が百花繚乱という時代でもあり、この世代の車輛や列車が好き、というのは、やはり子供の時の記憶や体験がもとにあるからなのでしょう。
 一方で、電化の進展、動力近代化のおかげで、いよいよ蒸気機関車が終焉を迎えるときでもあったわけですが、私はSLブームに間に合ったわけではなく、子供心にすでにノスタルジックな乗り物、という感覚でした。

 ゴーサントオについては、電車特急の前面の列車愛称表示がイラスト入りになり、大いに話題になりました。やがて気動車等にも波及し、ブルートレインのブームとともに一気に(年少ファンを中心に)鉄道ブームが来たのもこのころです。
「絵入りマーク」などと言われ、秀逸なデザインもあったり、なかなか面白い試みと思いましたが、機関車のヘッドマークより小さな画面に無理に詰め込んだ、というようなものもありました。そうは言いながら、今も某缶ビールの景品にトレインマークのチャームがおまけでついていたりすると買ってしまうわけで、子供の頃の忘れられない思い出、なのでしょう。
 ただし、この頃の国鉄はすでに多額の赤字を抱えており、それをどうしていくか、ということが常に議論されていた頃でもありました。子供心にも「小手先の増収策くらいではどうにもならないんじゃないか」ということは分かっており、かといって(さまざまな制約などもあって)大胆なこともできない状況が続いていました。ダイヤ改正そのものは成長期の時代の「よん・さん・とお」に比べると、華やかさには欠けていたのかもしれません。
 すでに各趣味誌でも特集が組まれたりしておりますので、ダイヤ改正の詳細、意義などはここでは触れませんが、模型の方ではTOMIXが「よん・さん・とお」50年記念セットを発表したのにはちょっと驚きました。
 ラインナップはこの改正で登場した583系、485系、キハ181系ということで、特定日の特定編成が得意な同社らしいセットになっているようです。TOMIXは近年の列車の「最終日編成」のような製品はよく出ていますが、50年前の列車をクローズアップしたというのは興味深いですね。ちょっと古い(若いファンにとってはかなり昔の)名車をフル編成で、というのはカトーの「レジェンドコレクション」がありますが、TOMIXが今後もこういう方向を目指すのか、ちょっと注目です。
 一方で、カトーが最近発売した583系の改良製品はゴーサントオの頃を意識しているようです。最近のカトー製品らしいツヤのある塗装となっています。別売りのトレインマーク変換装置で、ゴーサントオ前夜の文字表示時代も楽しめます。
 以前の記事で「カトーの最近の製品を持っている」などと書きましたが、レジェンドコレクションの581系はともかく、583系は90年代に購入した製品でした。あれから随分経っているなあということで、我が家にも新しい583系がやってきました。寝台パーツを外して、絵入りでなくて文字のマークにして、ということで、しばらく遊べそうです。




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入間の日

2018年11月04日 | 飛行機・飛行機の模型
 昨日は文化の日ですが、入間基地の航空祭の日でもありました。私も行ってきました。
 ほぼ毎年この日に航空祭が開かれ、首都圏からいちばんアクセスがしやすく、毎年お天気にも恵まれることから、たくさんの人が詰めかけます。
 私も中学生の頃から毎年のように足を運んでおります。いろいろな事情で行けなかった年や、雨が降った年の方を覚えているくらいです。それくらいの回数、足を運び、お天気に恵まれているということでしょう。家から1時間で行けるところですので、行きと帰りの電車の混雑、基地内での混雑を我慢すればこれほど手軽に行けるところはありません。駅を降りたら目の前が基地、というのも珍しいものです。岐阜基地も駅から近いですが、それ以外は駅からバスに揺られていく基地も多く、バスに乗るまで長蛇の列だったり、渋滞に巻き込まれたりというストレスもあります。
 昨日は19万人が訪れたということで、決して大きいとはいえない基地に、今年もたくさんの人がつめかけたわけです。みなさんのお目当ての多くはブルーインパルスのフライトということで、昨日は途中で演技が中断するハプニングがありましたが、大いに盛り上がっておりました。
 さて、入間基地は今年60周年を迎え、航空祭のプログラムにもそれに因んだ記載がありました。ただし、もともとは旧陸軍由来の飛行場ですし、戦後は(当然ながら)米軍に接収され、ジョンソン基地と呼ばれていました。短期間ではありますがF86Fを装備した第9飛行隊という戦闘機部隊もありましたが、輸送、点検などを目的とした「武装していない」航空機が多数配備されているのも特徴です。私もこの数年は飛行点検隊のYS11のフライトがお目当てとなっています。この飛行点検隊は、点検用の航空機を用いて全国の自衛隊基地の航空保安施設(電波・灯火など)が正常に機能しているかチェックする部隊です。垂直尾翼の部隊マークは赤白のチェックを採用しています。YS11も、もうひとつの使用機種のU125も赤と白に塗り分けられ、軍用機らしからぬ姿です。YS11は言わずと知れた戦後日本で開発された最初の旅客機ですが、航空自衛隊でも飛行点検だけでなく、人員輸送、電子戦などを目的にまとまった機数が導入されました。かつては入間基地の航空祭と言えば、用途に応じたさまざまな塗装のYS11が駐機していたものですが、退役も徐々に進んでおり、飛行点検隊のYS11についても後継機種の導入も決まっていますので、赤白塗装のYS11もそろそろ見納めとなりそうです。そんなわけで昨日もロールスロイスのダートエンジンの音色を聴きながら、基地上空を航過する機体を眺めておりました。


 ともすれば戦闘機やアクロバット飛行チームのような分かりやすいものに目が行きがちですが、人員、物資の輸送に活躍するC-1輸送機、飛行場を持たない施設に物資を運ぶCH47ヘリコプターなど、入間基地には地味ながら大事な働きをしている機体、部隊がいます。昔はB65(ビーチクラフトクイーンエア)、MU-2Jといったビジネス機由来の機体も配備されており、私がマイナーな機種も好きなのは、いわば「地元」の基地とその機体を見て育ったからなのかもしれません。
 
 さて、昨日は新鋭のC-2輸送機も入間航空祭に初お目見えでした。以前岐阜基地で見たときはそれほど大きさを実感できなかったのですが、C-1輸送機と比べると本当に大きいですね。自衛隊の役割が昔と異なってきている中で、護衛艦の「いずも」や「ひゅうが」などとともに、装備の大型化はそうした流れに沿ったものなのでしょう。

 

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