工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

食堂車の話 北の夜空にカシオペア座を探して

2019年11月30日 | 鉄道・鉄道模型
 前回、北斗星のグランシャリオを利用した話を書きましたが、今日はその後、カシオペアに乗車した時の話をしましょう。
 北海道新幹線開業も近くなり、北海道方面の寝台特急が風前の灯火と言われる中、なんとかしてカシオペアに乗れないかなあと思い、今はなくなってしまいましたが、駅の旅行センターを通じてチケットを取ることができました。夕食はフランス料理とはならず、和食となりましたが、平成26(2014)年の12月のある日、私と連れはカシオペアの乗客となりました。
 私たちは車端部の部屋のため、天井を広く使える部屋でした。夕食は17:15~ということで、出発から1時間程度で食堂車に向かうことにしました。

「マシ」という形式は三軸ボギー車とか、そういう時代の産物かと思っていましたが、平成の時代に現れるとは思ってもみませんでした(出発前に上野駅で撮影)。
 この日のメニューです。

 和食の懐石御膳はこんな感じで供されます。

 中身はこのようになっています。

 和食と聞いて量が少ないんじゃないかなとか、心配していたのですが、それは杞憂に終わりました。メニューをご覧いただいても分かる通りバラエティに富んでおり、最後にご飯、お吸い物となった時にはお腹いっぱいになっていました。
 お酒は葡萄酒を注文しました。北海道産のおたるワインでした。

 食後の甘味もカシオペアのシンボルカラー、ロゴを配した包みに入っています。

 食後に先頭のラウンジまで行ってみました。見えるのは牽引する機関車なのですが。

 ラウンジ車ですが、空調が入っていないのか、もともと入れてなかったのか、とても寒かった記憶があります。もっとも、あまり暖かくして酔客にソファーで熟睡されても困るわけですが・・・。でも、せっかくのラウンジなので、売店だけではもったいなく、ここはカクテルとかを用意する小さなバーカウンターがあってもいいのにな、とも思いました。
 ブルーリボン賞のプレートですが、オリジナルではなく、よく見ると写真を撮ったものが貼られていました。
もともとのプレートはどうなったのでしょうか。

 カシオペアの車内では乗車記念のグッズが多数販売されていました。コースター、カップと購入し、やはり食堂車好きなら買わないとな、と思いまして、食堂車で使われているのと同じ形の一輪挿しを購入しました。

 下の部分にカシオペアと入ったチャームがついておりますが、それを除けば他の食堂車でも使われている一輪挿しと同じタイプに見えます。このチャームは外せるようになっています。NゲージのマシE26の大きさと比較してみてください。

 部屋に戻った後は真っ暗になった車窓を眺めつつ、カシオペアが運行を開始した当初、フュージョンバンド・カシオペアに在籍されていた向谷実さんがこの列車のために作曲したという「LUCKY STARS」をウォークマンで聴いてご機嫌になっていました。
 さて、カシオペアの客車であるE26系ですが、初めからカシオペアのために作られた車輛ですので編成としての統一感もありますし、通路は狭く感じるものの、部屋の広さは申し分ないものがありました。北斗星の車輛は24系25型由来の改造車が主体ですし、食堂車に至っては電車改造ですから、寄せ集め感は否めません。また、カシオペアは内装のデザイン、配色については90年代のホテルを思い起こさせるものがありました。それが悪いという意味ではなく、あの頃よく見かけた色使いだったり、デザインだったりという意味です。個人的には好きな色使いではあります。

 私は夜汽車で爆睡できるほうですので、酔いも手伝って深夜にならないうちに寝入ってしまいました。列車も本州から北海道に出て、翌朝はかなり並んでから朝食を食べました。相席になっていたこともあり、写真はありませんが、パンと卵料理の洋朝食をいただきました。私たちが乗車した日ですが、カシオペアだけでなく、北斗星、トワイライトエクスプレスも運行される日だったため、道内に入ってからはあちこちで三脚の列とカメラを構えたファンを見かけました。大雪にもならず、大きな遅れも出ることがなく札幌に到着しました。
 それほど長く北海道に滞在できたわけではなく、銀世界になっていた札幌の観光を簡単に済ませ、その日のうちに函館に向かいました。夜の函館で地元の人が普段使いをしているような居酒屋で美味しい魚介をいただいた後、泊まっていたホテルのバーでオリジナルのカクテルをいただきました。「シェダル」といってカシオペア座のアルファ星に因んだ名前がついており、その後でいたただいた年代物のカルバドスともに、わたしにとっては出来過ぎな旅となりました。もちろん、いいことばかりは続かないもので、翌日、凍結した函館の坂道で転んでしりもちをつくという落ちが待っていたのでした。
 
 食堂車の話、個人的な体験話が続いておりますが、少し昔に海外で体験したことも触れてみたいと思います。
 



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食堂車の話 つづき

2019年11月26日 | 鉄道・鉄道模型
 ご無沙汰いたしました。個人的に怒涛の二週間でございまして、その上にこのところの寒さで体調を崩しており、パソコンに向かうどころか、工作台の前にも座れない状態でした。皆さんもご自愛ください。

 さて、食堂車の話の続きです。私も乏しい経験ではありますが、主に国鉄時代に食堂車連結の列車に乗車しております。このブログの最初の頃の記事に583系に乗ったことを書いておりますが、それ以外にも幾度か利用しています。ブルートレインでも民営化以後でしたが「あさかぜ」のオリエント急行調の内装の食堂車を利用しています。ただし、その頃にはだいぶメニューも少なくなっていた印象がありました。
 民営化以降、定期運用の昼間の列車でも「シ」の形式がついた車輛を利用したことがあります。20年ほど前に九州で787系に乗った時に当時はまだサハシ787が連結されており、食事の時間帯だったこともあって、指定席を立ってビュッフェまで行ってみました。JR九州では787系を鹿児島本線の「つばめ」以外にも各線区に投入しており、私も宮崎~博多間を利用した際に787系に乗ることができたわけです。ちょうど乗車した日は台風が接近しており、列車も止まったり動いたりを繰り返しています。サハシ787の独特な空間デザインを楽しみながら食事でも、と思いましたが列車も途中で長時間停車、さらには注文したものが出来上がるのも少し時間がかかる、ということでビュッフェのスタッフからは「席までお持ちしましょう」という申し出がありました。
 私はビュッフェの中で待って、食べても構わなかったのですが、立食が基本のビュッフェでお客が滞留するのも好ましくないでしょうし、スタッフの申し出のとおり、席で待つことにしました。やがて列車も動き出し、私の席に熱々のご飯ものが届けられました。もちろん、美味しくいただきました。車内でだったと思いますが「つばめ」に因んだレターセットも販売されていて、お土産にしました。
 
 他にも夜の列車では北海道方面の「北斗星」で2回、「カシオペア」も1回利用しておりまして、カシオペアについては写真がありますので回を改めて紹介したいと思います。北斗星ですが、食堂車「グランシャリオ」でフランス料理のコースを予約して楽しんだこともあります。列車は満席ということでしたし、観光シーズンでもありましたので食堂車も予約のお客さんで混んでいるのかなと思いましたが、一人旅だった私も含め3組程度のお客さんがコースを楽しんでいるという感じで、まばらな車内に拍子抜けしました。他の方はパブタイムを利用されていたのでしょうか?肝心の味の方ですが、ボリュームも味もしっかりしており、とても美味しかったです。1990年代頃までは大手のビジネスホテルチェーンや、地方の大きなシティホテルに行くと、必ず西洋料理を提供する立派なレストランを併設していたものです。私もそういったレストランを利用して、スープから始まってメイン、デザートまで続くコースを食べた経験がありますが、グランシャリオはそういったところに引けをとらないばかりか、味付けも良く、盛り付けも繊細でした。季節・時間によっては真っ暗になっていますが、流れる景色を楽しみながら食事をできるわけですから、これに勝るものはないわけです。

 食堂車と言いますと、私の亡き両親が生前よく話していたことをひとつ。私が生まれるだいぶ前、両親がまだ若い夫婦だったころ、東北地方を旅した帰りにデビューしてまだ日が浅いキハ81系の「はつかり」に乗っています。食堂車については乗車した際に予約を受け付けるようになっており、私の両親も予約し、スタッフが呼びに来るのを待つことにしました。ところが、道中にキハ81系の運用の初期では常態化していた故障で列車は遅れに遅れてしまいました。食堂車の方もお客さんが回転しないのか、故障に関係して準備ができないのか、なかなか順番が回ってきません。やっとスタッフが両親を呼びに来て、料理が運ばれてきたと思ったら、故障が直ったのか「はつかり」はエンジンの唸りのもと、スピードを上げて上野へと驀進します。ゆっくり食べられると思ったらもうすぐ上野ですと言われ、急かされるように料理を食べなければいけなくて大変だった、と両親はキハ81の模型を見るたびに話していました。忘れられない旅の思い出だったのでしょうね。




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食欲の秋だから・・・食堂車とお酒の話

2019年11月10日 | 鉄道・鉄道模型
 このブログをお読みの方なら何となく気づかれているとは思いますが、わたくし、美味しいものを食べるのが好きな人間です。休日に自分で料理を作ることもありますし、旅先で美味しいものに出会うと幸せな気分になれます。そんなこともありまして、鉄道趣味のジャンルとしてあるかどうかはともかく、食堂車(とそこで供される料理)は以前から関心を持っておりました。秋と言うよりは晩秋に近い今日この頃ですが、食堂車に関する話を何回かに分けていたしたいと思います。
 
 明治の初めに開業した鉄道も、路線が整備されていくにつれ、長距離を走る列車も登場しました。こうなりますと長時間乗車する乗客の胃袋を満たす必要も出てきます。いわゆる鉄道国有化以前の明治の私鉄各線で既に食堂車が登場しておりますし、官設鉄道でも食堂車が連結されております。食堂車は当時としては本格的なコース料理を供する洋食堂車と、和食や一品料理を提供する和食堂車がありました。
 大正期のメニューを見ますと、ビーフステーキやチキンカツレツといったおなじみの料理や今となっては何だろう?という感じのガランデンという料理も出ています。しかし、それよりも興味をひいたのは、食堂車で提供される飲料でした。ビールは国産のものが黒ビールも含めてあったようですし、英国産のスタウト(ギネスといった方が通りがよさそうですね)も提供されています。フランス産の葡萄酒が赤、白ともにあったということで、当時はまだ飲みやすくするために甘く味付けした「甘味果実酒」も広く飲まれていた時代ですから、本格的な葡萄酒が積まれていたのですね。当然、日本酒、ウイスキー等もあったほか、高価なシャンパンもあったようです。
 驚いたのはこういったお酒の中に、ベルモットやペパーミント(のリキュール)、ジンなども含まれていたことです。ベルモットというとなじみが薄いかもしれませんが、チンザノやマルティーニといったブランドを聞いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。食前酒として、また他のお酒などと割るために西洋では広く飲まれていました。当時の洋食堂車は1等、2等の乗客のためにあったようなものですから、こういったお酒の味を知る乗客たちもいたのでしょう。当時、質の高い西洋料理とさまざまな洋酒を提供できるのは一流のホテルくらいでしょうから、列車の食堂もそれに負けないものを目指していたことがうかがえます。
 大正14年の記録では、食堂車ではビールが圧倒的に飲まれていましたが、ウイスキーも随分消費されていたようですし、炭酸水の需要もかなりあったようです。お酒を割るために使ったのか、そのまま飲んだのかは定かでありませんが、食事のお伴をこういった飲料が務めていたわけです。いわゆるソフトドリンクではサイダーも人気があったようです。昭和の時代までは洋食とウイスキーという組み合わせも見かけましたね。葡萄酒が一般にも飲まれるようになったのはだいぶ時代が下ってからとなります。
 昭和初期に超特急「燕」が運転された時のメニューにも、ベルモットやペパーミントといったメニューが出ていますので、それなりに需要があったのでしょう。やがて戦時色が濃くなり、食料はもちろんのこと、飲料についても厳しい統制下に置かれました。美味しい食事とお酒を友としていた方たちにとっては厳しい日々だったことと思います。
 
 第二次大戦後、特急運転が復活し、食堂車も連結されました。葡萄酒はなく、食前酒やリキュールもさすがに消えていますが、炭酸水は急行列車などにも積み込まれていました。近年、炭酸水は各社から発売されて人気を得ていますが、一時期はお酒の売り場に少し置いてあるか、輸入物のペリエなどを見かける程度でした。列車の食堂では長らく提供されていたようで、業務用のものだったと思われますが、どんなブランドのものがあったのかなど、調べてみたくなります。
 昭和30年代の151系こだま型のビュッフェメニューではマンハッタンやマティーニといったカクテル類が提供されていますし、ハイボールも提供されています。これは新幹線開業後も変わらず、特に帝国ホテルの列車食堂では(実際どれくらいの注文があったかはわかりませんが)カクテルの種類もジンベースだったり、ウイスキーベースだったりとかなり増えています。日本食堂の東海道新幹線食堂車のメニューでは、ビールは一般的な淡色のものとギネススタウトと表記があるので、相変わらず黒いギネスも提供されていました。葡萄酒は国産のロゼが載っている程度です。お酒と言うと1970年代までは、ビール、日本酒、ウイスキーが占めていたということでしょう。青函トンネル開通後に登場した「北斗星」、「トワイライトエクスプレス」、「カシオペア」では、本格的なフランス料理のコース料理が提供されていましたので、当然葡萄酒も各種用意されました。この頃になりますと、ボージョレ・ヌーヴォー解禁が日本でもちょっとしたイベントになるなど、葡萄酒がなじみ深いものになっていました。そうそう、北斗星で提供されていた葡萄酒というのが一時期JR系列の鉄道グッズのお店で販売されていましたね。

 私は残念ながら車輛の現役時代に間に合いませんでしたが、サロンカーと言われたオシ16型のカウンターでお酒をいただき、そのまま寝台車で一夜を過ごしてみたかったものです。現在では各社がお酒を含め、食事を楽しめる観光列車を各種デビューさせており、そういった列車にも興味がありますが、やはり定期列車の食堂車というのは、日常とつながっているような非日常のような魅力があり、そこで食べたり、飲んだりすることが楽しいのです。

 本稿の執筆にあたっては「食堂車の明治・大正・昭和(かわぐち つとむ著 グランプリ出版)」、「RMライブラリー150 日本の食堂車」を参考にしました。

 
 
 

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令和最初の入間基地航空祭へ

2019年11月04日 | 飛行機・飛行機の模型
 昨年もこのブログでお伝えしていますが、今年も入間基地の航空祭に行ってきました。昨日は午前中は薄曇り、午後は完全に曇り空となり、晴天とはなりませんでしたが、基地の発表では12万5千人が来場したということです。
 入間航空祭のお目当てがYS11というのは、昨年も書いたところでありますが、昨日は百里基地から第501飛行隊のRF4Eが来ており、こちらもお目当てでした。

 いよいよファントムも見納め、さらには有人偵察も廃止が伝えられている昨今でありますが、入間に飛来したのはフィルムを模した帯を入れた特別塗装機でした。

 初代使用機のRF86FとRF4Eのシルエットが描かれています。
 百里基地の航空祭にはちょっとお邪魔できそうにないので、ここで見ることができて良かったです。入間の近くに所在する基地とはいえ、501飛行隊の機体は毎年入間に来るわけではないので、今年は「ラストクルーズ」ということなのでしょう。501飛行隊のことや百里基地のファントムのことは、古い写真や模型などの話もありますので、いずれまたこのブログで紹介したいと思います。
 
 入間ということでおなじみ、第402飛行隊・C1輸送機のフライトと第1空挺団のパラシュート降下です。



 午前中はどうしても逆光気味になるのですが、曇天ということもあり、飛行点検隊のYS11のフライトも比較的きれいに収められました。

 フライトをした151号機の地上での姿。

 もともとは151号機は人員輸送用のタイプでして、昔は青い帯を入れていました。
 飛行点検隊のYS11は、もう一機の160号機も地上展示されており、こちらは機体を囲むようにロープが張られ、360°全周を見ることができましたので、細部写真を撮るファンも見かけました(私もその一人)。これでハセガワ1/144のキットの資料集めができました。

 午後からはブルーインパルスの展示飛行でした。曇天ということもあってか、水平系の航過が中心となってしまいました。

 今年はT-4練習機のエンジン部品改修という思わぬアクシデントもあり、シーズン当初のいくつかのフライトもキャンセルされていましたので、こうして6機揃ってのフライトとなったことをまずは歓迎したいところです。

 昨日は早めに帰宅しようと思い、ブルーインパルスのフライトの後、すぐに基地を出ることにしました。帰り際に基地に帰るRF4Eのフライパスや、F15Jのフライパスが見えました。その後、てくてく歩いて狭山市駅に着いたところで松島基地のF2Bが飛んでいくのが見えました。
 入間航空祭は毎年11月3日開催ですので、売店ではそろそろ来年のカレンダーが販売される季節です。私も毎年ここでカレンダーを買って帰っています。入間航空祭と酉の市の広告を見ると、そろそろ一年の締めくくりが近いなあと思うのです。
 先日の台風被害もあって、入間基地でも災害派遣を実施していると基地のホームページにありました。埼玉県内もかなりの被害があったと聞いております。そんな大変な時期ではあるのですが、大きなイベントを滞りなく、支障なく運営された入間基地の皆様、関係者の皆様に深く感謝しつつ、記事の結びとしたいと思います。


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