ジェット機、橘花については数回に分けてこのブログでご紹介しましたが、橘花と同じように潜水艦で日本にもたらされた技術を元に作られた戦闘機がありました。それが秋水です。国産「ジェット機」とは異なりますが、橘花と同様私の祖父も関わっていたかもしれない機体ですので、ご紹介する次第です。
第二次大戦では高高度を高速で飛ぶ爆撃機も登場し「より速く、より高い高度へ」というのが迎撃側に求められるようになりました。ドイツではロケットエンジンを装備したメッサーシュミットMe163が登場、実戦配備されます。日本でもB29の迎撃ができる戦闘機が必要となり、それまでのレシプロエンジンの戦闘機では速度、高度ともに足らず、そんな中で高速のロケット機の開発に期待が寄せられたわけです。
橘花と同様、現物が日本に入ってきたわけではなく、潜水艦を降りて先に航空機で帰国した巌谷中佐が携えた資料から開発が始まりました。正式には昭和19年8月に三菱に対して試作発注が出されました。陸海軍の共同開発として量産の暁には陸海軍が共に配備する予定となっており、陸海軍がそれぞれ同じ機種を使用するというのも珍しいことでした。
まったく経験のない機種を開発するため、三菱を筆頭に関係する各メーカーとも相当な苦労があったのではと察します。無尾翼で後退翼ということも含め、まだ珍しいものでした。
動力はロケットエンジンですが、日本では「甲液」と呼ばれる過酸化水素80%とオキシキノリン20%の液体と「乙液」と呼ばれるメタノール57%、水化ヒドラジン30%、水13%の液体が燃料でした。これらを混合させ、ロケットエンジンを燃焼させてパワーを得るというものでした。甲液、乙液ともに人体には有害で、その保管方法なども細心の注意を払う必要がありました。乙液の「ヒドラジン」という言葉の響きが、いかにも毒劇物な感じがしまして、甲類と乙類とは訳が違います(こっちは焼酎でしたね)。これら燃料の開発も未知のもので困難を極め、国内の化学メーカーや研究機関の協力のもと、完成にこぎつけています。
橘花の組み立て、生産が米軍の攻撃で困難を極めたように、秋水も東南海地震や名古屋地区の大空襲など、試作機の完成に至るまでさまざまな困難がありました。それでも、昭和20年7月には初飛行にこぎつけました。試作機のシンボルである黄橙色に塗られた秋水は7月7日夕刻に犬塚豊彦大尉の手で海軍追浜基地を飛び立ちましたが、途中でエンジンが停止、基地に不時着を試みるも着陸に失敗し機体は大破、犬塚大尉は救出されたものの翌日亡くなりました。残念ながら初飛行は成功とは言えないまま終わりました。エンジン停止の原因ですが、初飛行ということで燃料を軽く積んだことが裏目に出て、深い角度で上昇するうちに燃料の供給がうまくできなくなったから、とも伝えられています。
その後、飛行試験が行われることはなく終戦を迎えます。秋水は試作、先行量産含めて数機が完成しており、米軍に接収されました。今でも少なくとも1機が米国内で静態保存されています。また、国内で戦後「発掘」された1機が復元され、三菱重工の手で保存されています。
さて、ロケットエンジンを積んだ航空機ですが、結局Me163が実用化された程度で、そのあとは続きませんでした。確かに高速で高高度に上昇できることは魅力ですが、飛行できる時間=空戦に持ち込める時間は短く、敵爆撃機がロケット機が飛んで来ないところを迂回して飛べば会敵できないわけですし、燃料が切れれば単なるグライダーとなってしまい、格好の獲物となってしまいます。結局、ロケット機は高速度や高高度といった試験に使われる機体(昨年このブログで紹介したX-1など)で採用されるにとどまりました。
日本ではほかに、ロケット機の範疇に含まれるものとして、固形燃料のロケットブースターを使った航空機がありました。特攻兵器として開発された「桜花」です。こういった兵器を開発するところまで日本は追い込まれていたわけですが、母機として使用した一式陸攻も含め、その多くが撃墜され、多くの命が失われています。桜花についてはジェットエンジン装備型など、派生型が計画されていたそうです。
また、秋水の開発が進むうちに高高度で行われていたB29の爆撃も我が物顔でさらに低い高度で行われるようになっていました。亡父は昭和20年5月の東京市街地に対する大空襲に遭い、家を失っておりますが、その時のB29のことを「焼夷弾を落とし、爆弾倉を開いたまま飛ぶB29は手を伸ばせば届くのではないかというくらい低い高度のものもいた。燃え盛る町の炎に照らされ、爆弾倉も、さらには機内についている灯りも見えた。ライフルがあれば撃ち落とせたのに、と思うほどだった」と証言しています。
さて、秋水に話を戻しますが、模型でも作りました。入手しやすいファインモールド1/48製品です。最近はプラ製のシートベルトも同梱されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ab/4ea40e3fd3379efe4726e6a05335ac67.jpg)
1990年代の製品ですが、丁寧に作ればこの独特な機体を簡単に再現できます。1/48でも手のひらサイズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/21/27b5e80e31e611e8957b771e9742caa3.jpg)
塗装は米軍に接収された一機とされるもので、胴体下面の一部を銀色にしている以外は、全面濃緑色です。キットには初飛行時を再現できるマーキングも入っていますし、実戦配備された架空の姿も(機関砲とデカールも含めて)再現できます。私も発売当初に黄橙色で作っています。
今回は比較用のメッサーシュミットMe163は作っておりませんが、大きさはオリジナルとあまり変わらず、そこがMe262と橘花とは異なるところです。
参考文献 「秋水」と日本陸海軍ジェット・ロケット機(モデルアート社)、ファインモールド1/48 秋水 説明書
第二次大戦では高高度を高速で飛ぶ爆撃機も登場し「より速く、より高い高度へ」というのが迎撃側に求められるようになりました。ドイツではロケットエンジンを装備したメッサーシュミットMe163が登場、実戦配備されます。日本でもB29の迎撃ができる戦闘機が必要となり、それまでのレシプロエンジンの戦闘機では速度、高度ともに足らず、そんな中で高速のロケット機の開発に期待が寄せられたわけです。
橘花と同様、現物が日本に入ってきたわけではなく、潜水艦を降りて先に航空機で帰国した巌谷中佐が携えた資料から開発が始まりました。正式には昭和19年8月に三菱に対して試作発注が出されました。陸海軍の共同開発として量産の暁には陸海軍が共に配備する予定となっており、陸海軍がそれぞれ同じ機種を使用するというのも珍しいことでした。
まったく経験のない機種を開発するため、三菱を筆頭に関係する各メーカーとも相当な苦労があったのではと察します。無尾翼で後退翼ということも含め、まだ珍しいものでした。
動力はロケットエンジンですが、日本では「甲液」と呼ばれる過酸化水素80%とオキシキノリン20%の液体と「乙液」と呼ばれるメタノール57%、水化ヒドラジン30%、水13%の液体が燃料でした。これらを混合させ、ロケットエンジンを燃焼させてパワーを得るというものでした。甲液、乙液ともに人体には有害で、その保管方法なども細心の注意を払う必要がありました。乙液の「ヒドラジン」という言葉の響きが、いかにも毒劇物な感じがしまして、甲類と乙類とは訳が違います(こっちは焼酎でしたね)。これら燃料の開発も未知のもので困難を極め、国内の化学メーカーや研究機関の協力のもと、完成にこぎつけています。
橘花の組み立て、生産が米軍の攻撃で困難を極めたように、秋水も東南海地震や名古屋地区の大空襲など、試作機の完成に至るまでさまざまな困難がありました。それでも、昭和20年7月には初飛行にこぎつけました。試作機のシンボルである黄橙色に塗られた秋水は7月7日夕刻に犬塚豊彦大尉の手で海軍追浜基地を飛び立ちましたが、途中でエンジンが停止、基地に不時着を試みるも着陸に失敗し機体は大破、犬塚大尉は救出されたものの翌日亡くなりました。残念ながら初飛行は成功とは言えないまま終わりました。エンジン停止の原因ですが、初飛行ということで燃料を軽く積んだことが裏目に出て、深い角度で上昇するうちに燃料の供給がうまくできなくなったから、とも伝えられています。
その後、飛行試験が行われることはなく終戦を迎えます。秋水は試作、先行量産含めて数機が完成しており、米軍に接収されました。今でも少なくとも1機が米国内で静態保存されています。また、国内で戦後「発掘」された1機が復元され、三菱重工の手で保存されています。
さて、ロケットエンジンを積んだ航空機ですが、結局Me163が実用化された程度で、そのあとは続きませんでした。確かに高速で高高度に上昇できることは魅力ですが、飛行できる時間=空戦に持ち込める時間は短く、敵爆撃機がロケット機が飛んで来ないところを迂回して飛べば会敵できないわけですし、燃料が切れれば単なるグライダーとなってしまい、格好の獲物となってしまいます。結局、ロケット機は高速度や高高度といった試験に使われる機体(昨年このブログで紹介したX-1など)で採用されるにとどまりました。
日本ではほかに、ロケット機の範疇に含まれるものとして、固形燃料のロケットブースターを使った航空機がありました。特攻兵器として開発された「桜花」です。こういった兵器を開発するところまで日本は追い込まれていたわけですが、母機として使用した一式陸攻も含め、その多くが撃墜され、多くの命が失われています。桜花についてはジェットエンジン装備型など、派生型が計画されていたそうです。
また、秋水の開発が進むうちに高高度で行われていたB29の爆撃も我が物顔でさらに低い高度で行われるようになっていました。亡父は昭和20年5月の東京市街地に対する大空襲に遭い、家を失っておりますが、その時のB29のことを「焼夷弾を落とし、爆弾倉を開いたまま飛ぶB29は手を伸ばせば届くのではないかというくらい低い高度のものもいた。燃え盛る町の炎に照らされ、爆弾倉も、さらには機内についている灯りも見えた。ライフルがあれば撃ち落とせたのに、と思うほどだった」と証言しています。
さて、秋水に話を戻しますが、模型でも作りました。入手しやすいファインモールド1/48製品です。最近はプラ製のシートベルトも同梱されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ab/4ea40e3fd3379efe4726e6a05335ac67.jpg)
1990年代の製品ですが、丁寧に作ればこの独特な機体を簡単に再現できます。1/48でも手のひらサイズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/21/27b5e80e31e611e8957b771e9742caa3.jpg)
塗装は米軍に接収された一機とされるもので、胴体下面の一部を銀色にしている以外は、全面濃緑色です。キットには初飛行時を再現できるマーキングも入っていますし、実戦配備された架空の姿も(機関砲とデカールも含めて)再現できます。私も発売当初に黄橙色で作っています。
今回は比較用のメッサーシュミットMe163は作っておりませんが、大きさはオリジナルとあまり変わらず、そこがMe262と橘花とは異なるところです。
参考文献 「秋水」と日本陸海軍ジェット・ロケット機(モデルアート社)、ファインモールド1/48 秋水 説明書