工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

こちらも久しぶりに・・・静浜基地に行ってきました

2023年05月30日 | 飛行機・飛行機の模型
 コロナ禍でさまざまなイベントが中止となり一時は趣味関係のお出かけもできないままでした。昨年あたりからイベントも復活している中、日曜日に航空自衛隊の静浜基地に行ってきました。「みなと祭」→「静浜基地」の流れは4年前の拙ブログと同じですが、今年は1週間開いています。静浜基地の航空祭は昨年から復活しているようですが、私は4年ぶりの訪問となりました。
 JRの焼津駅を降り立ちますと、既にバス待ちの列もできておりました。10分ほど待って乗車し、30分程度で基地に着きました。道も混んでおらず、バスの台数も十分でした。以前も書きましたが、こちらの基地はパイロットの初等教育のため、T-7練習機が使われている基地で、規模も小さなものです。飛来できる機種も限られているせいか、今年は外来機として展示されていたのは陸自のOH-1くらいでした。
 昨年もそうだったようですが、フライトは「ぎゅっ」と凝縮したように午前中にまとめて行われました。
 オープニングのT-7のフライト。

 静浜基地というと、この「とまれ」表示が印象的です。

 
 浜松救難隊からU-125とUH-60の救難展示です。ヘリコプターのフライトは迫力満点です。





救難用の固定翼機は古くはT-6、T-34そして私の世代ですとMU-2Sあたりが該当しますが、U-125の行う捜索とヘリコプターの誘導といった任務が無人機にとって代わられるという噂も聞こえています。

 同じく浜松から、T-4(左)とT-400の飛行。T-4は随分頑張って飛んでいました。



こちらはT-400です。なかなかフライトを観る機会がない機体でしたので、満足です。


 入間基地からC-2輸送機がやってきました。C-1を見慣れていたので大きく感じます。思わず「でけぇ」とつぶやいてしまいました。






 そして恒例、T-7の大編隊




 最後は飛行開発実験団、F-15とF-2の機動飛行です。特にF-2が頑張ってました。











 F-15Jです。初めて実機を見たのが中学生の時、ちょうど40年前でした。改修、近代化により「進化」もしていますが、約40年間主力というのはあらためて驚きです。








今回はフライトの写真を中心にお伝えしました。基地の様子などはまた次回に。










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東京港に「めずらしい船」を見に行く

2023年05月20日 | 船だって好き
 今から四年前のこと、このブログで「東京みなと祭」の記事を書いたことがありました。今週末は実に4年ぶりのリアル開催で、しかも場所を晴海ふ頭から船の科学館至近の「東京国際クルーズターミナル」に移してこのお祭りが開催されています。私も本日出かけてきました。ゆりかもめは途中まで相当な混雑でしたが、お台場海浜公園、台場を過ぎるとだいぶ空いてきました。今日は午前中があいにくの曇り空で、ときどき雨も落ちていました。
 この「東京みなと祭」ですが、これまでも「めずらしい船の展示」ということでさまざまな機関が保有する船の公開が行われています。今年は東京都港湾局の浚渫船「海竜」と海上自衛隊の試験艦「あすか」でした。「海竜」はこのイベントおなじみですが「あすか」の方は今まで乗艦したことがなく、私にとっても「めずらしい船」となりました。


 「あすか」は将来的に艦艇に装備する機器、武装をテストするための艦船で、同型艦のない1隻だけの船となります。固定武装がないため、前甲板は物足りなくも感じます。

(クルーズターミナル4階から撮影)

艦橋を後方から見たショット。

ヘリコプターの格納庫。他の艦艇とはつくりも含めて少々異なります。

(ブレてしまいましたが)魚雷の発射管があります。

主砲がないだけで、後は普通の護衛艦とは変わらないじゃないか、というところですが、舷側の通路は他の艦艇と比べても少し広めにとってあります。

上から見るということも少ないと思いますので、クルーズターミナル4階から撮った写真です。


「あすか」は試験艦という性質上、艦形を変えたりしながらの運用となっていて、今後もそれは変わらないようです。

こちらは「海竜」です。


ターミナルの2階では、商船などの民間船舶を中心とした模型の展示も行われていました。

(日本郵船の「新田丸」。のちの空母「沖鷹」)

(同じく「浅間丸」)

(貨客船「帝亜丸」。もともとはフランスの「アラミス」という船でしたが、日本の仏印進駐ののち、日本船として運行されました。「アラミス」の模型もありました)

(東京港ゆかりの船舶ということで、大島航路の「橘丸」)

(漁業に使われる船舶も。こちらは捕鯨船です)(5月21日追記。写真を間違えておりました。正しいものを掲載しました)

ということで久しぶりの船と港を楽しみました。ターミナル内では国、自治体等さまざまな機関がブースを出していて、お土産もずいぶんいただきました。お土産をたくさんいただいたというのは豚児も一緒だったから、というのもありますが。
海上自衛隊からはシールや缶バッジをいただきました。ありがとうございました。


みなと祭、21日も開催されます。
(5月21日に一部訂正しました。)


 

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ハートの問題・特別編 アツタ21型エンジンと彗星11型を探して

2023年05月19日 | 飛行機・飛行機の模型
 前回までに海軍の「彗星」艦爆の話を書いてまいりました。ダイムラーベンツDB601Aをライセンスしたアツタ21型エンジンと、それを搭載した彗星11型が修復の上、都内で展示されていることを知りました。そこは靖国神社に併設された遊就館です。模型を作る前のことしでしたが、2月のある日にここを訪れました。
 遊就館、入り口近くには零戦52型と

C56がいます。

このブログの読者の方なら説明の要は無いかもしれませんが、C56は多くが(実に90輌)タイやビルマ(ミャンマー)に送られました。このC56-31も泰緬鉄道の建設に従事した1輌だったそうで、開通式にも使われています。戦争で被災したC56も多かったようですが、生き残った車輌は戦後も現地の鉄道で活躍しました。この車輛を含む複数のC56が昭和54年にタイから返還されています。
 彗星は大展示室と呼ばれる部屋に展示されています。なかなか全景を収めるのが難しいです。なお、売店で売られているポストカードには、真横から撮ったものもあります。
 ということで細部の写真も含めて紹介します。私の拙い作例よりは、実機を見ていただく方が、この航空機を理解できると思います。




エンジン周辺


アツタ21型エンジン

風防後部の旋回機銃


主脚周辺


後方からの眺め


特攻兵器「桜花」、人間魚雷「回天」、97式中戦車もあります。

(回天)

(97式中戦車)

靖国神社についてはさまざまなご意見があるかと思いますし、私が発言することで気分を害される方もいらっしゃるかもしれませんので、多くは語りません。ただ、戦没された軍人、軍属の方の生前の言葉などが紹介されていたり、戦没プロ野球選手、オリンピック選手について触れ、その遺品などが展示されているコーナーがあり、胸を打ちます。

 彗星艦爆については、初めて知ったのがウォーターラインシリーズの日本海軍機のセットだったかと思います。零戦、97艦攻、99艦爆とともに入っています。もし、ミッドウェー海戦で空母がほとんど失われなかったら、やがて99艦爆に代わって彗星が載っていたかもしれません。模型の彗星も私の中の優先順位としては低かったのですが、同じエンジンをルーツに持つ機体の面白さから製作するに至りました。彗星については12型、33型についてもいずれ組んでみたいなあと思います。
(参考文献 「世界の傑作機」№69 海軍艦上爆撃機「彗星」(文林堂)、日本海軍機データベース2(モデルアート社))


 

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ハートの問題・特別編 アツタエンジンと艦上爆撃機・彗星 その2 

2023年05月17日 | 飛行機・飛行機の模型
前回は彗星11型とそのエンジンであるアツタ21型の話を書きましたが、アツタエンジンについては性能向上型も作られました。それがアツタ32型で、これを搭載したのが彗星12型でした。しかし、開発に難儀する中、飛燕の時と同様に機体は作られるもののエンジンが間に合わないといった事態が発生しています。愛知が既にDB600を通じて水冷・液冷エンジンを学んでいたことでアツタエンジンの取り回しについては習熟しており、陸軍の飛燕(とそのエンジンであるハ40)よりは稼働率が高かったものの、それでも不慣れな水冷エンジンは保守が難しかったこともあり、彗星も空冷エンジン(金星)が搭載されることになります。これが彗星33型以降のタイプとなります。
また、12型の中には後席に斜め銃を配したタイプも登場し、爆撃機ではなく戦闘機として使われた機体も登場します。
 だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、彗星11型の模型の話になります。キットについては1/48ですとファインモールドで製品化されております。私の「主戦場」は1/72ですので、このスケールで探してみました。1/72の彗星については古くはLS、入手しやすさという点ではフジミ、また最近ではAZモデルからもリリースされています。このうち11型としてリリースされているのはAZモデルのみです。

(箱絵は彗星の勇ましい活躍ぶりという感じです)
 AZモデルのキット、後発ゆえにディティールはしっかりしているのですが、イモ付け部分があったりと、やや組みにくいきらいがあります。11型と12型の外見上の相違はエンジンカウル上面の発電機のふくらみが12型にあるくらいですので、それを削れば11型になりそうです。ということで組みやすさを考慮してフジミの12型を加工して11型にしました。彗星のキット、発売当初はそれまでキット化に恵まれていなったこともあり、フジミの他の大戦機ともども人気がありました。
 そのフジミの彗星ですが、私が購入したものは二式艦偵、彗星12型、同戊型から選べるようになっていました。

(フジミの箱絵も空母のエレベーター上というのがいいですね)


(フジミの12型(中古品で売られていたもの)の箱絵より。風防の前、照準器の先のあたりに丸いふくらみがあるのが見えますか)

(エンジンカウルのパーツで赤丸で囲ったところを削ります)

 キャノピーを乗せてしまえば目立たないのですが、コクピット内は寂しい限りですし、シートの形も今一つです(これはフジミの大戦機によくあることですが)。また、後席の7.7mm機銃もオミットされていますし、着艦フックのパーツもありません。当然12型としてのマーキングしかないので、一部のパーツ、マーキングはAZモデルのそれらから調達しました。なんともったいない、と嘆いている方も多いでしょう。いろいろマイナス面も書きましたが、フジミのキット、それでも組みやすさのアドバンテージはあるかと思います。



かくして彗星11型の完成です。岩国の第634航空隊のマーキングにしています。出来上がった彗星を見ますと、スマートな機体は異彩を放ちますね。だいぶ前にやはりフジミの流星改を組んだことがありましたが、艦爆の割には、と言ってはなんですが彗星の方が見た目はコンパクトな感じがします。


飛燕(右側)との比較です。

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ハートの問題・特別編 アツタエンジンと艦上爆撃機・彗星

2023年05月15日 | 飛行機・飛行機の模型
 以前、同じダイムラーベンツDB601A形を使用する戦闘機について模型とともにご紹介した「ハートの問題」という記事を書いたことがありました。あの時は戦闘機だけ書きましたが、同じエンジンをルーツに持つ航空機が、日本海軍の艦上爆撃機、艦上偵察機として開発、運用されていました。それが「彗星」です。
 ドイツが1930年代にかけて再軍備を進める中で、開発した装備、動力などの性能の高さが各国から注目を集めるようになっていました。その中で、ダイムラーベンツが開発したDB600については日本にもその性能ぶりが伝わり、海軍/愛知時計電機(のちの愛知航空機・本稿では愛知と略)がライセンスを取得するほどでした。このエンジンを積んでいたのがHe118という爆撃機で、Ju87スツーカと争ったものの正式採用されなかった、いわば「じゃない方」の機体でした。この機体について日本は興味を持ち、陸海軍とも一機ずつ購入しています。
 海軍では既に愛知で開発中の11試艦爆(後の99式艦爆)の後継機を考えており、愛知もこれに応える形で当初はHe118を考えていたようですが、空母で運用するには大きすぎるという難点があり、この機体に積まれたダイムラーのエンジンを使った新しい艦爆の開発をスタートさせます。それが13試艦爆であり、当初はDB600を搭載して試作されました。そのエンジンであるDB600の発展型がDB601Aでした。DB600では燃料供給が気化器だったものがDB601Aでは筒内噴射となり、過給方式も歯車駆動の過給機から液体接手駆動による無段変速過給機になっていました。
一方で陸軍でも、DB600、DB601Aの優秀性に目をつけており、陸軍/川崎が戦闘機のエンジンとしてDB601Aの生産ライセンスを取得するに至ります。愛知と川崎の二社がダイムラーベンツにそれぞれライセンス料を支払うことになり、「日本のセクショナリズムの典型」と言われています。
 この「セクショナリズム云々」ですが、これは今の目から見ればそのように見えるだけで、これはある程度やむを得なかったのではないかとも思えます。まずもって陸軍と海軍はそれぞれ別個の省を名乗っており、当然それぞれに大臣もいるくらいで、それぞれが言ってみれば完全に独立した軍事組織でした。また、用兵上の違いもありますが、装備を共同開発するといったことは考えにくく、戦争末期に「橘花」に搭載するジェットエンジンの開発でようやく協力するようになりましたが、この頃ではまだ別々に動いていたという感があります。ライセンスの取得に関しても日本政府対ダイムラーベンツではなく、あくまでメーカー間で取り決めることと日本側が考えていたかもしれません。また、当初は川崎一社でDB601Aの国内生産を行う予定だったものの、生産能力の問題で愛知が海軍分のエンジン生産を受け持つことになったという説もあり、日本側の二つのメーカーがダイムラーベンツに対して筋を通した、という見方はできないでしょうか。
 DB601Aのライセンス取得は昭和14年だったそうで、欧州で戦端が開かれた年ではあるものの日本はまだドイツと致命的な同盟を組むには至っておりません。ドイツは「接近できる先進国」だったかもしれませんが、ドイツもそれ以前には中国大陸では国民党軍のためにⅠ号戦車を供与するなど、したたかな一面もありました。日本も対米ということでは和戦両面で動いていた頃です。この時期の日独関係を考えると、政府が主導してライセンス料をまとめて払うという考えは無かったのでは。とも思えます。
 この話だけでだいぶ長くなってしまいましたが、DB601Aは川崎ではハ40として、愛知では「アツタ」という名前がつけられ、ライセンス生産されます。
 当初はDB600エンジンを積んだ13試艦爆は昭和15年には初飛行を行います。DB600エンジンでは不具合もあり、やがてDB601Aを搭載してテストが続けられました。海軍から生産の内示があったのが昭和16年前半で、11月には100機程度の生産の指示があったといいます。こうして日本版DB601Aこと、アツタ21型を積んだ機体として彗星11型が誕生した、と言いたいところですが、この機体がスマートな水冷エンジン搭載機ということで思いのほか高速な機体であり、爆撃機としての採用より先に艦上偵察機として正式採用されます。それが二式艦上偵察機で、昭和17年のミッドウェー海戦で空母蒼龍に搭載されました(その蒼龍もミッドウェーで失われますが)。
 爆撃機としての彗星11型については、生産が昭和19年初頭まで続けられましたが、空母だけでなく基地航空隊でも多くが使用されました。彗星はその後、搭載エンジンによってタイプ分けが進みますが、それはまた後日書きましょう。
 模型の話まで書きたかったのですが、だいぶ長くなってしまいましたので、続きはまた。このテーマについては何回かに分けて書くことになりますので、参考文献等は連載の最後に記します。

(左)彗星11型 フジミ1/72の彗星12型を加工 (右)飛燕Ⅰ型丁 タミヤ1?72

アツタ21型エンジン・靖国神社遊就館で撮影



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