工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

一年の締めくくりに

2020年12月31日 | 日記
今年も本ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
初詣の帰りに黄色いディーノ246を見て、今年は新春から縁起がいい、なんて思っておりましたが、言うまでもなく大変な一年になりました。いま、このブログを書いているときも、たくさんの人がいつも以上に細心の注意を払って患者さんに寄り添い、社会を支えるために働いていることを思うと、感謝と尊敬の言葉以外見つかりません。
例年ならこの時間はカウントダウンのライブ会場にいるわけですが、今年はさすがに行われませんでした。ただし、別の形でライブは行われまして、その話は改めて記したいと思います。
久々に家で大晦日の夜を過ごしながら、来年は良い一年になることを祈っております。

さて、年末に沿線在住ベテランモデラー氏からこの車輌をいただきました。
カトーのヨ5000です。一年の締めくくりに、貨物列車の最後尾を締めてくれる車輌をいただいたわけです。ありがとうございます。こちらは軽加工の上、皆様にブログでお目にかけたいと思います。
では、皆様も良いお年をお迎えください。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それは、12月24日の夜空で起きた出来事

2020年12月24日 | 飛行機・飛行機の模型
 今日はクリスマスイブです。いつもとは様相が違うイブを過ごされている方も多いかと思いますが、せっかくですのでクリスマスイブに因んだ飛行機の小説をご紹介しましょう。
 フレデリック・フォーサイスの小説に「シェパード」という作品があります。1957年、イブの夜にドイツの基地からイギリスに戻る途中のバンパイア戦闘機が計器の故障から空の上で迷子になると、そこに第二次大戦で活躍したモスキート爆撃機が現れ、飛行場に誘導してくれるのですが・・・という小編で、結末を書くのは野暮というものですので、興味のある方は(残念ながら絶版のようですので)古本屋さんで探してください。シェパードというのは第二次大戦中に敵地への作戦行動後、傷ついた軍用機を基地に誘導する任務に当たった飛行機のことを指し、迷った羊を群れに返す牧羊犬(シェパード)になぞらえてこう呼ばれていたそうです。フォーサイスというとスパイ・スリラーや軍事アクションものの印象が強いのですが、こちらは毛色の違う作品となっています。作者はこの時代、ちょうどバンパイアが現役だった頃に英国空軍に在籍していたこともありますので、基地の光景など、なかなか細かく描写されています。
 我が家にも単座型のバンパイアがおりますので、本書と共にご紹介する次第です。

(角川文庫版の本書とサイバーホビー1/72 バンパイアFB5)


機体下面は銀色ですが、迷彩塗装のバンパイアについては銀色部分があまりギラギラしていない印象があります。銀に白を少量混ぜ、デカールを貼った後は軽くつや消しのクリアーを吹いて仕上げました。

 私ならこちらを主人公にするかもしれません。もっとも、迷子になるのはユーロファイター・タイフーンかもしれませんね。


 イブの夜ということで、今年もNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)がサンタクロースの追跡をしております。サンタも今年はマスク姿でした。マスクなしでプレゼントを届けられる日が来るとよいのですが・・・。
 クリスマスについては音楽でも、玩具道楽のジャンルでもご紹介できる内容がありますが、12月がなかなか忙しく、書くことが叶いませんでした。忙しいのはちょうどあるテーマで飛行機の模型を作っているというのもあって、こちらはいずれこのブログでご紹介したいと思います。 
 では、皆様もすてきなクリスマスをお過ごしください。 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飲むF1(駄)

2020年12月21日 | 日記
 先日、今シーズンのF1が最終戦を終えました。夏に開幕して予定より少ない17戦を主に欧州と一部の中東のサーキットを転戦して開催されました。今年は(どのプロスポーツがそうであるように)特異なシーズンでしたので、シーズンの振り返りなどもいずれこのブログで書きたいところですが、今日はそんなこととは全く違うゆるい話です。
 いつだったか、レイトンハウスというバブル時代に日本人オーナーによって運営されていたF1チームのことを調べていたときでした。レイトンハウスポッカというスポーツドリンクのことが出ていました。そういえば、飲み物とF1の関係ってどうなんだろう、というわけで、過去のスポンサーも含めていろいろ調べたことがあります。
 現在のF1シーンではなんといってもエナジードリンク大手のレッドブルが有名ですね。レッドブルはもともとザウバーチーム(現アルファロメオ)のスポンサーとして1990年代に参入しましたが、やがてジャガーを引き継ぐ形で2005年にコンストラクターとして今のレッドブルレーシングが生まれています。当初は他のチームのスポンサーとして参入して、後にコンストラクターとなったのは、アパレルのベネトンもそうでした。
 エナジードリンクとF1はレッドブルだけでなく、モンスターエナジーがメルセデスのスポンサーになっていますし、かつてはHYPEというブランドがアロウズチームのスポンサーになっていました。また、栄養ドリンクでは2006年になりますが「勝ちたいときにはエスカップ~♪」のCM曲でおなじみのエスカップのCMで、当時のマクラーレンチームのドライバーのライコネン、モントーヤの両選手を起用していました。今思うと熱いラテンの走りを見せたモントーヤと「アイスマン」ライコネンのコンビというのも対照的で面白いですね。
 レッドブルは今シーズン、一部のコンビニ限定ではありましたがチームの応援缶とも言えるような特別デザインのものを発売していました。

昨年、レッドブルホンダとして初優勝したマックス・フェルスタッペン選手の表彰台でのポーズをデザインに取り入れています。

ホンダのロゴを指さすこのシーンで彼のファンになった方もいるのでは。

応援グッズが当たるキャンペーンもしていましたので、グッズを入手されたという方もいらっしゃるでしょう。

そしてこちらはドライバーが飲料とコラボしたケースです。
先ほどのエスカップでも登場したキミ・ライコネン選手のあだ名「アイスマン」を冠したお酒がフィンランドにあります。
ライコネンは2007年チャンピオン、最多出走記録などの実績もありますが、ルックスだけでなく口数の少ないところや昔気質な一面も彼の魅力であり、多くのファンがいることは、モータースポーツ好きの方ならご存知のことでしょう。
彼の出身地、フィンランドには「オリジナルロングドリンク」というカクテルドリンクが昔から売られており、フィンランドでは「ロンケロ」の愛称で知られているようです。そんな有名な飲料に「アイスマンエディション」という名前が付けられ、日本でも販売されています。最近も成城石井で見かけました。

アイスマンエディションの文字

ライコネンのサインもプリントされている。

ジンとグレープフルーツ、ソーダというシンプルな味で、スミノフアイスとか、ZIMAといったカクテルドリンクをご存知の方なら、イメージしていただけると思います。
日本の様々な味の缶チューハイに慣れたうちの家人は「様子を見てみよう(ライコネンの口癖)」じゃなくて「うーん、なんか微妙」と申しておりましたが、私はむしろこういうシンプルな味が好きで、軽くお酒を飲みたいときにはこれで十分かなあと思います。
さて、ライコネン自身はお酒のエピソードに事欠かない人物であり、これくらいじゃ容易に酔っぱらわないとは思いますが、本人はどう思っているんでしょうか。まあ、聞いたところでいつだったかのレース中の無線のように「ほっといてくれよ」と言われるのがオチでしょうね。
お酒や飲み物とF1の関係、いずれもう少し真面目に書きたいと思います。さあ、寝酒に「ロンケロ」飲んで、おやすみなさい。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音速の世界を覗き見た者は・・・チャック・イェーガーとX-1

2020年12月14日 | 飛行機・飛行機の模型
 先日、人類初の水平飛行による音速突破を成功させたとされるチャールズ(チャック)・イェーガー氏が97歳で亡くなりました。宇宙開発を描いた小説、さらには映画化された「ライト・スタッフ」の登場人物として知っている方も多いでしょう。同氏の業績はあちこちで報じられており、このブログで改めて説明の要も無いかもしれませんが、偉大な記録を達成した同氏を偲んで、この記事を書いております。
 後述しますが、イェーガー大尉(当時)がベルX-1を駆っての音速突破は1947年のことです。それまでの経歴を見ますとイェーガーは第二次大戦に従軍しており、P-51で11.5機を撃墜した「エース」パイロットでもありました。第二次大戦をリアルに知る方が亡くなったということでもあり、先の大戦はますます「歴史」の一部になっていくようです。
 このように有名人でもありますのでこのP-51については各社がキットのマーキングに入れており、作った方もいらっしゃるでしょう。
 第二次大戦中からジェットエンジン、ロケットエンジンといった新しい動力の研究も進み、実戦にも投入されています。その中で、より速く、より高くといった要求も出てまいりまして、音速=音の壁を超えるということも目標となっていきました。しかし、この音の壁に近づくと操縦が困難になったり、時には機体が破壊されるといった事態に見舞われ、音の壁を超えた者は生きて還れないとも言われるようになりました。
 戦中からアメリカでは超音速機の開発をはじめていましたが、陸軍(のちに航空部門は空軍となりました)、NACA(アメリカ航空諮問委員会、のちのNASA)がベル社と組んで開発したのがXS-1という航空機でした。胴体は当時音速を超える存在として認知されていた12.7ミリ機銃弾の形を参考にしたと言われています。強度は実に18Gに耐えられるという代物で、後退翼ではなく直線翼を採用していたというのもこの時代を感じさせます(かのF-86も最初は直線翼でしたからね)。ドイツほど後退翼の研究が進んでおらず、優位性を考えていなかったことが分かります。
 このXS-1はジェットエンジンではなく、ロケットエンジンを積んでいました。一気に加速して短い時間飛行して音速を超えるための飛行機ですから、ロケットエンジンの方が好適だったのでしょう。さらにこの機体はB-29に吊り下げられて離陸し、上空から発進して飛行して着陸、という方法を取っていました。初の水平飛行による音速突破は1947(昭和22)年10月のことで、米国では陸軍航空隊が空軍として独立して間もない頃でした。音速突破は周到な準備もあったわけですが、意外にもあっさりと達成したと言われています。場所はカリフォルニア州のミューロック(マロック)乾湖上空でのことでした。余談になりますがミューロック乾湖は後にエドワーズ空軍基地と呼ばれるようになり、スペースシャトルの着陸地としても知られております。また、第二次大戦中はアメリカ軍がこの乾湖の上に日本海軍の重巡洋艦の原寸大木製標的(ミューロック丸)を設置しておりました。
 飛行機の話に戻りますが、XS-1は翌1948年にX-1と名称が変わり、こちらが後々まで続く実験機の系譜、X-PLANESの始祖となったわけです。X-15、X-29、最近ではX-35と、飛行機好きの方ならご存知かと思います。
 このX-1は有名な機体ですので模型でも製品化されており、私はタミヤ1/72のキットを組んでいます。キットの初版は1991(平成3)年で、当時は1/72エアークラフトシリーズという名称でした。1/48の大戦機や1/100のミニジェットシリーズの印象があったタミヤが、1/72でXの名前のつく機体をリリースしたのは唐突な感もあって意外でしたが、航空史に名を残す名機でもありまして、私もすぐに購入して組んだ記憶があります。というわけで組んでから30年近く経った模型ではありますが、どうかご笑覧ください。

キットをストレートに組んでオレンジ色に塗っただけで、ピトー管なども金属に置き換えていません。国籍マークも時間が経って色透けを起こしています。
胴体の片側が透明になっており、内部構造も再現されたモデルです。

酸素タンク、アルコール・水タンクが大半を占め、ロケットエンジンが意外に小さかったので驚きました。胴体前部の酸素タンクの中に重りを入れるようになっており、機体を手に持つと今もカタカタと音がしています。マーキングは音速突破時の機体以外にも、ラストフライト時、NACA仕様などの中から選べるようになっていました。このキット、現在ではタミヤのウォーバードコレクションに組み込まれており、入手可能です。この記事の多くも、当時のタミヤのキットの説明書の内容を元に書いております。例によって実機説明が詳細に書かれており、機体形状が銃弾を元にしていることや音速突破の前にイェーガーが落馬してろっ骨を折ったエピソードもこの説明で知りました(現在流通しているキットがどこまで詳しい説明かは定かではありません)。説明書を読み、模型を組むことで機体の構造とその背景を理解できるという、知的好奇心を満たしてくれる好キットです。



 チャック・イェーガーはX-1だけでなく、X-2,X-3,X-4など、初期のXのついた機体にも乗っているほか、宇宙パイロット養成ジェット機とでも言うべきNF-104であわやという事故にも遭っています。空軍軍人としてキャリアを全うし、年を取ってからF-15Dに搭乗したことでも話題になりました。
 そしてXのついた機体に次の世代のパイロットたちが搭乗することになります。例えば、ドイツのメッサーシュミットP.1101をベースに作られたX-5を駆ったうちの一人は、ニール・アームストロングでした。彼が月に立つのは、それから10数年後のことになります。これまでX-PLANESは有人・無人を含めてさまざまな機体が作られ、テストに供されています。自動車のプロトタイプよりもっと世に出る可能性の低いスタイルのものもあって、実用ではなくさまざまなデータを収集するためだけに作られた機体も多いわけですが、そういったデータが、明日の航空機の開発に役立てられています。X-1も音速を超えることと、それに伴うさまざまなデータを収集した実験機と言えるでしょう。現在では音速を超える機体は軍用機では当たり前になっていることを考えれば、それを最初に成し遂げたイェーガーとX-1の功績は、その機体のオレンジ色のようにずっと輝き、色あせるものではないでしょう。

(参考文献 「世界の傑作機SPECIAL EDITION3 Xの時代」(文林堂)、タミヤ1/72エアークラフトシリーズNo1 ベルX-1マッハバスター 説明書)
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スカイツリーのお膝元で明治・大正の遺産と出会う

2020年12月09日 | 鉄道・鉄道模型
 先日、仕事でスカイツリーの近くに行ってきました。

(あいにくの雨でツリーの上の方は雲に隠れています)
 仕事は順調に片付き、東武鉄道の「とうきょうスカイツリー駅」で電車を待っていると、こちらの駅のホームは古いレールをアーチ状に組んだ柱を使っていることに気づきました。

 電車が来るまで少し時間もありましたので、どんなレールが残っているか気になって調べてみましたら、こんなレールがありました。

CARNEGIE 1897 ET IIIIIIII TOBU と判読できます。ちょっと前の回でも紹介しましたアメリカのカーネギースチール、エドガートムソン工場で1897(明治30)年に製造されたもののようです。「TOBU」とはもちろん発注者の東武鉄道です。東武鉄道が明治32年に北千住・久喜間を開通させていますので、初代のレールの一部かもしれません。
 他にも、こんなレールがありました。

60-AS B.S.CO. STEELTON IIIIIIIII 1920  と判読できます。こちらもアメリカ、ベスレヘムスチールのスチールトン・1920(大正9)年製ですから、ちょうど100年前のレールです。書体がやはり同じベスレヘムスチールのメリーランドのものに似ています。
 電車を待つ時間にさっと調べてスマホのカメラに撮ったところで電車がやってまいりまして、そのまま職場に戻ったものですから「探査」はここまでとなりました。ただ、東武鉄道は西武鉄道と同様、古レールがまだ残されており、乗り換えや移動の合間についつい駅の柱を見てしまいます。
 とうきょうスカイツリー駅にカーネギー製のレールが柱として使われているというのは、同駅が業平橋と呼ばれていた頃から聞いておりましたが、ホーム上屋の柱を取り壊さず、こうして残していただいているのは、ファンとしてはとてもありがたい限りですし、かつてはターミナル駅でもあった旧業平橋に創業当時のレールがこうして今も残っているというのも、鉄道の歴史を伝えている感じがいたします。東武に関しては東向島に東武博物館もあり、明治時代にイギリスから輸入された蒸気機関車も展示されていますので、あわせて明治の遺産に触れてみるというのはいかがでしょうか。

 今日のおまけ。こちらは西武鉄道新井薬師前駅の柱に使われている古レールです。

ベルギーのS&M社 1925年製の60ポンドレールです。このS&Mというのが何の略かは分からないところが多く、鉄道ピクトリアル「レールの趣味的探究序説」ではサンプルモビールとありますが、Webサイト「古レールのページ」では製鉄所の詳しい沿革までは分からない、とありました。ベルギーにはサンブル川とモーセ川という川があり、ナミュールという街で合流しています。サンブル川流域が工業地帯ということで、何らかの関係があるのかもしれませんが、私の調べた限りでは、明確な答えはみつかりませんでした。なお、新井薬師前駅は地下化工事が行われており、完成の暁にはこの柱もなくなってしまうでしょうから、見てみたい、という方はお早めに。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする