工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

すこしまじめに、飲むF1 つづき

2021年08月27日 | 自動車、モータースポーツ
 前回はF1チームのスポンサーとお酒の関係について書きましたが、マクラーレンチームもホンダとジョイントしていた頃にシャンパンで有名な「モエ・エ・シャンドン」をスポンサーにしていました。かつてはマールボロ、ウエストといったタバコの広告が多かった同チームですが、タバコ広告全面禁止後は、ボーダフォン、それから前回触れたようにジョニーウォーカーと、様々な企業をスポンサーにつけています。

コクピットサイドにジョニーウォーカーの文字が見えます。2015年鈴鹿にて。

2016年鈴鹿にて。コクピットサイドに「CHANDON」の文字が見えます。

それからこちらは前回紹介できなかったフォース・インディアのマシン

カウルのNECの文字の右下に「KINGFISHER」の文字が見えます。2015年鈴鹿にて。上記の写真も含めて筆者撮影。

お酒以外にソフトドリンクもスポンサーとしてついている例を見かけます。最もインパクトがあったのが1991年シーズンのジョーダン191で、鮮やかな緑色に炭酸飲料の「7up」の文字が描かれていました。オーナーのエディ・ジョーダンのゆかりのあるアイルランドのナショナルカラーである緑色を前面にしたカラーリングですが、スポンサーも7up、富士フィルムと緑色つながりでした。デジカメ全盛で若い読者はご存じないかもしれないので補足しますが、その昔のフィルムカメラの時代、富士フィルムは緑色の箱でした。
 ところが日本グランプリでは7upが日本での知名度が低いため、ペプシコーラに代わっていました。確かに日本ではあまり見かけないですね。このマシンが走った翌年の春、私は卒業旅行でヨーロッパを旅したのですが、ローマでオムレツ入りパニーニをかじりながら7upを飲んだ記憶があります。

写真は筆者所蔵の「レトロF1」Tシャツより。

背中側はドライバーのカーNo.と名前が入っています。デ・チェザリスとガショーの二人分が発売されていましたが、私はデ・チェザリスにしました。模型はタミヤ1/20のキットですが、デカールはサードパーティーのものを使っています。このマシン、ミハエル・シューマッハのデビューマシンでもあります。
 ジョーダンチームは翌年は別のスポンサーを獲得してカラーリングががらりと変わってしまいました。カラーがよく変わるチームで、タバコの「ベンソン&ヘッジス」がついたときは金色に、DHLがスポンサーになったときは黄色となっていました。
 炭酸飲料と言いますと、何と言っても「巨人」コカ・コーラがありますが、個々のグランプリで冠スポンサーになることはあっても、どこかのチームのタイトルスポンサーになるようなことはありません。マクラーレンのスポンサーになったこともありましたが、目立たないくらいでした。
 炭酸飲料に限らず、コーヒーについてもスポンサーになっている例があります。かつてはコロンビア出身のドライバー、ロベルト・ゲレーロのマシンにコロンビアコーヒーの「Cafe de Colombia」がスポンサーとしてついていました。また、イタリアのコーヒーチェーン「セガフレード・ザネッティ」(以下「セガフレード」と略)も1984年のトールマン、1994年のウィリアムズ(いずれもセナつながりですね)のスポンサーとなっていました。また、前述のマクラーレンチームのスポンサーとなっていたこともあり、上の写真でもリアウイングのサイドにロゴが見えるのが分かりますでしょうか。
 セガフレードは都内をはじめ、あちこちにお店を展開していますが、以前にマクラーレンのパドックパスが当たる、などというキャンペーンもやっていました。もともとセガフレードのお店を愛用していたものですから、勇躍申し込みましたが、結局Tシャツをいただきました。


 私の記憶や興味だけでとりとめなく書いてしまいました。レッドブルやモンスターエナジーだけでない飲み物とF1の関係、いかがでしたか。そういえば1994年のラルースチームにビールの「クローネンブルグ」があったなあ、とか今頃思い出しています。紹介しきれていないものもあるかと思いますが、どうかご寛恕ください。
 マシンやチームとは異なりますが、お酒とF1の思い出を一つ。今ではハイネケンがF1の公式ビールのような扱いとなり、F1開催中はビールについてはどの売店でもほぼハイネケンの独占ですが、かつてはさまざまな銘柄のビールが売られていたものです。いつのときだったか、鈴鹿の日本グランプリにイギリスパブが店を出していました。英国GPが開催されるシルバーストーンの地ビールとともに、キドニーパイだったかをいただいた記憶があります。ときどきこういう美味しいものと出会えるのもまた、グランプリの魅力であります。
 ハイネケンについては、往年のチャンピオン、ジャッキー・スチュアートをキャラクターに「まだ運転しているから、私は飲まないんだ」という飲酒運転を禁止する洒落たCMを流していました。運転しない方も、お酒は何より適量です。朝から気勢を上げて大盛り上がりのヨーロッパのファンを見ますと、私などは太刀打ちできません。上記のような例外はありますが、私は飲まないことの方が多く、特に決勝の日曜日などはそのようにしています。金曜日からの疲れもたまっていますから、お酒を飲んでスタンドで居眠り、というわけにはいきませんからね。



 

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すこしまじめに、飲むF1

2021年08月25日 | 自動車、モータースポーツ
 春に始まったF1シーズンもちょっとの間、夏休みということで、各チームも後半戦に向けて英気を養っているところです。F1ではありませんが、先日開催されたル・マン24時間レースではトヨタの小林可夢偉選手組の7号車が優勝、可夢偉選手にとってはル・マン初制覇となりました。これまでいいところまで行きながら勝てなかったので、喜びもひとしおでしょう。ただ残念な話もあり、やはり、と言いますか今年のF1日本GPが中止となりました。来年こそは、と思うのですが・・・。
 さて、昨年のオフに「飲むF1」と題して拙ブログで思いつくまま記したのですが、今日はもう少しまじめに、飲み物とF1の関係を記していきたいと思います。
 その昔、F1のコンストラクター(チーム)の多くは、マシンの塗装もシンプルなもので1960年代までそれぞれ定められたナショナルカラーを身をまとっていました。スポンサーというと自身のチームに供給しているオイルやタイヤなどのメーカーなどで、車体の片隅にステッカーを貼る程度のささやかなものでした。やがてチームロータスがタバコメーカーのスポンサーを受け、車体にスポンサーカラーをまとうようになります。1968年のことでした。
 飲み物とF1の関係も意外に早く始まっています。1970年にはマルティーニ&ロッシ社(本稿ではマルティーニ社と略)がテクノというチームにスポンサーを開始しています。マルティーニ社は食前酒やスパークリングワインなどで知られるイタリアの酒造メーカーです。水色と赤のカラーリングが有名で、F1に限らず、ラリーなどにもスポンサーとして参画していましたので、ご覧になった方も多いでしょう。マルティーニ社というと有名なのが1970年代のブラバムチームとの関係で、三角断面モノコックのBT44の車体に映えておりました。また、1979年にはJPSタバコの代わりにロータスのスポンサーにもなっていました。
 しばらくF1とは縁がなかったマルティーニ社ですが、近年にはウィリアムズチームのスポンサーになっていました。

(写真は2016年・鈴鹿にて筆者撮影)
 お酒と自動車の運転となりますとどうしてもネガティブなイメージが強いこともあってか、酒造メーカーとF1チームのスポンサーシップはかつてのタバコ広告に比べると限定的に見えます。
 マルティーニ社ほど有名ではありませんが、かつてはビールの銘柄が車体を彩っていたこともありました。

かつて存在したアロウズチームは、1978年から1980年にかけてドイツのビール、ヴァルシュタイナーのスポンサーを受けておりました。
マシンの写真は1979年のマシン、アロウズA2で、かなり特徴的なスタイルです。ヴァルシュタイナーは世界的にも知られたブランドで、ウィンタースポーツではノルディックスキーのワールドカップなどで冠スポンサーを務めていたこともあり、ポイントリーダーが身につける「ゴールデンゼッケン」にもヴァルシュタイナーのマークが入っていました。

近所のスーパーで普通に売られていました。

黄金色が美しく、すっきりと美味しいビールです。
 なお、ブラジル初のF1チャンピオンとなったE.フィッティパルディが自身の名を冠したF1チームを持っておりましたが、1980年シーズンには「スコール」というブラジルのビールのブランドがスポンサーとなっていました。こちらの「スコール」という言葉はスウェーデン語で乾杯の合図に使われる言葉ということで、かつて伊豆急がサントリーと組んで走らせていた食堂車「スコールカー」と語源は同じようです。
 ビールのメーカーのスポンサーというのはここまで大きなものではありませんでしたが、前述のウィリアムズチームが、1990年代にラバット(カナダ)、フォスターズ(豪州)のスポンサーを受けておりました。ビールメーカーというとインドの「キングフィッシャー」も2000年代のフォース・インディア(現レーシングポイント)のスポンサーでした。
 ウィリアムズチームはアルコール飲料関連のスポンサーが多く、1990年代半ばにはドイツの葡萄酒のブランド「BLACK TOWER」もマシンのノーズに描かれていました。黒い独特の形の瓶で知られる銘柄です。
 お酒のスポンサーではイタリアの弱小(失礼)チームだったコローニで、おそらくポルトガル人ドライバーがいたからでしょうが、こちらも独特な形の瓶でおなじみのマテウス社がスポンサーになっていました。
 2000年代に入ってからはジョニーウォーカーがマクラーレンのスポンサーになったことも話題になりました。タバコ広告の禁止でスポンサーマネーを確保するためにもう一つの嗜好品であるお酒に目が行ったのもうなづけます。しかし、近年では中近東のイスラム教国でF1が開催されることが増え、写真を掲載したウィリアムズチームのマシンもマルティーニ社のロゴを消し、塗装も少し手直して出走していました。表彰台ではシャンパンの代わりにローズウォーターが撒かれるくらいですから、スポンサーとしての参画は難しさもあるように思います。
 お酒の話でだいぶ使ってしまいました。この話の続き、もう少し書きたいことがありますので、またお目にかけたいと思います。
 





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ノスタルジック鉄道コレクションで遊んでみました

2021年08月24日 | 鉄道・鉄道模型
 ノスタルジック鉄道コレクション、発売前からこれは楽しみ・・・、と当ブログでも書いておりましたが、発売後はなかなか好評らしく、模型店でもすぐに見かけなくなりました。私も予約して購入したり、バラ売りで売っているお店でみつけたりで、いろいろ楽しんでみました、というのが本日のお題です。動力車に関してはキワ90タイプと自由型のDB20で遊んでみました。

まずは製品をそのまま動力化したキワ90の二色塗装です。このカラーリング、個人的には気に入ってます。細かいところは異なりますし、より精密な製品となるとワールド工芸の製品となりましょうが、国鉄でも一、二を争う異色の車輌が(雰囲気を味わうことができる程度に)簡単に入手できるとは、いい世の中になったものです。
 私はこれで満足するわけではありません。せっかくキワ90があるので、もう一輌のぶどう色2号の製品をこんな風に塗り替えてみました。

自衛隊のキワ90です。自衛隊と鉄道、と言いますと戦後編成された第101建設隊という「戦後版」鉄道聯隊がありました。第101建設隊は有事や災害時の輸送、大規模ストなどに伴う輸送手段の確保といった任務のために作られました。SLの9600や貨車などを保有していましたが、昭和41年に解隊しています。史実ではなくなってしまいましたが、災害時や演習の移動手段としてSLではなくDLを装備するなど「動力近代化」を果たし、引き続き自前で貨車なども保有する「鉄道輸送隊」として存続していたら・・・という設定でNゲージの車輌を塗り替えたりしています。他の車輌からご紹介するはずだったのですが、キワ90を今日のところはご紹介しましょう。オリーブドラブに塗られたキワ90、おそらくは国鉄から払い下げられ、訓練用や貨車を数輌運ぶ程度の任務に就いていた、という設定です。

車掌車は昨年暮れに沿線在住ベテランモデラー氏からいただいたものです。その節はありがとうございました。車掌車のデッキには隊員を立たせました。なお、キワや車掌車についている桜のマークですが、戦車からトラック、オートバイに至るまで陸上自衛隊の車輌に必ずついているものです。こちらは「らんでぃんぐ・ぎあ」というメーカーから出ているデカールを使いました。キワですが、戦闘用の車輌でもないので、他のトラック等の車輌と同様にオリーブドラブ一色です。迷彩塗装にするとかえって嘘くさく見えてしまうのではないかと思い、一色にしました。自由型の車輌というのは、ありそうなifを狙わないと虚構の色が濃くなってしまいますので、難しいところです。そうは言っても調子に乗ってこんな積み荷や

こんな積み荷も運んでいます(おいおい)。


続いてDB20です。こちらはモデルとなった津軽鉄道のDC20という機関車がいるわけですが、あくまでもフリーランスの車輌ですので、あれこれ遊んでみることにしました。

こちらは拙ブログでも何度かご紹介した「緑南交通」という架空の鉄道の機関車です。今日ではミモザの花をイメージした鮮やかな黄色、緑、白の車体になっていますが、かつてはこんな落ち着いた色をしていました、という設定です。薄い緑色はMr.カラー127番・コクピット色(中島系)を吹き付け、市販の黄色いデカールを裾に巻きました。このコクピット色(中島系)ですが、独特のくすんだ黄緑のような色になりますので、ちょっとレトロな感じを出したい時などにどうでしょうか。

客車は製品のままです。ちなみに今回のシリーズの動力ユニットですが、平坦線で二軸貨車4輌程度をけん引できる能力がありました。

こちらも完全に架空の姿ですが、海上自衛隊仕様でも作りました。

Mr.カラーのミッドナイトブルーで車体を塗り、桜と錨のマークを貼り、スカート部は黒く塗った後、黄色の帯デカールを貼り、ゼブラ模様にして警戒色としました。
実際に海上自衛隊では、呉で小型のディーゼル機関車を運用していましたが、こちらも既に引退しています。本来ならオリーブドラブ一色でもおかしくないのですが、ここは自分の好みでミッドナイトブルーにしました。この機関車、どこかの基地で入れ替えをやっている感じでしょうか。貨車の方も桜と錨のマークにした架空のものです。

桜と錨のマークも、前述の「らんでぃんぐ・ぎあ」製です。

 もう一つお目にかけるのはこちらです。

南の島の専用線で働く機関車のイメージです。トロピカルな塗り分けにして、屋根上のライトも電車のキットの残りから持ってきました。ウェザリングを施すことでくたびれた感じを出しています。

島で獲れた果物や醸造したビールを貨車に詰め込み、島で唯一の飛行場に運びます。米軍おさがりのC-46がこれらを積み込んで、重いエンジン音と共に島を飛び立っていくのを眺めるとしましょう。

まだこんな塗装の車輌もいます。何に、どこで使われているのでしょうか。

続きはだいぶ先になりますが、後ろに従える車輌も決まりましたら、またご紹介しましょう。

令和3年8月26日に一部修正しました。









 



 
 

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時局迎合モデリング!? フルアクションモデル ミライトワ・ソメイティを作る

2021年08月14日 | 日記
 お盆休みになったと思ったら、東京も雨続きで随分と涼しくなりました。この雨ですが、日本各地(世界のあちこちでも)で大雨の被害が報告されており、心が痛みます。
 さて、東京五輪が閉幕して一週間が経ち、まもなくパラリンピックが始まります。そんな折に五輪、パラ五輪のマスコットキャラクターのプラモデルを作りました、というのが今日のテーマです。
 昨年夏の当初の開幕時期に合わせて、マスコットキャラクターのミライトワ、ソメイティのプラモデルが発売されました。私も昨夏に買い、そのままにしてあったのですが、ちょうど五輪の期間中にミライトワを、閉幕してからソメイティのプラモデルを作ってみました。


それぞれのキットの箱です。ミライトワ、ソメイティともに顔や手のパーツを変えて動きや表情を楽しむことができます。

間違っても以前の橘花のキットのように「ベテランモデラーまたはコレクター向き」の製品ではなく、工具不要、接着剤不要、塗装不要という説明がついています。ちなみに発売元はバンダイスピリッツです。
パーツ構成はこのような感じで、それぞれの色に分けられてモールドされています。

 スナップタイトのキットですし、手でもいで組み立てられます、とはありますが、そこはモデラーですから、白のランナーの部品は白をあらかじめ吹き付け、色のついたパーツは半光沢のクリアーをあらかじめ吹き付け、それぞれの部品はニッパーでランナーから切り離して組み立てました。
 組み立てに関しては説明書に沿って進めていけばよいので、それほど苦労は感じません。フルアクションのキットを組むのが本当に久しぶりですので、脚の組み立てなどで少々戸惑うところはありましたが、それでも組み立てだけなら40分程度で済ませられました。動きを楽しむという本来の目的を重視して継ぎ目消しなどはせず、素組みしています。
 ミライトワ、ソメイティとも頭のおでこのところにエンブレムをシールで貼るようになっていますが、球体にシールを上手に貼るのはコツがいります。なるべくしわが寄らないように貼っていくことになりますが、カッターで軽く切り込みを入れておくとか、各自工夫をしてください。お子さんが組み立てる場合は、ここは大人の方のお手伝いが必要かもしれません。
 ミライトワは出来上がるとこんな感じです。一応自立もできますが、背中を支えるパーツと台座がついています。

 旗について旗竿を銀色に、先端の球の部分は金色に塗っています。
 サッカーボールを蹴ったり、

 ハードルを越えたりできます。

 ちなみにサッカーボールも白と黒のパーツを組み合わせて作るようになっており、組み合わせて球体にするあたりはなかなか面白いです。
 次はソメイティです。こちらもミライトワと基本的な組み立ては変わりませんが、車椅子のパーツも入っています。そのまま組んでも十分ですが、色を塗ってみました。タイヤを赤色に、ホイールのスポークをメタリックレッドに、座面を赤にしたほか、他の部分も銀や黒で塗り分けました。実際、ソメイティが乗っているフェンシングや車いすラグビーの車いすのイラストを見ると、タイヤが赤くなっております。
 ソメイティは桜の形の耳でテレパシーを送ったり、マントを使って空を飛べたり、風や石と対話できたり、見たものを念力で動かす能力を持つ、という設定で、瞬間移動だけが特技のミライトワよりも能力高そうです。それぞれのキャラクターが青とピンクという色のため、誤解しがちですが、ミライトワ、ソメイティともに性別の設定はありません。

ミライトワ同様、旗竿を銀に、先端を金に塗り分けました。ソメイティについてはミライトワに比べて足が小さいので自立は難しく、台座のお世話になります。

 ソメイティには卓球のラケットを持たせることもできます。作例ではラケットのラバー以外の部分はMr.カラー44番タンに塗り、ラバー部分もシールにせず、赤と黒に塗り分けています。
 顔のパーツについては取り換えて楽しむこともできるのですが、結構ぴったりはまってしまいますので、かえって取り外しが大変になると思い、そのままとしました。
 そんなわけでいつも作っている模型とは別の模型を楽しませていただきました。こうした模型を楽しまれている方なら普通の経験でしょうが、私からしたら新鮮な経験も随分ありました。色の違うパーツを組み合わせて瞳の部分を作るというもなかなか巧みにできているなあ、と思いました。このキットについてはお子さんでも作れるように簡単にしているということもありましょうが、ここからいきなり1/72の飛行機のキットに飛び込んだら、それはそれで難しく感じるのではないかと思いました。最近の飛行機のキットの中には組みやすさを重視したものもみられますが、胴体左右の合わせ目をゴリゴリ、ペタペタしたりというのは、やはり経験がある程度求められますからね。また、カーモデルなどでも塗装済みになっているものがありますが、残念ながら元のキットが組みにくいままだったりしますと「なんだかスケールモデルって難しい」と思われてしまうでしょう。出来上がったミライトワ、ソメイティを見ながら、自分とプラモデルの関りも含めて、いろいろと考えておりました。




 

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ありがとう、安藤正容さん 「安藤正容 Farewell Tour T-SQUARE Music Festival」

2021年08月11日 | ときどき音楽
 T-SQUARE(本稿ではスクエアと略)のリーダー、安藤正容さんが2月にバンドからの「引退」を発表しましたが、その「さよなら公演」が東京五輪の熱狂のさなかの8月7日に渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)で開催され、私も行ってきました。余談ですが昔の渋谷公会堂は昭和39年の東京五輪で重量挙げの競技に使用されていました。あの「渋公」の面影はありませんが、きれいなホールに生まれ変わっておりました。
 ライブは三部構成となっており、第一部はスクエア結成当初のメンバーだった仙波清彦師匠率いるセンバシックスのライブでした。メンバーにはやはり元キーボーディストの久米大作さんや、安藤さんの盟友でもある是方博邦さんも含まれており、みなさんベテランミュージシャンということもあって引き出しが多く、変幻自在だけれども破綻がない楽曲、演奏でした。
 第二部からはいよいよスクエアの登場です。THE SQUARE Reunionということで、1987(昭和62)年の「TRUTH」のメンバーによる演奏は4月のブルーノートのライブと同じですが、その間に和泉宏隆さんが急逝されていますので、今回は和泉さんが残された名曲を演奏するという内容になりました。
 一曲目の「宝島」は和泉さんのソロ音源から始まり、バンドの音が続いていくという構成になっており、安藤さんのギターによるイントロもスクエアのリーダーのライブとしてはラストですから、二重に感慨深く、涙腺が緩んでしまいました。
 他にも「TWILIGHT IN UPPER WEST」や「OMENS OF LOVE」など、代表的な曲の演奏もあり、これらの名曲を聴きながら和泉さんのことを想い、さらには安藤さんと伊東さんのユニゾンを目と耳に焼き付けました。
 第三部から現メンバーによる演奏となり、今年発表のアルバムを中心としたライブとなりました。今年は東京公演がなく、代わりに横浜公演が開催されましたので、東京で今年の曲を聴きたいというファンの気持ちに応える形になりました。
 ライブの最後は出演したメンバー全員による「JAPANESE SOUL BROTHERS」と「TRUTH」の演奏で幕となりました。
 ライブそのものはセンバシックスの登場など、普段のツアーと違う遊び心があったりで、そんなところが以前よく開催されていた夏場の日比谷野外音楽堂の公演に近く、言われなければ「引退公演」とはとても思えないところではあります。デビュー当時からの足跡をたどるライブですと、〇〇周年といった場で昔の曲から演奏されていますし、それよりはあえて「今」を伝えたかったのかもしれません。ということで、もっと名残惜しくてウェットなライブになるかと思っていましたが、そんなことはなく、またどこかで会いましょう、という言葉が社交辞令ではなく聞こえるような感じがいたしました。私自身、初めてスクエアのライブを観たのが27年前の「渋公」で、そのあとも幾度か「渋公」でのスクエアのライブを観ておりましたので、そんな昔のことも思い出しながら家路についたころに、五輪の野球の終盤戦と金メダルを見届けました。
 これは余談ですが、今回のライブは着席のままでしたので、立ち上がる、踊る、叫ぶといったこともできないわけで、じっとしていると暑がりの私でもどこか空調が寒く感じられました。トイレを我慢しつつのライブになったのと、終演後にはトイレはすべて閉鎖、ということで、会場を後にしてからトイレを探す羽目になりました。
 この「引退公演」に合わせてメンバー(元メンバー含む)自選のベスト盤+4月に和泉さんがスクエアとして最後に仕事をされたブルーノート東京でのライブのDVDの入ったCD-BOXも発売されましたし、メディア等のインタビューに安藤さんのお名前が出るようになりました。インタビューでは昔のメンバーの話なども聞くことができ、時には衝突もありながらここまで到達した、ということがうかがえる内容もありました。どんな仕事でもそうでしょうが、仲良しクラブではいい仕事は生まれないし、進歩も改善もない、と個人的には思っておりまして、スクエアもさまざまな葛藤を経てここまで成功を収めることができたのかなと思っています。
 かくして安藤さんはスクエアを離れたわけですが、また何らかの形でスクエアのライブに参加される日もあるでしょう。ひとまずは、今までお疲れさまでした、本当にありがとうございました、と申し上げたいと思います。既に10月には「新体制」のスクエアが始動するようですから、こちらも楽しみです。ギターはどうなるのでしょうか。ライブやアルバムによって代えたりするのもありなのかな、と思ったりもします。

CD+DVDボックスと1997年ツアーのグッズだったギターピック。CDの方は今までCD化が無かったソニー・ウォークマンのCM曲などが初収録されています。ギターはまともに弾けませんがかっこつけてピックだけは持っています(おいおい)。

不要不急の外出はせず、私は音楽三昧といたします。


 
 

 
 
 

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