工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

下田信夫さんの画集

2019年07月31日 | 飛行機・飛行機の模型
 Nobさんの愛称で親しまれたイラストレーターの下田信夫さんが亡くなられて1年と少し経ちました。丸くデフォルメされた航空機のイラストで知られ、雑誌・書籍だけでなく、近年ではプラモデルのキットの箱絵や航空自衛隊の部隊のパッチ(フライトスーツなどに付けるワッペン)のデザインなども手掛けられていました。私が下田信夫さんの名前を知ったのは1980年代初頭のことで、今はなき月刊誌「航空ジャーナル」誌の一コマ漫画などを通してでした。後に模型誌等でも活躍され、近年ではときどき購入するスケールアヴィエーション誌でイラストを拝見しておりました。
 この一年で遺作ともいうべき作品集や雑誌の連載をまとめたものが出版されております。遅くなりましたが、今日はその中から私が買った書籍をご紹介します。
 「スケールアヴィエーション」での連載をまとめたのが「Nobさんの航空縮尺イラストグラフィティ」(レシプロ編、ジェット編 いずれも大日本絵画)です。こちらは同名の連載記事を再構成したものですが、それ以外にも他誌の読み物等が再録されています。連載記事の方はご存知の方も多いと思いますが、1ページ上半分に毎月1機種ずつ主に軍用機のイラストが描かれ、下半分に実機の説明がされています。丸くデフォルメされてはいますが、実機のパネルラインや細部の特徴的な部分などは省略せずに細かく描かれていますので、誰が見ても「あっ、あの飛行機だ」と分かるわけです。
 私は下田信夫さんのトレードマークである「一コマ」イラストだけでなく、読み物の挿絵も好きでした。デフォルメはされていますが各機体の特徴はしっかりとらえていましたので、文章とともに想像力をかきたてられ、素晴らしい効果を与えていたように思います。以前、航空ジャーナル社から下田信夫さんをフィーチャーした「飛行機王国Nobランド」という増刊号が出版されており、ここでも読み物と挿絵を通してフェアリー・ソードフィッシュの活躍を知ったり、アメリカの「空の冒険野郎」たちの逸話を知ることができました。
 「遺作集」として出版されたのが「球形の音速機(廣済堂出版)」です。こちらは下田信夫さんの没後、仕事場に遺された原画からセレクトした作品をそのまま掲載したもので、ほぼ1ページに1枚ずつ、さまざまな航空機が掲載されています。軍用機だけでなく、初期のレシプロ機、戦後の旅客機なども随分描かれています。
 また、本書の巻末には「航空ジャーナル」誌の編集後記に添えられた1コマ漫画も再録されています。こちらは当時の世相を切り取ったものや、少々ブラックな内容のものもあり、10代で駆け出しの飛行機ファンだった私にはすぐに漫画の意味が分からないものもありました。本書に再録されるにあたって、それぞれの「種明かし」もされていますので、あの時意味をいろいろ考えた私にも答えがプレゼントされた感じです。
 「航空ジャーナル」誌は、「航空情報」、「航空ファン」といった雑誌よりも後発でしたが、それゆえに若さやエネルギーが誌面からあふれていました。また、雑誌の名前のとおりジャーナリスティックな内容も持ち合わせていましたが、そんな中で下田信夫さんのイラストがスパイスになっていたり、息抜きにもなっていたことを思い出しました。「球形の音速機」でも当時のスタッフの方々が寄稿されており、雑誌編集やイラストの舞台裏も知ることができました。

 下田信夫さんはネット環境などは持たず、携帯電話も持たない、という方で、連載に必要な資料などは「覚書」と記されたノートに、どの書籍に対象となる機体の写真が載っているかなどを細かくメモされ、それを元にイラストを描かれていたそうですし、海外の航空博物館を訪れた際にはイラストを描くために使うのか、細部写真を数多く撮られていたそうです。私などは模型作りで分からないことがあるとついつい横に置いたスマホで調べて必要な情報だけ手に入れようとしてしまいがちですが、どの雑誌に何が、というのは自分で調べて記録(記憶)しないと分からないものでもあり、それだけ自分の目と頭を使うわけですから、情報の収集と活用という意味ではこういった時間と手間のかけ方も大いに意味のあることと気づかされた次第です。

 丸くデフォルメされたイラストが下田信夫さんのトレードマークではありますが、デフォルメしていない飛行機の絵も時には描かれており、とても美しいものばかりです。「飛行機王国Nobランド」のご本人のインタビューによれば、デッサンを学ぶために学校にも通われていた、とありました。丸い機体も実は正確なデッサンから生まれているものであり、だからこそデフォルメしても破綻が生じないのかなと思いました。デフォルメされていない機体のイラストを後年見かけることはほとんど無かったかと思いますが、1980年代の航空ジャーナル誌の別冊などで、めずらしい「デフォルメなしの」航空機のイラストなどを見ることができます。
 絵の才能の無いわたくしは、今日もNobさんの美しいイラストを眺めながらため息をつき、イラストと同じく味わい深いお酒をいただくくこととしましょう。


SWEET製・96式艦上戦闘機のキットとシーキング(海上自衛隊)のキットの箱絵。キットも箱絵もgood!


私の好きなイラストの一つ。模型誌「レプリカ」の表紙と、デフォルメされていない航空機のイラストを表紙デザインにした航空ジャーナル別冊「ザ・チャレンジャー」。10代の頃、後者を通じて「リノ・エアレース」やダリル・グリーネマイヤーと彼の自作のF104の事を知りました。



 

 



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トヨタ博物館へ行ってきました

2019年07月20日 | 自動車、モータースポーツ
 先日のライブの記事で名古屋の公演を見に行った、ということを書きましたが、愛知県に向かった理由がもう一つありまして、長久手のトヨタ博物館にも行ってきました。私もこれまで何度か足を運んでおり、今回は模型を作ろうと思っているある自動車の細部を写真に収めたかったのと、4月にオープンした「クルマ文化資料室」を見るための訪問となりました。
 このクルマ文化資料室ですが、その名の通り「移動は文化」というコンセプトのもと、自動車に関わる様々な文物を展示しています。
 まず、展示室を横断するように、自動車(の原型)が生まれた18世紀中ごろから今日までの世界の乗用車を1/43の模型で展示してあるガラスケースが目を引きます。日米欧の代表的な車種を並べただけでも相当なボリュームで、形の変化も含めて乗用車の歴史を俯瞰できます。
 印刷物の展示も充実しています。ポスター、カタログはもちろんのこと、日本に関するところでは錦絵なども展示してあります。自動車雑誌も世界最古と言われるイギリスの「THE AUTOCAR」をはじめ、東西を問わず様々な雑誌が展示してあります。戦前の日本の自動車雑誌もあり、いろいろな種類のものが出版されていたのが意外でした。戦後の実車のカタログもあらためて見ていくと各社の個性があって興味深いです。
 実車にまつわる展示で目を引いたのがカーバッジのコレクションでした。カーバッジは自動車のフロントグリルなどを彩るメーカーやブランドの証でありますが、欧米のさまざまなメーカーのものが展示されています。あまりにも有名なメーカー、ブランドのものもありましたが、初めて目にするものの方が多かったです。凝った意匠のものもありましたが、中には数年で消えてしまったメーカーもあり、こういったメーカーがどのような自動車を世に送り出し、なぜ消えてしまったのか、ちょっと調べてみたくなりました。
 以前にも展示されていたので見たことがありましたが、ルネ・ラリックのガラスのカーマスコットも展示されています。こういったマスコットはお金持ちのオーナーがボンネットなどにこぞって取り付けており、日本でも高級車に取り付けていたオーナーもいたそうですが、ガラス製ということで破損が怖く、主に駐車しているときと出発、到着間際の時だけ取り付けていた、というエピソードを読んだことがあります。
 実車関連では他にも各国のライセンスプレートも展示されていました。EU圏内のようにデザインがある程度固定されているものもありますが、形、色など世界各国でさまざまなものが定められています。中のアルファベット(日本を含めたアジアの国々のように漢字やそれぞれの国の文字を使っている場合もあります)、数字などにはそれぞれ意味があります。このあたりは世界各国のお国柄が垣間見えるので楽しいですね。
 玩具や模型の展示もなかなか充実しております。戦後日本の輸出産業としてブリキの玩具は有名でしたし、トミカをはじめ子供から大人向けまでミニカーも多数作られており、さまざまな製品が展示されています。ラジコンやスロットカーといった動く玩具もあります。また、プラモデルについても中京地区のメーカーということで今はなきLSのキットが多数展示されていました。自動車の模型は市販されているものとは別に実車のディーラー向けとして作られているものも多く、これからも様々なミニチュアが作られていくことでしょう。
 他には世界各国の自動車・交通にまつわる切手のコレクション、自動車をテーマにしたり、自動車が歌詞の中に登場する小説、レコードなどが展示されています。切手に関しては交通安全をテーマにしたものもありました。小説、レコードなどはこれからも展示が充実されていくのではと思います。
 じっくり見たら何時間でもいられるような展示室ですが、それぞれの分野だけでも相当なコレクションですので、分野ごとに特別展などが開催されたら面白いのでは、と期待しております。
 今回はトヨタ博物館に長居しましたので、リニア・鉄道館までは見ることができませんでした。愛知県内をはじめ中京地区には陸・海・空で様々な博物館がありますので、これからも訪れる機会がありましたら、ブログでご紹介したいと思います。

 
 
 




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鉄道ファン700号

2019年07月15日 | 鉄道・鉄道模型
 先月発売の月刊誌「鉄道ファン」が700号を迎えました。おめでとうございます。
 個人的にはは200号の前後からのおつきあいですので、あれから随分経ったのだなあと思うわけですが、いつもより厚く、珍しく外国型のSLを表紙にした200号を手にしたときのことは今でも鮮明に覚えています。
 鉄道ファン誌そのものは600号と前後して創刊50周年を迎え、そのときの特集号の方が大がかりになりましたが、今号では「鉄道デザインの100年」を特集として取り上げています。実際には「流線型時代」の1930年代からですので、約90年間とはなりますが、日本をはじめ、日本に影響を与えた欧米のデザインも含め、鉄道デザインの歴史が概観できる特集となっています。
 日本の場合、国鉄、私鉄問わず戦後の技術の進歩も含めて、デザイン的にもエポックメーキングになる車輛も生まれており、もちろんそのあたりのことにも誌面では触れられています。内部、外部のデザイナーの存在、デザイン決定の過程などにも触れていますので、車輛がどうデザインされてきたか、ということを知る一助になるでしょう。もちろん、一つ一つの形式を詳しく解説するとなるとスペースも足りないでしょうから、詳しく知りたければ個々の形式について触れた過去の特集記事や、他誌の増刊号などを見てください、ということになるのでしょう。
 戦後の日本の鉄道技術者たちがお手本にした、ということもあるとは思いますが、ヨーロッパの車輛デザインについてもページが割かれています。私が子供の頃は、西ドイツ、フランス、スイスを筆頭に、イタリア、スペインも含め西ヨーロッパの車輛はデザインに個性があり、色使いも美しく、あこがれでした。このあたりの車輛も改めて紹介されており、懐かしく読みました。
 ただし、日本の場合は欧州一辺倒だったわけではなく、車輛内部についてはリクライニングシートつきの二等車(特ロ)のように、アメリカの指示や影響を受けたものもありました。時には色使いなども、アメリカの影響があったようです。敗戦による影響とはいえ、こういった外発的な影響を時に受けながら、そしてそれまでの国内で培われた技術や経験の積み重ねを経て、デザインが発達してきたのです。
 そもそも日本の場合は地理的にも西欧から発した文化、文明がシルクロードを経て到達するだけでなく、太平洋の西の端ということもあってアメリカ的なものも否応なく入ってきます。そういう意味では外から入ったものと日本国内にそれまでにあるものと融合し、新しいものを生み出す土壌があるようにも思えます。国鉄改革後、一部旅客会社が外部デザイナーを積極的に登用するようになったり、技術面でも海外のものが取り入れられるようになっています。また、日本の車輛やシステムが海外に輸出されるなど、日本と海外の垣根がなくなりつつある時代でもあります。これから、日本の鉄道デザインがどう変化し、また世界にどう影響を与えるのか、楽しみではあります。個人的にはJR貨物の機関車をジウジアーロやピニンファリーナがデザインしたら面白いだろうな(イタリアに実際にありますが)と思うのですが。また、今回の特集ではどうしても車輛の外装部分のデザインが主となりましたが、車輛の内装、駅、小物に至るまで、他にも特集になりそうな「デザインの歴史」がありますので、今後の誌面に期待したいと思います。

 さて、特集とは別に100号ごとの区切りに合わせて今号でも700にちなんだ車輛の紹介が行われています。なんといっても東海道新幹線の700系、N700系という今の日本を代表する車輛がありますが、幅を広げて700番台の車輛と言うとED75-700番台が私のお気に入りです。またジョイフルトレインの客車などにも700番台が割り当てられていましたね。そして、路面電車では神戸市電の700形という路面電車に詳しくない私でも知っている名車があります。こうやって改めて名車やそれだけでない車輛も含めて再発見できるのが100号ごとのお楽しみでもあります。

 





 

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T-SQUARE CONCERT TOUR 2019

2019年07月08日 | ときどき音楽
 東京は毎日雨が続いています。この季節は工作(特に塗装)も滞りがちで、私の工作台にも塗装を待ったままの模型があります。次の週末はせめて雨が止んでいれば、と思います。

 そんな季節ですが、私は毎年恒例のT-SQUAREのコンサートに行ってきました。毎年春から夏にかけてアルバムの発売、コンサートツアーという流れなのですが、今年は大きな出来事がありました。キーボードの河野啓三さんが病に倒れ、アルバム制作も危ぶまれる事態でした。河野さんは単にキーボード奏者としてでなく、バンドの中で司令塔、音楽監督といった呼ばれ方もしていましたので、アルバムは?ツアーは?とファンは大きな心配と不安をいだいておりました。
 そんな中、アルバムの方はロスでレコーディングが決まっており、その矢先に河野さんが倒れたのですが、幸い現地のミュージシャン、フィリップ・セスさんがキーボードで参加、ツアーも白井アキトさん、佐藤雄大さんが入れ替わりで参加され、バンド結成以来の危機を乗り切る形となりました。
 フィリップ・セスさんはかつてT-SQUAREの日比谷野外音楽堂での公演にゲストとして参加されており、助っ人というにはあまりに大きな存在ですが、アルバム「HORIZEN」の制作においてもアドバイスやアイデアをかなり出されていたようで、今年のアルバムは、いつもと少しテイストが違った感じもいたします。
 
 コンサートツアーですが、私は名古屋と東京の二か所に行ってきました。名古屋に関してはコンサート以外の目的もありましたが、それについては機会があればまた触れたいと思います。名古屋の会場となったZepp NAGOYAと東京の中野サンプラザでは会場の大きさも違いますので、名古屋の小さな会場らしい一体感、東京では大きな会場らしい盛り上がりとステージ全体から聞こえてくる音楽というように、それぞれの会場なりの楽しみもあります。名古屋では白井さん、東京では佐藤さんということで、キーボード二人の演奏も聞き分けることができました。二人とも実績のある演奏者ですので、助っ人という感じではなく、それぞれアドリブで任せるところは任せ、時にはサックスの伊東たけしさんとの掛け合いもありということで、これもライブならではの楽しいところです。ライブに至るまでは様々なご苦労もあったかとは思いますが、楽しいライブでした。ありがとうございます。
 まだツアーもあり、9月21日(41年前にアルバムデビューした日ですね)に東京で公演が残っていますので、ネタバレになる話は書けませんが、久しぶりに聴く曲や、意外にも初めてライブで演奏、という曲もありました。
 また、11月にはアルバム制作に参加したフィリップ・セスさんが来日、T-SQUAREとの共演が決まりましたし、12月恒例の年末&カウントダウンコンサートも発表されました。下半期も楽しみは続きます。

 さて、今年発売のアルバム「HORIZEN」やツアーTシャツ、缶バッジにはT-SQUAREαというロゴが入っています。これについて特段の説明もありませんが、これはきっと「いつもと違うスクエアなんだよ」という意味が込められているのでしょう。河野さんは現在リハビリ中ということですが、同世代の一人として、お見舞い申し上げる次第です。時間はかかってもいずれ元気な姿を見せてくださることを願っています。 


 


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このたびは、おめでとうございます

2019年07月06日 | 自動車、モータースポーツ
 すでに一般紙も含め様々なメディアで報道されておりますが、先ごろ開催されたF1オーストリアGPで、マックス・フェルスタッペン選手のドライブするレッドブル・ホンダのマシンが優勝し、ホンダにとっては復帰後の初勝利となりました。フェルスタッペン選手、レッドブルチームの皆様、もちろんホンダの関係者の皆様、このたぴはおめでとうございます。
 このレース、テレビ等でご覧になった方はご存知かと思いますが、最初から最後まで手に汗握る展開で、少しも飽きさせませんでした。性能差が時に大きく開いてしまうF1では、展開が読めない、ハラハラドキドキのレースと言うのはシーズン中頻繁にあるわけではないのですが、今回のレースがまさにそれにあたりました。レース展開をここで逐一書くのも野暮ですから、詳しくは速報誌なり、映像なりをご覧になっていただくとして、困難、苦労、バトルの末に勝った、というのが感動をより大きくしているのだと思います。
 私自身は長年のフェラーリ・ファンですので、ルクレール選手の初優勝間近、というところでフェルスタッペン選手と接触しながら抜かれてしまったシーンは何とも悔しいところですし、この接触が審議の対象となり、優勝が「確定」したのは少し時間を置いてからと、少々後味も悪いものでした。このところフェラーリにとっては審議に絡んで悔しい結果が続いていますし、審議の結果にはファンの皆様もご意見がたくさんありましょうが、今回に関しては若武者同士がコース上で力と力をぶつけ合って、先にゴールした選手に優勝する権利があった、ということなのだと思います。余談にはなりますが、近年のF1ではこうした「審議対象」をよく見かけます。F1ブームの頃からテレビでレース、ドライバーを見ていた身としては、例えば1990年前後のドライバーの走りなどは、当時からぶつけたり、寄せたり、壊したりしていた人たちはもちろん、紳士的な走りと言われたあの人まで今なら審議対象になるだろうな、などと思ってしまいます。
 そして今回優勝を逃したルクレール選手、これは初優勝への産みの苦しみなのだと思います。きっとこれからのグランプリを率いていく一人になるでしょうから、近いうちに表彰台の真ん中に立っているのではと思います。初優勝まで足踏みした後、当たり前のように表彰台の中央に立つようになったドライバーは何人もいます。
 
 それから、ホンダのパワーユニット、優勝できて一レースファンの私も正直なところほっとしています。F1の関係者(他チームも含めて)が、ホンダに祝福の声を寄せていたのが印象的でした。今のターボハイブリッドではエンジン音もだいぶ違いますが、みんなホンダ・ミュージックと呼ばれたエンジンを愛していたのでしょう。そのホンダも1980年代の第二期参戦時に圧倒的な強さを誇っていた際に不調のフェラーリが復調の兆しを見せたときには、フェラーリが強くなってくれて嬉しいし、フェラーリが強くなるとグランプリが華やかになる、といったコメントを当時の「エンジン監督」だった桜井淑敏氏が述べています(海老沢泰久著「F1走る魂」より)。このあたりのライバル関係というのは独特で、F1ならではのものです。
 個人的なことにはなりますが、自分の本業に関係して訪問した中小企業の中に、第二期、第三期のホンダの参戦の際に、F1エンジンなどの部品を製造していた、というところがいくつかありました。町工場と呼ぶには失礼な、それなりの規模のところばかりでしたが、今回の参戦にあたっても、こうした企業のサポートがあるのかもしれませんね。

 今回のレースに話を戻しますが、若武者二人のバトルの方に目が行き、チャンピオン経験者二人(ハミルトン、ベッテルの両選手)のバトルがかすんでしまうほどでした。この二人にとっては満足な週末とは言えなかったでしょうが、1ポイントでも多く獲得するために激しい攻防を演じていました。若いドライバー達の活躍を見ると、この二人がもうベテランの域にあるのだなあと思うわけですが、これからも若者には簡単に負けないレースをまた見せてくれることを期待したいです。
  
 今日の記事を書くために過去の資料なども参照していたのですが、フェルスタッペン選手の父君であるヨス・フェルスタッペン氏もF1に参戦経験があり、現役当時の写真を偶然見つけてちょっと懐かしくなりました。今では子息のレースに帯同し、中継でもカメラによく映っているお父さんは優勝こそなかったものの表彰台に乗ったことのあるドライバーでした。お父さんの話も書こうと思いましたが、そろそろ皆様が退屈になってしまうと思いますので、またの機会といたしましょう。
 
 

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