工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

T-SQUARE αの門出

2021年10月27日 | ときどき音楽
 本ブログでたびたびご紹介しているポップ・インストゥルメンタルバンドのT-SQUAREですが、リーダーの安藤正容さんの「引退」でT-SQUAREα(アルファ)として活動を続けることになりました。本稿ではスクエアと略しますが、その新生スクエアの最初のライブが、10月23日、24日の両日に2ステージずつ開催され、私も24日の最初のステージを観てきました。

(会場はブルーノート東京)
 現在のスクエアは伊東たけし(サックス、Ewi)、坂東慧(ドラム)の両名で構成され、他のパートをサポートメンバーが担当するという形をとっています。
 23日と24日ではサポートメンバーも少し異なり、私が見た24日は田中晋吾(ベース)、白井アキト(キーボード)というこのところのライブでおなじみの顔ぶれだったのですが、肝心のギターには両日とも若手の奏者であるYUMA HARA(原ゆうま)が参加しました。
 YUMA HARAさんの名前はこれまで私も存じ上げていなかったのですが、祖父はビッグバンド・シャープス&フラッツを率いた故・原信夫氏ということで、私もよくテレビなどで拝見していました。ちなみにスクエアの90年代のサックス奏者だった本田雅人さんも一時期「シャープス&フラッツ」に在籍しており、何かの縁を感じます。
 さて、ライブですが、24日の二回目は配信等も行われたほか、既に公式にセットリストも公開されております。一曲目にスクエアのデビューアルバムの一曲目である「A FEEL DEEP INSIDE」を持ってきたのは驚きとともに嬉しくなりました。これは「新生スクエアのデビューなんだぞ」という決意のようなものを感じました。つい最近の曲が中心になるのかなあ、と勝手に予想していたのですが、この日は全般に懐かしい曲や、今までライブでなかなか演奏されなかった曲も発掘しており、大満足なライブでした。坂東さんがどうしても演奏したい、と言っていたものの安藤さんに断られていたという経緯のある「SENTIMENTAL REASON」は私も好きな曲なのでライブで聴くことができて嬉しかったです。安藤さんが演奏を断っていたというのは曲のタイトルとおり何か理由があったのかと知りたくなりますね。ちなみに伊東さんも初めて演奏する、ということで当時のサックス、Ewi奏者だった本田雅人さんに連絡を取って話をしたそうです。他にも故・和泉宏隆さんの名バラード「FORGOTTEN SAGA」では涙腺が緩み、おなじみの「明日への扉」、「TRUTH」にアンコールの「ALL ABOUT YOU」で盛り上がって終演となりました。
 そしてYUMA HARAさんの演奏もとても素晴らしく、伊東さん曰く「メンバー、スタッフだけでなく、お局様のような古いファンにもちゃんとご挨拶するんだぞ」ということでしたが、その古いファンのわたくしもこの日は近くで拝見いたしましたが大満足で、予定されている年末ライブも楽しみになってきました。ベテランのギタリストでしたらその人らしい味付けや「抜け感」だったり、「遊び」が随所に入るのかもしれませんが、若さとパワー溢れるプレイが、特に昔の曲に新しい風を吹き込んでいたように感じました。前日のライブはベーシストも若い森光奏太さん、キーボードは佐藤雄大さんということで、お客さんの方も「どんな音が出てくるのだろう」と緊張気味だったとのことですが、24日はステージ上も、そして私たち観客も楽しく盛り上がることができました。名曲を作り続けてきた安藤さんをはじめとして歴代メンバーに大変な感謝をしつつ、今後これらの曲も含めて演奏を続けていくであろう、T-SQUAREαの皆様に幸あれ♪ということで、本稿の結びとしたいと思います。

(今回もオリジナルのカクテルで乾杯です)

終演後、撮影許可があって撮影したものです。左からYUMA HARAさん、白井アキトさん、伊東たけしさん、坂東慧さん、田中晋吾さんの5人です。
伊東さんは「この日のために」サックスを新調したとのこと。リズムセクションの坂東さん、田中さんの二人はもう16年にわたってコンビを組んでおり、時の流れを感じます。


 

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セーシュンのグランプリには無限エンジンがあった

2021年10月19日 | 自動車、モータースポーツ
 こんなタイトルですと私がグランプリを転戦していたか、無限の関係者のように思われてしまいますがそうではなく、私が社会人になってから30歳になるまでの日々というのが、無限エンジンがF1に参戦していた時期と重なっておりまして、テレビ桟敷ならぬテレビパドックや、サーキットの現地観戦で無限エンジンを見ておりました。
 最近発売となった三栄のGPCar StoryのSpecialEditionとして、無限のF1エンジンの時代が特集されております。無限は説明の必要もありませんが、ホンダの創業者・故本田宗一郎氏の子息、本田博俊氏によって創業され、F1には1992(平成4)年に参入、2000(平成12)年までフットワーク、ロータス、リジェ→ブロスト、ジョーダンといった主に中堅チームにエンジンを供給していました。
 本書の巻頭では本田博俊氏と無限を引き継いだ現・M-TECの橋本朋幸社長の対談が掲載されており、無限がF1エンジンを作ることになったいきさつや、ホンダ本社の技術者と無限の関係なども語られています。無限としては当初はフォード・コスワースのようなエンジンを作りたかったというのは初めて聞きました。このフォード・コスワースですが、ご存じの方も多いとは思いますが1960年代後半から1970年代を通してグランプリを席巻しておりました。コンパクトで安価なV8エンジンで大量に市販されたこともあり、特にイギリス系のさまざまなチーム(ロータス、マクラーレン、ティレルなど)で使われ、幾度もタイトルを獲得しています。同じエンジンを各チームが使っていたため、マシンデザイン、とりわけ空力面で差別化を図っていたのもこの時期でした。参戦費用がいたずらに高騰するF1で、昔のようにエンジンを販売することで収益とし、いろいろなコンストラクターと共にF1に参戦しようとした無限の考えは悪くなかったのですが、グランプリそのものの変容もあったのか、結局はホンダの第二期参戦の後を継ぐようにグランプリにやってきた、という感がありました。また、無限がレース用エンジンの開発を行うにあたり、父・本田宗一郎からの物心両面での支援もあったようですし、無限の社屋にはホンダの労働環境に起因する形でホンダの技術者たちが夜になると訪れ、自らの業務に携わっていたと聞きます。そこから無限のF1エンジン開発にも関係していく人たちもいたということで、どちらもコンプライアンスだ守秘義務だなんだと言われる今の目で見ればいろいろ言われそうですが、それが許される時代だったということでしょう。
 本書ではエンジニア、ドライバーのインタビューももちろん、技術的な解析記事もあります。当初はホンダのV10エンジンをベースにしていましたが、無限として独自に開発、改良を続けて1996年モナコでの初勝利、さらには1998、1999年シーズンでの飛躍にもつながっていきます。参入初年度はホンダの最終年度でしたが、その後はエンジンに関してはルノー、フェラーリ、メルセデス、フォードといった巨大メーカーがしのぎを削る場になっていきます。その中で規模の決して大きいとは言えない、純粋な「レース屋集団」の無限が4勝を挙げている、というのは大きなことだと思います。
それゆえにホンダの第三期活動が始まる際に「無限があれだけ勝てているのだからホンダ本体が参戦したら楽勝だろう」という考えがホンダ側にあり、無限が蓄積したものがうまく引き継がれなかったというのは、残念でなりません(それだではない理由もあって、ホンダは第三期に苦労することになります)。ホンダ第三期の活動に関してはさまざまな要因や力が働いたようで、現在でも言葉を濁す関係者もいますので、まだ語るには生々しいのでしょう。
 また、本書ではブリヂストンのF1参戦の際に無限が果たした役割についても記事がありました。ブリヂストンのF1参入の前年、1996(平成8)年に偶然鈴鹿サーキットでブリヂストンが実際のマシン(リジェ・無限)にタイヤを履かせて、鈴木亜久里のドライブでテストをしているのを見たことがあります。そのときには戦えるタイヤを作ってきたことがタイムからも分かりましたが、それ以前にも古いティレルのマシンを使って開発を行っていたことは知りませんでした。特に1989(平成元)年から1994(平成6)年までは無限との共同研究、という色が強かったようです。
 かくして、ややほろ苦い形で無限の戦いは終わり、2000年代は自動車メーカーのぶつかり合いとなりましたし、予算もレース数も膨張する現在のF1ではとても小規模なエンジン屋さんが入るのは難しそうです。あの時代を思い起こすと、無限のエンジンが勝つとサーキットにちょっと熱くて、でもさわやかな風が吹く、そんな気持ちになったのを覚えています。かなわぬ願いかもしれませんし、ちょっと昔への郷愁や感傷かもしれませんが、そんな熱くてさわやかな風が吹く瞬間を、また見てみたいものです。

無限に初優勝をもたらしたリジェのマシン(デアゴスティーニのF1マシンコレクションより)。濡れた路面に足を取られて本命が相次いで脱落する中、勝利を手繰り寄せるレースを見せたオリビエ・パニスは、まさしくあのグランプリの主役でした。


ブリヂストンがテストに使ったリジェのマシン。無限のロゴがノーズに見えます。



 

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青山一丁目の伝説を観に行く つづき

2021年10月15日 | 自動車、モータースポーツ
 青山にありますホンダのウェルカムプラザで、これまでチャンピオンとなったホンダエンジン搭載のF1マシンなどが展示されているという話は、先日の拙ブログでお伝えしていますが、本来なら今月10日に決勝が行われるはずだった日本GPのトロフィーなどが期間限定で展示されております。うまい具合に時間ができましたので、私ももう一度青山一丁目に出向き、見てまいりました。
こちらがそのトロフィーとなります。

日本的な繊細な柄の球体となっています。説明によれば「麻の葉」柄だそうです。

基部はエンジンのピストンの形をイメージしています。

説明書きによれば経年変化が起きにくい素材を選び「所有したくなるデザイン」を目指したそうです。

優勝トロフィーというのは国によってさまざまで、サーキットのコースレイアウトをかたどったものや、昔のモナコのようにシンプルな「優勝杯」もありました。トロフィーではなくシャーレ(皿状)もあります。この鈴鹿の幻のトロフィーは他の国にはない秀逸なデザインです。

レッドブルのマシンが展示されている天井には、日本GPの代替として開催されたトルコGPでのレッドブルチームの「日の丸カラー」のパネルもありました。




パネルの展示などもトルコGPの「日の丸カラー」に因んだものがありました。




今回の展示は18日(月曜日)までです。土日は整理券配布となっていますのでご注意ください。

 

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タンク車で遊ぶ

2021年10月14日 | 鉄道・鉄道模型
 今日は(みなさまがこの記事をご覧になるころには日付が変わっていますが)鉄道記念日ということで、そんな日に職場の近くでEast-iを偶然目撃していい気分になっておりました。ドクターイエローを見たのはこれまで一回だけ、East-iの前身の925形を見たのはひと夏新幹線の上野駅でバイトしていたときでも一度きりでした。
 先日「米タン」の車輌を本ブログで紹介しましたが、今回はその続きです。「米タン」のタキ3000ですが、私が購入したのはさまざまな標記がにぎやかな初期塗装で、こちらをもう少し増備しようと思いまして、完成品のナンバーを変えてみました。もともと市販の黒いタキ3000を米軍仕様(後期の数字のみの姿)に変えられるよう、別売りデカールなども出ておりまして、私もそれを買ってみました。
 コンテナやピギーバッグのトラックのデカールでお世話になったR-工房から米タン用デカールが出ています。米軍の番号、タキ3000の車番、燃料の表示などが多数入っております。米軍の番号である70000番台の数字については初期塗装も後の塗装も大きさ的には変わりません。製品の数字の部分と国鉄の番号の部分をマスキングの上、塗り替えました。工作とは言えないレベルですが、初期塗装には米軍番号の上下に細い白線がありますので、それにかからないようマスキングしていきます。「USA」の文字が否応なく目に入ってきますので、DA PUMPのあの曲がループしていました(汗)。
 黒く塗ったあと、デカール貼りをして完成です。タンク体妻面にも米軍ナンバーがありますが、こちらは小さすぎてしまい、貼り換え等をあきらめました。

今回は4輌を加工、もともとある製品と含めて6輌仕立てになります。

いつもの山坂道、ではなくて情景シートに出してみました。牽引するのは凸型車体のEF13です。戦争が生んだ車輌の一つです。


 お次は架空の鉄道、架空の車輌です。
 私の手元にカトーのタキ3000、トミックスのタキ6000が相次いでやってきました。そもそもタキ6000という形式があったのかも含め、模型も突っ込みどころがあるのですが、黒いタキ6000は以前のキワ90などのデカールでご紹介した「らんでぃんぐ・ぎあ」製の海上自衛隊等の表記をタンクに貼りました。


 さらにもう一輌、銀色のタム6000もありました。こちらは梯子の一部が折れていたり、ややくたびれた姿です。ノスタルジック鉄道コレクションでもご紹介した南の島の専用線に似合いそうな姿にしてみました。ここでは色を白系(Mr.カラーの69番・グランプリホワイト)の色に塗り替え、レーシングカー用のデカールに入っていた昔のシェルのヘラルドを貼り、自作の「ISLAND OIL」のデカールを貼っています。はしごはプラストラクトのプラ材で再現しました。最後に全体に軽く汚しをかけています。

 さて、あと一輌、中古のタキ3000もやってきました。タキ3000については本来黒一色であり、他の色は見当たりません。それでもカトーさんは銀色だけでなく黄色、白など他の色の製品もリリースしていました。
 こちらも銀色のタンク体をグランプリホワイトに塗り、タキ6000と同様、デカールを貼り、軽くウェザリングをかけて完成です。

こうしてみるとやはりタキ3000は大きく、小さな機関車では文字通り荷が重いようにも感じます。ただし、このサイズより大きな機関車となりますとDD13などのサイズとなってしまい、この鉄道には大きすぎるようで、適切な大きさのものがなかなか見つからないようです。








 


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金曜日・午後3時30分

2021年10月13日 | 自動車、モータースポーツ
 鈴鹿サーキットで開催される予定でしたF1日本GPが今年も中止になりました。ファンの一部は鈴鹿に集まったり、今季限りの撤退が伝えられるホンダの叶わなかった「鈴鹿ラストラン」の代わりに、同日に代替開催されたトルコGPのためにレッドブルチームが日の丸カラーでレースに臨んだりと、話題の多い週末となりました。
 以前もご紹介しましたが、F1マシンの模型なども(下手なりに)作る私ですが、今日はマシンが出てこないF1の情景を模型で作りました、という話です。と言いましてもこちらを作ったのは15年位前のことで、最近レストアをしております。

 全景はこんな感じです。1/150、1/160の人形、自動車を使っています。というわけで以前ご紹介した日産パルサーのレース前の様子と同じスケールになります。左にブリヂストンのトラック、右にフジテレビの中継車ということで、F1が行われているサーキット内のパドック裏、というイメージです。レースウィークのうち、フリー走行に費やされ、まだお客さんも少なく、土日の緊張感に包まれる前の金曜日、二回目のフリー走行が終わった後のひとこまということで「FRIDAY 15:30」というタイトルがついています。
 このジオラマを作った時にはブリヂストンもF1タイヤのサプライヤーでしたし、フジテレビは地上波で中継を行っていました。実際にサプライヤーのトラックと中継車が隣になることはないでしょうが、レースが行われていることを示すために分かりやすい配置としたわけです。
 このジオラマ、作ったときに次のことに気をつけました。ベースが真四角ですので、あえてそれを活かし、四つのどの方向から見てもいろいろなドラマが垣間見えるようにしています。
 正面をもう少し細かく見てみましょう。

 中央に赤いレーシングスーツのドライバーと黄緑のレーシングスーツのドライバーがいて、トラックに片手をつき、二人といるのはブリヂストンのエンジニアでしょうか。
 反対側から見るとこのような感じです。

 赤いスーツは当時最も強かった「皇帝」M.シューマッハをイメージしています。この三人は既製品を塗り替えています。 
・エンジニア「今日のタイヤはどうでしたか?」
・赤「シミュレーションどおりだったね。明日の予選に向けていいデータが取れたよ。明日が楽しみだ。」
・黄緑「もうちょっと行けたと思うんだけど、あいにく黄旗が出てタイムが伸びなかったんだ。あれがなければベストはコンマ2秒くらい縮められたと思うよ」
・赤「おいおい、それじゃ俺のタイムに追いついちゃうな。明日は気を付けないと」
・エンジニア「明日は少し気温が下がるからタイムの伸びも変わってくるかもしれないですね・・・」
 黄緑のレーシングスーツのドライバーのモデルはいないのですが、あのパルサーでデビューしたプライベーターのその後の姿かもしれません。今や「赤い皇帝」が一目置く存在になっています。カメラマンたちも格好の被写体が現れたとばかりに撮っていますね。

 ドライバーたちの手前側、青い二人の男たちはコースマーシャルです。F1のフリー走行中のクラッシュの対応に追われていました。軽トラックに竹ぼうきをたくさん乗せて他のマーシャル達に配っていたようです。

男A「あのクラッシュ、大事に至らなくて良かったっすね」
男B「みんな無事で何よりだったし、救護と後片づけがスムーズにできたから中断時間も短くて良かったよ。さあ、持ち場に戻ろうぜ。」
男A「あと30分でF3の予選か。早く戻らないと。あっ、こんなところにF1ドライバーみっけ」

 その二人の奥、ジャケット姿の男は取材に来ている作者自身ということにしておきましょうか。三日間さまざまな光景を目にし、耳にしながら作品を作っていきます。

 ブリヂストンのトラックの反対側にはジャーナリストと某チームのメカニックがいて、こっそり何かを聞き出しています。


ジャーナリスト「さっきのクラッシュの原因って何だったの?きみのチームの監督はマシントラブルだって言ってたみたいだけど」
メカニック「あれ、本当はドライバーのミスだよ。ここのコース初めてだからさ、監督も珍しく変な気をきかせたみたいだね。」
ジャーナリスト「そうじゃないかと思ったよ」
メカニック「今のは内緒だぞ。昔みたいにオフレコ話もできないんだよ、最近のF1って」


 反対側はパドック内の案内や注意書きが出ている看板です。これは鈴鹿サーキットのスタンドから偶然撮った看板の写真をコピーして切り出しています。水色のチームシャツの男が出てきました。

 どうやら自由時間ができて、お土産を買いに行くようです。以前は鈴鹿サーキットと併設の遊園地の売店エリアに本格的なミニカーショップがあり、某チームのスタッフらと入場制限されたお店の前で並んで待ったものです。
 
 男ばかりのジオラマですが、女性も二人います。

 えんじ色のシャツの女性は某チームの広報で、携帯電話片手に何か話しています。
「・・・そうそう、明日の予選の後、16:30から15分間、地元のテレビ局のインタビューがあるわよ。ちょっと前に話をつけてきたから。この国で名前を覚えてもらういいチャンスだと思ってね。それから、知っていると思うけどここの局のレポーターは突っ込みが鋭いから気をつけなさいよ・・・」
 もう一人の女性は奥に歩いていく感じですが、どんな人なのでしょうか。やはりカメラの視線の先が気になっているようです。

 そしてもう一人、パドックエリアを歩いていく身なりのよい紳士がいます。

「みんな私のことをグランプリの名誉総裁などという肩書をつけて呼んでいるけど、私も一人のレース好きなのです。さて、そろそろみんな落ち着いたころだから、各チームの陣中見舞いとまいりますか・・・」

 いかがでしたか。レーシングカーが出てこないサーキットの週末、登場人物たちが織り成す人間模様の一端を楽しんでいただけましたでしょうか。
 このジオラマ、いつものように御徒町のYFS様で展示中です。場所を用意してくださって、いつもありがとうございます。他のクリエイター様の作品も必見ですので、ぜひご覧になってください。




 

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