工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

令和5年・今年もお世話になりました

2023年12月31日 | 日記
 今年の年末ライブを観た後、20時30分に帰宅、いつものように美味しい天ぷらを食べて、紅白でクイーンを観て(ブライアン・メイとロジャー・テイラー、相変わらず巧いですね)、孤独のグルメを観て、BSで映画を見ながらこのブログを書いています。談志の「芝濱」を聴きながら来年こそは真人間になろう、なんてことは全く思っていなくて、ブルースブラザーズを観ているわけですが。
 今年は前半に随分飛行機を作りましたが途中から息切れになってしまいました。ブログに載せていませんが完成しているものもありますので、またご紹介したいと思います。艦船は1万トンに届く勢いでしたので、来年はもう少し作れるかな?
 今年は風邪くらいに思っていた体調不良が原因で長く休みを取ることが何度かありまして、自分の体を強く保つ必要を感じた1年でもありました。体つくりを始めたら風邪をひいてということで、そのあたりも反省材料な1年となりました。

 どうやらこのお店も、年内はここで営業終了のようです。


最近再販されたカトーの看板建築の商店をファレホの塗料で塗り替えました。

 では皆様も、よい新年をお迎えください。

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大晦日ということで、こちらへ

2023年12月31日 | 日記
朝早くに起きて買い物して、帰ってきたらアイロンかけて、掃除の残りをやって、年越しそば食べて、おせちの煮物作って、こちらに来ました、

恒例のライブまであと少し。今年は大晦日のみの参戦です。昨日もライブはあったのですが、私は久々のクラス会に行っておりました。
昨年の年末ライブの記事のアクセスが増えているようですが、今日のライブのレポは年明けに書きますね。

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I Stand Alone

2023年12月29日 | ジオラマあれこれ
 年の瀬に1/35の人形を作って、ちょっとしたビネットにしてみました、というのが今日のテーマです。
 タミヤ1/35でドイツ機関銃手・ドイツ空軍戦闘機エースパイロット2体セットというキットが出ています。もともと1/16で同じ内容のキットが出ていますが、それのスケールダウン版のようです。秋葉原の某模型店でセール品となって出ており、人形の塗装の練習にと思い、購入しました。

 ドイツ機関銃手ですが、コートを着込み、MG42を肩に担いだ姿で、個人的には大戦後期の苦しい戦いを強いられるドイツ軍のイメージです。組立については特に問題はありません。あとは塗装でどれだけ頑張れるかということになります。
 ビネットに組み込む前の姿です。襟章のデカールを貼る前です。

後姿も抜かりなく再現されています。

人形の塗装については、シェパード・ペインの「ダイオラマの作り方」に出ている内容をなぞっただけで、新しいことはしていません。すべて筆塗りです。服はファレホのドイツ軍ユニフォーム色ですが、ハイライト、シャドーをつけていますので、だいぶ印象が違うのではないかと思います。また、裾まわりはタミヤカラーアクリルのフラットアースを薄く溶いて塗りました。顔はファレホのダークフレッシュという色を使い、はじめから暗めにしています。
ヘルメットや飯盒、ガスマスクケースはタミヤカラーのフィールドグレーです。MG42については、はじめに艶消し黒で下地を作った後に、タミヤカラーエナメルのガンメタルとメタリックグレイを混ぜたものを塗りました。
ビネット用のレンガですが、こちらもタミヤのレンガセットが手元にあったので使いました。縦に二枚使い、崩れた感じを出すためにニッパー、レザーソウでランダムに斜めに切りました。

はじめにファレホのフラットブラウンで全体を塗り、そのあとでランダムに薄茶、オレンジなどを混ぜたり、そのまま塗ったりということで一つ一つの違いを出しました。足元に近いあたりは少し暗めにしているほか、部分的に黒系の色をすりこみ、煤けた感じを出しました。一つ一つがはっきり造形され、目地も深いので墨入れの要領で目地も容易に再現できました。普段はNゲージのもっと小さいレンガを塗り分けたりしていますので、それに比べれば苦労の甲斐も目に見える形で表れてくれます。レンガの壁の上段にはプラ材を切り出してグレー色に塗ったものを貼り「石材が乗ってます」という感じを出しました。
地面は情景テクスチャーペイントのライトグレイを塗ったのですが、セメントっぽい色で気に入らず、一日おいてからアクリルガッシュのニュートラルグレイ、アンバーを混ぜた色で塗りなおしました。レンガの壁を置き、兵士の足元のあたりにレンガの破片、箱、伸ばしランナーで作った薬莢やらを撒き、その上から情景テクスチャーペイントの粉雪をランダムにすりつけています。

ビネットの全景です。



哀愁漂う後姿です。

後ろの装備も汚したり色を考えたのですが、あまり見えなくなってしまいました。

このビネットですが、圧倒的な物量を誇る連合軍の攻勢から何日も耐え、ようやく押し返したものの、10キロ南にいる主力部隊が窮地に追い込まれているということでせっかく守った陣地を捨て、転進しようとしている姿をイメージしました。疲れと安堵を覆いつくすようなどこかやるせない表情が見て取れますでしょうか。

このビネットには「I Stand Alone」というテーマをつけました。私の好きなT-Squareのバラードなのですが、作曲の安藤正容さんのギターをフィーチャーした哀愁漂う曲で、途中から入ってくる伊東たけしさんのサックスもまた、情感あふれるものとなっており、冬が似合う曲でもあります。

もう一つ、ルフトバッフェのエースです。

こちらもファレホのルフトバッフェユニフォーム色を基調にしています。もともと黒っぽい色ですので、ハイライト、シャドウが難しく感じました。

顔は戦闘中ではなく、地上でリラックスした状態に思えますので、ファレホのベーシックスキントーンを基調にしています。
救命胴衣は指示通りタミヤカラーアクリルのダークイエローです。シャドウ部分はダークイエローにフィールドグレーを混ぜたものを、ハイライトにはイエローグリーンを少量混ぜています。

ビネットについては機関銃手に比べるとお手軽で、情景テクスチャーペイントの草・グリーンを塗布しているだけです。傍らにドラム缶を置いて、足元には子犬を置きました。こちらは初代・動物セットに入っていたもので、それこそ発売と同時くらいに買ったものでしたが、なかなか使い道がなく、数十年の時を経て登場していただきました。私は犬が苦手なので、あまり上手に塗れていません。失礼。


パイロットの方に話を戻しますが、こちらもどこか斜に構えたような、明日の身の保障がないことをどこか感じているような表情で仕上げました。

ドイツ空軍のパイロットについては、酣燈社からその昔出ていた「第2次大戦 世界の戦闘機隊 付・エース列伝」という書物の中で詳しく知ることとなり、パイロットたちの容貌、容姿も含め、他の国とは違う、という感がありました。エースパイロットの戦後もまた、さまざまでしてトップエースのハルトマン、バルクホルン、ラルなど西独空軍で幹部になった人たち(中にはスタインホフのように参謀総長になったエースもいます)、ヴァイセンベルガーのように戦後レーサーとなるも、1950年にニュルブルクリンクで毎年行われていた「アイフェルレンネン」というレースで事故死した人もいます(ウィキペディアの日本語版ではF2レースと記載がありますが、英語版ではF3となっています。F1はこの年から始まっていますが、F1のドイツGPはその翌年まで待たなければなりませんでした)。

最後はモノクロで、この二人を写した写真です。













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鉄道博物館「大機関車展」を観てきました

2023年12月28日 | 鉄道・鉄道模型
 昨日池袋まで山手線に乗ったという話を書きましたが、そこから私は大宮に向かい、鉄道博物館・スペシャルギャラリーで開催中の「大機関車展」(来年1月29日まで)を観てきました。年の暮れにてっぱくに行くのがこのところ恒例になっております。
 鉄道博物館を入ると
EF58-61号機もこちらのヘッドマークでお出迎えです。ちなみにこちらのマークは12月13-28日まで限定だったようです。

1988(昭和63)年のオリエント急行のマークです。私も品川に見に行ったっけ。
 日本の鉄道の歴史は蒸気機関車が牽引する列車とともに始まり、そういう意味では鉄道の歴史=機関車の歴史でもあります。本展示では戦後の動力近代化以降の歴史にスポットをあてつつ、もちろん鉄道開業からの機関車の歴史も含め概観できるようになっています。館内に展示され、また最近では模型も発売されたEF55-1の履歴簿も展示されていました。履歴簿というのは一両ごとに作られ、配置はもちろんのこと、故障や部品の交換など細かな記載がなされており、特に昔の機関車は「生き物」であることを感じさせます。
 解説についても詳しく、戦後導入された交流電化による機関車の開発が、国鉄では長らく主流だった直流機関車にもフィードバックされた話などはなかなか興味深いと感じました。また、電気機関車に限らず悲運のディーゼル機関車と呼ばれたDD54について、本線を走る主力機の部品は国産品で賄う、という方針を曲げてまで外国製の部品を多用した機関車が入ってきたのはなぜだったのかなど、考察が試みられています。

(DD54のNゲージ模型・カトー製品。模型では故障知らずですから、思う存分活躍させてあげたいです)
ディーゼル機関車については第一次世界大戦の戦時賠償という形でドイツから試験的に機関車を導入しており、そこから国産機も開発されましたが量産の域には達せず、広く投入されたのは昭和30年代以降です。DD51、DE10といった「働き者」たちが活躍を続けましたが、日本が採用して使い続けた液体式機関車は決して世界の「主流」ではなく(海外では「電気式」と呼ばれる内燃機関で発電機を回す仕組みが一般的)、それ故に中古車輌を海外に輸出するといったことも容易ではなかったというあたりに、日本の工業製品の特質が透けて見えるように感じました。また、大きな幹線以外ならどこでも、という役割を果たしているDE10について、1台で入換からちょっとした列車の牽引までこなしてしまう多才ぶりも、海外なら用途に合わせて何種類も機関車を開発するのに・・・というわけで日本独特の進化だったということがわかる話ではあります。
 ただ、日本の場合戦後10年余りで東京⇔大阪間の電化を完成させていますし、昭和30年代以降電化、無煙化の流れは加速します。人の流れだけでなくもの(貨物)の流れもスムーズになったことでしょうから、日本の経済成長がこうしたインフラ整備という下地が整っていたからこそ実現できたのだな、ということが分かります。インフラの整備、そして生産人口が増加したことなど、日本の成長には理由があったわけです。
 それまで蒸気機関車をはじめさまざまな車輌によって行われていた冬の雪かきについても、ディーゼル由来のロータリー除雪車が大きく貢献しているとしてスペースを割いての展示がありました。また、EF58-61についてもトリビア的な話も含めて解説がありました。私にとっては「へぇ」な話もありましたが、人気の機関車ですから多くのファンにとっては知っている話もあるでしょう。
 会場では博物館おなじみの大型模型も集められており、こちらも壮観でした。展示室が撮影禁止ですのでカメラを向けることができませんが、間近で見られますのでお勧めです。
 会場とは別にコレクションギャラリーの中でこんな展示もありました。大型ロータリー機関車、DD53の正面扉やナンバー、銘板等です。




DD53の正面扉とはナンバープレート下の扉部分です。

なお、DD53は除雪用の大型機関車で、ロータリーヘッドを付けた状態がこちらです。

(模型はワールド工芸のNゲージ製品です)

館内の機関車たちです。

もう1輌のEF58ですが、東海道本線全線電化を記念したマークをつけています。

C51はお召機の装飾ですね。


図録も充実しており、購入して帰りました。動力近代化以降の機関車の流れがつかめる内容となっているほか、コラム類も充実しています。
なお、EF58-61については新年はお召仕様の飾りつけになるそうです。


 

 

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おーばーつーりずむ?

2023年12月27日 | 日記
この写真、今日の9時40分頃、高田馬場を発車した山手線外回りの車内です。高田馬場から乗りこんできた外国人3人(男性1、女性2)ですが、特大サイズのスーツケース4つと小さめのキャリーバッグ1つを持っていました。首尾よく空いた席に座った3人ですが、荷物を置くスペースは到底自分の席の前だけでは足りず、隣の人の前に置き、結局車内通路も人が一人通れるかという幅になってしまいました。
私は池袋で降り、彼らはその後も乗り続けたからどこに向かったのかは知りません。既にラッシュの時間を過ぎているからいいじゃないか、と思われる方もいるでしょうが、もし、私が座っている目の前に、他人の荷物が何も言わずにおかれたら、みなさんはどう思われますか?外国人だと思って仕方ない、となりますか。私はデリカシーの無い行為を受けたときに他人を許すことが難しい性向にあるものですから、相手の国の言葉が話せたとしても日本語で「何も言わずに失礼だぞ、どけろ」と言って、荷物を蹴飛ばしてしまうでしょう。このところこういう光景をよく見かけますし、JRの車輌よりもっと狭い地下鉄の銀座線や大江戸線でみかけると、余計になんとかならないものかと思います。いや、それだけの大きい荷物を持てるだけのお金があるなら、シータク、じゃなくてタクシー使えよってことなんですけどね。そもそもこの大きな大きなスーツケース、3辺の合計が手荷物として持ち込める240センチ以内なんでしょうか。
これまでならマナーというレベルで、そこのところは分かってよ、で済んでいたことも、これからは「ルール」にしなくてはいけないのでしょうか。
また、先日はこんなことがありました。8時台前半のJR秋葉原で、西洋人がスタバの大きな紙コップを持って電車に乗ろうとしていたけど、そんな余裕のある電車はあの時間帯にありませんって。彼らも後悔してホーム上で飲み物を飲み干したのでしょうか?それとも、迷惑承知で乗り込んだのでしょうか?
以前からこのブログで書いていますが、私自身は外国人が観光に訪れるのは大いに結構、と思っている一人です。でも、電車も、街も、テーマパークやアトラクションではなくて、そこに住み、働いて、通学する人のものでもあることを分かってほしいわけです。外国人観光客が来たら後は本人たちの「節度ある行動」を期待したり、事業者任せにするのではなく、そろそろルールとして守らせるための議論を、国も自治体もなさったらどうですか、と言いたいです。皆様だって何か起きてから痛い目に遭ったり、メディアから叩かれたりするのはお嫌でしょう?
それから個人的に思っていることをもう一つ。たまたま私の経験だけなのかしれませんが、相手に何か尋ねたり、親切にされたりしたときに、アジア系(東アジアも南アジアも含め)の方は「ありがとう」や「Thank you」といった謝意を言葉で示さない人が多いように思います。そのたあたりは、欧米の方の方がカタコトの日本語でも、英語でもちゃんと言ってくるように感じます。私が卒業旅行で欧州を訪れた際、ツアーの添乗員さんから言われたことがありました。それは訪れる国ごとに「ありがとう」、「美味しい」という言葉は最低限覚えた方がいい、というアドバイスでした。なんだか年の瀬に愚痴ばかりですが、ちょっと言いたくなって書いた次第です。
 
 

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