鉄道が好きな方、とりわけ鉄道の歴史に多少興味を持っている方なら「あと〇年早く生まれていたら××に乗れたのに」とか「〇〇の写真が撮れたのに」なんていう話をされたことがあるかと思います。何年か前にこのブログで回顧展をご紹介した故・黒岩保美氏も「あと何年か早く生まれていたらマレーの牽く列車で箱根八里を越えられたのに」とおっしゃっていたそうです。大正生まれの方らしい願望ではあるわけですが、それを言い出すと鉄道開業まで遡ってしまいそうです。
日本の鉄道が150周年ということで、タイムマシンがあったらいつの時代の鉄道を見てみたいか、というのを考えてみました。もちろん、開業初日の新橋駅というのも面白そうですね。特に最初の機関車たちは強烈な個性を放っていて、図面や数少ない写真を見てもなかなかの存在感です。
また、個人的には明治時代全般の鉄道や蒸気機関車に興味があるものですから、大正期以降の黒一色になる前の明治の蒸気機関車がどんな色だったのか、客車がどんな色だったのかというのが大いに気になります。欧米、特にイギリスやアメリカを中心に、蒸気機関車は鉄道によって、また機種によってさまざまな色に塗られていました。日本でも後の時代に通じる黒に赤いライニングというのもあったようですが、緑やマルーン、ロシアン・アイアンと呼ばれた青系の色もあったようです。交通博物館所蔵の「岩崎・渡辺コレクション」は当然明治期の写真のためモノクロですが、明らかに黒ではないよな、という色味や輝きの機関車をみかけます。タイムマシンがあれば、確認してみたいものです。明治の終わりに九州鉄道が購入する予定でアメリカに発注し、車輌が届いた時には国有化されて宙に浮いてしまった「或る列車」も輸入当初はどんな塗装で、どんな内装だったか見てみたかったものです。もちろん、本線を走る車輌のみならず、馬車鉄道や市電も気になります。
戦前の列車や和食堂車と呼ばれた現在の牛丼チェーン的に椅子が並ぶような食堂車で食事、というのも面白そうですし、戦後の「つばめ」の特ロと呼ばれたスロ60も魅力的です。
自分の生まれる前に活躍し、乗りたかった車輌といえば、151系・クロ151になるかと思います。パーラーカーと呼ばれ、縦1m、横2mというそれまでにない大きな窓を持っていました。個室と開放室があり、さしずめ現代の「グランクラス」のようなものでしょうか。客車時代の展望車が電車特急になってこういう形で引き継がれたわけですが、それだけにおいそれと乗れるものでもなさそうです。開放室の一人がけの椅子に座り、これで東海道線を旅してみたかったものです。
(模型はカトーのNゲージ車輌、後ろの20系客車もカトー製)
自分が乗車した列車、経験したイベントなどでもう一回あの時へ、あの場所へ、と問われますと、私は2000年に開催された「第1回 国際鉄道模型コンベンション」を挙げます。確か1回目は新宿NSビルで開催だったかと思います。初回ならではの若干の混乱もありましたが、それもまた妙味であり、それよりもようやく、日本でもアメリカでやっているようなモデラー参加型のコンベンションができた、という喜びが強かったことを覚えています。その後、私も少しお手伝いさせていただいたこともありますし、途中紆余曲折はありながら今年も開催されております。第一回は出展者でなくとも打ち上げのパーティーに参加でき、雲の上のような存在の方ともお酒を飲んで盛り上がったことも思い出深いですし、アメリカから著名なモジュールモデラーが来日され、パーティーでも元気いっぱいに過ごされていたことを覚えています。写真はその時の記念品の升です。私もあれから20数年、いろいろなことがありながら、鉄道模型がそばにある生活を続けています。
日本の鉄道が150周年ということで、タイムマシンがあったらいつの時代の鉄道を見てみたいか、というのを考えてみました。もちろん、開業初日の新橋駅というのも面白そうですね。特に最初の機関車たちは強烈な個性を放っていて、図面や数少ない写真を見てもなかなかの存在感です。
また、個人的には明治時代全般の鉄道や蒸気機関車に興味があるものですから、大正期以降の黒一色になる前の明治の蒸気機関車がどんな色だったのか、客車がどんな色だったのかというのが大いに気になります。欧米、特にイギリスやアメリカを中心に、蒸気機関車は鉄道によって、また機種によってさまざまな色に塗られていました。日本でも後の時代に通じる黒に赤いライニングというのもあったようですが、緑やマルーン、ロシアン・アイアンと呼ばれた青系の色もあったようです。交通博物館所蔵の「岩崎・渡辺コレクション」は当然明治期の写真のためモノクロですが、明らかに黒ではないよな、という色味や輝きの機関車をみかけます。タイムマシンがあれば、確認してみたいものです。明治の終わりに九州鉄道が購入する予定でアメリカに発注し、車輌が届いた時には国有化されて宙に浮いてしまった「或る列車」も輸入当初はどんな塗装で、どんな内装だったか見てみたかったものです。もちろん、本線を走る車輌のみならず、馬車鉄道や市電も気になります。
戦前の列車や和食堂車と呼ばれた現在の牛丼チェーン的に椅子が並ぶような食堂車で食事、というのも面白そうですし、戦後の「つばめ」の特ロと呼ばれたスロ60も魅力的です。
自分の生まれる前に活躍し、乗りたかった車輌といえば、151系・クロ151になるかと思います。パーラーカーと呼ばれ、縦1m、横2mというそれまでにない大きな窓を持っていました。個室と開放室があり、さしずめ現代の「グランクラス」のようなものでしょうか。客車時代の展望車が電車特急になってこういう形で引き継がれたわけですが、それだけにおいそれと乗れるものでもなさそうです。開放室の一人がけの椅子に座り、これで東海道線を旅してみたかったものです。
(模型はカトーのNゲージ車輌、後ろの20系客車もカトー製)
自分が乗車した列車、経験したイベントなどでもう一回あの時へ、あの場所へ、と問われますと、私は2000年に開催された「第1回 国際鉄道模型コンベンション」を挙げます。確か1回目は新宿NSビルで開催だったかと思います。初回ならではの若干の混乱もありましたが、それもまた妙味であり、それよりもようやく、日本でもアメリカでやっているようなモデラー参加型のコンベンションができた、という喜びが強かったことを覚えています。その後、私も少しお手伝いさせていただいたこともありますし、途中紆余曲折はありながら今年も開催されております。第一回は出展者でなくとも打ち上げのパーティーに参加でき、雲の上のような存在の方ともお酒を飲んで盛り上がったことも思い出深いですし、アメリカから著名なモジュールモデラーが来日され、パーティーでも元気いっぱいに過ごされていたことを覚えています。写真はその時の記念品の升です。私もあれから20数年、いろいろなことがありながら、鉄道模型がそばにある生活を続けています。