鉄道150年を語る際に当然避けて通れないのが、日本国有鉄道=国鉄の存在です。国有鉄道という意味では明治からの長い歴史がありますが、公共企業体としての「国鉄」は38年間の歴史ということで、そろそろ民営化されてからの期間の方が長くなります。そんな中、国鉄の歴史について書かれた本が出版されております。中公新書の「国鉄 -「日本最大の企業」の栄光と崩壊」 石井幸孝著です。
本書の著者は昭和30年に国鉄に入社、戦後を代表するディーゼル車輌の設計に携わっていましたが、後に国鉄の経営全般に従事、国鉄の最後の日は九州総局で迎え、民営化と共に初代のJR九州社長となっています。キャンブックスのDD51物語など、鉄道趣味人としての目線で内燃車輛について解説した本も多く執筆されていますが、こちらの本は「硬派」な国鉄の通史となります。
本書は戦後の占領期に「公共企業体」として発足した国鉄についてその誕生までも含めて書かれており、各章では主に経営目線で国鉄の歴史が語られていますが「鉄道技術屋魂」では著者の「本職」であった内燃車輛の開発について触れられています。また、国鉄の光と影の部分で必ず語られる労働組合についても章を割いています。国鉄における労働組合の存在は何だったのか、というのを国鉄の「中の人」が解説していますので、民営化からだいぶ時間が経つ中で改めて勉強になったという感があります。
本書を読みますと、国鉄が本当に順調だったと言える期間というのはわずかで、発足から労働問題を内包していたり、昭和30年代までは何年かに一度は起きる大事故への対処といったことも求められたりしました。また、大都市圏・特に首都圏では通勤ラッシュ対策は「終わらない課題」でありましたし、赤字ローカル線は最後まで(というか現在まで)国鉄を苦しめました。
私も物心ついたときから国鉄=赤字の企業体で何とかしなくてはならない存在でしたから、民営化でJRに生まれ変わったときは、なにかとても明るくなったというか、これでよかった、と思った一人ではあります。本書を読みますと、占領政策の中で半ば強引に「公共企業体」として出発しなければならなかったところから、後の国鉄の問題点が内包されているように感じますし、本社がすべてを握っていたことで、路線も、車輌の近代化も、設備も含めて全国一律に発達したことは必要なことであり、またそれによって多くの方が恩恵を受けたわけですが、それ故に地方・地域のの自主性が育まれなかったのではないかと感じました。既に昭和40年代から赤字が顕在化していたわけですから、大都市間の長距離輸送はともかく、各地域内で解決できることはある程度の自立した経営をすべきだったのでは、と思うのですが、どうでしょうか。
知ったふりをして私も偉そうなことを言っていますが、著者の「鉄道というものは万人が知っているようで、実は経営から現場のカンまで本当によくその本質を心得ている人が少なく、わかりにくいもの」という述懐が印象に残りました。これは国鉄部内向けに向けられた言葉なのですが、それだけでなく私たち利用者も、それから政治家もああだこうだと口をはさんでくるけど、実はわかってないでしょ、何か変えたくても、新しいことをしたくても、これだけ大変だよ、という意味にも聞こえました。それ故に国鉄時代にもっと説明という名の「言い訳」を国民にしても良かったのではないかとも思いました。そういった言い訳の中に、第三者の指摘から改善できることが見つかったり、構造的な矛盾が明らかになったりすることもあると思うのですが・・・。これはいろいろな組織全体に言えることで、メディアにばかり取り上げられる一面以外に、これだけコストをかけてやっていることがある、こういう決まりごとがあるから、こういう手順と人とお金がかかる、というようなことをもっと言ったらいいのに、と本業に絡めて思ってしまうのでした。
さて、国鉄が民営化された際には、多くの国鉄マンが国鉄を去り、官庁・企業に再就職しました。ちょうど景気も良かったので、引く手あまただったのです。当時20代の方だったとしても、多くが還暦を迎えていると思います。個人的な思い出になりますが、私が仕事で知り合った方にも元国鉄マンがいて、とても優秀な方だったことを覚えています。電卓よりそろばんを愛用しているあたりに、国鉄マンの名残を感じました。優秀な職員を多く抱えながら、どうして破綻してしまったのか、何ともやりきれないところです。
本書では国鉄の歴史だけでなく、JR化以降の動きについても触れられていますし、鉄道のこれからについても論じています。想定以上に人口減少や過疎化も進んでおり、地方路線をどのように活用するのかというところは、これからの大きな課題となりましょう。個人的な見解になりますが、人口減少については平成初期の時点で合計特殊出生率の「1.57ショック」という言葉で表されたように、既に問題となっていたわけですから、鉄道の責任ではなく、この間に有効な対策を打てず、無駄な金をばらまくことで少子化対策を「やったことにした」側に責任があるのだと思います。゜
ちょっと横に逸れてしまいましたが、本書に戻りますと新幹線についても貨物輸送としての活用方法について具体的に触れています。現在でも通常の旅客輸送を「間借り」する形で貨物を運ぶことが行われていますが、著者が提唱しているように新幹線路線において本格的な貨物輸送というのも真剣に考慮されても良いのではと思います。また、これに合わせて著者は鉄道が持つ「安全保障」としての役割を説いています。なにもこれは軍事的な話ではなく、日本国内を結び、つなげる役割という意味でもあり、物流、人の流れを担保するものとして鉄道の役割が大切なのは言うまでもありません。近年は自然災害で鉄道が長期間不通となり、貨物輸送にも影響が出るといった話を聞きます。新幹線を作ったから在来線は地元三セクに丸投げしておしまい、というのではなく、活用しなければいけない、万が一のときには他の路線を補完する役割を持たせる、といった目的で、活用すべき在来線は活用し、保守を絶やさないことも必要だと思うのです。古代ローマは西洋では初めて、規格化された本格的な街道網を整備したことで知られていますが、よく言われる軍事目的というだけでなく、人の流れ、物の流れも活発にして、帝国全体に繁栄をもたらすためのものでもありました。インフラもまた人々の安全を守るために必要な存在であるわけで、それは現代においても全く変わるものではないでしょう。
ということで、新書とはいえなかなか考えさせる一冊、まだお読みでない方はぜひお読みいただき、これまでの、そしてこれからの鉄道に思いをめぐらせてみてはどうでしょうか。
本書の著者は昭和30年に国鉄に入社、戦後を代表するディーゼル車輌の設計に携わっていましたが、後に国鉄の経営全般に従事、国鉄の最後の日は九州総局で迎え、民営化と共に初代のJR九州社長となっています。キャンブックスのDD51物語など、鉄道趣味人としての目線で内燃車輛について解説した本も多く執筆されていますが、こちらの本は「硬派」な国鉄の通史となります。
本書は戦後の占領期に「公共企業体」として発足した国鉄についてその誕生までも含めて書かれており、各章では主に経営目線で国鉄の歴史が語られていますが「鉄道技術屋魂」では著者の「本職」であった内燃車輛の開発について触れられています。また、国鉄の光と影の部分で必ず語られる労働組合についても章を割いています。国鉄における労働組合の存在は何だったのか、というのを国鉄の「中の人」が解説していますので、民営化からだいぶ時間が経つ中で改めて勉強になったという感があります。
本書を読みますと、国鉄が本当に順調だったと言える期間というのはわずかで、発足から労働問題を内包していたり、昭和30年代までは何年かに一度は起きる大事故への対処といったことも求められたりしました。また、大都市圏・特に首都圏では通勤ラッシュ対策は「終わらない課題」でありましたし、赤字ローカル線は最後まで(というか現在まで)国鉄を苦しめました。
私も物心ついたときから国鉄=赤字の企業体で何とかしなくてはならない存在でしたから、民営化でJRに生まれ変わったときは、なにかとても明るくなったというか、これでよかった、と思った一人ではあります。本書を読みますと、占領政策の中で半ば強引に「公共企業体」として出発しなければならなかったところから、後の国鉄の問題点が内包されているように感じますし、本社がすべてを握っていたことで、路線も、車輌の近代化も、設備も含めて全国一律に発達したことは必要なことであり、またそれによって多くの方が恩恵を受けたわけですが、それ故に地方・地域のの自主性が育まれなかったのではないかと感じました。既に昭和40年代から赤字が顕在化していたわけですから、大都市間の長距離輸送はともかく、各地域内で解決できることはある程度の自立した経営をすべきだったのでは、と思うのですが、どうでしょうか。
知ったふりをして私も偉そうなことを言っていますが、著者の「鉄道というものは万人が知っているようで、実は経営から現場のカンまで本当によくその本質を心得ている人が少なく、わかりにくいもの」という述懐が印象に残りました。これは国鉄部内向けに向けられた言葉なのですが、それだけでなく私たち利用者も、それから政治家もああだこうだと口をはさんでくるけど、実はわかってないでしょ、何か変えたくても、新しいことをしたくても、これだけ大変だよ、という意味にも聞こえました。それ故に国鉄時代にもっと説明という名の「言い訳」を国民にしても良かったのではないかとも思いました。そういった言い訳の中に、第三者の指摘から改善できることが見つかったり、構造的な矛盾が明らかになったりすることもあると思うのですが・・・。これはいろいろな組織全体に言えることで、メディアにばかり取り上げられる一面以外に、これだけコストをかけてやっていることがある、こういう決まりごとがあるから、こういう手順と人とお金がかかる、というようなことをもっと言ったらいいのに、と本業に絡めて思ってしまうのでした。
さて、国鉄が民営化された際には、多くの国鉄マンが国鉄を去り、官庁・企業に再就職しました。ちょうど景気も良かったので、引く手あまただったのです。当時20代の方だったとしても、多くが還暦を迎えていると思います。個人的な思い出になりますが、私が仕事で知り合った方にも元国鉄マンがいて、とても優秀な方だったことを覚えています。電卓よりそろばんを愛用しているあたりに、国鉄マンの名残を感じました。優秀な職員を多く抱えながら、どうして破綻してしまったのか、何ともやりきれないところです。
本書では国鉄の歴史だけでなく、JR化以降の動きについても触れられていますし、鉄道のこれからについても論じています。想定以上に人口減少や過疎化も進んでおり、地方路線をどのように活用するのかというところは、これからの大きな課題となりましょう。個人的な見解になりますが、人口減少については平成初期の時点で合計特殊出生率の「1.57ショック」という言葉で表されたように、既に問題となっていたわけですから、鉄道の責任ではなく、この間に有効な対策を打てず、無駄な金をばらまくことで少子化対策を「やったことにした」側に責任があるのだと思います。゜
ちょっと横に逸れてしまいましたが、本書に戻りますと新幹線についても貨物輸送としての活用方法について具体的に触れています。現在でも通常の旅客輸送を「間借り」する形で貨物を運ぶことが行われていますが、著者が提唱しているように新幹線路線において本格的な貨物輸送というのも真剣に考慮されても良いのではと思います。また、これに合わせて著者は鉄道が持つ「安全保障」としての役割を説いています。なにもこれは軍事的な話ではなく、日本国内を結び、つなげる役割という意味でもあり、物流、人の流れを担保するものとして鉄道の役割が大切なのは言うまでもありません。近年は自然災害で鉄道が長期間不通となり、貨物輸送にも影響が出るといった話を聞きます。新幹線を作ったから在来線は地元三セクに丸投げしておしまい、というのではなく、活用しなければいけない、万が一のときには他の路線を補完する役割を持たせる、といった目的で、活用すべき在来線は活用し、保守を絶やさないことも必要だと思うのです。古代ローマは西洋では初めて、規格化された本格的な街道網を整備したことで知られていますが、よく言われる軍事目的というだけでなく、人の流れ、物の流れも活発にして、帝国全体に繁栄をもたらすためのものでもありました。インフラもまた人々の安全を守るために必要な存在であるわけで、それは現代においても全く変わるものではないでしょう。
ということで、新書とはいえなかなか考えさせる一冊、まだお読みでない方はぜひお読みいただき、これまでの、そしてこれからの鉄道に思いをめぐらせてみてはどうでしょうか。