工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

20回目のJAM つづき

2019年08月19日 | 鉄道・鉄道模型
 国際鉄道模型コンベンション(JAM)ですが、三日間「皆勤」して楽しんできました。前回書ききれなかったことも含めて今日は記したいと思います。
 クリニック(セミナー)の話になりますが、初日のクリニックについては前回のブログにも書きましたが、最終日には「中尾豊とその時代」、「キューバ製糖工場の蒸気機関車」を聴くことができました。
 「中尾豊とその時代」ですが、「鉄道模型趣味(TMS)」誌を支えた一人である故・中尾豊氏の足跡と戦前~戦後、現代にいたるまでの趣味としての鉄道模型について、名著「シーナリーガイド」の著者でもある河田耕一氏が講師となり、お話を聞くことができました。中尾豊氏がTMS誌を通じて数多くのモデラーの先達として果たした役割はもちろんのこと、私たちの趣味の根源にある「なぜ(大の大人が)鉄道模型を趣味としているのか」ということについての戦前から戦後にかけてのさまざまな方々の議論も含めてのお話があったのが印象に残りました。私などは趣味の根源的なところを深く考えているのか、と言われますと人前で何か申し上げられるほどの説は持っておりませんが、モノ、情報をただ消費するだけでなく、自分の楽しみがどこにあって、どこを向いているのか、自分でも考えさせられた感があります。議論、ということではTMSを率いた故・山崎喜陽氏は誌面で問題提起をされていたり、将来のことを見据えた発言をされていたことがありましたが、同氏が健在な頃、ほぼ毎号執筆されていた随想「ミキスト」を読み返すことで、また何か発見があるかもしれません。
 また、河田耕一氏のお話の中で、地方では鉄道の存在そのものが珍しくなっている中で、鉄道趣味、鉄道模型の位置づけがどうなっていくのかなど、示唆に富んだご指摘もずいぶんとありました。今回は私のような若輩者がどうこう論じることはとてもできませんが、今まで参加したクリニックの中でも深い内容だったと思っています。
 一方、「キューバ製糖工場の蒸気機関車」ですが、講師の松尾よしたか氏が幾度もキューバに渡航されて撮影したSLの写真と、2000年代初頭にキューバ各地の製糖工場、専用線で現役だったSLのデータを使っての講座となりました。断片的に見聞きしていたキューバのSLですが、全土に製糖工場が点在し、それぞれに(後から改造をうけたりしたものも含め)多彩なSLが走っていたことを知りました。野球や音楽を通じてキューバと言う国には興味を持っていたものの、地理的にはやはり、とても遠い国です。未知の鉄道の話を聞くこともまた、このクリニックの楽しみであることを再認識した次第です。

 JAMの会場内に出展したメーカーで興味をひいたものをいくつか。
 ついに、というか中国のメーカーが「中国型」を製作し、JAMの会場で製品を展示していました。中国国内で鉄道模型を楽しまれている方がいる、という話は聞いていましたが、ついに自国の車輛を製作するメーカーが現れたという感があります。中国は数年前から「自分たちはもう世界の工場ではなく、自らの製品を作り、海外に輸出する」という流れに向かっていたわけで、こういった場所に中国メーカーが登場したのもまた、時代を象徴することかもしれません(プラモデルにおいては中国のメーカーはすでに一定の地位を築いております)。現地の鉄道を知る日本のファンもいらっしゃるので、詳しく説明を求めている方の姿も見かけました。

 天賞堂はT-Evolutionという新しいシリーズを発表していました。これは16番の「鉄道コレクション」のような感覚の製品で、ディスプレイモデルとして販売するけれど、動力ユニットをつけて走らせられる、というコンセプトになっています。買ってこのシリーズを支えてあげてください、とスタッフの方からも強くお願いされておりまして、個人的には第三弾としてアナウンスされている東急7200が気になっております。
 
 往時のカタログやカタログ収載の懐かしい車輛を展示していたのはグリーンマックスでした。そのグリーンマックスではダブルルーフの客車をキット化する、というアナウンスがありました。今のところ座席車、荷物車等のアナウンスでしたが、食堂車や寝台車などもラインナップに加わることを期待しています。

 個人的には3日間があっと言う間に過ぎ、もっとゆっくり各クラブの展示を見たかったなあ、「レールマーケット」でゆっくり買い物をしたかったなあという感じでした。あくまでも個人的な感想ではありますが、近年になく充実したJAMだったと思っています。スタッフの皆様、出展された皆様、ありがとうございました。来年はオリンピック・パラリンピックもあり、いつ、どこで開催されるかはわかりませんが、また来年、JAMの会場で素晴らしい模型と出会えることを願っております。
 

 

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20回目のJAMに出かけています

2019年08月17日 | 鉄道・鉄道模型
 8月16日金曜日から、第20回国際鉄道模型コンベンション(JAM)がスタートしまして、私も連日会場の東京ビッグサイトに足を運んでおります。
 鉄道模型の夏の祭典として定着しているこのイベントですが、今年は「東京」をテーマにしており、入場しますとまずは宮澤孝一氏の「昭和の東京あれこれ」と題した東京の鉄道を題材にした数多くの写真が目に飛び込んできます。ほとんどが高い建物がなく、道路に自動車も少ない時代の鉄道写真で、このイベントを飾るにふさわしいものです。同時に「東京の鉄道」というテーマでフォトコンテストも開催されていまして、古今の東京の鉄道を題材にした写真を見ることができます。
 各モデラーの展示もまた盛況でして、JAMではおなじみのサークルから、初めて拝見するサークル等もあり、モデラーの熱気をいつも以上に感じております。自分が普段触れることが少ないジャンル、スケールの模型もまた、面白いものですし、長大編成や高速列車が走るレイアウトも、小型電車が細密に作られたシーナリーの中を走るレイアウトも見ることができるのが、このイベントの魅力であると思います。今回は一つ一つ挙げていくとキリがないくらい魅力的な展示ばかりです。大人の展示に混じって学生さんたちの展示もありますが、年々レベルが向上しており、中には大人顔負けというものもありました。あらゆるジャンル、ゲージの模型が観られると書きましたが、「外国型に興味がないや」、「ナローゲージってとっつきにくい」、「自分の住んでいる地域の車輛がないから見なくてもいいや」などと言わずに覗いてみると、意外な発見があるかもしれません。
 また、今回は「松本謙一の世界」と題して「とれいん」誌で長年活躍された松本謙一氏の作品の数々が展示されています。既に多くのイベントでも展示されているアメリカ型の漁港のセクションをはじめ、日本型の駅のセクションも展示されています。模型だけでなく、ご本人の愛機であるカメラの展示もありました。年内にはイカロス出版で新たに刊行される雑誌の主筆を務められることが発表され、こちらも楽しみです。先日のTMSといい、こういった人の動きや新たな流れが既存の雑誌にも刺激を与えることを期待しています。
 それから、今年もクリニック(セミナー)は大変盛況でして、どれを聴講しようかと時間割を見ながら嬉しい悩みとなっています。私もその昔、クリニックに少し関わらせていただいたことがあるのですが、近年は模型、実物共に非常に質の高い内容が多く、私などは改めて勉強させていただいているという感があります。
 初日の西村慶明氏の「エイジングとウェザリングの魅力」では、美しい塗装とウェザリングがどのようにして生み出されているのかを聞くまたとない機会となりました。特別な材料を用いていらっしゃるわけではなく、使っている塗料もどこでも手に入るものですし、色数も思ったほど多くなかったのですが、つやの抑え方、全体のバランス、色の使い方など、ヒントになりそうなお話もありました。
 今回はモデラーの展示だけでも2日かかってようやくひととおり見られたかな、というところでした。もちろん物販も盛況で、こういう機会でもないと買えないようなパーツ、デカール、アクセサリー、工具といったものを購入しております。JAMも残り一日、存分に楽しみたいと思います。

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トラムのジオラマを作った話 その後

2019年08月14日 | 鉄道・鉄道模型
 以前、トラムのジオラマを作った話を書きましたが、あのジオラマにちょっと変化がありました。
 路面電車については、現代的な車輛を展示していたのですが、もう一種類車輛を用意しており、先日入れ替えてまいりました。
 ちょっと昔の三車体連接車輛という感じで、塗装は先に展示していたものと同じ配色です。

 こちらの車輛ですが、パッと見てお分かりの方もいらっしゃるとは思いますが、鉄道コレクションの筑豊電気鉄道2000形をベースにしています。
 今回はそのまま塗り替えて済むというような簡単な話にはならず、車体にも手を加えてあります。と言いますのも、イタリアを含め欧州大陸では、ご存知のとおり自動車は右側通行となっいます。オリジナルの製品は日本国内を走る車輛ですから当然、進行方向左側前部に乗降用の扉がついています。そこで扉を進行方向右側に移植し、右側にあった窓を反対側に移植しております。これで右側通行に対応させました。
 写真では幸い見えておりませんが、切り継ぎが下手だったので車体に若干跡が残っています。広告看板をつけて隠しておりますが、少々不自然な位置に看板がついているのはそのためです。
 現代的な低床車も良いのですが、路面電車というと懐かしいスタイルの車輛にもひかれます。「ワールド鉄コレ」ではドイツ各都市の最近の路面電車のモデルが発売されており、カラフルな車体に食指を動かされるのですが、ぜひ次はデュワグのちょっと古い路面電車(広島電鉄にもいましたね)も期待しています。

 前回のブログではなかなかわかりづらいところもあったかと思いますので、改めて写真をまじえてご紹介します。

 町の掲示板には「SPQR(ローマ元老院並びに市民)」の文字があるのがお分かりでしょうか。マンホールの蓋も、市の紋章も、公園で芝生に入らないようにする注意書きも「SPQR」ですので、ローマを訪れた方なら必ず目にされる四文字です。
 
 ジオラマ右奥の新聞スタンドです。ピンボケしていてすみません。

 彼の地の新聞スタンドでは新聞、雑誌を中心にさまざまなものが売られています。大きさとしては昔の日本の駅の売店よりもっと小さなサイズもあります。このスタンドのようにサイドにラックを広げたりしてスペースを稼いでいるのを見かけます。

 ということでこのジオラマですが、引き続き秋葉原YFS様で展示中です。お店の方は国際鉄道模型コンベンション出店の関係でコンベンション期間中はお休みと聞いておりますので、それ以降にご覧いただければ幸いです。

 
 
 

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茶色い客車の工作 つづき

2019年08月11日 | 鉄道・鉄道模型
 前回はオロ61の話を書きましたが、同時進行で製作した車輛や塗装した車輛を紹介します。
 
 昨年、カトーがマイ38を再生産しました。この製品、いわゆる「青大将」塗装と言われる淡緑色の車体に銀色の屋根といういでたちです。私も青大将仕様で既に持っています。実車はもともと皇室用客車を経て一等座席車となった車輛で、時期は短かったようですが茶色に塗られていた頃に「つばめ」号などに組み込まれていたこともあったようです。ということでこの製品を塗り替えてみることにしました。モデラー諸兄もこういった塗り替えを楽しまれていると思いますが、遅まきながら私もやってみたわけです。
 車体と下回りは簡単に外せます。窓ガラスも外します。屋根と車体については慎重に屋根をずらしながら外さないと、固定しているツメが折れてしまうので要注意です。
 屋根、車体とも1000番のサーフェーサーを吹き付けます。乾いた後、車体の帯から塗装していきます。この時代の一等車の帯色はクリーム色ということですが、私はMr.カラー316番ホワイトFS17875を使いました。アメリカ軍機の下面色でおなじみの色ですが、純白ではない白い色にしたかったので、この色にしました。1ミリ幅のマスキングテープで帯の部分をマスキングして、車体の塗装に移ります。
 車体色はこの時代ではぶどう色1号となりますが、カトーの「つばめ」号はぶどう色2号に近い色をしています。したがってこの作例でもGMカラーのぶどう色2号を吹き付けました。
 屋根はねずみ色1号にしました。もう少し暗い色でもいいのですが、「普段は遣われないけど今日は増結されています」感を出すために、他の車輛とは違う色にしました。
 屋根、車体を組み、下回りをつけ、インレタを貼って完成です。やはり右側の「つばめ」の展望車の方が帯の色がクリーム色ですね。これで今日から外国人の団体客が私の鉄道にやってきても対応できそうです。


 もう1輛ですが、こんな客車です。

 GMのオハ61ですが、車端部の窓が二枚ふさがれています。このオハ61、歴史に埋もれたある話にヒントを得たフリーランスの車輛です。
 昭和25年、新規参入のプロ野球の球団として国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)が誕生しました。その際に既存の球団からこんな要望が出されました。選手たちは三等の座席車に押し込められて移動、遠征をしており、窮屈な思いをしている。国鉄が参入するのであればせめて畳敷きの車輛を作ってもらって、移動を楽にできないだろうか、という要望でした。
 現在、プロ野球の選手が鉄道で移動する際はグリーン車を使っており、私も駅などでそういう場面を何度か目撃しています。しかし、昭和20年代においては職業野球の選手たちは固い座席の三等車で足を伸ばすこともできず、長時間移動していたわけですから、疲労も相当なものだったでしょう。現代のアメリカでマイナーリーグの選手たちがバスで長距離移動するのと同じような感覚でしょうね。
 結局この要望はかなえられることはありませんでした。鉄道も復興途上で輸送力の確保・増強が優先され、職業野球の選手だけが特別扱い、ということはできなかったようです。
 もし、選手の移動用に畳敷きの客車が誕生していたらどうだったでしょうか。新形式として何かを作るということはなかったでしょうから、戦後、大量に生産されたオハ61あたりの何輛かが割り当てられたのでは、と想像します。通路は片方の窓側に寄せてしまい、あとは畳敷きとし、荷物を積めるスペースも確保すれば十分だったでしょう。他の旅客から見えないように通路と畳敷きの部分をカーテンで仕切ったかもしれません。台車はTR23を履かせてみました。塗装や意匠で特別扱いもできないので、ぶどう色2号で塗り(本来ならぶどう色1号でしょうが、我が家の茶色い客車の大半がぶどう色2号なので)、インレタでナンバーを入れて完成です。座席車というよりは用途も限られ、事業用車のような感覚ですので、形式も「オハ」で良かったのかはなんとも、というところです。

(「事業用だったらオヤという形式になったのかなあ」「でも使うのは国鉄だけじゃないからやっぱりオハでしょう」)

 かくして、茶色い客車とおつきあいした日々が過ぎました。

 出来上がった車輛を前に感慨にふけっているわけにもいきません。現在、仕掛中のものもありますし、今週は「国際鉄道模型コンベンション」も開催されます。8月は暑いなどと言って休んではいられないです。

 

 

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オロ61を作った話

2019年08月05日 | 鉄道・鉄道模型
 俺は都会の片隅のベランダで、勝手気ままに塗装をするベランダーだ。梅雨が明けたら、容赦なく猛暑が襲ってきた・・・ってこれでは某深夜ドラマのオープニングですね。
 私のように塗装(特に吹き付け)環境が特段恵まれているわけではないモデラーにとっては、換気と両立させながらの塗装となると、ベランダを活用することになるわけですが、この暑さでは陽が高いうちはなかなか作業にかかれず、夕方の数時間(それでも30℃はある)が勝負となってしまいます。そうは言っても梅雨の時期にはなかなか作業もはかどらなかったわけで、太陽の出ている時間を大切に使わなくては。

 前置きはこのあたりにして、今回はグリーンマックス(GM)の板状キットを塗装したお話です。
 私はたまにですが、沿線在住のベテランモデラーから模型の塗装を依頼されることがございます。ちょうど梅雨入りした頃ですが「GMのキットからオロ61を作ったので塗装をお願いしたい。塗装はぶどう色2号で・・・」ということで組みあがって塗装を待つだけのオロ61を手渡されました。オロ61というのは今さら説明するまでもありませんが、オハ61を種車に作られた1等座席車であり、冷房改造を経てスロ62となりました。スロ62は完成品も発売されておりますが、オロ61については最近カトーが製品化するまでは、キット等から再現する必要がありました。ただ、実物とは逆にキット化されているスロ62の屋根と妻板を他の旧型客車のものと取り換えればできてしまうので、改造のうちにも入らないような工作です。今回手元にやってきたオロ61もそんな1輛ですが、だいぶ苦戦されて組み上げた感じです。GMの昔の板状キットはきっちり、かっちり組めるものではないので(昔のキットは概してそんなものですが)、位置決めを自分で考えたりしないと変なところで隙間が出たり、ずれが生じたりします。
 他人が作ったものを見ているうちに、私自身で作ってみたらどうなるか試してみたくなりました。私もスロ62に手持ちの旧型客車のキットと屋根を組み合わせてみました。GMの板状キットの組み方としては、妻板と側板をL字型に組み、それを組み合わせてその上に屋根をかぶせるというのがセオリーだったかと思います。私は側板の左右に妻板を接着し、コの字型に組んだあと、屋根を接着し、最後にもう一枚の側板をはめこむという組み立て方を取っています。これは以前「国際鉄道模型コンベンション」の「クリニック」で教えていただいた方法です。組みあがった車体は、屋根、車体の接着面の裏側から瞬間接着剤を流し込んで強度を保つようにしています。私の腕で他人の模型と比較するのは野暮ですが、これはこれで悪くなさそうです。
 
 塗装にかかる前には、1000番のサーフェーサーを軽く吹いておきます。これで細かな傷やヒケなどが消えますので、このひと手間は大切です。
 車体の塗装ですが、まずは淡緑色の帯からです。この帯色はそのものずばりの製品がなく、皆様さまざまな色を使われていますが、私はMr.カラーで発売されている「みるきぃぱすてる」の「ミントグリーン」という色にしてみました。ご存知の方も多いと思いますが、「みるきぃぱすてる」はパステル系カラーをグリーン、レッド、ブルーの各バージョン4色ずつでセットしたものです。なかなか珍しい色が揃っています。1950年代の自動車のボディカラーとか、スキー板、スポーツウェアのワンポイントなどにこういった色が使わていますので、アニメキャラの女の子の描かれた箱絵で「スケールモデルには関係ないかな」と思われがちですが、スケールモデルの世界でも使い道はありそうです。
 本題に戻りますが、この「ミントグリーン」という色、かなり明るく鮮やかですので、少し使い込まれた車体にするのであれば、ライトグレーをほんの少し混ぜることで落ち着かせるということもできるでしょう。

 帯の部分に1ミリ幅のマスキングテープでマスクした後、車体はGMカラーのぶどう色2号をそのまま吹き付けました。屋根ですが、依頼を受けた方はMr.カラー116番・RLMブラックグレーで塗装しました。かなり暗い、黒に近いグレーです。これで屋根とベンチレーターに関しては多少うまくできていなかったとしても目立たなくなります。私が組んだ方はMr.カラー305番・グレーFS36118です。先日ブログでも紹介したF16の迷彩色のうちの一色です。
 ようやく車体が塗りあがりましたが、この形式はアルミサッシのため、窓枠を銀色に塗ってあげる必要があります。失敗しても修正がきくということもあって、タミヤカラー・エナメルで塗っていきました。はみ出したところを拭き、また色を差し、ということで2輛分を仕上げるのは相当難儀しました。まだ窓の大きな車輛だから許されますが、これが小窓の並ぶスハ44だったら大変だろうなと思ってしまいます。
 私が頼まれたのは窓ガラスを貼るところまで、ということで2輛のオロ61ができました。私が組んだ方も引き取ってもらえるということで、もうすぐ2輛のオロ61が旅立っていきます。

(上が依頼のあった車体、下は筆者が組んだもの)
 
 今回は梅雨の間の貴重な晴れ間を使って塗装しました。他にもぶどう色2号つながりでいくつかの車輛に塗装をしていますので、次回はその話をしましょう。


やれやれ、今回は大変だった、とわが工房の職人たちも言っています。

 


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