鈴鹿に出向く直前でしたが、鉄道模型メーカーのグリーンマックス(GMと略)50周年記念誌を入手しました。GMの50周年につきましては、昨年の国際鉄道模型コンベンションでも展示がありましたが、今回は活字と写真で振り返るというもので、ネコ・パブリッシング(RMモデルズ)が編集に関わっています。
往年のカタログを思わせる横長の判型ですが、第一章ではGMの半世紀を各年代ごとに振り返っています。個人的には1970年代、後に大山店の建物となった模型店マックス、さらにその前史的な話が興味深かったです。こちらはGMの社長と縁戚関係にある模型メーカー「ピットロード」の鈴木幹雄社長が語っています。その大山店の建物ですが、以前は2階がファミリー向けのレストランだったとか、知らない話もありました。また、GMと言いますと鉄道模型だけでなくかつては良質の艦船のプラモデルも手掛け、それが現在の「ピットロード」に繋がっていくわけですが、この名前ももともとは東名自動車(現・東名パワード)の名レーサー、鈴木誠一氏(鈴木幹雄氏の長兄)がいたことも関係しています。高原、星野といった1970年代の名レーサーたちの話も触れられています。鈴木誠一は星野、長谷見と言った後の名ドライバーを育て、自らもさまざまなカテゴリーで活躍しましたが、1974年の富士での大事故に巻き込まれ、風戸裕とともに亡くなっています。
GMの50年と言いますと、自分の「鉄道模型史」とほぼ被りますので、それぞれのページに懐かしい写真が随分出てまいりました。数は少ないながらも完成品を1970年代に手掛けていましたし、また、キットも時代が下るにつれ、少しずつ増えていきます。当時は高価な外国型を日本型に改造するか、自作するしかなかったストラクチャーも日本型のキットが発売されるようになります。私鉄車輌や小型車両など、大手メーカーが取り上げないラインナップもあり、あっと言わせ、わくわくさせてくれたものです。まだ小学生、中学生の身では上手に作れなかったことも確かですが・・・。
カスタム電車シリーズ、エコノミーキットなど、今でも流通しているものもあります。今では完成品を買えば済むものもありますし、さまざまなバリエーションを可能にするためにあえて「タイプ」としたものもありましたが、昔のモデラーは腕と経験に合わせて、より実物に近づける工作をしたり、妥協したりを繰り返し、形にしていったのではないかと思います。
現代のグリーンマックスは完成品メーカーとしても知られており、また、動力関連もコアレスモーターを採用してだいぶ進化しました。思えば床下機器も最初はゴツいダイキャストが入っていて、床板パーツにねじ止めしてウエイトを兼ねていたのが1980年代だったか、精密なプラパーツに置き換わりということで、キットも時代が変わるにつれてこれからも進化していくことでしょう。
GMというとオリジナルの塗料をリリースしていることでも知られ、私もかなりお世話になっています。白3号(これはMr.カラーの1・白と同じです)、黒(半艶の黒です)、銀などはノズルの粒子が細かいGMカラースプレーの方がMr.カラーのスプレーより使いやすく、エアブラシを多用するようになった今でも、鉄道模型だけでなく飛行機や車の模型の塗装でもお世話になっています。国鉄の車体色などに合わせたカラーは「最大公約数」のため違って見えることもある、ということで最近一部のカラーがリニューアルされましたが、色数、入手のしやすさ、他に応用がきく、ということでこれからも模型作りに欠かせないと思います。
GMというとスタッフとして関わり、先年亡くなった小林信夫氏の話も出てまいります。もともとトミーで製品開発をされ、入門用の蒸気機関車だったトミーのNゲージのCタンク(我が家の一号機関車でもありました)も小林氏の手によるものと聞いております。小林氏とトミーでともに過ごされた前川健氏(後に童友社でYS-11のキットを手がけられた方です)の話も興味深く、トミーがその昔出していた1/32の航空機キットの箱絵なども小林氏の手によるものだったそうです。GMのカタログや出版物に描かれたイラストの原画も本書では掲載されています。
また、関係者・モデラーからの寄稿も充実しています。牛久保孝一氏、嶽部昌治氏といった「中の人」、タヴァサホビーハウスの町田信雄氏、江頭剛氏、Eキットマン氏といったモデラーと、それぞれの立場で語っています。Eキットマン氏のエコノミーキット評はなかなか鋭く、共感したり、さらには「私の一段上のところで苦労されている」と思うこともありました。ちなみに同氏が「最難関」と位置付けている伊豆急のキット、私も苦労はしているのですが、いろいろなタイプの車輌が組める楽しさの方が勝っていた感があります(デカールと水性クリアの相性が悪かったのか銀帯が経年劣化してしまい、見るも無残な姿になってしまったのでリベンジしたい)。
と、長々書いてまいりましたが、私にとって印象に残るキットとというと、名鉄5500系(これは長野電鉄から富山地鉄まで同型の18m級電車を作れる、ということで名鉄や富山地鉄をつくったものです)、キハ04、キニ05の「バリエーションキット」、GMの店舗限定ブランド「クロスポスント」から生まれた地方私鉄タイプ2輌セット、そして通学でお世話になっていた東急の8500形といったところでしょうか。東急については8000として組み、内装、人形を乗せて完成させた後、リアルモデルコンベンションに参加させていただき、その後もNゲージショーなどで展示させていただいておりますし、その後ももう1編成組みましたので、やはり「相性がいい」のでしょうか。
建物では日本の民家シリーズの二階建ての商家でしょうか。こればかりは自作も叶いませんので、キット化は嬉しかったです。東京あたりでは大ぶりな建物となってしまいますし、後にトミーテックからジオコレシリーズで完成品も出ていますが、今でも我が家にストックがございます。
立派な箱に入った本書を眺めていたところ、家人から「なんだか卒業アルバムみたいだね」とツッコミが入ったのですが、板状キットは私の学校であり、卒業できない存在と思います。そしてGMキットと言うとかつて店舗で実施していたコンテストの上位入賞者に私の大学の後輩がおり、しっかりした工作力と美しい塗装は、私にとっても目標でありました。彼は20代で早世し、穏やかな性格も含めて好人物でしたから、私といろいろな意味で正反対の彼がなぜ、と思ったものですが、今でも板状キットをランナーから切り出すためにニッパーを握ると、その後輩を思い出すものです。完成品メーカーとしても地位を築いたGMですが、板状キットやストラクチャーキットのランナーを眺めたときのワクワク感はまさに「これから自分が形にするんだ」という気持ちそのものであり、これからもキットを通じて自分で作る楽しさを気づかせてくれる存在であったら、と思います。
(誌面から。フリーランスのレイアウトと車輛、須津谷急行の記事もあります)
(有名なあの文章もありますが「何らかの方法で埋める」というのもなかなかです)
(箱にはこんなシリアルナンバーの入ったシールも)