工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

あの日のコンテナ編成を探して  コキ10000形にさまざまなコンテナを載せて

2024年02月29日 | 鉄道・鉄道模型
 昨年、RM MODELS誌に拙作を掲載いただいたこともありまして、コンテナネタをこのブログでも掲載した次第ですが「コンテナ遊び」はまだ続いておりました。国鉄のコキ10000形にさまざまなコンテナを載せて遊んでみよう、というのが今日のテーマです。
 コキ10000形というのは昭和40年代前半に登場したコンテナ貨車で、高速運転に対応した車輌でもありました。青い台枠が特徴で、貨物の高速化とコンテナ輸送の発展に大きな役割を果たしています。
 当初は国鉄の分類で1種5tと呼ばれた10.8フィートの5tコンテナを5個(車掌室付きのコキフ10000は4個)積めるようになっていました。やがて、国鉄のコンテナが同じ5tでも12フィートの長さの2種が主流になりますと、コキ10000も5個から4個積みに、コキフ10000も4個から3個積みになりました(カトーのHO製品がそれを再現しています)。
 もちろん後の時代の姿でも構わないのですが、やはりコキ10000と言いますと、隙間なく積まれた「1種5t」のコンテナでしょうし、バラエティに富んだコンテナを見たい、という気持ちもありました。一方で古くからございますカトーのNゲージのコキ10000についてはコンテナが5個(コキフは4個)一体成型で同じタイプ、色のコンテナを積んでおりまして、分解したり乗せ換えたりが難しくなっていました。近年、トミックスやマイクロエースからもコキ10000がリリースされ、自由にコンテナを積めるようになっていました。また「ショップねこまた」から「こんてにゃあ」という1種5tのコンテナの塗装済みキットが数種リリースされたことで、さまざまなコンテナを積む愉しみもできました。ということで、たくさんの方が試されていると思いますが「こんてにゃあ」のコンテナを組んで、載せてみました。
「こんてにゃあ」のキットですが、C10、C11形式(通常の黄緑色)、R10、R13形式(白い冷蔵コンテナ)が発売されており、冷蔵コンテナの方はパーツの組み合わせでR11形式などにも対応できるようになっています。このあたりはメーカーのホームページでも詳しく解説されています。
キットはコンテナを思わせる紙箱に入っています。


箱を開けるとパーツがこんな風に入っています。


はめ合わせも問題ありませんし、コンテナの個体番号のシールも豊富に入っています。コンテナの上面を切り出した際に裏側にバリが出ますので、400番程度のサンドペーパー(私の場合はやすりスティック)で軽くならしておけばきれいにはまります。組み上げてそれぞれ番号を貼って、マイクロエースのコキ10000に搭載しました。なお、マイクロエースからは1種5tのコンテナが別売されており、こちらを載せるのも楽しいです。

「こんてにゃあ」については色合いも微妙に変えてあるのが特徴です。こちらはこんてにゃあの製品とマイクロエースの製品も混じっています。実際も退色するなどしてだいぶ色合いに変化があります。


こちらの1輌は冷蔵コンテナのみです。


左端のタンクコンテナはトミックスのT10です。


そして今回、カトーのコキフ10000のコンテナを外し「こんてにゃあ」のコンテナを載せました。RM MODELS 2023年12月号にも掲載がありましたが、私もこれを参考にやってみました。四本の爪で床下パーツと止められておりますので、丁寧に外し、ウエイトも外しました。そこにゴム系接着剤で今回組んだコンテナを等間隔に固定しました。

違う形式のコンテナが並び、隙間から反対側が見えるかと思います。

こうして、すべて写真には収めていませんが10輌の編成ができました。ちなみにコキ10000のうち1輌はカトー製品をそのままにしてあります(写真右)。

これはこれで整った美しさがありますし、過度なディティールは追っていないものの、すっきりとした仕上がりと適度な精密感はさすがだなと思います。

牽引機はEF66がお似合いなわけですが、我が家にあるのはトミックスのひさしつき、0番台後期のタイプで、昭和40年代後半のデビューですのでコキ10000が4個積みになった後の姿となり、年代的には合いません。そのうちひさしなし、前期型も欲しいなと思います。EF66についてはその昔我が家にあったパズルにSLとEF66(もしかしたら試作型のEF90かも)の組み合わせというのがあり、登場の背景や特急貨物を牽引できるスピードなど、子供心にスペシャルな機関車という印象がありました。





 

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45周年延長戦!? 伊東たけし メロウマッドネスセプテット公演

2024年02月25日 | ときどき音楽
 本稿でおなじみT-SQUAREの伊東たけしさんが毎年2月にスクエアとは別の形で行っている「メロウマッドネスセプテット」というライブがあります。スクエアの曲もあれば、他の楽曲のカバーなども演奏され、スクエアとは違った楽しいライブとなっています。ここ数年行く機会が無かったのですが、PR動画で「あまり演奏していなかったスクエアの曲をやります」ということで、おそらくいつものメンバーとは違う形で、スクエアの曲を発掘されるのではという期待もあって、観てまいりました。このライブ、時期が時期なのでよく雪に見舞われ、私も経験があったのですが、私が行った日は雪予報でしたが結局冷たい雨の一日でした。なお、23、24日の両日に2ステージずつのライブでしたが、私が見たのは23日の1stステージのみですので、他の回とは内容が違うかもしれません。あらかじめご承知おきください。
 メンバーは伊東たけし(sax,ewi NuRad)、中川英二郎(tb)、Luis Valle(tp)、安部潤(key)、養父貴(g)、田中晋吾(b)、川口千里(ds)の面々です。
 スタートは「DOWN TO MENPHIS」ということで2002年のアルバム「New Road,Old Way」のオープニングナンバーでした。うわあ、懐かしいというのと、そうか、これを持ってきたかったのか、ということで1曲目から気持ちが上がります。伊東さん曰く、昨年45周年ライブに向けた選曲をしていたときに、自身が一度離れていたスクエアに戻った直後に、安藤正容さんとのユニットの形で演奏していた時代の曲が気になったとの由。45周年ライブはその前の「宮崎・松本」時代の曲をフィーチャーしていましたが、確かに近年のライブでは2000年~2002年頃の曲はあまり聞く機会がなかったように思います。この時期は海外のミュージシャンと現地でレコーディングを行い、ツアーでは国内のミュージシャンと組んで、ということで、河野啓三さんや則竹裕之さんがよくサポートされていた記憶があります。
 「メロウマッドネスセプテット」ではサックス以外にトランペット、トロンボーンといった管楽器も入りますので、スクエアと言ってもちっょとジャズ寄りのこのあたりの曲が似合います。「New Road~」からは「HIT THE STREET」や「COME AND GET IT」が演奏されていました。また、トランペット、トロンボーンをはじめからメンバーとして迎えていたアルバム「CITY COASTER」からは「City Coaster」、「Trap It」が演奏されていました。なお、バラードは和泉宏隆さんが作曲の「Wonderful Days」が演奏されました。スクエアのメンバーとは違う演奏もまた味があり、心に沁みます。
 そして今回は伊東さんが初めて「NuRad」を演奏されていました。「IN THIS TOGETHER」(2000年のアルバム「FRIENDSHIP」より)というewiの曲なのですが、途中から白いNuRadに持ち替えて演奏です。「リハーサルで使っていたけど、まだまだで・・・でも演奏しないとかわいそうかな」ということでした。伊東さん、楽器のみならずトレードマークのお髭も白くなり「僕はネシロ」だから、と分かる人にしか分からないネタを繰り出していましたが、考えてみればその「ネシロ」から今年で40年です(分からない人はググってね)。中学生の私には40年後なんて想像つかなかったな。もっとも、40年前テレビCMで初めて観て衝撃を受けた方の演奏を、こうして今も観ているわけですから、不思議なものでございます。
 さて、今回はステージサイドと言いますか、真横からステージを眺めるような席でのライブでした。たまたま予約した際の順番でそうなっただと思います。奥のトランペット、ギターのお二人は少し遠い位置になりますが、それでもこの場所と言うのは目線も演者とほぼ変わりがなく、またアイコンタクトだったり、合図だったり、時には言葉での指示だったりといったミュージシャン同士のコミュニケーションが見えたりして、ライブならではの緊張感と言いますか、自分もメンバーやスタッフになったかのように楽しめる場所です。考えてみるとこのメンバー7人って全員凄腕で個性も強めですので、そこをバンドとして一体感のあるものにまとめている伊東さんの手腕も凄いですね。
 ということで7人の素晴らしい演奏を間近で体感し、昨年の45周年ライブの「延長戦」としても楽しめたライブでした。

公演フライヤーと2002年のアルバム「New Road,Old Way」のCDです。



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ポポンデッタ 東急5200系がやってきました

2024年02月24日 | 鉄道・鉄道模型
 ポポンデッタの東急5200系についてはずいぶん前に製品化のアナウンスがあって、気長に待っていようというところでしたが、先日沿線在住ベテランモデラー氏から「出たよ」とメールをいただき、私も予約してあった模型屋さんに駆け込んだ次第です。
 私が購入したのは大井町線の5連です。中間に緑色の5000系を挟んでいるのが特徴のほか、5200系自身が後年の更新で車体裾のコルゲートがなくなった姿となっています。写真では別付けの東急のマークも車体に取り付けてあります(ユーザーの加工というとそれくらいなのですが)。

先頭車2輌も細かな違いがあるのですが、きちんと作り分けられています。
先頭車のアップです。パンタグラフがごついという感想も聞かれましたが、碍子のところが少々大きく感じられます。実物も縦方向に碍子が伸びていて、個人的には許容範囲ですが。


中間車2輌です。


こちらが5000系の中間車です。緑色がリアルに発色されている感じがします。


5200系の中間車と並べてみました。


模型屋さんでの試運転でも、また同社の西武20000系でも感じましたが、とにかく走行がスムースで静かです。なかなか製品化に恵まれなかった形式ですので、待っていたファンも多いことでしょう。
せっかくなので我が家の東急ステンレスカーたちと並べてみました。スペースの都合、5200系の現役と被る車輌たちです(厳密に言うと9000系も被っていますが)。

左から5200系、6000系(鉄道コレクション)、7000系(KATO)、7200系(クロスポイントキット)、8000系(GMキット)、8500系(クロスポイントキット)、8090系(GMキット)
こういうことができるのが模型の楽しさですね。
さて、実物の話も少ししておきましょう。東急では昭和29(1954)年に5000系という車輌が登場しています。こちらはモノコック構造、直角カルダン駆動という先進的な車輌で、航空機に範をとったとされるモノコック構造は鉄道車輛では普及しませんでしたが、直角カルダン駆動はいわゆる「新性能車」のさきがけとなりました。この時代、レーシングカーも多くが鋼管スペースフレーム構造を採用しており、本格的なモノコック構造のF1マシンが登場するのは1962年のロータスが最初、とされていますので、かなり「攻めた」設計だったことがわかります。

東急5200と5000、5000系の方はGMの板状キットを組んだもので、1998年に製作したものです。拙い旧作で失礼。


5200系は1958(昭和33)年に登場しており、普通鋼の骨組みにステンレス外板を貼った「スキンステンレス」とか「セミステンレス」と呼ばれる構造が特徴です。ステンレス車というと軽量化というイメージがありますが、こちらに関しては5000系よりも重くなっており、無塗装によるメンテナンスフリーが目的だったとも言われています。作られたのは4輌1編成のみで、試作的なところもあったのでしょう。東急車両の方だったかが以前話されていたのは、5200系は5000系の延長と言うか、5000系の最終グループのような位置づけ、ということでしたので、5000系の「ファミリー」に含まれるのでしょう。
東横線、田園都市線、大井町線などで活躍、昭和47(1972)年、昭和58(1983)年には更新工事を受けています。1972年の更新では客用扉の窓が小さなものになったほか、1983年には台枠の補修で車体裾のコルゲートがなくなったほか、前照灯がシールドビーム2灯化されています。私は1980年頃、東横線に乗っていてすれ違ったことがありました。模型は1983年の更新後の姿です。最後は目蒲線で3連で運用、昭和61(1986)年に東急での運用から離れ、先頭車2輌が上田交通に譲渡され、1993年まで走りました。私が上田交通を訪れた1986年夏に「別所線に新型電車登場」というポスターがありましたが、そこにも5200の姿がありました。上田から戻ってきた1輌は東急車両(現・総合車両製作所)で保存されており、日本機械学会から機械遺産としての認定を受けています。

(2019年9月1日のブログからの再録です)
試験的な位置づけと書きましたが、東急のステンレス車の歴史はこの形式から始まりました。5200系からもう一歩進んだ形で6000系が登場、セミステンレス車として5編成、20輌が投入されます。さらに、アメリカ・バッド社との提携により、昭和37(1962)年にはオールステンレス車の7000系が登場し、こちらは本格的なステンレス車として100輌以上生産され、成功を収めます。

(左から5200、6000、7000の各形式)
よく見ていただきますと5200と6000では客用窓と屋根上機器に、6000と7000では戸袋窓を廃したスタイルと両開きの扉にデザインの共通性が見て取れます。銀色の電車ではありますが、以前も書きましたように東急のステンレスカーはこういった「デザインの連続性」があって、そこがまたファン的には魅力であります。
そしてこの3つの形式とも、18mという短い車体が奏功したのか、地方私鉄でいずれも第二の人生を歩み、長きにわたって活躍しています。試作的かもしれませんが、後の東急=ステンレス車という方向性を決めた形式として、5200系は名車と呼ぶにふさわしいでしょう(ってどこかのプラモデルの実物説明みたいだな)。

参考文献・鉄道車輛ガイド vol.35 東急5000・5200系電車 ネコ・パブリッシング





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オフシーズン雑感 2023/2024

2024年02月20日 | 自動車、モータースポーツ
 F1も3月の開幕を前に、各チームの新車が発表されております。昨年はレッドブルととりわけエースのフェルスタッペンの一強となったシーズンで、シーズン最多勝、勝率などさまざまな記録ずくめの一年となりました。1988年のセナ・プロスト時代のマクラーレンホンダの16戦15勝と比較されることもありますが、あのときはセナとプロストが終盤までタイトル争いをしており、一方2023年の場合フェルスタッペンがほぽ独走で、予選では振るわなくても決勝後の表彰式ではオランダ国歌が流れるという週末が繰り返されたのも特徴的でした。
 オフにもいろいろ話題があり、1年後の2025年からフェラーリにルイス・ハミルトンが移籍するというのは驚きでした。F1のキャリアとしてはマクラーレン時代を含め、メルセデスと共にあったような選手ですから、いちばん行かなさそうなチームに移籍する感があります。まあ、私もティフォシの端くれですから、加入すれば応援することになりましょう。ちなみにイギリス人のフェラーリドライバーと言うと北アイルランド生まれのエディ・アーバインやもうちょっと遡るとマンセルもそうなのですが、意外に少ないように感じます。ハミルトンも「フェラーリドライバー」の肩書が欲しいのかな。「巨人軍OB」みたいなものだからな。
 ハースチームの代表に日本の小松礼雄さんが就任、というのも話題となりました。日本でも人気のあったギュンター・シュタイナー氏が退任、その後を引き継ぎましたが、長年チームと共にいて、チームの長所も短所も理解されている方ですから、低迷するチームを少しでも上向きにできたら、と思います。以前も書きましたがここの二人のドライバーはいぶし銀の魅力がありますから、彼らが「レース巧者」ぶりを発揮してくれることを祈ります。

 さて、鈴鹿サーキットのサイト内に、昨年の日本GPを観戦した100人にさまざまなインタビューが行われていました。100人に対する質問に、私ならこんな風に答えるかな、ということで、まとめてみました。
①名前と出身地、年齢を教えてください  
marco 東京都出身、50代
②F1を好きになったきっかけを教えてください  
学生の頃F1ブームで、中継を観ていなくてもセナやプロスト、中嶋や鈴木亜久里のことは知っていました。1991年春、深夜にたまたま中継を観て以来、中継を欠かさず見るようになりました。
③推しチームとドライバーを教えてください  
フェラーリ。アレジとカペリがいた低迷期の頃からのファン。ドライバーはフェラーリの二人もそうですが、20人全員それぞれに魅力があって好きです。
④日本グランプリ観戦を決めた理由はなんでしょうか  
日本GPは1997年以降欠かさず来ており、地元国のGPは現地観戦したいから。足を運べる限りこれからも現地で観戦したいです。
⑤日本グランプリのほかに行ったことがあるグランプリと、行きたいグランプリは
行ったことがある・・・英田(1995年パシフィック)、富士(2007,2008日本GP)
行ってみたい・・・モナコ、モンツァ、スパ・フランコルシャン、シルバーストーンなど、欧州のクラシックコース
⑥この会場(鈴鹿サーキット)に来たら買う物は
家族のためのTシャツ、自分のためにプログラムと手ぬぐい。また「ぐるめぷらざ」で三重の日本酒とあおさのりの佃煮
⑦日本グランプリに来たら、行く所は
ドミニク・ドゥーセさんのお店。焼き菓子は家族のお土産のリクエストに入っています
⑧おすすめの「サーキット飯」を教えてください
ドミニク・ドゥーセさんのところのパンやラザニアは一度は食べています。
⑨今回観戦した場所、観戦したかったエリアを教えてください
観戦した場所・・・V2グランドスタンド
観戦したかった場所・・・パドック、と言いたいところですが将来豚児を連れてこられるようになったら、S席(ファミリーシート)。R-BOXも楽しそう。
⑩外国人F1ファンにおすすめの観光スポットは
名古屋近辺に宿泊しているのであれば、名古屋は「リニア・鉄道館」、トヨタの博物館など乗り物系の博物館が充実しているので乗り物好きにはお勧めです。

さて、ジャーナリストがどのように日本で過ごしたのかというのもあって、ポルトガルのルイス・バスコンセロス氏は何度も訪れているだけあって日本の楽しみ方をたくさん知っているようですし、日本にも知り合いが多いのか、ちゃんこ鍋に屋形船と楽しい滞在となったようです。もっとも、一人で食事をしたいときは「おいしくて早い」という理由でロイヤルホストや牛丼屋さんを挙げているのも興味深いです。さすが、日本の外食をよく分かっていらっしゃる。
一方でブラジルのジュリアン・セラゾリさんは着物体験をしたり、力士と記念撮影したりと東京の観光も楽しんだようで、夜は新宿のゴールデン街で飲んだ、とありました。歌舞伎町でのイベントの後のことでしょうが、レッドブルチームのホーナー代表がゴールデン街でカラオケを楽しんだともあります。ゴールデン街も「観光地」になっているみたいですね。語弊を承知で書きますが、昔は「堅気の商売の人が飲む場所ではない」というイメージの場所でした。

今年は日本GPが4月上旬開催なので、早くもイベントなどの告知も出ております。JRも急に商売っ気を出したのか、臨時列車の増発の話も聞こえています。心配なのは4月上旬が日によっては寒かったり、風が強かったりということもあるので、東京だと必ず一日くらいは冬の装いになったりしています。穏やかなお天気になることを祈るしかありません。この時期は花粉症の私にはちょっとつらいので、強い風は困りものなのです。










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書くことは山ほど、いや丘くらいはあって

2024年02月20日 | 日記
 ごぶさたしています。仕事もそこそこ忙しいのですが模型の方も相変わらずあれこれ手を出しています。慣れない迷彩色を塗ったり、クレオスのメタルカラーで磨きだしをしたり、オークリーフパターンを塗ってみたり、コキ10000にコンテナ載せて喜んだり、銀色の電車が我が家に入線したり、Nゲージの建物を塗り替えたりということが1月から2月にかけてありました。お見せできるものからご紹介しますのでお待ちください。

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