工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

クレオス ラスキウスカラー・アウラを1/150カーモデルに塗ってみた

2023年12月06日 | 工作雑記帳
 模型屋さんに行きますとアクリル、エナメル、水性といった別だけでなく用途別でもさまざまな塗料が並んでいて「こんなの出ていたんだ」と改めて発見することもあります。
 GSIクレオスから「ラスキウスカラー アウラ」という塗料のシリーズが出ています。もともとラスキウスカラーはアニメ・キャラクター系モデルやフィギュアなどの顔の塗装の為に開発され、皮膚の質感などをMr.カラーと同じ性質の塗料で再現できるというのが売りです。こういう塗料はファレホなどの水性塗料の独壇場と思っていましたので、Mr.カラーで塗りたい、というユーザーからの声があってクレオスさんも作ったのかな、という感じでみておりました。「アウラ」についてはフィギュアの髪の部分を再現できるという触れ込みで開発されたそうで、ミリタリー系やスケールモデルなら髪の毛は黒かマホガニーかグレー、金色あたりを混ぜて、あとはつや消しのトップコートでおしまい、となりますがそう簡単にはいかないジャンルの模型のための塗料ということで「濡烏」、「栗毛色」、「亜麻色」といった髪色として想像がつく色から水色やライラックなど実にさまざまな色が出ております。発売はだいぶ前で、私もなんとなくは知っていましたが模型屋さんで蓋の色を見て、この淡い色って自動車、それも1960年代の今よりずっとカラフルだったころのそれに使えないか?となって興味のある色を買ってみました。
 我が家にはトミーテックから発売のカーコレクション第1弾がまとまって買ってありました。若い方ですと既に昔のカーコレクションは知らないよ、と言われそうなので説明しますと、第1弾はブラインドパッケージで1960年代初頭の自動車をセットしており、日産セドリック、ダットサン・ブルーバード、トヨタ・コロナ、プリンス・グロリアスーパー6といったあたりが入っていました。そのうちコロナを除いた三車種についてはまとまった数があるのは良いのですが、同じ色のものもあって、カタログカラーにないけどあの時代の自動車っぽくカラフルにしたいなあ、ということで今回の「実験」の対象となったわけです。

 まずは車体を分解し、もとの塗装をはがします。以前からカーコレクションの塗りかえは経験があり、イソプロピルアルコールなどで落としていたのですが、作業中も、また作業後の処理なども含めていろいろと手間ですし、小さな子供もいますので今回は密閉できる容器にMr.カラーの薄め液を入れて俗にいう「シンナードボン」で落としました。10分~15分くらいでもとの塗装があらかた落ちてくれました。長く漬けると車体が割れる恐れもあるので、ほどほどに。
 モールド色が半透明の白系の色ですので、そのまま色を塗っていくことにしました。なお、塗装は一部を除いてエアブラシによります。
CL101 ブロンドで塗ったのがこちら

セドリックとブルーバード、淡いクリームイエローという感じです。そういえばフォルクスワーゲン・ニュービートルにもこんな色がありました。

CL104 ピンクパープル

ピンク色はMr.カラーでもラインナップにありますが、ピンクよりもやや落ち着いた感じになります。セドリック(右)の屋根はグランプリホワイトに塗っています。あの時代の外国車にありそうな色になりました。

CL105 ライラック

グロリア(左)にこういう色はありません。黒とか紺とか、割と重厚な色が多かったようです。皇族方も乗られていたそうですね。屋根はGMカラーのアイボリー(小田急のアイボリー)です。このグロリアについては日本駐在の某国の大使夫人がこの車の性能にほれ込んで自家用で使っている、という設定にでもしましょうか。
ブルーバードもこの色が似合っています。うちの近くにバンデンプラス・プリンセス(!)というかなりレアな車が駐車していて、もうちょっとグレー系に振った色でしたが、1960年代の自動車ならライラックが似合いそう、とヒントをもらった次第です。

CL108 浅葱色

浅葱(あさぎ)色はごく薄い藍色、明るい青緑色とネットには書かれています。この塗料に関しては緑の痕跡はあまり見いだせず、どちらかというと103系、201系の時代までの国鉄の青22号に近い感があります。GMカラーの青22号がなんだか物足りない、というモデラー諸兄は試してみたら!?
左側のみカーコレクション第2弾のハコスカが入っています。真ん中はセドリックのタクシーで銀色帯のデカールを貼りました。右側のグロリアはフレンチブルーのフランス車気取りになっています。

CL109 ライムグリーン

軽快感があって、とてもいい色です。このくらいのサイズの自動車に似合っている感じがします。Mr.カラーの「ルマングリーン」の鮮やかな黄緑でもなく、艦船模型用の外舷色でもなく、GMカラーの黄緑6号(山手線の車体色)、ライトグリーンB(京阪の上半色)でもない明るいライトグリーンです。

塗装をはがしたことで本来印刷されていた灯火や銀色のモール部分も落ちてしまっていますので、面相筆で極力再現はしていますが、仕上がりが汚くなってしまっては元も子もないですから、自分の技量に合わせてほどほどにしています。
この「アウラ」ですが、隠蔽力が強く、こういった中間色ですと下地の色に影響されがちなものですが、うまく乗ってくれたと思います。クレオスからは以前「みるきいぱすてるカラー」というパステル色系のカラーもあって、このブログでも国鉄の2等車の帯色に応用した記事を書きましたが、入手できなくなって久しいですし、あちらは「色の源」など他の色との混色なども想定して作られていましたので、色単体としての隠蔽力では若干弱いかな、という印象を持っていました。また、アウラに関しては変に「混ぜて」いないのでピュアな色が欲しい時に便利かなという感もあります。
今回使わなかったCL102 栗毛色とMr.カラーの「茶色」とは何が違うのかとか気になりますが、CL107 亜麻色も昔の車の2トーン部分に使えそうとか、CL111 空色は混じりっけのない水色で使えるなあという感じで、いろいろな模型に使えそうです。アリイ(旧LS)1/32のオーナーズクラブでも昔の乗用車はラインナップされていますので、気になる方はトライしてみては。

昭和30年代の乗用車というと、観音開きのクラウンが取り上げられたりするわけですが、今回ご紹介したセドリックやブルーバードなども好きで、国産車が外国車のノックダウンからようやく抜け出した時期の自動車ですので、どこか外国車の影響が見て取れたりもします。ということで私も今回塗り替えた自動車については「なんちゃって外国車」として欧州型のストラクチャーと組み合わせたいなとか、いろいろ考えています。ちなみにセドリックのパトカーも灯火の赤い塗装を薄め液で落としてクリアブルーに塗り替えて、車体も塗り替えてヨーロッパのパトカーや憲兵のパトカーにして楽しんでいます。Nサイズの昔の欧州車は海外メーカーからもリリースされていますが、それなりに値段もしますので、こういう楽しみ方もありますよ、ということでご紹介した次第です。

 

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ただいま、勉強中!?

2023年04月20日 | 工作雑記帳
 先日のブログを読まれたいつものベテランモデラー氏から「タモリ俱楽部と言えばその昔、北斗星に乗るという企画があって、なぎら健壱が仙台駅で置き去りにされた一件も書いて欲しかった」というご指摘がありました。そうそう、まだ北斗星が運用を開始してから日が浅かった頃かと思いますが、そんなことがありました。なぎらさんは新幹線で追いかけて盛岡で追いつくのですが・・・。ベテランモデラー氏のご指摘のとおり、あの頃は鉄道ネタも少なかったと思います。
 さて、今日は模型の製作、とりわけ建物、小物などの塗装に関することです。AFVのモデラーの方々はよくご存じかと思いますが、塗料や最近ではキットもリリースしているスペイン・AKインタラクティブからAKラーニングシリーズというジオラマ制作のためのテクニック、ヒントなどを紹介した本が出版されています。日本語翻訳版がモデルアートから発売されていて、模型店で入手できます。
 私が持っているのは「ジオラマ模型 建物製作の極意」と「木材を再現する質感塗装の極意」です。前者は実感的な建物の製作方法、塗装方法について解説がされており、キットの活用だけでなくプラ材、発泡材、コルク、金属線、さらには本物の石に至るまで動員してその特徴、作例などが掲載されています。
 「木材~」ですが、模型ではプラスチックやレジンでできている木の樽、箱といったものから船の甲板に至るまで、実感的な塗装が施された作例を見ることができます。ただ茶色い色を塗っておしまいじゃないのが木の質感の難しいところで、グレーをベースにした方がいいことも時にはあるでしょう。また、気候などで色も変わりますし、本書にあるように木部と接している金属はどんな色なのかとか、改めて実物もきちんと観察しようと思った次第です。また、双方の書物では水性塗料がほとんどの場面で使われていますので、安全性やにおいなどにもある程度配慮されたものとなっています。

 本書は1/35の情景等を製作する場合を前提に書かれていると思われますので、Nゲージやそれに近いスケール(1/144~1/160)、1/72やHOゲージ(1/80~1/87)では仕上げ方も少し異なってくるかと思われます。カトーの木造商店やGMの商店、住宅の仕上げがリアルなものとなっていたら、それは本書のおかげかもしれませんね。

 もう一冊はこちら「やこうれっしゃ」(西村繁男著 こどものとも 傑作選)です。鉄道を題材にした児童文学では有名で、豚児のために買ったものですが、子供向きだからこそ、きちんとした内容となっています。本書には文字は出てきません。すべて見開きの絵で展開していきます。まず、スキー板を担いだ旅客も見える冬の上野駅のコンコースから物語が始まります。ホームに停まっているのは夜行急行のようです。新聞輸送とおぼしき荷物車が見えます。やがて列車は上野をあとにし、車内の旅客の種々相が描かれています。


オロネ10とおぼしきA寝台、リクライニングシートを倒した状態のグリーン車、B寝台車、そして座席車の人たちが一夜を明かしていく様子が車内を描いた絵と共に紹介されます。やがて夜が明け、台車などに雪をたくさんつけた列車は金沢とおぼしき駅に到着します。この列車は急行「能登」をモデルにしているようです。この本、駅の様子や列車内のお客さんがどう過ごしているかなど、実に丁寧に描き分けていて楽しいです。情景を製作したり、列車内に人形を乗せる場合など、こういう人いるよね、とか車輌によっても過ごし方が変わってきますので、車輌に人形を乗せるときもそれぞれの旅客の背景も考えながら乗せると、ぐっと実感的になります。本書も豚児と一緒に眺めていても楽しく、Nでは難しいけど16番ならこういう光景も作れそうだな、などと思うのでありました。
 模型のお勉強?はまだまだ続きます。そこからいいものが生まれたらいいなとも思うわけです。
 

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ローマで撮られたある写真のこと、番外編

2023年04月10日 | 工作雑記帳
 二回にわたってローマの街角風ジオラマを掲載しましたが、実際のローマの街角や石畳、それからフィアット・トポリーノの実車についても今日はご紹介します。私の模型よりも(たぶん)役立つこと請け合いです。
 まず、今回作ったローマの街角の「現代編」です。

背景の壁は途中で切れていますので、右側の空間が道路にも、広場や交差点でも使えるようにしています。石畳はタミヤの製品ですが、茶色、黒などいくつかの色を薄めて上から塗ることで単調さを防いでいます。
では実際の石畳を見てまいりましょう。2013年春に撮影したものです。

自動車の方が気になりますか?そりゃそうですよね。黄色いフィアット500なんて、ルパン三世かと思いますよね。でもここは足元にご注目。実際はこんな感じでかなり「黒い」です。他の場所もみてみましょう。いずれもローマ市内です。

パトカーの足元も・・・

ちょっと画像は暗いですが、広場もということで、実際のイメージがつかめましたでしょうか。あまり聞きたくない話かもしれませんが、石と石の隙間に注射器が落ちていたりすることもあり、それもまた、街のリアルではあります。
風情のある通りです。

でもこの石畳、靴には優しくありません。スニーカーでも一日歩き回れば文字通り足が棒になります。
紀行番組で街歩きに特化したものもありますし、ストリートビューなどでも街の様子は分かりますので、ローマに限らず日本に居ながらにして海外の風景を作ることも可能です。あとは、いかに「ありそうな」風景を作るかですね。

 さてお次はフィアット・トポリーノです。愛知県長久手のトヨタの博物館に展示されています。

なかなか落ち着いた塗装です。
フロント周辺。ホイールの「FIAT」の文字やサイドのステップに注目。

分かりづらいですが、シートの形状はタミヤのシムカとは異なります。

フロントの反対側。方向指示器などが見えます。

小さな乗用車は昔からイタリアの「お家芸」ですね。


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野球が盛り上がっているので・・・

2023年03月22日 | 工作雑記帳
 WBC盛り上がりましたね。日本代表のみなさま、おめでとうございます。決勝戦も緊張感あふれる試合でしたし、21日のメキシコ戦は劇的な試合でした。WBCは2006年、2017年に東京ドームで日本戦を観ており(2017年はキューバ対豪州戦も観ました)、2006年にしても2009年にしても、優勝まで山をいくつも越える感じだったことを思い出しました。特に2006年の代表は、第一回ということもあって全員が挑戦者という立場だったせいか、選手たちが隣町に遠征した中学生のような感じでプレーしていたこと思い出します。「強豪国」である日本には、メディアの過度な期待もあったかと思います。チームのプレッシャーも相当あったのではと思います。サッカーの強豪国も、きっとこういうプレッシャーとも戦っているのでしょう。
今回大会はテレビ観戦ではありますが、3月13日(日)などはグループリーグも大詰めということで朝から晩まで工作しながら4試合も(!)観戦しました。Jスポーツの中継でイニング終了後にかかる「なにがなんでも、なにがなんでもさあー♪」のメロディが頭から離れていません(汗)。
 WBCに絡めて野球に因んだ模型を探してみました。写真多めになりますが、なにとぞご容赦ください。
 まず有名どころ、というわけではないのですが1/87の人形でおなじみ、プライザーから野球選手が出ています。ただし、選手を11人入れたサッカーのセットとは違い、投手と打者1人ずつが単体で出ている限りです。




あか抜けない赤と青、しかもチーム名の無いユニフォームで、おまけに動きという点でもあと二コマ先の動きが見たかった感があります。プレイモービルの時も書きましたが、野球が「お家芸」ではない国だと、我々ほど思い入れも強くないのかもしれません。サッカーの場合、前述のプライザーだけでなく、メルテンに至っては審判やコーナーフラッグの入ったセットもありました。
 近いスケールではこんなものが出ていました。シーザーミニチュアというメーカーの1/72「スポーツマンセット」です。

箱は共通ですが野球、サッカー、バスケの3種類が出ていました。箱絵の野球のユニフォーム、権利関係とか大丈夫でしょうか。ア・リーグ東地区のあのチームとあのチームに見えます。
内容は軟質プラの人形が8種類のポーズで20体あまり入っています。そのうち4種類を塗ってみました。軟質プラという特性上、プライマーを先に塗り、一日おいてプラカラーで着色しました。なお、いずれもユニフォームのデザインは架空のものです。


チームの打の中心でしょうか。引き付けてスイングの動作に入るところです。
投手です。


捕手からのサインを見て、投球モーションに入る前です。
そして左足を上げて・・・



守備の名手もいます。内野手がゴロに追いつこうとしています。


足元にピントが行ってしまいましたが、外野に抜けるゴロを捕ろうとしています。

そして大きな当たりは・・・


外野手がナイスキャッチでした。モールドからしてこの外野手のユニフォームは袖なしタイプのようです。袖なしタイプは日本でも思い出したようにサードユニフォームとして採用しているチームがあります。

未塗装のままですが、

バッテリー二人です。ピッチャーは本格右腕という感じですね。


左はホームランを放ったのか、悠然とベースランニングしているように見えます。隣の打者はまるでゴルフのスイングですね。高く打球が上がったようです。
このフィギュア、発売からかなり経っており、私もこの四体を塗ったのは数年前でしたが、レビューした方も見かけないのでご紹介しました。塗装をしていないと昔の野球盤についていた各ポジションに立たせる人形みたいですね。一箱あったところでチームが揃うわけでもないので、単体で何かのシーンを再現するとか、今はなきチーム、昔あったデザインのユニフォームを立体で再現したい、という使い方もありそうです(日拓ホームフライヤーズとか、トンボユニオンズなんかもできますよ)。さすがにニューヨークや幕張の某チームのようにピンストライプを再現するのは難しいですし、背番号に合わせた数字の書体を探してくるのも苦労しそうですが。

Nゲージではどうでしょうか。トミーテックからはちゃんとチームになるようにザ・人間のシリーズで野球も出ています。

色違いも出ていますので、レイアウトのグラウンドで試合ができそうです。白を基調にしていて、チーム名もないので、中学や高校の野球部の練習みたいですね。

さらに空き地の頂上決戦がこちら。ウッドランドシーニックスの少年野球です。


ウッドランドの人形は生活感が出ているものや、どこか温かみがあったりするものをみかけますが、こちらの少年たちもまさにそんな感じです。レイアウトの空いたスペースに緑のパウダーを撒いて牛を置いてというのは昔よくみかけましたが、10センチ四方でもNゲージサイズなら15m四方になります。まさに空き地の野球のレベルではないでしょうか。

 WBCの話に戻りますが、第一回、第二回の頃はアメリカの関心もさまざまだったように記憶しています。2009年に海外で知り合ったアメリカ人家族はボストンの出身ということで、その家の子供がレッドソックスファンとのことでした。WBCでMVPを獲るも、シーズンでは不調だった松坂大輔の話になり「日本の野球界はWBCをとても重要に考えている」と説明しましたが、なかなか分かってもらえないようでした。もっとも、松坂がいかに凄い選手か、ということは私もよく分かっていますので「マツザカはハイスクールの時から誰もが注目していたし、プロのデビュー登板をスタジアムで見たけど(これは本当)、あれは新人とは思えなかった」とちょっと自慢も交えつつ、野球談議になりました。
 今回の大会ではグループリーグでヨーロッパ勢もいい試合をしていましたし、初出場のチェコ代表も話題を提供していました。イタリア系アメリカ人を中心にチームを組んだイタリア代表と日本が準々決勝を戦いましたが、イタリアびいきのmarcoさんはどちらを応援するのですかと聞かれ「そりゃあジャポーネだよ。大谷。ダルビッシュばかりが注目されるけど、佐々木、今永、山本のノーヒッター投手が(以下略)」と熱く語ってしまうわけです。今回はスタジアムで観戦とはなりませんでしたが、国によってもスタジアムの空気は違うようで、中継で見た台湾のスタジアムはとても賑やかで、ちょっと台湾のスタジアムも覗いてみたくなりました。
 さて、長くなりましたが今日はここまで。日本代表の勝利と素晴らしい試合をした各国のチームを称えて、乾杯しましょう。













 

 

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それぞれの、9月2日

2022年09月02日 | 工作雑記帳
 今日、9月2日は昭和20年に東京湾上の米戦艦ミズーリの上で日本が降伏文書に署名し、第二次世界大戦が書類の上でも正式に終結した日となっています。勝者となった米軍の軍人たちにはこんな形で9月2日を迎えた人もいるのではないでしょうか。多くが戦場では無名の存在です。多少の想像を加えて書いてみました。
ケース1 チャールズ・デニス・プチンスキーは陸軍航空隊に所属し、B-29の銃手でした。グアムから日本本土に26回出撃(うち偵察任務5回)し、終戦を迎えました。メッサーシュミットのような形をしたTONY(三式戦闘機飛燕)、サンダーボルトのようなTOJO(二式戦闘機鐘馗)、ずんぐりしたJACK(雷電)と対決し、地上からの砲撃に耐え忍ぶ日々も終わりました。これで本国に帰れるとほっとしていたかもしれません。でも、帰ったら何をしよう?もうペンシルバニアの炭鉱で働くのはごめんだからな。
ケース2 リチャード・ジェイコプソンは米陸軍におり、生まれ故郷に近いニューヨーク州で乗馬の教官をしていました。志願していたパイロットにはなれなかったものの、傷痍軍人のリハビリプログラムを作成したり、前線に出なくとも求められる仕事をしていました。彼の戦争も終わりました。恵まれた身体能力を活かした仕事に就きたい、と漠然と思っていたのかもしれません。
ケース3 リチャード・ピーポディは米海軍の電信技術者でした。この戦争は電子技術が本格的に使われるようになった最初の大きな戦争で、17歳で入隊してから終戦を迎えたときには自らの仕事が勝利に貢献できたと思っていたかもしれません。そして、自分は有名になりたいのだけど、海軍の技師で有名になった人はいないな・・・と気づき始めていたかもしれません。
ケース4 エルメス・エフロン・ボルニーニョはコネチカット州出身で、名前のとおりイタリア系移民をルーツに持っていました。一度は海軍を退くも、真珠湾攻撃で再度志願して、大西洋沿岸で対潜哨戒用の艦艇に乗り、ドイツ軍などの動きを監視していました。海軍暮らしは足掛け10年となっており、下士官になっていました。
ケース5 ラモント・ウォルトマン・マーヴィン・Jrは海兵隊員でした。サイパンの戦いで機銃と狙撃手からの狙撃で負傷し、除隊します。9月2日には既に故郷ニューヨークで配管工の見習いの仕事を始めていたころでしょうか。仕事はこれからたくさんあるだろう・・・。
ケース6 ジョン・ドノバン・キャノンは陸軍にいました。故郷のアイダホからニューヨークに出てきて演劇の勉強を始めていましたが、他の若者と同様、兵役に就いていました。何かと威張る上官やさまざまな出身地からやってきた戦友たちとの交流が、演技に活かされたかもしれません。
ケース7 アリストテレス・サバラスは陸軍の医療部隊で訓練を受けていた際に事故で負傷し、軍を退いていました。9月2日時点ではコロンビア大学で心理学を学ぶ学生でした。
ケース8 ウィリアム・デニス・ウィーバーは海軍にいました。F4Fワイルドキャットのパイロットとして終戦を迎えます。生きて帰れることができたから、幼馴染と結婚ができる、と思っていたことでしょう。
ケース9 ジョン・ユーラー・レモン三世は演劇に親しむ学生でしたが、海軍士官が不足する中、大学生の士官訓練プログラムに参加していた一人で、エセックス級空母「レイク・シャンプレイン」乗り組みでした。この空母は1945年6月に竣功、戦場に赴くことがなく終戦を迎えています。

この人たちのその後です。
ケース1 戦後いろいろな職業を経て役者になりますが、赤狩りでロシア風の名前では仕事が来ないと言われ、チャールズ・ブロンソンに改名します。銃手の仕事が役者稼業に活かされたかどうかは分かりませんが、X-15のパイロット役も演じています。
ケース2 彼がたどりついたのも演劇の道でした。さまざまなアルバイトなどを経てリック・ジェイソンの名でテレビシリーズ「コンバット!」のヘンリー少尉役で人気を博すのはこの十数年後です。
ケース3 彼は除隊後、大学の電気工学課程から文学課程に移り、後に映画製作などの仕事に職を得ます。やがて自らが出演する側となり、ローカル局のニュースキャスターを務めたこともありましたが、基本は製作サイドの人間で、ラジオCMのプロダクションも持っていました。さまざまな偶然がきっかけで、彼は「コンバット!」の大男、リトル・ジョンを演じました。
ケース4 退役後に演劇学校に進んだ彼は、1950年代から活躍し、亡くなる2012年まで生涯役者として現役でした。テレビシリーズのエアーウルフにも出演していたアーネスト・ボーグナインです。
ケース5 彼は配管工の仕事をしているときに仲間から舞台の出演に誘われ、結局それが天職となりました。リー・マーヴィンの名で、オスカー受賞俳優にもなっています。
ケース6 彼はJ.Dキャノンの名でテレビ映画などで活躍しました。日本では警部マクロードの上司役で覚えている方も多いでしょう。
ケース7 後にテリー・サバラスの名前で活躍します。ニューヨーク市警怒りの用心棒、刑事コジャックです。
ケース8 デニス・ウィーバーは警部マクロードで、またスピルバーグの「激突」でも有名です。
ケース9 コメディ役者、ジャック・レモンのことです。戦地には赴きませんでしたが「ミスタア・ロバーツ」、「南太平洋ボロ船作戦」で海軍軍人役を演じています。

 さて、未来のハリウッドのスターたちの9月2日を想像を交えて書きましたが、ミズーリの艦上にはこの戦争を戦い抜いた海軍の将官がいました。彼はキング提督の「子飼い」として頭角を現すも、戦闘そのものより台風などの気象災害で損害を出したことで責任を問われます。休養という事実上の更迭を言い渡され、失意の中で降伏文書の調印を見守っていたかもしれません。同じく海軍の道に進んだ息子とも日本で再会、この後はアメリカに空路で帰国することになっていました。9歳の誕生日を迎えたばかりの孫に会えるのを楽しみにしていたことでしょう。この将官の名をジョン・S・マケイン・シニアと言い、孫のジョン・S・マケイン3世はやはり海軍に進み、その後は共和党の議員として大統領選挙に立候補することになります。




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