工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

追悼 和泉宏隆さん

2021年04月29日 | ときどき音楽
 こんなに早く、お悔やみの記事を書くことになるとは思いもよりませんでした。今日は長くなると思いますし、読んでつらくなる方もいらっしゃるかと思いますので、あらかじめ申し上げる次第です。
 ザ・スクエア(現T-SQUARE)のキーボード奏者として1982(昭和57)-1997(平成9)年まで在籍し、その後も活躍を続けていた和泉宏隆さんが62歳で急逝されました。先日のブログで元気な姿を拝見し・・・と書きましたし、連休中も配信によるライブなどを予定されていたそうです。急な訃報を聞いたのが昨日のお昼のことで、そのときはただただ言葉も出ず、ショックというのと、残念でならない気持ちでいっぱいでした。
 和泉さんは高校時代に既に「人前で演奏をしてお金をいただいていた」ことがあったそうで、高校時代に出会った音楽仲間には、のちにカシオペアのドラマーとして活躍することになる神保彰さんや、ギタリスト、作曲家として活躍することになる鳥山雄司さんがいます。この三人で、後に「ピラミッド」というトリオも結成されます。
 スクエアに加入されたのは24歳の時ですが、和泉さんの加入でそれまでフュージョンやクロスオーバーというジャンルのとおりジャズからテクノ、さらにはコミカルな要素まで「なんでもあり」だったスクエアが「歌の無いポップス」のグループとして完成されていきました。新聞等でも紹介されていましたが「OMENS OF LOVE」、「宝島」といった吹奏楽でおなじみになった曲を作曲されています。上記の二曲はイントロがかかっただけで大盛り上がりですが「EL MIRAGE」、「TRIUMPH」といったアップテンポの名曲に「WHITE MANE」のようなアコースティックに振った美しいメロディの曲、さらには「FROM03 to 06」のようなお洒落な曲、そして伊東たけしさんのCM出演曲で有名な「TRAVELLERS」も和泉さんの手によるものです。
 また、バラードでも「CAPE LIGHT」、「遠雷」、「FORGOTTEN SAGA」、「TWILIGHT IN UPPER WEST」、「SWEET SORROW」といった名曲を遺され、一時は「B面のラストは和泉さんのバラード」でアルバムをしめくくる、ということが続きました。
 安藤正容さんが「メインコンポーザー」という言い方を先日もしましたが、安藤さん、和泉さんの二人でバンドの作曲面を支えていたところがあります。私は何か楽器が弾けるわけではありませんし、譜面も読めませんので偉そうなことは言えないのですが、和泉さんの楽曲、とりわけバラードについては特に日本人の感性に響くメロディが多かったように思います。ご本人も「CAPE LIGHT」については「アメリカの風景をイメージしたけど日本の海岸になった」と言われていましたし「TRAVELLERS」についてはご本人からすると「演歌」ということだそうですが、住む国や地域によって人の心をつかむ音楽というのはそれぞれあって、どちらもリスナーの心をぐっとつかんだ曲ではないでしょうか。かくいう私もアップテンポの曲に勇気づけられ、バラードで癒され、とCDやウォークマンで、部屋にいるときや移動中、もちろんライブの会場で和泉さんの曲とご本人の演奏にどれだけ感動したか数え切れません。
 スクエアではピアノだけでなくシンセサイザーも含めて担当されていましたが、退団された後はピアノ奏者として活躍をされ、スクエアの「Reunion」などでシンセサイザーは河野啓三さんや白井アキトさんに任せ、ご自身はピアノを演奏するというのが多かったように思います。2003年に「THE SQUARE」名義で再結成があったときもアルバム「SPIRITS」ではご自身の曲の「GRORIOUS ROAD」で、またご自身の曲ではありませんが「風の少年」や「EUROSTAR」で非常に印象的なソロを弾いています。
 私個人の話になりますが、スクエアの現メンバー、元メンバーのソロ活動の中で、一番ライブを観た回数が多いのが和泉さんだったのではないかと思います。2000年代には目黒のブルースアレイ、六本木のスイートベイジルとよく聴きに行ったものです。特にソロになられてからは白髪を後ろで束ねて、ちょっと近寄りがたい表情で、スタインウェイのピアノからとても美しい音色を響かせていたことを思い出します。MCでは駄洒落を交えて軽妙なおしゃべりをされ、そのギャップも含めて私は大ファンでした。特に最近はふっくらされていましたが、それを自虐ネタにもされていました。
 スクエア退団後のライブで印象深かったものもあります。前述の神保、鳥山両氏と結成したバンドのピラミッドの前身である「OKBoys」(出身校の慶応ボーイをもじっています)の旗揚げライブが六本木ピットインで開催されると聞き、冬の日曜の昼間でしたが見に行きました。この日時しかスケジュールが取れなかったとのことでしたが、学生時代に戻ったかのようにとても楽しそうに演奏されていたことを思い出します。やがてピラミッドとなってからは毎回ソールドアウトの人気バンドとなりました。また、六本木スイートベイジルに出演予定だった海外アーティストが来日できなくなり、急遽和泉さんがベースの方と組まれてステージに立ったこともありました。私も予定が空いていたのと、急なことでだいぶお安くなっていたこともあり、見に行ったことがあります。海外アーティストの出演を見越して日本在住らしい外国の方も来ていましたので「枯葉」などのスタンダード曲も演奏されていましたが、ご自身の曲にもエモーショナルな演奏には拍手が送られていたことを思い出します。
 スクエアを卒業されてからの活動では、アレンジを変えて何度も演奏されていたので、とても大切にされていたのではないかと思いますが「SKY SO BLUE」というソロ時代の名曲もありました。ピアノトリオでは村上聖さん(ベース)、板垣正美さん(ドラム)の組み合わせを良く観に行きましたし、アルバム1枚で終わってしまったのが本当に悔やまれますが、カシオペアのリーダー・野呂一生さん、パーカッションの仙道さおりさんと組まれた「VOYAGE」というトリオもとても素晴らしく、今でも愛聴盤です。近年ではスクエア時代に一緒にプレイした須藤満さんと組んだ「ひろみつ」というデュオもあり、何度かライブに足を運びました。また、オリジナル、カバーを問わずソロピアノのCDも多くリリースされており、ご自身で作曲された曲を演奏された「コンプリート ソロピアノワークス」の三枚目が遺作となってしまいました。あと2枚リリースされる予定と伺っていましたので、それがかなわなかったことは大変残念であります。
 急なことでしたのでご遺族や一緒に仕事をされてきた方々のお気持ちは察するに余りありますし、私もこのブログを書きながらまだ信じられない気持ちでおります。ライブの終演後、CDジャケットにサインをいただく際に「名前は何と書きましょうか?」と聞かれることも、大きな手で力強い握手をされることも、もう無いのかと思うと、本当に悲しく、残念でなりません。
 たくさんの美しい曲と演奏を、本当にありがとうございました。
 ご冥福をお祈りいたします。



(和泉宏隆さんと右は遺作となったコンプリート ソロピアノワークス3のジャケット)

左上のジャケットはスクエア時代にリリースした「AMOSHE(アムシー)」。神保さん、鳥山さんらも参加されているお気に入りの一枚です。

 

 
 

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2021年春、忙中音楽あり

2021年04月26日 | ときどき音楽
 今日は音楽の話です。3月にシティ・ポップのことをこのブログで書きましたが、本ブログの読者の方から「ユーミンの『消息』(アルバム パール・ピアスに収録)」という曲に出てくる電車は東急8500系をイメージして聴いている」とメールをいただきました。確かにあの曲に出てくる「カーブで煙った点になる電車」は京急の赤い電車でも、西武の黄色い電車でもなくて、東急の8500系が歌の風景に似合う気がいたします。
 さて、3月は本業が少々、どころではなく多忙でしたが、4月に入って時間を作りまして「THE SQUARE Reunion」のライブを見に行ってきました。この「THE SQUARE Reunion」というのはTHE SQUARE(現T-SQUARE)の少し昔のメンバーによるバンドでして、今回は1987(昭和62)-1990(平成2)年当時のメンバーで構成され、極力当時の曲を演奏しています。ギターはもちろんリーダーの安藤正容さん、管楽器は伊東たけしさんなのでここは「現メンバー」ですし、サポートキーボードには白井アキトさんが参加されています。
 なお、安藤さんの「引退」については既にさまざまな方がネット上で触れていますが、かつてのメンバーという形での「当事者」であり、1991年から1997年まで管楽器を担当された本田雅人さんが自身のFacebook上に印象に残るコメントをされていました。いろいろと事情があるのか、本田さんがスクエアのライブに参加することはこのところありませんが、本田さんご本人がおっしゃっているように安藤さんと共演する機会が今後あれば観たい、という方も多いのではないでしょうか。
 さて、ライブに話を戻しまして、今回は各地のライブハウスで公演があり、私は4月3日・東京公演の1回目を観てきました。

 ブルーノート東京が会場で「THE SQUARE Reunion」にとってはおなじみの場所となっておりますが、今回は当然ながら新型コロナウイルス対策を取った上での公演となりました。いつもよりテーブルの数も減ってゆったりした会場でしたし、四人掛けのテーブル席には二人が対角線上に座る配置でした。以前なら最前列のテーブルは演者に手が届くくらい近く、一度椅子に腰かけると席がそれぞれ近いので休憩中に席を立つのも一苦労でしたが、だいぶゆったりしています。これもコロナがもたらした「新しいライブのかたち」なのでしょう。
 桜の季節ということで、桜にちなんだカクテルも用意されていました。

ちょっと甘めではありましたが、美味しくいただきました。
 演奏の方も素晴らしく、年末以来のスクエアのサウンドを楽しむことができました。曲目には伊東さんが一時グループを離れた1990年代のものもありましたが、好きな曲もありましたので、とても良かったです。個人的にはバラードで1987年のアルバム、TRUTHのラストを飾った「TWILIGHT IN UPPER WEST」が演奏され、高校時代から好きな曲でしたので、作曲されたピアノの和泉宏隆さんも間近に見ることができて幸せな気分に浸れました。
 私は二日間、二回ずつの公演の1回を観ただけでしたが、4月4日の公演の二回目はネットでも配信され、こちらは自宅のパソコンで楽しむことができました。
 曲目的には2回目の方にかなり盛り上がる曲を持ってきており、年末ライブなどや〇〇周年といったときに演奏されることの多い「JAPANESE SOUL BROTHERS」も演奏されました。私は「人生と財布に余裕がなかった」ので一公演のみの「参戦」でしたが、こちらも生で観たかったです。
 当日のセットリストの入ったTシャツというのも予約販売され、後日我が家にも届きました。

自分の名前を最後の段に入れられるようになっていますが、缶バッジで隠しております。カシオペア3rdのライブでもこういうTシャツがありましたが、セットリストが入っているというのはライブの記念としてはどストライクで、色もたくさんある中から選べましたので、ついつい注文のボタンを「ポチっ」とやってしまいました。
 ライブだけでなく、T-SQUAREの新しいアルバムも先週リリースされまして、早速聴いております。

 安藤さんがリーダーとして参加される最後の作品ですが、やはりいつも以上にギターをフィーチャーしたのかな、という点を除けばいつものスクエアのアルバム、という感があるのと、ここ数年のアルバムにみられるような都会的でお洒落な曲もあり、早速くりかえし聴いております。私が買ったのはCDとDVDがついたもので、アルバムのレコーディング風景や、安藤さんはじめメンバーへのインタビューも収録されています。印象に残った曲が安藤さんが作曲された「Only One Earth」で、今回は1曲のみの提供ですがメロディと演奏を聴くにつけ「メインコンポーザー」と呼ばれた実力は今もなお健在と思いました。
 緊急事態宣言の発令で、またライブを楽しむことも難しくなってしまうかもしれませんが、忙しい中、どうにか音楽を楽しむことができております。忙中音楽あり、な話はまた折に触れて書いていきましょう。
 
 


 



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幻のホンダF1マシンを見に行く

2021年04月17日 | 自動車、モータースポーツ
 今シーズンのF1グランプリが開幕し、ホンダの「ラストイヤー」、久々の日本人ドライバーのデビューなど、ジャパニーズ・パワーに注目が集まっているところですが、青山にありますホンダのウエルカムプラザでもF1開幕に因んでマシンの展示などが行われています。ホンダのF1マシンは日本GPでも展示されたり、実走イベントがあったりするので無理して見に行ったりはしないのですが、今年はとても珍しいマシンが展示されているというので見に行ってきました。
 それがこのマシンで、RA099といいます。

 このマシン、1999年にホンダが第三期参戦のために車体、エンジンともに試作したものでした。ホンダは2000年からの第三期参戦でブリティッシュ・アメリカン・レーシング(B・A・R)にエンジン供給という形を取りましたが、復帰に際しては車体も含めて内製による参戦も検討されていました。そのためにこのRA099が製作され、テストも行われましたが、テクニカルディレクターだったハーヴェイ・ポスルスウェイトが急死したことやホンダ社内の事情もあってフル参戦をせず、エンジン供給のみとなりました。このため、RA099も陽の目を見ることなく姿を消しました。
 しかし、最近思わぬ形でこのマシンが脚光を浴びることになりました。RA099をドライブしたのはヨス・フェルスタッペンで、現在レッドブル・ホンダのエースとして活躍中のマックス・フェルスタッペンのお父さんにあたります。このマシンに幼い日の息子マックスが乗っている写真も含めて展示されています。

 このマシン、実物を見たのは初めてですが、あの時代のF1マシンそのものの形てはあります。ノーズが少し太めの印象を受けます。テスト用のマシンということで、あまり奇をてらわないスタイルで作ったことがわかります。当然スポンサーマークなどもありませんので、実にシンプルな印象を受けます。
コクピット周辺。

バックミラーのステーの根元にHマークがありました。オリジナルなのでしょうか。

こちらのマシンについては1/43のミニカーもありました。ドライバーの人形もヨス・フェルスタッペン仕様になっています。

ミニチャンプス製品で、立派な箱に収められています(筆者所蔵)。


 親子がそれぞれの時代でホンダパワーとつながっている、ということでRA099が展示されていたわけですが、会場内には子供の世代に当たるレッドブル・ホンダのマシンや角田裕毅の応援コーナーもありました。



 他にもホンダにとって記念すべきマシンが展示されていました。

こちらはRA300といい、前回までのブログにも名前が登場していた中村良夫監督の指揮のもと、ジョン・サーティースのドライブにより1967年のイタリアGPで劇的な勝利(第一期参戦の2勝目にして最後の勝利)を挙げています。このマシン、数々のマシンを製作してきたコンストラクター、ローラ・カーズのインディカー用シャーシを元に車体を作っており、ホンダ+ローラで「ホンドーラ」というあだ名がつきました。12気筒のエンジンが重く、車体を軽く作るためにローラの協力を得たというマシンです。

アナログな計器類と、右手側にシフトノブが見えます。

 第二期の記念すべき1台はこちら。

ロータス99Tです。1987年に中嶋悟がサンマリノGPで日本人初入賞(6位・当時は6位までが入賞)を果たしたマシンです。このレース、実はドタバタ続きで中嶋は自分のマシンがトラブルで乗れなくなったため、決勝スタート直前にチームメイトのA.セナ仕様で仕上げられたスペアカーに乗り換えてピットスタートでレースに参加しています。ちなみに当時はスペアカーの持ち込みも許されておりましたが、セナと中嶋の体格差もあり、目立つところでは本来の中嶋車にある大きな頭あてもついておりません。このロータス99T、当時としては画期的だったアクティブサスペンションを装備するなど期待もされましたが、セナの市街地での2勝が最高位でした。

 第三期は2006年にハンガリーGPでコンストラクター(エンジン供給だけでなく、車体も含めた)のホンダとして、約40年ぶりの優勝となったRA106が展示されています。

 ホンダは第三期にエンジン供給をしていたB・A・Rをやがて買収する形でコンストラクターとしての参戦となりました。このころ、ルノーやBMWなどが既存のチームを買収する形でコンストラクターとして参戦しており、フェラーリやトヨタなども含め、メーカー同士がぶつかり合う様相を呈していました。日本にもファンが多く、自身も日本好きで知られるJ.バトンの手で優勝したマシンです。

 会場内では以前このブログでも紹介した熱田護氏がホンダパワーのマシン、ドライバーを写した写真の展示などもありました。もちろん、ホンダ製品の展示をしているところですので、代表的なこちらもありました。


 なお、これらのF1マシンの特別展示は4月19日までとなっています。

 


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国産ジェット機の系譜 橘花 第6回

2021年04月14日 | 飛行機・飛行機の模型
 実物、模型双方で橘花のことを書いてまいりましたが、今回でひとまず区切りとしたいと思います。他の記事でもそうですが、アマチュアの趣味の延長で書いてあるものとはいえ、基本的にネットの情報を引用せず、自分で文献を当たり、その上で書いております。自分なりに調べて書いた来た中で、説明が中途半端になってしまったもの、確証が持てなかった内容などはぼかして書かざるを得ないものもありました。今回はなるべくそれも含めて触れてみたいと思います。

1 遣独潜水艦作戦で持ち帰ろうとしたもの
 遣独潜水艦作戦ではシンガホールまで潜水艦で資料等を運搬し、巌谷英一技術中佐が空路で持ち帰れるものを携えて帰国したことで、貴重な技術資料(の一部ですが)がもたらされたわけですが、潜水艦の積み荷についてはBMW003エンジンの現物が含まれていたとする資料がある一方、エンジンの現物については触れられていない資料もあり、確証が持てなかったのでエンジンの現物を積んで日本に向かった、とは書きませんでした。伊29潜水艦については、艦載機を格納するスペースもありますので、それなりの大きさのものを積んで帰ることは可能だったかと思います。
 もし、エンジンの現物を積んで日本まで帰ることができていれば、お手本が手元にあるわけですからネ-20エンジンの開発も早く進んだことでしょうし、実戦配備は無理としても橘花の生産や試験飛行がもう少し進んでいたかもしれません。また、陸軍の火龍もモックアップと言わず、試作機くらいは完成していた可能性があります。
 先の大戦については資源の枯渇や物量の差で敗れた、という見方もありますが、大戦後期に空襲や大地震といった災害などで生産設備が打撃を受けたというのも大きいかと思います。橘花の生産も養蚕農家を使って行われた、といったエピソードやその他の試作機についても大変な環境で作られた話を読むと、橘花がもっと早く初飛行したとしても戦局に影響を与えるほどの量産は厳しかったのではないかと思います。
 
2 燃料として使用される予定だった松根油について
  松根油というのは松の切り株を乾溜させて、松の木の油脂分を抽出して作る油で、燃料事情の悪化でジェットエンジンの燃料として期待されていたものでした。地上の乗り物(自動車や鉄道のガソリンカー)では木炭ガスによる代用燃料がありましたが、ガソリン(特にオクタン価の高いレシプロエンジン用)が貴重になるなか、レシプロエンジンほど燃料の質にこだわらなくて済むジェットエンジンと松根油に期待がかかったのも当然の流れでしょう。
 しかし、松根油を製造するために樹齢がそれなりにある松の木を大量に切り倒すなど、今日の目で見れば「何をやっているんだろうか」となるでしょう。厳しい戦局で必要に迫られて作った燃料であり、手放しで「バイオ燃料」などとは言えないものがあります。戦争に限らず切羽詰まってしまうと人間というのは傍から見ると「それっておかしくないか?」ということでも、疑問も抱かず、時には集団で突き進んでしまうように思います。
 ネ-20に関しては松根油の中でも重質分を使用することが求められており、通常の揮発性の燃料または松根原油に重質分を50%程度混ぜるとされていました。初飛行や二回目の飛行で松根油がどれくらいの分量で使わていたかは定かではありません。アメリカに接収されたネ-20エンジンについては分析が行われたものの、松根油が混ぜてあったかとどうかまでは分かっておりません。いずれにしても松根油は時間の経過とともに粘り気が出て燃料フィルターを詰まらせるなど、「代用燃料」であることには変わりはなく、いいことずくめではなかったようです。

3 ネ-20エンジンの里帰りについて
 米国の大学からネ-20が一時里帰りしたのち、ネ-20開発で中心的な役割を果たし、戦後は石川島播磨重工業に勤務された永野治氏が声を上げたことで永久無償貸与という形で日本で保存・展示できるようになった、という資料をみかけますが、前々回記載しましたが米国でネ-20エンジンを「発掘」した舟津良行氏が大学側と調整を行って、日本での恒久展示ができるようになった、とする資料もあります。

 さて、橘花に関わった人たちの多くが、戦後の産業界で活躍することとなります。そんな中でネ-20エンジンで中心的な役割だった永野治氏と橘花を初飛行に導いた高岡迪氏は、再びジェット機に関わることになります。この話はいずれまたお話したいと思います。

参考文献・「橘花 日本初のジェットエンジン・ネ20の技術検証」石澤和彦著 三樹書房 ネ20とそこに至るまでの海軍のジェットエンジン開発史、各部品に関する技術的な検証、同時代の各国のジェットエンジン開発についても詳述されており、参考になります。
「「秋水」と日本陸海軍ジェット、ロケット機」モデルアート社 メインはロケット機「秋水」ですが、橘花に関しても後半に章を割いて詳述しています。
「クルマよこんにちは-私の断章-」中村良夫著 三樹書房 中島飛行機、陸軍を経て戦後はくろがね、ホンダで技術者として活躍した氏のエッセイ集。航空機の話も多い。このブログでは「エストリル・ミュンヘン」、「ターボ・ジェット ネ130」を参考にしました。
「深海の使者」吉村昭著 文春文庫 遣独潜水艦作戦を取り上げた作品です。過酷な作戦の実情を知ることができました。
「モデルアート 2013年1月号」モデルアート社 AZモデル1/72橘花のキット評が掲載されています。
「第二次大戦のドイツジェット機エース」大日本絵画 Me262の製作で参考にしました。

そして亡き祖父と父に感謝します。

 

 

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国産ジェット機の系譜 橘花 その5

2021年04月13日 | 飛行機・飛行機の模型
 これまで橘花についていろいろと書いてきましたが、模型もいくつか出ています。
 最も入手が容易なキットはファインモールド1/48でしょう。同社らしい詳細な説明書も入っており、私のこのブログの記事など読まなくても、開発史を知ることができます。キットは初飛行時だけでなく、実戦部隊に配備されたことを想定したマーキングも入っています。
 今回はネ-20エンジンのことも触れていますので、限定版として流通しているホワイトメタル製のエンジンパーツとレジン製のナセルがついたキットを組んでみました。


専用のパーツが同梱されています(分かりづらいですが)。
 もともとのキットも組みやすく、よくできていますし、メタルやレジンのパーツの合いも良好で、大きな修正をすることもなく組めました。


 さて、塗装については橘花の場合諸説あって、例えばファインモールドのキットは箱絵も含めて下面色を銀色としています。私は当時の写真などから、明灰白色でもいいかなあと思い、Mr.カラー35番の明灰白色にしました。暗緑色は同じくMr.カラー15番中島系の暗緑色です。
 作例では初飛行時ではなく、全備重量での試験飛行を数回繰り返していたら・・・という姿としたため、アンテナもつけていますし、初飛行時にはつけていなかった前脚の扉も当然あります。また、主翼下面にロケットブースターをつけています(再度の登場となりますがご容赦ください)。

黒いボンベのような形をしています。二回目の飛行で離陸に失敗、擱座したのはこのブースターの取り付け角度が微妙にずれていて所期のパワーを出せなかったこと、ブースターの燃焼が止まり、スピードが一時的に低下したため操縦していた高岡 迪少佐(当時)がエンジン故障と勘違いして慌ててブレーキをかけようとしたから、などと言われています。
 1/72でも橘花のキットが出ていました。私が組んだのはチェコのAZモデルというメーカーのもので、8年ほど前に発売となったものです(現在は入手困難です)。メーカーになかなか想像力豊かな方がいたようで、史実どおりの試験飛行のバージョンから、Me262よろしく迎撃機、夜戦仕様などバリエーションも豊富でした。
 私自身1/72がメインなので、このキットも組んでみました。

飛行機と後ろのトラックの位置関係が微妙な箱絵です(汗)。

さらには箱のサイドにこんな文字が・・・。一見さんとミーハーはお断りだよ、とでも言いたそうです。
 このキット、この注意書き(?)に違わず、私のような年数だけはベテランモデラーでも大変なキットでした。よくある「部品の合いはパチピタで、二時間で士の字になりました」なんていうレビューとは対極の位置にあります。接着がイモ付けの部品が多く、穴に差し込むものがあったとしても、位置決めを丁寧に行う必要がありました。作例でも水平尾翼は真鍮線を埋め込んでから取り付けました。脚カバーなどはプラ板から切り出してもよさそうです。
 また、ピトー管やテールスキッド、垂直尾翼のトリムタブなどはプラ材や0.3mmのプラ板から作りました。

 ただ、全体の形などは悪くなく、主翼もネ-20エンジンを取りつけるために若干のガル翼になっているところまで再現されています。

 プラスチックが日本のキットよりも柔らかいため、切削などはスムーズにできました(少々削りすぎたところもありますが)。

 エンジン部品については内部のパーツの取り付け位置が決めにくく、プラパイプで継ぎ足したりしています。モデルアート2013年1月号で荒瀬悟氏が紹介している作例のように、ミサイルの部品を活用してエンジンに組み込んだ方が簡単かつリアルな仕上がりとなりそうです。
 悪いところも書きましたが、シートに繊細な彫刻でシートベルトが再現されていますし(作例ではパイロットを乗せて載せてしまいましたが)、メーカーも頑張って作ったというのは感じられます。手を入れれば入れただけいい仕上がりになるようなキットで、工作の楽しさも難しさも再認識させてくれました。こういうキットはプロターのF1マシンのキットにも通じるものがありました。
 おまけというわけではありませんが、Me262も少しふれておきましょう。

 ハセガワ1/72のキットで、買ってずっと棚の肥やしでした。こういう時が来たら作ろう、と思って買ったのですが、箱には銀座の某鉄道模型店の値札が貼ってあり、おそらく15年どころではきかない歳月が経っています。塗装は有名なノヴォトニー少佐機としましたが、キットの指示と異なり、エンジンの前縁部は黄色に塗りました。

 最後に改めて橘花です。零戦52型と並べてみました。


 零戦と大きさが変わりませんし、翼の大きさなどは橘花の方が華奢です。ちなみに零戦のマーキングは架空のものです。
 
 今回は参考文献等の紹介まで至りませんでした。次回、拾遺も含めて橘花の話を書きつつ、参考文献などもご紹介いたします。
 
 


 

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