工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

1995年パシフィックGP 初めて見に行ったF1道中記 3

2018年10月31日 | 自動車、モータースポーツ
 レースが終了し、私たちは再びバスに乗りました。サーキットには西日が差し込んでいます。長い時間をここで過ごしたことになります。添乗員さんの控えていた場所からはベネトンチームのピットが見え、タイトルを決めたシューマッハやチームスタッフたちがはしゃいでいたのが見えたそうです。
 私たちはツアーの行程表をあらかじめ渡されていましたが、丁寧に手書きした原稿をコピーしたものがついていました。それによるとバスは山陽本線の吉永という駅を目指しています。なぜ、山陽本線の小駅に向かったかというと、ここがサーキットから一番近い駅だったからでしょう。明治期の山陽鉄道由来の古い駅なのですが、優等列車が通過するような小駅でした。
 ここから18時32分発・山陽本線の普通列車に乗ります。117系に乗り、相生駅に向かいます。団体ツアーで普通列車というのもなかなか無い経験ですが、このツアーを考えた旅行会社さんも、もちろん現場の添乗員さんも、万が一列車に遅延が出たり、乗り遅れたりした人がいたら大変ですので、かなり神経を使ったのではないでしょうか。手書きコピーの行程表も汽車旅に慣れていない人を想定して、いつ、どこから、どの方面の列車・バスに乗って、どこで降りて、乗り換えて、ということがかなり細かく書かれていました。私のように汽車旅も一人旅も慣れている人間もいますが、そうではない人もいます。添乗員さんも私のように一人で参加している人が特に迷子にならないように乗り換えのたびに点呼を取るなど、かなり気を配っていたように感じました。私が汽車旅に慣れていると分かると、安心されていましたが・・・。
 相生には19時01分着、ここで19時15分発のひかり96号に乗り換えます。行程表には「乗り換え時間が15分しかないので気をつけて」とあります。鉄道の旅に慣れている方なら「15分もある。余裕で乗り換えできる」と思うところですが、団体ツアーですし、ここは乗り換えを急ぎましょう。車中で夕食が配られました。当然のことですが、お弁当です。夜の車中はみんなくたびれて眠っている人たちが(私も含め)大半でした。
 こうして、東京には23時21分に到着。みんな無事に帰ってきました。ここから各自家路へと向かうわけですが、私は日付が変わる前にどうにか帰宅しました。
 さて、翌日から通常の仕事です。いつもの職場ではなく出先での仕事でした。お昼に折詰が用意されており、私は直近の6食中4食がお弁当となりました。出先でいつも出されるお弁当はとても美味しいものを用意していただいていたのですが、このときばかりは「よそに食べに行ってもいいですか」と言いたいところをじっと我慢して食べたのでした。ということで、お土産で配って食べたきび団子の味とともに、忘れられない思い出の「1戦目」となりました。
 岡山でのF1開催は結局2回で終わりました。舞台となったTIサーキットも「岡山国際サーキット」という名称に変わっています。鈴鹿や富士とは別の意味でレース以外にもいろいろなエピソードが残っていて、宿泊施設がサーキットの周囲では絶対的に不足していたので、近隣の湯郷温泉の温泉旅館に各チームが宿泊したというのは有名な話です。各チームには好評だったという話も聞こえてきましたが、外国人が日本旅館に泊まるというのはあの時代では珍しいことだったので、泊まる側も受け入れる側も戸惑うことや苦労が多かったのではないかと推察します。やっぱり旅館の入り口には「歓迎 ベネトン・ルノーチーム御一行様」といった札が掲げられていたのでしょうか?
 それから、ツアーを一手に引き受けたJTBさんにとっては、三日間晴天が続き、交通機関の大きな遅れがなかったことが何よりだったのではと思います。特に東京からのツアーはこうしてみるとかなりタイトで、自然災害等で交通機関の大幅な遅延、運休が発生したらツアーどころではなくなってしまいます。近年のように大きな災害が頻発している状況では、こういったツアーを実施するのはかなりリスクがあるのではと思います。

 そこから時が20年近く経ち、若いファンと話をした際に「はじめて見に行ったのはパシフィックGPで、そう、今の岡山国際サーキットでね」と言ったところ「パシフィックGPって岡山国際サーキットのことだったんですか!?」と言われて、時の流れを実感しました。彼ら、彼女たちからすれば、私が「F1世界選手権イン・ジャパン」を見に行った方の話を聞くとか、1966年日本インディを見た大先輩の話を聞くようなものでしょうね。平成も遠くなっていくようです。

写真は手書きの行程表と使わなかったランチの割引券、優勝したシューマッハ選手のマシンのミニカーです。

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1995年パシフィックGP 初めて見に行ったF1道中記 2

2018年10月30日 | 自動車、モータースポーツ
 私たちのツアーは岡山に到着。寝過ごした人もなく、全員無事に下車しました。夜が明けていない中、このあとはパスに乗り込んでサーキットを目指します。車中で熟睡していたのでどういう道をたどって着いたのかも覚えておりませんが、到着した時にはようやく朝陽が差し込み、山の澄んだ空気が出迎えてくれました。
 まずはスタンドに向かい、自分の座席を探します。ピットロードの出口近く、ホームストレートエンドに近いグランドスタンドの座席でした。座席には朝露が残っていました。ツアーは日曜朝と夜の食事、昼の割引券つきで、朝食はお弁当を引き換えるようになっていました。
 当時は午前中にF1のウォームアップ走行というのがあり、ここで初めて動くF1を見ました。
 戦闘機の爆音とは全く違う種類の爆音とともに、カラフルなマシンが駆け抜けていきます。テレビで聴く音とはボリュームが段違いに大きく、とても驚きました。山の中のサーキットに、文字通りエキゾーストノートがこだましています。いつもテレビで見ているマシンが(真っ赤なフェラーリも、マイルドセブンカラーのベネトンやティレルも、そしていつも後ろを走っている黄色いフォルティ・コルセでさえも)とてもかっこよく見えました。
 実はこのパシフィックGP、レースイベントはF1だけで、この週末は他のカテゴリーのレースは行われませんでした。翌週の鈴鹿ではF1以外にもシビックのレースや下位カテゴリーのフォーミュラカーのレースがありましたし、国によってはそれこそ朝から夕方までレースが組まれているところもありますので、観戦経験の豊富な方でしたら物足りなく感じたかもしれませんが、私はF1が見られただけで大満足でした。
 ということで空いた時間はお土産屋さんをのぞいたり、スタンドでプログラムを広げたりしていたのだと思います。もともと小さなサーキットの上に観衆もそれほど多くないこともあって、お土産屋さんもあまり混んでいなかった記憶があります。お昼ご飯は事前に配られた割引券は使わず、屋台でカレーを食べました(地元のお弁当屋さんの弁当は美味しかったのですがずっとお弁当ばかりではさすがに飽きてしまいます)。当時の写真を見てみると、人が集まるようなエリアに実車が展示されていたのですが、展示用のマシンは1年落ちのものだけでなく、2年落ちのものもあって、なんでここに置いてあるんだろう?という感じでした。
 鈴鹿と同じようにクラシックカーを使ったドライバーのパレードがあって、決勝は14:00スタートでした。ベネトン・ルノーに在籍していたミハエル・シューマッハ選手が、給油とタイヤ交換を巧みに利用した走りで逆転優勝し、2年連続のタイトルを手にしました。当時は今と違い、レース中の給油も認められており、ピット戦略も勝利の鍵となっていたのですが、シューマッハとベネトンチームはそのあたりがライバルより秀でていました。レース途中の猛烈な追い上げぶりはスタンドで見ていてもライバルとの差を1周ごとに縮めていく様子が分かり、生で見る楽しさを知った日となりました(家でテレビ中継を見ていた家族はそのあたりまではテレビでは分からず、見ていて面白いレースではないと言ってました)。
 日本人は3人のドライバーが出場。レギュラー組の片山、井上の両選手のほかに、鈴木亜久里選手もスポットで参戦しました。亜久里選手は翌週の日本GPの予選中にけがをしてしまい、そのままF1から引退しました。結果的にこのレースが最後のF1決勝出走となったのです。このシーズンは3人のドライバーとも決して恵まれたマシンに乗っていたわけではなかったので、片山選手の14位が最高で、他の二人はリタイアに終わりました。日本人が3人も出場するというのはとても珍しいことだったのですが・・・。
 このレースでデビューしたのはマクラーレンのヤン・マグヌッセン選手で、エースのミカ・ハッキネン選手が入院して来日できず、急遽デビューが決まりました。期待の若手、という位置づけの選手でしたが、F1では最高位が6位一回というキャリアでした。今では子息のケビン・マグヌッセン選手がF1デビューを果たし、お父さんをしのぐ活躍ぶりです。
 こうしてレースが終わり、あとは帰路につくことなりますが、ここからがまた興味深い旅となりました。結局3回シリーズになってしまいましたが、次回で完結です。

レースプログラムと片山選手のティレル・ヤマハ023(タミヤ1/20) 
レースプログラムは奥付を見ると扶桑社が編集に携わっており、作りが日本GPのプログラムによく似ています。
ティレルのマシン、青い色はミスターカラーのスージーブルーを吹き、マイルドセブンの水色の部分はスカイブルーに少量の白と鉄道カラー青22号を少量混ぜています。マーキングはサードパーティー製のデカールです。
 

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1995年パシフィックGP 初めて見に行ったF1道中記1

2018年10月29日 | 自動車、モータースポーツ
 鈴鹿の話の際に、初めて見に行ったF1の話は別の機会に書きましょう、とお知らせしていましたので、その時のことを話します。
 私が初めて見に行ったのは1995年(平成7年)に開催されたパシフィックグランプリです。古くからのファンの方だと「わぁー、懐かしい」と言われますし、若いファンからは「それって、どこですか?」と怪訝な顔をされることもあります。
 F1グランプリ(GP)は世界各国を転戦するわけですが、通常はイギリスGP、イタリアGPと国名を冠して一国一GPの形で行われます。ところが、その国での人気や開催カレンダーの都合、もちろん主催できる能力があるオーガナイザーの存在などで、例外的に一年に2回、別々のサーキットで開催されることがあります。以前はイタリアで、春にイモラというサーキットで「サンマリノGP」を開催し、秋にはミラノ郊外のモンツァでイタリアGPが開催されていました。別にサンマリノにサーキットがあるわけではなく、隣国の名前を拝借しているわけです。他にも英、独、スペインでは「ヨーロッパGP」が、ドイツでは「ルクセンブルクGP」といった名前で年に二度のF1が開催されたことがあります。日本でも1994年と1995年に、鈴鹿での日本GPとは別に、岡山のTIサーキット英田(あいだ)で、パシフィックGPが開催されました。
 このグランプリ、1994年は4月に開催され、翌年も春の開催を見込んでいたのですが、1995年は1月に阪神淡路大震災が発生し、その影響から10月に順延となり、鈴鹿の日本GPの一週間前に行われることになりました。このため、10月に同じ国で二週続けてF1を開催するという異例のスケジュールとなったのです。
 パシフィックGPの特徴は、全ての観客をツアーバス等で岡山などの都市からサーキットまで移動させるという方式でした。マイカー等でのアクセスを一切排したわけです。山の中に作られたサーキットですので、道路事情を考えるとそれが一番混乱が起きない方法だったのでしょう。このため、見に行きたければ何らかの観戦ツアーに申し込むのが必須となります。
 この時期に遊びに行けそうな時間的な余裕ができた私は、すでにレースの開催まで1か月を切っていましたが、旅行代理店で偶然ツアーのチラシを見つけました。ダメで元々と思い、ツアーに空きがあるか聞いてみることにしました。ブームは去ったとはいえ、まだまだ人気スポーツだったのです。
 旅行代理店からは「まだまだ空きがありますよ。で、どのプランになさいますか?」という答えが返ってきました。こうして、私は土曜日の車中泊、日曜の決勝を観戦してその日のうちに帰京するというツアーに参加することになったのです。
 観戦ツアーは10月21日・土曜日の夜から始まります。寝台特急あさかぜに乗って岡山を目指すことになります。1輛まるまる観戦ツアーの参加者が乗っており、添乗員さんもいます。同じツアーということもあって私のいるB寝台のボックスでは自己紹介のような感じになりました。翌週の鈴鹿にも行くんですよ、といううらやましい方もいました。
 ブルートレインを代表する列車名のあさかぜですが、確かこの頃には食堂車の営業もなく、私は東京駅で買ったとんかつ弁当を食べた記憶があります。1992年に下関から東京まで乗った時にはオリエント急行風の食堂車が営業していたのですが・・・。
 こうして始まったツアーですが、私も食事もそこそこに上段寝台に入りました。話し声も止んで、車輛の中で夜更かししている人はいません。添乗員さんも「岡山で寝過ごしたら置いていくのでちゃんと目を覚ましてくださいね(笑)」と言っていました。それもそのはずです。岡山には4時15分に到着なのです。夜更かしなどできません。到着時刻は明け方というよりはまだ夜中です。果たして、ツアーのメンバーは寝過ごすことなく無事にサーキットまでたどりつけるでしょうか。(つづく)


 
 

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こちらは40回目

2018年10月22日 | 飛行機・飛行機の模型
 先日、飛行機のプラモデラーの合同展示会「大激作展」に行ってきました。この展示会、首都圏の複数のプラモデルサークルが合同で開催しているもので、今回40回目の節目を迎えました。
 サークルの会員の中には、模型雑誌で名前をお見受けする方もいます。毎年素晴らしい作品を多数見ることができるので、質・量ともに関東では有数の展示会といえるでしょう。
 今回は統一テーマとして、100周年を迎えた英国空軍をフィーチャーしており、それにちなんだ作品が並びました。近年、英国エアフィックス社が自国の機体を新規開発で模型化していることもあり、特に第二次大戦機が会場の多くのスペースを占めていたように感じます。私自身、イギリスの機体はとても個性的なデザインも相まって好きなものが多く、戦後の機体も含めて随分と製作しております。戦後の機体でもハンターやナット、ジェットプロボストといったいかにもジェット機然とした機体も好きですし、バンバイアやライトニングといったラディカルなデザインの機体、3Vボマーと呼ばれた大型爆撃機トリオなど、アメリカ、旧ソ連の飛行機とはまた違った特徴を持っています。
 現代の機体が少ないのは、やはり最近発売されたキットに大戦機が多いとか、そういう理由があるのかもしれません。その昔、同じくイギリス機をテーマにしたときも拝見していますが、そのときは発売されたばかりのハセガワのトーネードをよく見かけました。
 今回は統一テーマに各メンバーが真っ向勝負を挑んだという感もあって、遊び心にあふれた展示や、架空の塗装を施した機体、といった模型ならではの作例は少なかったように思いますが、ベテランモデラー諸氏の丁寧な工作と美しい塗装を見るにつけ、少しでもこの方々の境地に近づけたらなあと思うのでした。一部のサークルでは、最近若手モデラーも加入しているそうで、一時期は平均年齢が毎年1歳ずつ上がっていくような状況でしたが、若返りの兆しがあるというのは何とも嬉しいことです。



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鈴鹿のF1 決勝のおはなし

2018年10月19日 | 自動車、モータースポーツ
 鈴鹿のF1の話も決勝で結びとなります。といっても、金曜日から日曜日までメルセデスとエースのハミルトン選手が速くて安定していました、と一言で片付けたくなるくらい強く、他を圧倒していました。
 決勝日は暑くなるくらいの陽気となり、お客さんもたくさん来場しました。昨年より観客数も上向いたということでした。
 先日のブログでもご紹介したレジェンドマシンの走行、ポルシェのワンメイクレースといったイベントの後に、ヒストリックな車に一台ずつF1ドライバーが乗車してパレードが行われます。
 それが終わるといよいよ決勝に向けた準備が始まります。マシンが並ぶグリッド上はチームスタッフ、メディアなどでごった返しています。緊張感が高まる瞬間であり、個人的にはいちばん興奮する時間帯でもあります。


 決勝レースはトップの3チームの2台ずつが上位6位に入るという結果となり、特に上位3台は途中から大きな順位の変動もなく推移しました。あまり順位に変化がないレースは退屈になるものですが、下位からスタートして4位でゴールしたレッドブルのリカルド選手はあちこちでオーバーテイク(追い抜き)を見せて、ファンを沸かせました。予選で満足に走れず、悔しさに頭を抱えていた(下写真中央)のですが、決勝で頑張りました。


 チェッカーが振られ、トップのハミルトン選手のマシンが駆け抜けていきます。


 表彰台の真下までは入れませんが、レース後にホームストレートに入ることができるチケットでしたので、私もコースに下りて比較的近いところから表彰式を見ました。

 個人的には90年代初頭の勝てなかった頃からのティフォシ(フェラーリファン)なので、フェラーリのメカニックたちと表彰式で喜びを分かち合いたかったのですが、今年は表彰台の端にも届かず、これは来年以降にお預けとなりました(優勝した時に流れるイタリア国歌歌いたかったなあ)。
 ハミルトン選手の優勝でほぼシーズンの帰趨も決したという感じで、メルセデスのガレージのあたりは飲み物が配られ、ちょっとした祝勝会ムードでした。

 夏のような陽気の日曜とはいえ、さすがに夕方は秋の柔らかな日差しになってきました。1968年シーズンにホンダが戦ったRA301というマシンを眺めて、サーキットを後にしました。昔のマシンをモノクロ仕上げで撮りました。


 サーキットの週末の話、いかがでしたか?鈴鹿はホームストレートがテレビで見るよりも「下り坂」ですし、S字は歩いて登るのがちょっと大変そうな勾配です。現地で見ると意外なところに気づくものです。また、座る席にもよりますが、コースの見え方という点でも意外に遠くまで見渡せることもできますし、大型ビジョン、場内放送、場内FMなどが観戦をサポートしてくれます。ファンはこんな風に楽しんでます、というのが少しでもお分かりいただけたらと思います。
 F1の観戦記、初めて見に行ったレースでちょっと面白い道中記がありますので、今月中にまたお話しできたらと思います。
 次回は自動車以外の話題を予定しています。
 





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