工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

やっぱり、ライブって楽しい! T-SQUAREコンサートツアー WISH

2022年06月30日 | ときどき音楽
 関東地方は先週から猛暑が続き、異例の早さで梅雨も明けました。先週土曜日も猛烈な暑さでしたが、そんな中、T-SQUAREのライブに行ってきました。会場のLINE CUBE SHIBUYA(私にとっては「渋公」こと渋谷公会堂という名前の方がしっくりきますが)に行くまでに一か所用事を済ませていたこともあり、会場に着いた頃には暑さに少々まいっておりました。
 今年のT-SQUAREのアルバム「WISH」ですが、リーダーだった安藤正容さんが抜けてからの最初のアルバムということもあって、ファンの間ではいろいろと話題になっていました。特に元メンバーだった本田雅人さんをはじめとした豪華ブラスセクション、キーボードの松本圭司さん、さらに一曲だけの参加ではありましたが、ギターに渡辺香津美さんも参加ということで、聴きどころの多い仕上がりとなりました。特に退団後はあまりスクエアと関りが少なかったお二人の「復活」に喜んだファンもいらっしゃることでしょう。去年の年末あたりから、なんとなく噂としては聞いていましたし、松本さんがライブに参加されたり、伊東さんがライブで演奏する曲のことで本田さんと連絡を取っていたという伏線があったわけですが、レコーディング参加が正式にアナウンスされた際には、私も驚いた一人です。

(CDジャケット。今作も素敵なデザインです)
 さて、ライブの方ですが、メンバーは伊東たけし(Sax,ewi)、坂東慧(ドラム)のレギュラーメンバーに、田中晋吾(ベース)、白井アキト(キーボード)、YUMA HARA(ギター)ということで、昨年秋のブルーノートでのライブのメンバーと同じです。メンバーも違う中、ライブではどうなのだろうと思い、開演を待ちました。親子連れの小学生くらいの男の子が「今日は楽しみ」と言っているのが聞こえます。

(CDジャケットの写真より。現在のスクエアは伊東たけし(左)、坂東慧の二人が正式メンバーです)
 ツアーもまだ残っていますので、ネタバレになることはあまり書かないでおきますが、渋谷公会堂時代(C.C.Lemonホールとも言ってましたね)の音響の良さは新装なってからも引き継がれていて、メンバーも大満足だったようです。ライブの印象になりますが、レギュラーメンバーのお二人の演奏もさることながら(坂東さんは一曲目からかなり飛ばしてました)、田中晋吾さんの歌うようなベースソロ、神(噛み?)サポートこと白井アキトさんの演奏はもはやツアーに欠かせないですし、YUMA HARAさんのソロもずっと聴いていたくなる感じで、素晴らしかったです。白井アキトさんはこの日が34歳の誕生日で、ステージの上で誕生日を迎えられて、素晴らしい演奏でお客さんから拍手を浴びるというのは、ミュージシャンだからこそできることであり、うらやましい限りです。
 今年のアルバムの曲を中心としたライブではありましたが、さまざまなメンバーが参加したCDとは違った良さがあり、どれも強く印象に残りました。個人的には「GOOD FOR YOU」という河野啓三さん作曲の曲が(おとなしめの曲ではあるのですが)ライブになると一つ一つの音が生き生きしていて、とても印象的でした。
 今回のツアーで、昨年急逝された和泉宏隆さんの楽曲を演奏するコーナーもあり、バラードから二曲演奏がありました。特に一曲は個人的な思い出があったりとか、その曲を初めて生で聴いたのが同じく渋谷公会堂だったとか、いろいろな感情が押し寄せてしまい、涙が止まらなくなってしまいました。周りの方からは「なんだこいつは」と思われていたかもしれませんが。
 そして今回のライブ、ついにスタンディングが解禁ということで、ライブの最後はみんな拳を振り上げ、ジャンプして、というおなじみのライブのスタイルが戻ってきました。東京の前の名古屋のライブからスタンディング解禁と聞いていたので、楽しみにしていたのですが、少しだけでもコロナ以前の日常を取り戻したような気がいたしました。ライブって本当に楽しい!!という思いを胸に、帰路につくのでありました。前述の男の子もライブを楽しめたかな。これからライブを観に行かれる方も、必ずや楽しいライブになると思いますので、お楽しみに。
 
 
 
 

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梅雨の晴れ間に・・・所沢航空発祥記念館へ

2022年06月25日 | 飛行機・飛行機の模型
 ジメジメした日が続いていますね。先日のことになりますが、梅雨の合間に晴れ間も見えまして、久々に所沢にあります航空発祥記念館に行ってきました。
 こちらの博物館のある所沢ですが、明治期における日本の航空発祥にも関りがある場所として知られています。陸軍の手で我が国初の「飛行場」が整備され、終戦までは帝国陸軍の所沢飛行場として、戦後は米軍に接収されたのち、日本に返還後は所沢航空記念公園となり、公演の広大な敷地内に博物館が建てられました。私もこれまで何度も訪れていますが、コロナ禍以降では初めての訪問となりました。実は、ここに収蔵されているある機体の模型を作っており、実機のイメージを目で確かめて持ち帰りたい、というのもあったのですが・・・。
 この日はベルーナドーム(西武ドーム)の試合開催日で、電車の中でもこの日のライオンズの対戦相手、オリックス・バファローズのレプリカユニフォームを着たファンを見かけました。
 最寄りの航空公園駅に降り立ちますと、まず出迎えてくれるのはYS-11です。

 公園を歩いてまいりますと目印のようにC-46が見えてきます。

 こちらは電子戦用のECM機で、地元、入間基地の航空総隊電子訓練隊のマーキングです。
 記念館の館内で最初に出迎えてくれるのはこちら、T-6G練習機です。

 方向舵、昇降舵は中が見えるようになっています。

 陸上自衛隊のH-19ヘリコプター。用途は違いますが陸海空の三自衛隊で使われたということでは、後のV-107や現在のUH-60、SH-60の先輩に当たります。

 同じく陸上自衛隊のV-44。

 これらのヘリコプターが陸上自衛隊の草創期に導入され、活躍していました。
 
 航空自衛隊の国産練習機、富士T-1B

 T-1は細かく分けますと、英国製エンジンのT-1Aと国産のJ-3エンジンを搭載したT-1Bの二種類あります。
 以前はこのあたりのスペースにテレビドラマで使われた97式戦闘機のレプリカや特別展用の展示スペースがありましたが、それらがなくなり広くなっています。
 天井から吊るされているものの中にはこんな珍しいものも。

 スチンソンL-5です。塗装のNSFは自衛隊の前身の保安隊を指します。警察予備隊や保安隊の固定翼機は機数、シリアルナンバー等、詳細が分からないようです。
 こちらの機体を知っている方はかなりの通です。

 川崎KAL-2です。2機試作された練習機用の機体ですが、量産されることはありませんでした。
 こちらの記念館、当然ではありますが所沢飛行場の歴史についても詳しい解説があり、明治、大正期の航空史についても展示が充実しています。二宮忠八の「飛行器」だけでなく、江戸時代にグライダーのようなもので空を飛んだという伝説が残っている浮田幸吉についての説明もあります。昭和に入ってからの歴史についても模型を使って説明があり、戦前には大きさでその威容を誇っていた92式重爆は収めるところがなく、屋外に係留されていたそうで、亡父が「92式はもっぱら広報用の機体で、今でいうイベントだったり広報用写真で目にすることが多かった」と言っていたことを思い出しました。
 もちろん、歴史だけでなく、体験できる施設などもあり、こうした施設には必ずあるシミュレーターもにも行列ができていました。
 一通り展示を観て、特に模型作りのために必要な機体の撮影を済ませて(いずれまたご紹介します)、売店でお土産を買いました。

 日本で初めて空を飛んだアンリファルマン機と所沢飛行場の管制塔をイメージしたクリアファイルです。
 こうして帰路につきましたが、公園内のサッカーグラウンドでは結構ガチな試合をしていて、ちょっと足を止めて外から眺めてしまいました。
 さて、私が所沢を訪れたこの日は少し離れた場所のベルーナドームでオリックスの山本由伸投手がノーヒットノーランを達成しました。途中乗り合わせたバファローズファンも、快挙を観ることができて良かったことでしょう。
 
 
 
 

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あの映画の続編が公開されたのであの映画まで話題になって・・・

2022年06月19日 | ときどき映画
 このタイトルでは何のことだよ、とお𠮟りを受けてしまいますね。トップガンの続編「トップガン マーヴェリック」が公開され、ヒットしていると聞きました。前作はF-14が「主役」でもあったわけですが、現代の米海軍の空母にはF-18Eスーパーホーネットが昔風の言い方をすれば艦上戦闘機だけでなく、艦攻、艦爆の仕事までしており、F-14だけでなく、A-6イントルーダーやF/A-18Cあたりの海軍機を生で観ている私にとっては時代が変わったのだなあと思わせます。
 トップガンの公開で、かつて日本でも同じような映画が作られた、という話がネットに出ていました。その映画は「ベストガイ」(村川透監督)と言い、平成2(1990)年公開の東映映画でした。織田裕二扮する若いイーグルドライバーが、千歳基地の第201飛行隊を舞台に最高の戦闘機乗りの称号「ベストガイ」を目指す、というものでした。
 ネットやウィキペディアでの書かれ方ですとマイナス評価ばかりで、織田裕二の「黒歴史」とまで書かれていたものもありました。私はこの作品、映画館で観ていますし、テレビでも観ました。F-15Jが好きということもありますが、実機を使ったシーンも含めて、なかなか良くできていたと思います。織田裕二と長森雅人(無名塾出身の俳優さんで、この作品が邦画デビュー作だったようです)の二人がライバルとして描かれますが、特に織田裕二演じる梶谷二等空尉は確かに戦闘機パイロットを演じるには少し若いかな、という感はありました。湾岸署の青島刑事どころか、東京ラブストーリー「以前」ですから当然です。ただ、パンフレットを読みますと織田裕二はもともと軍事、航空等に興味があって、この作品も喜んで引き受けた、とあり、インタビューでも自衛隊に体験入隊して、F-15Jの離陸滑走も体験(空に上がることまではしていないようですが)して興奮したと語っています。
 また、隊長役の黒沢年男、主人公の上官役の古尾谷雅人の二人が「航空自衛隊のパイロットで本当にああいう感じの人っているよね」と思わせ、当時のオレンジ色のフライトスーツが良く似合っていました。黒沢年男はインタビューで「隊員の生活臭のようなものを見せたい」と言っていますし、古尾谷雅人演じる主人公の上官が民間航空からの誘いを受けて悩むという航空自衛隊のパイロットらしいシーンも出てきます。さらに、特撮ものではおなじみの小林昭二が飛行機を愛するベテラン整備員として出演しており、パイロット役に比較的若い俳優陣が多い中、これらの中堅・ベテラン組が画面を引き締めていました。
 そんなこの映画ですが、自衛隊=ダサいという印象があったのか、興行成績も芳しくなかったようです。オレンジのフライトスーツの上に着るジャンパーも映画オリジナルのオリーブドラブ色にして、何とかかっこよく見せようとしていました。当時はまだ紺色のジャンパーが幅を利かせていたころですからね(私は紺色も大好き)。東西冷戦終結の頃に作られた映画ということもあり、なかなかこういう軍事ものの作品は難しかったのでしょう。ただ、この時代は邦画にとっても厳しい状況が続いており「ベストガイ」だけが悪かったとは言えないように思います。
 そしてこの時代、まだ女性自衛官には就ける職種が限られていたこともあり、女優陣もロック歌手のビデオクリップのために基地を取材に訪れているヒロイン役の財前直見など限られています。2008年の映画「救いの翼 Rescue Wings」では女性のヘリパイロットが主人公となっていますし、現在では戦闘機パイロットにも女性が進出していることを思うと、隔世の感がございます。
 この作品ではCGを使った特撮シーンもありました。現在では否定的な評価になっているようですが、公開当初はミニチュアをいつまでもピアノ線で吊る時代でもないでしょ、ということで肯定的な評価だったと思います。ソ連の機体を追尾するシーンでCGが使われていますが、現代のように作りこまれているわけではなく、いくばくかの違和感もあったのは事実です。それでもこれからはああいうシーンももっとリアルになるんだろうな、と思って観ていました。
 そんなわけで公開から30年経ちますが、続編を作るとしたらどうなるでしょうか。年を重ねてもなおイーグルを駆り、若いパイロットにとって「壁」として立ちはだかり、米軍のF-22や空自のF-35を返り討ちにしたり、中・ロの爆撃機が日本近海に現れるとそれをひたすら追尾し、燃料がなくなる寸前まで追い続け、中ロ双方から「あいつ頭おかしい」と言わしめたり、中国版Su-27の後ろに回り込んでヒヤリとさせ、年をとっても相変わらずのやんちゃっぷりを見せるというのはどうでしょう。もちろん基地の管制官はオリジナルと同様竹中直人といきたいところです。
 F-14はいろいろな作品で「主役」級の働きをしていますが、F-15はなかなか傑作と言う作品は無いように思います。その上でまだご覧になっていない方にお勧めしたいと思います。また、私がこの映画を好きな理由、大事な場面で私の好きな救難ヘリのバートルが出てくるから、というのもあります。どこで登場するかは観てのお楽しみ、ということにいたしましょう。

(映画のパンフレット)

(同じくパンフレットから。左のページにベテラン俳優陣の姿が見えます)

(モデルアート・1990年12月号のF-15特集でも採り上げられました。ハセガワも公開に合わせて1/48、1/72の二種をリリースしていました。1/72の方は凸モールドのキットです。)






 
 

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趣味誌あれこれ 令和4年5月編

2022年06月10日 | 鉄道・鉄道模型
 モナコGPの記事を書いていたり、模型の工作で忙しかったというのもあるのですが、5月発売の鉄道趣味誌から印象に残ったものをいくつか。普段は買わなかったり、立ち読みで済ませたり、電子書籍で買ったりというものもありますが、先月は「紙で」買ったものが多くなりました。既に皆様書かれていますが、私なりの印象などを。
 まず、鉄道ピクトリアルが1000号を迎えました。現存する鉄道関連の趣味誌としては「鉄道模型趣味」誌と並ぶ老舗雑誌です。私のような薄っぺらい趣味人には縁が薄いのですが、それでも私鉄特集など、気になったものを買うことがありますし、周囲の諸先輩方も愛読しています。折しも今年は鉄道開業150年という大変おめでたい年ですので、特集の方も「鉄道150年と東海道線」ということで、ストライクゾーンど真ん中な感がいたします。個人的にはかつて開催された鉄道関連の展示会、博覧会についてまとめた「車両展示会と鉄道150年」(岩成政和氏)がなかなか興味深かったです。また、東海道線ということでエピソードも時代ごとに多くありますので、特急から長距離鈍行までさまざまな記事が掲載されています。また「鉄道と郵便」今昔ものがたり(白土貞夫氏)では、鉄道郵便の歴史とともに、東京駅と東京中央郵便局間を結んでいた郵便物運搬用の専用地下軌道や駅構内の郵便ポストなどについても触れられています。もっとも、鉄道と郵便の関係については、それだけで一冊の本になるくらいの歴史やエピソードがありますし、研究されている方も多いでしょうから、今後もさまざまな記事が生まれるように思います。ピクトリアルの特集記事というのは相変わらず腹持ちのよい食事をしたような気分がいたしますが、それだけではなく、1000号を振り返る記事として、4月発売の6月号から編集長へのインタビューということで同誌の歴史を振り返っています。内幕的な話も出てくるわけですが、社内の体制転換があと少し遅かったら倒産・廃刊の危機、といった時代もあったようです。同誌が「特集主義」に転換した経緯を読みながら、私も以前、本業で広報誌(といっても無料のミニコミ誌でしたが)の編集を引き受けることになったときに、より多くの読者を得るため、また今すぐ知ってほしいことを書きたいために特集主義に転換したことを思い出しました。
 次は「RM MODELS」誌ですが、今号からKATOの製品開発に長年携わった関良太郎氏の連載もスタートしています。今号では自己紹介的な記事になっていましたが、次号以降テーマを決めてエッセイ的なものを書かれるということで、メーカーの「中の人」が趣味誌に連載を持つというのも珍しいですし、それ故に書けない内容もありましょうが、記事の中からなぜあの時、あの製品が世に出たのかといったヒントがあるかもしれませんね。また、最近連載がスタートした「鉄道模型絶対領域」はまだ内容がごった煮的なところがありますが、鉄道の周辺にあるおもちゃ、グッズにも多少興味があるものですから、今後どのようなものが出てくるか、ちょっと期待しています。
 最後は「とれいん」誌です。「Nキット 上達への近道」という連載(P.S氏)に、GMの東急7000系が取り上げられています。個人的なことになりますが、高校時代からこれまで、東急の仕様として3回、架空の地方私鉄払下げとしても2回ほど作っています。1980年代初頭のEシリーズと呼ばれたキットを中心に、あの時代の板状キットはいいアイテム選択も多いのですが、さすがに寄る年波もありますし、もともと組みにくかったり癖があったりで、完成まで一苦労、いやかなりの苦労をしています。東急の7000などは三度目の東横線仕様を作っていた折にカトーがレジェンドコレクションで完成品を発売していますので、完成させるまで気持ちが萎えないようにするのが大変でした。東急7000も丁寧に組むまでが大変なキットですが、かなり細かい解説がされていますので、自分が苦労したところも含めて「なるほど、ここは先にこういう加工をしておくのね」といったガイドにもなってくれそうです。

 ということで今日はここまで。そろそろ梅雨の季節ですが、皆様もご自愛ください。
 それにしても最近は電車が混むようになりましたね。新規感染者が減ったとはいえ、まだまだ東京でも1000人単位で感染者がカウントされています。引き続き、感染対策はしっかりと。みんなテレワークとか飽きちゃったのかな。特に公的補助でノートPCとかアクリル仕切りを買った企業の皆様、うっかり捨てたりすると後で返還請求が来ちゃいますよ。



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レーシングドライバー達の熱き想いに乾杯

2022年06月04日 | 自動車、モータースポーツ
 5月29日、日曜日のモナコGP、今年はレッドブルのセルジオ・ペレスが優勝しました。土曜日の予選ではフェラーリ二台が優勢で、特に地元モナコ出身のシャルル・ルクレールがポールを獲得、決勝も死角なしと思われていましたが、日曜日には雨模様となり、フェラーリは作戦判断のミスが響いてカルロス・サインツJrの2位とルクレールの4位という結果になりました。二度の中断などをはさみ、そういう意味では2のつく年の今年も一筋縄でいかないレース展開となりました。ルクレールはレッドブルのエースのフェルスタッペンにも先行を許したため、タイトル争いでもまた水をあけられた格好になりました。テレビ中継でフェラーリのまずい作戦を観ながら「これで『F1速報』誌で森脇基恭さんの〇と×のコーナーのうち、×の方は決まりだな」と思っておりました(私が言うまでもありませんが)。レースは終盤、レッドブルとフェラーリの4台のマシンが接近戦となり、簡単に抜けるコースではないだけに誰かがミスをすれば順位が入れ替わるような緊張感の中、チェッカーを目指しました。特にペレスはサインツJrの猛追を振り切っての優勝であり、天候の変化、さらには中断などをはさみ、よく走り切ったと思います。
 さて、この優勝でペレスは通算3勝目、モナコは初制覇でした。表彰式で喜びをかみしめながら母国のメキシコ国歌を聴く姿が何とも印象的でした。初優勝までも時間がかかりましたし、トップチームに加入して、いろいろな意味で注目を浴びるモナコでの勝利ですから、見ているこちらも心を動かされるものがありました。スペイン語圏のドライバーは風貌もあいまってかみんな華があり、ペレスについてはフェラーリファンからすればライバルチームではありますが応援しています。若いドライバーも多い中、デビューから10年以上が経ち、さまざまなことが刻まれた顔をしており、今回の優勝も「よくやったね」と一人のレースファンとして言いたくなりました。
 2位のサインツJrはスペイン出身で、お父さんは私が説明するまでもなくラリーのレジェンドですが、子供の方はまだF1キャリア初優勝がめぐってきません。でも、この調子ならどこかで勝つんじゃないかと思わせるレースをしています。
 ルクレールは今年も地元での勝利がお預けとなりました。セナのように母国で勝つまでこれでもかと毎年のように困難に見舞われたケースもあります。個人的にはフェルスタッペン、サインツJr、ラッセル(メルセデスを駆るもう一人のイギリス人も、若いのに風貌が昔っぽくて気になる存在です)らと今後10年タイトルを争ってほしいと願っています。
 さて、ペレスの勝利はメキシコ人としても最多になりました。1960年代に活躍したロドリゲス兄弟の兄・ペドロ・ロドリゲスの2勝が最多でした。今回のレースではそのペドロ・ロドリゲスをトリビュートした特別デザインのヘルメットで出走しています。優勝後のインタビューでもメキシコ人として最多ということに言及していましたが、偉大な先輩があっての自分、というところにこちらもグッと来てしまいます。どうやら私も「ココロの一番深いところにロドリゲス様が棲んでいる」(クレージーケンバンド「ロドリゲス兄弟」より)ようです。
 モナコGPがチェッカーを迎えたのは日本時間で夜中になっていましたが、明け方にはアメリカでインディ500マイルレースも行われました。この二つの有名なレースが同じ日にぶつかることは以前からよくあることで、インディの方は5月の最終日曜・メモリアルデーと決まっています(コロナ禍で夏に実施ということもありましたが)。こちらのレースではスウェーデン出身のマーカス・エリクソンが優勝しました。NHK-BS1でも録画放送されたのでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。エリクソンはF1でも出走経験があり、デビュー当時は久々のスウェーデン人ドライバーということでも話題になりましたが、なかなか成功を収めることができず、アメリカに渡っています。エリクソンも同郷の大先輩、ロニー・ピーターソンのヘルメットデザインを採り入れたヘルメットで出走しています。ピーターソンは70年代に活躍した名ドライバーでしたが、78年モンツァでの事故が元で亡くなっています。タイトルは獲れなかったものの、その走りに魅了された人も多く、今でも語り継がれているドライバーです。エリクソンもまた、大先輩へのリスペクトをしているわけで、こうした熱い想いを胸に、みんな走っているのですね。
 
 モナコの方に話を戻しますが、スタート直後の大雨による中断がそれなりにあって、CSのフジテレビNEXTでは解説の森脇、川井両氏による昔話に花が咲いていました。モナコならではの華やかなパーティーから、川井氏のピットリポーターデビューが1988年モナコで、その裏話も聞くことができました(このあたりの話は故・今宮純氏の著作にも出てきましたが)。モナコということで、カジノの話などもあって活字や電波に乗せられないこともあるようです。グランプリ期間はもちろん、他の時期に訪れるのも高くつきそうですが、いつか訪れたいと思っている国です。
 そして今年のモナコの表彰式、ロイヤルファミリーも勢ぞろいでマスクもしていません。大公、大公妃と共に双子の公子と公女も参加していました。まだ小さな二人ですが、おめかしをして子供のうちからモナコ公国にとって大切な行事に参加している姿が印象的でした。モナコGPそのものの存続についてもこのところいろいろと噂が立っていましたが、公子や公女が大きくなって表彰式でトロフィーを渡すときまで、グランプリが続いていることを祈っています。やっぱり、モナコはあらゆるところで特別です。

 さあ、シーズンはまだまだ続きます。さきほどの「ロドリゲス兄弟」の歌詞のようにテキーラ決めて、と言えるほどアルコールには強くありませんが、次の週末も騒ごうぜ、という気分になっております。



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