工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

おめでとうございます 40周年を迎えたバンドのお話

2018年09月29日 | ときどき音楽
 今から40年前の9月21日、フュージョン、クロスオーバーと呼ばれる音楽ジャンルに、若者たちが集まり、あるバンドがデビューしました。
 そのバンドの名前はTHE SQUARE(現T-SQUARE 本稿ではスクエアと略します)といいます。このたびは、レコードデビュー40周年、本当におめでとうございます。

 このブログは乗り物と模型の話じゃないのかよ、と突っ込まれそうですが、今日は趣向を変えて音楽の話をします。
 スクエアというとフジテレビのF1中継のテーマとして長年親しまれた「Truth」(パチンコ屋さんでもよくかかっていたようですが)がよく知られているほか、吹奏楽の経験のある方なら「Omens of love」や「宝島」などはなじみ深いでしょう。
 私が彼らの曲と出会ったのは1984年夏のことです。当時、サントリーのテレビCMにバンドのフロントマンである伊東たけしさんが出演されていました。「All about you」と「Travellers」という曲が使われており、このバンドを特徴づけているウインドシンセサイザーの音色に魅了されました(伊東さんは当時、楽器の商品名を取って「リリコン奏者」と紹介されていました)。また、教育テレビの英語番組のテーマにビートルズナンバーを大胆にアレンジした「Hello goodbye」も使われており、こちらも印象に残っております。
 同じ年にはフュージョンバンドのもう一つの雄、カシオペアもテレビCMに出ていましたので、歌のない楽器の演奏だけの世界でこんなにカッコイイ人たちがいるんだと思い、フュージョンは一気に好きな音楽ジャンルとなり、今に至っています。ちょうど高校入試を控えて悶々としていた頃で、こうした音楽が自由への扉だったのでしょう。思春期に出会った音楽というのは、その後の人生に影響を与え、寄り添っていくものだなと思っています。
 スクエアはメンバーの変遷がかなりあって、デビュー当時のオリジナルメンバーで40年間変わらないのはリーダーでギタリスト、数々の名曲を残している安藤まさひろさんだけなのですが、それゆえに近年では各時代ごとの「同窓会」ライブも行われています。歴代のメンバーによってアルバムの雰囲気が変わるのもこのバンドの特色でもありますが、リーダーの安藤さんを中心に作り上げてきたバンドとその楽曲の魅力は変わりありません。8月にはパシフィコ横浜で40周年コンサートも行われ、過去のメンバーも出演するにぎやかなライブとなりました。
 スクエアの曲はじっくりスピーカーで聴きたいときはもちろん、工作のBGMに、旅のお供に、移動の途中にとよく聴いておりますが、これからもすばらしい曲にたくさん出会えることを祈っています。申し上げたように、スクエアは爽やかで透明感のある音色のウインドシンセサイザーにエレキギター主体のアップテンポの曲が有名ですが、サックスやキーボードのメロディが美しいバラードにも名曲がたくさんあります。興味を持たれた方はセルフカバーアルバムの「宝曲」、「夢曲」を聴いてみてください。現メンバーを中心としたオリジナルを損なわない演奏なので、お勧めです。

 さて、デビュー前のスクエアは高田馬場のBIGBOXに当時あったビクターのショールームで定期的に演奏していたそうです。 40年前の高田馬場というと、西武新宿線では2000系がデビューしていましたが、まだ「赤電」と言われた車輛たちが主役だった時代です。山手貨物線にはEF15牽引の貨物列車が轟音を立てて走っていたことでしょう。地下鉄東西線には5000系や黄色い帯の国鉄の301系がいた時代です。更新を受けてはいますが、西武2000系も初期のグループは登場から40年というのも時間の流れを感じます。今も古さを感じさせないデビューアルバムの「Lucky summer lady」をCDで聴きながら、昔の風景を思い出していました。

 彼らと乗り物、模型に関するお話を少ししましょう。1980年代後半から2000年までドラマーとして在籍し、その後もツアー等に参加されている則竹裕之さんが2003年にバンドの25周年に合わせて「THE SQUARE」名義で発表したアルバム「SPIRITS」の中に「EUROSTAR~run into the light~」という曲を書いています。則竹さんは鉄道好きとして知られ、この曲もロンドンからパリまでユーロスターに乗車したときのことをイメージして作曲したそうです。イギリス国内ではゆっくり走っていたのが、英仏海峡トンネルを抜けてフランス側に出ると一気に加速する様子を、曲のテンポで再現しています。ライブでも人気のある名曲です。
 それから、リーダーの安藤さんが大学時代に一緒に演奏されていた仲間の中に、のちに珊瑚模型店、プレスアイゼンバーンを経て、現在は模型メーカーのモデルワーゲンを主宰されている森川幸一さんがいらっしゃいます。とれいん誌上でも音楽の話がときどき出てきましたし、江古田にあった「とれいんギャラリー」でも、お話を伺ったことがあります。
 映像作品と乗り物に関するお話もひとつ。1993年に地方のライブハウスツアーの公演や、東北の小学生と交流した様子を「CLUB CIRCUIT HUMAN」として発表しています。この時にはRED EXRESSの文字も鮮やかな「かもめ」号に乗って長崎から福岡に移動する様子や、空路の移動で日本エアシステムやエアーニッポンのYS11に乗っているシーンがでてきます。どちらも懐かしいですね。








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新橋に行ってきました

2018年09月24日 | 鉄道・鉄道模型
 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室で開催の「没後20年 工業デザイナー 黒岩保美展」を見てきました。
 黒岩さんのお名前を知らない方でも、グリーン車のマークは国鉄が民営化されてからも使われているデザインなので、皆様もご存知かと思います。そのグリーン車のマークをはじめ「ゆうづる」、「出雲」、「瀬戸」などの列車の先頭を飾るヘッドマークをデザインされたのが黒岩さんです。
 本展覧会では、黒岩さんが国鉄に入るきっかけとなった「連合軍客車内見取図」の原画が展示されています。戦後、連合軍のために客車が接収され、内装、外装に手を加えれられているのですが、それを彩色された精密な見取り図として記録したものです。図の精密さ、美しさもさることながら、歴史資料としても貴重なものとなっています。
 また、各種トレインマークの図案は採用されなかった案も含めて展示されています。先のグリーン車マークとご本人が大変気に入られていた「ゆうづる」のマークは原図が展示されています。人の手によって描かれた図面は、デザインした人の思いが伝わってくるような感があります。「ゆうづる」の赤を基調としたデザインは、牽引する蒸気機関車の黒い車体にマッチするように考えられたものだそうで、蒸気機関車のヘッドマークの中でも秀逸ですね。他にも、「こだま型」電車特急や20系客車などの塗装案が展示され、デザインが決まるまでの過程もうかがい知ることができます。
 私はこうした国鉄時代の黒岩さんの仕事もさることながら、国鉄を退職された後、「とれいん」誌上で明治時代の機関車や海外の古い車輛たちを描かれていたことも印象に残っております。古典機や外国型への関心が深くなったのも美しい絵を通してだったわけです。そういえば、サントリーウイスキーの広告ポスターにも英国型の機関車の絵画が使われていましたね。
 生前の黒岩さんには、個展が開催されたときに一度お会いしたことがあります。私のような若造にも丁寧に接してくださり、画集「鉄路の名優たち」にサインをいただきました。私の蔵書の中で、特別な一冊となりました。
 黒岩さんは、悉皆屋(しっかいや。デザインから洗い張り、しみ抜きまで着物に関するすべてを引き受ける職能~展示会図録より~)の家に生まれ、日本画を学ばれた方でもあります。ヘッドマークなどのデザインに違和感なく溶け込んでいる和のテイストは、こうした素地から生まれたものなのかもしれません。また、欧米(特にイギリス)では、鉄道を題材とした絵画をよく見る機会がありますが、黒岩さんの描く絵画はこうした欧米のものとも違う空気感や美しさを持っていました。今日ではパソコンがあれば絵を描ける時代ではありますが、黒岩さんの後を継ぐ鉄道絵画を描ける才能が出てくることを願って、結びとしたいと思います。
 

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通勤型だって好き 東急8000系

2018年09月23日 | 鉄道・鉄道模型
なじみの模型屋のご主人に「東急8000系好きなんですよ」と話したところ、「えっ!お客さん本当は通勤型が好きだったの?で、あれのどこがいいの!?」と言われたことがあります。たぶん本線の王道ものからゲテモノ系の車輛まで買っている人間の口から、あまりにも普通過ぎる通勤型が好き、という言葉が出たのは意外だったのでしょう。

子供の頃、地元には銀色の電車は走っておらず、ステンレスカーといえば東急か地下鉄くらいでした。たまにしか乗る機会のない東急のステンレスカーは魅力的に映りました。
ところが、高校が東横線沿線にありましたので、毎日銀色の電車とおつきあいすることになったのです。特に各駅停車の運用に就いていた8000系にはお世話になる頻度が最も高い車輛となりました。米国バッド社のライセンスのプレートも誇らしい7000系も好きですが、毎日見ているうちに8000系には愛着が湧いたのです。
8500系、8090系も8000系のファミリーという位置づけではありますが、ここではシンプルなデザインの8000系のことを話しましょう。

みんな同じに見えて、8000系は製造時期によって形態が少しずつ違います。1980年代半ばでも、非冷房の初期車が走っていて、クーラーキセの中がからっぽ、ということもありました。正面幌枠の形状、側面の方向幕の形状、屋根のランボード、室内の見付にに至るまで、実は差異が多い系列でもあります。テレビのような形をした電動の車内広告をつけた車輛もいましたね。東急8000系を通して、車輛を研究するという鉄道趣味の面白さの一つを学ぶきっかけになったかと思います。車輛の技術的な特徴としても、ワンハンドルマスコンの採用など、外見は地味ながら中身は画期的なものを持っていました。
飛行機だって同じサブタイプの中で後付けの改造がされたり、一機ずつ違うところがあったり、レーシングカーでもサーキットごとにパーツ形状やスポンサーの位置が少しずつ違ったりしますので、そのあたりの面白さというのは鉄道趣味以外の方にもご理解いただけるのではと思います。

このあたりの形態分類は趣味界の先達の方々がまとめていらっしゃいますので、ここでは詳しく触れませんが、まるまる一冊東急8000系特集(鉄道ピクトリアル2017年3月号)というのもありますので、趣味誌の特集になれるだけの車輛であるといえるでしょう(弟分の8500系はローレル賞受賞車ですしね)。

また、個人的な感想にはなりますが、8000系については乗っていても不自然なところがないというか、毎日乗るのにストレスフリーな車輛でした。20m4扉通勤車というのはどこでも走っているオーソドックスなタイプなのですが、他の車輛と違う何かがあったのでょうか。

模型でもGMの板状キットをずいぶんと作りました。8500系とコンバーチブルのため若干異なるところはありますが、1980年代後半の東横線を再現すべく、屋根の色、車体の銀色にもこだわりながら作っています。車体の銀色も、屋根のグレー色も塗装としては難しいので、理想になかなか近づけないですね。
写真でお見せするのは2008年頃作ったものですが、1986年の夏、平日昼間の渋谷行きをイメージしています。乗客も乗っています。後年、赤帯が入ったり、歌舞伎の隈取のような塗装になったりしましたが、私の中では8000系といえば、車体は銀色でHゴムは黒の時代に愛着があります。

(写真撮影協力・秋葉原yfs様)

鉄道コレクションでも発売されています。こちらは2つパンタグラフを載せていた時代にも対応できる屋根パーツが入っていて、ファンとしては思わずあごに手をやりながら「うーん、やるじゃないか」と渋くささやいてみたくなります。
東急のステンレスカーは他の系列との関連性も含めて、いろいろな切り口で語れると思います。また、本ブログの中でこういった話ができたらと思います。


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好きな車輛のこと 581系、583系 つづき

2018年09月22日 | 鉄道・鉄道模型
前回お知らせしたように、今回は581系、583系の模型の話をしましょう。
もちろん、模型以前にいわゆる「鉄道おもちゃ」との出会いから始まります。
今でも手元にあるのが、ダイヤペットの鉄道シリーズで、寝台特急電車と書かれているものです。(写真右)

スケールは1/200を名乗っており、クハネ581とモハネ580、プラ製の軌間9ミリの道床付きレール、電車遊び用の小さな切符が入っていました。
出来のほうは見てのとおりというところですが、パンタグラフも壊さず残っているので、大事に眺めていたのでしょう。
他にも鉄道玩具の定番ともいうべきダイカスケールのクハネ581も持っていたので、このあたりが初めて立体で手にした「しんだいとっきゅう」だったわけです。
小学生に上がると、動くおもちゃに移行します。私はバンダイの「ミニミニレール」でよく遊んでいました。これは後年発売され、今も人気の同社のBトレインショーティーのようなサイズの車輛が3輛入っていて、プラ製レールの上を単5電池2本で走るというものでした。
このなかに583系もあり、485系とともに私の鉄道のエースでした。まさに昼夜を問わず走る特急の役回りだったわけです。

やがて鉄道模型の世界に足を踏み入れることになりますが、最初にやってきた「月光型」はTOMIXの「月光型特急電車セット」でした(クハネ581・写真左)。
コストを抑えた製品で、4輛セットで5,400円という値札が箱に貼ってあるので、確かに当時としても安価な部類に入るでしょう。
ただ、安かろう悪かろうではなく、この製品、なかなかよく走りました。また、今見ても特徴はきちんととらえています。惜しむらくはクハネとモハネ(なぜかモハネは582、583です)のユニットだけのラインナップだったことです。
「いつかサロやサシが出ないかなあ」と思いながら、お座敷のエンドレスを走る姿を眺めていたものです。

中学生の頃だったと思いますが、カトーも583系を発売します。ただし私が購入したのは大学生になってからでした。中学生、高校生のお小遣いではセットをいきなり買うということはできなかったのと、腕が伴わないのにGMキットを組む方に夢中になっていた時代で、なかなか興味が向かなかったからでしょう。
これまでカトーは改良生産も含め、何度も再生産をしていますし、581系も発売しました。トミックスからも昔の製品とは比べ物にならないくらい精密な581系、583系が発売されています。私も両方のメーカーの最近の製品を持っています。内装に色を差したり、別売パーツのブラインドを取り付けたりと、一通りのことをしました。
もちろん、食堂車もグリーン車も今の製品にはありますので、実物通りのフル編成、とはいかないまでも、東北本線を行く「はつかり」であったり、山陽本線を走る「月光」を楽しめるようになったというわけです(渋いところで札幌五輪輸送関連の
「オリンピア」なんていう列車もありましたね)。

基本はNゲージの私も、16番の数少ないコレクションの中に583系があります。TOMIXの製品を持っております。このスケールになると人形を乗せて、製品付属のブラインドも所々つけてという遊びができます。乗客たちも商用、観光などさまざまな目的で乗っている人たちを再現できます。すべてお見せすることができず申し訳ありませんが、駆け落ちなのか肩を寄せ合って目立たないように座る男女、サロの座席には選挙区に帰る代議士なのか、恰幅の良い紳士も乗せました。

食堂車に至っては金属のパイプを加工して一輪挿しを作り、花もさしてあります。ウェートレスさんが行き交い、かつての活気のある食堂車の光景です。人形はプライザーとカトー製品です。

さて、「月光型」は昼夜両方で使われることを前提としていましたので、A寝台車は作られず、優等車輛は座席車であるグリーン車のみでした。子供の頃、A寝台の車輛が作られていたらどうなるだろう?と想像して、紙でモックアップのような模型をいくつか作ったことがありました(我ながら相当変な子供ですね)。博物館の大型模型などに触発されたのかもしれませんが、このころから、車輛のインテリアなどにも興味が向いていたようです。後に「サロネ」という形式が生まれたときは驚きましたが。

好きな車輛の話になるとついつい長くなってしまいますが、ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。次回は583系とは全く違うタイプの車輛の話をしましょう。






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好きな車輛のこと

2018年09月19日 | 鉄道・鉄道模型
marcoさんの好きな車輛は何ですか?と聞かれることがあります。
私のように模型を楽しんでいる人間にとっては、持っている車輛のほとんどが「好きな車輛」ということになるので、この答えは難しいところです(行きつけの模型店のスタッフからしたら、この人こういうものにも興味があるの!?と言われそうなものも買っていますが)。
ここでは、少なくとも自分が乗ったことがあって、思い入れの強い形式をいくつか話しましょう。今回から何回かに分けてとなりますが、ご容赦ください。
まず、このテーマで欠かせないのが581系、583系ということになります。国鉄の「月光型」ですね。
子供の頃に憧れた形式なので、なぜ、どこが、という理由の説明は難しいのですが、在来線の特急電車が赤とクリームに塗り分けられていた中、青とクリームに塗り分けられた車体に深い屋根が目立っていたから、ということもあるでしょうし、世界初の寝台特急電車であることや、東京に住んでいる人間からすると、昼行の「はつかり」、夜行の「はくつる」など、長い区間を走る速達列車というのも魅力に感じたところだったのでしょう。
583系には何度か乗ったことがあります。東北新幹線開業を控えた昭和57年1月でしたが「はつかり」に乗って青森に行った(子供だったので親に連れて行ってもらった、と言うべきですね)ことがあります。ご存知のとおり、昼間の運用では座席は4人掛けのボックス席となりますので、リクライニングもなく、見知らぬ同士が長時間顔を突き合わせることになります。憧れの列車、憧れの形式に乗れた嬉しさもありましたが、他の特急列車と違う車内に慣れるのに少しだけ時間がかかりました。快適さとプライバシーを重んじる現代ではなかなか難しいかもしれませんね(もっとも、大人になってから乗ったヨーロッパの列車では向かい合わせ席も多いので、そういう経験を随分しましたが)。印象に残っているのはサシ581で、天井が高いなあと思いながら、カレーを食べた記憶があります。
大人になってから「はくつる」には何度か乗車しました。特に平成12年~14年頃には、大型連休などに583系のはくつるが臨時運転されるため「583系に乗りたい」という理由だけで青森まで乗りました。上段寝台に潜りこみ、眠くなるまで文庫本を読み・・・ということで夜汽車の醍醐味を堪能しました。もちろん、せっかく青森まで来たわけですから、青函連絡船の八甲田丸を見学したり、県内の地方私鉄を撮影したり、三内丸山遺跡や棟方志功記念館を訪れたりと、観光もしましたが・・・。
その後、団体列車として「ひばり」のダイヤで運転された列車に乗っておりますが、「月光型」もすでに引退しております。博物館で保存されている姿を見に行きたいところですが、どれも東京からは少々遠いですので、我が家の模型であの頃に思いをはせることとしましょう。ということで、次回はこの形式の模型のこともお話しします。


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