工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

第75回 東京みなと祭に行ってきました

2024年05月18日 | 船だって好き
 5月と言いますとゴールデンウィークのイタリア映画祭の話をここで書いていますが、他にも「東京みなと祭」の時季でもあります。18日、19日の開催ということで、今日行ってまいりました。

 私のお目当ては「珍しい船の展示」ということで、毎年やってくる護衛艦を楽しみにしています。今年は護衛艦「おおよど」がやってきました。「おおよど」は「乙型」と呼ばれる地方隊配備の比較的小さな護衛艦に分類され「あぶくま型」に属します。小さい、とは言っても基準排水量2000トンですから、第二次大戦中の駆逐艦並みです。


ステルス艦形を見慣れておりますと、こういったスタイルがとても古く感じられます。

127mm砲が主流になる中、主砲の76mm砲も珍しくなっています(父が生きていたら、127mm砲でさえ、高角砲と言われてしまいそうです)。
艦橋も1980年代の艦艇という感じがします。

甲板中央にはアスロックの発射ランチャーがあります。


短魚雷の発射管は両舷にあります。


後部にはハープーンの発射筒と

20mmCIWSがあります。

こうしてみると小さな船体に必要な装備はひととおり積みました、という感じの艦です。

「おおよど」をはじめ、あぶくま型の護衛艦は河川に由来する艦名です。河川を艦名に採用するのは旧海軍の軽巡洋艦を思わせます。おおよどの先代、連合艦隊最後の旗艦となった「大淀」の模型も展示されていました。




甲板と通路をてくてく歩いても、小さな船ですからそれほどかからず出口に、となりました。
「おおよど」は現在大湊を定係港としていて、砲身からなにから、あらゆるものが凍ってしまう真冬の厳しさを伝える写真も展示されていて、印象に残りました。
ちょうど艦長がゲストに説明しているのが聞こえましたが、金曜日のカレーもともかく「おおよど」はラーメンも美味しいとの由。厨房で作られている食事の写真も展示されていましたが、どれも美味しそうでしたねえ。
さて、おおよどを含む「あぶくま型」も退役が近いようです。後継艦は以前ご紹介した「FFM」で、こちらも河川の名前ですね。

18日のみ展示ということでしたが、海上保安庁の「拓洋」も来ていました。こちらは大人気で入場制限がかかっていました。



イベントはクルーズターミナル内でも開かれていましたが、私が毎年楽しみにしているのは商船の模型の展示です。

(カナディアンパシフィックラインのエンプレス・オブ・ジャパン号(1929年)・戦時中にエンプレス・オブ・スコットランドと改名しています)


スマートなシルエットも美しい「アブソニア」号

暑い一日ではありましたが、他の催し物なども含めて、楽しい一日となりました。艦艇の見学の後で豚児は海自の制服を着て記念撮影、となりました。写真を撮ったのは陸自の隊員で、空挺のき章が胸についていました。
やはりこの日限定、しかも対象者も限定だったようですが、晴海ふ頭側にグレー色の船体がゆりかもめから見えました。
「かしま」と「しまかぜ」という練習艦隊の艦艇とのことでした。





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潜水艦コマンダンテ・カペリーニの数奇な生涯

2024年05月04日 | 船だって好き
 昨日ご紹介した潜水艦コマンダンテですが、ここに登場するコマンダンテ・カペリーニのその後の話を書いておりませんでした。本ブログの読者なら「そんなこと知っているよ」でしょうが、少しお付き合いください。
 コマンダンテ・カペリーニはその後も主に大西洋で活動します。映画の主人公、トーダロ艦長の指揮下で大きな戦果を挙げたことで、ドイツのUボートを指揮していたデーニッツ提督も満足していたといいます。当初はイタリア・ドイツが共同で通商破壊を行っていたものの、作戦方法の違い、連絡方法等で双方に不協和音が生まれ、やがて別々の行動を余儀なくされ、イタリアは会敵機会の少ない海域に追いやられる格好となりました。トーダロ艦長も船を降り、別の部隊に移っています。なお、1942年には「ラコニア号事件」(知らない人はググってね)で沈没したラコニア号の乗員・乗客の救護活動も行っています。
 開戦当初とは異なり、レーダー、ソナーが進化するとイタリア海軍の潜水艦は旧式化してしまいます。ドイツ海軍はこれを機に自国のUボートよりは大きいイタリア艦を使い、極東(日本)との輸送・連絡任務に利用しようと思いつきます。こうして1943年にイタリアが降伏する少し前にカペリーニはドイツ海軍に編入されました。ドイツ海軍の指揮下とは言いつつも実際にはイタリア人乗組員により管理されていたと聞きます。イタリアにはその代わりにドイツのUボートが提供されたようです。
 9隻が極東に向かったものの多くは沈められ、シンガポールにはコマンダンテ・カペリーニ(ドイツの指揮下ではアキーラⅢと呼ばれていました)ほか3隻がたどりついただけでした。ほどなくしてイタリアは降伏します。
 イタリアは降伏したとは言いつつも、イタリア王国とは別に北部のサロに「イタリア社会共和国」と呼ばれる親独政権もあり、さらに右から左までさまざまな政治的背景を持つパルチザンも入り込み、言わば内戦状態に入ります。その本国の混乱とは無縁だった乗組員ですが、多くが親独側についたため、コマンダンテ・カペリーニも引き続きドイツの指揮下にありました。ペナンにドイツ海軍極東艦隊(モンスーン戦隊というなんとも洒落た別名があったようです)があり、そこの所属としてドイツ海軍のUボートともに活動します。名前もUIT-24というUボートのような呼称になりました。燃料補給艦の撃沈などで欧州に戻ることも難しくなり、行動範囲も制限される中で、やがて艦の修理が必要となり、もう一隻のトレッリとともに日本まで回航されます。神戸で修理、改修中の1945年5月にドイツも降伏すると、イタリア人たちも船を降り、今度は日本海軍の伊-503号潜水艦として呉に配属されます。そこで終戦を迎え、1946年4月に米軍の手で海没処分させられたそうです。
 輸送任務に適している、と書きましたが、カペリーニと同じマルチェロ級は大西洋での行動を念頭に置いた「大型艦」でした。しかし、全長70mあまり、排水量1000tあまりですから、日本の伊号潜水艦に比べれば小さな潜水艦です。マルチェロ級の潜水艦は11隻あり、いずれも人名がつけられました(イタリア海軍は人名をよくつける方ですが)。カペリーニは19世紀のリッサ海戦で戦死した提督の名前ですが、それ以外のバルバリーゴ、モチェニーゴ、モロシーニ、ヴェニエロ、エーモといった名前はヴェネツィア貴族(その多くが海軍の提督など)のオンパレードで、少々名前負けしている感もあります。
 コマンダンテ・カペリーニについてはこれまでもいくつかの作品で映像化されていますが(2年前にフジテレビで日本回航以降の話がドラマ化されていますが、史実とはだいぶ違うようです)、今回製作された映画がは大西洋での作戦の一部を切り取ったとはいえ、史実に沿って書かれているように感じます。


参考文献 イタリア軍入門 1939~1945 山野治夫 吉川和薦 イカロス出版

 

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幸運な駆逐艦・ジャーヴィスを作る

2023年10月17日 | 船だって好き
 夏の間、せめてモデリングだけでも涼しいものをと1/700の艦船に手を出しておりました。それが今回ご紹介するアオシマ1/700のイギリス海軍「ジャーヴィス」です。イギリス海軍の艦艇は大人になってから何隻か作っているのですが、ジャーヴィスについては何年か前によくプレイしていたスマホの海戦ゲームから知った次第でした。英独が大西洋で戦う内容で、無料版でしたから出てくる艦艇も限られ、自ずと駆逐艦に詳しくなってしまった、という理由もあるのですが。

 艦艇というのはその国の考え方がはっきり表れる気がします。同じ駆逐艦でも日本とイギリスではだいぶ異なります。その中でジャーヴィスの属するJ級はだいぶ近代的な艦船でありました。ジャーヴィスは大戦前夜の1939年5月に竣工、戦時中は主に地中海と本国近海での戦いに参加し、駆逐戦隊の旗艦任務に就くことが多かったようです。確かにそれまでの駆逐艦よりも大きく、いわゆる「嚮導艦」でした。ジャーヴィスというのはナポレオン戦争時代の海軍大臣から採った名前だそうで、由緒ある名前ですね。ジャーヴィスが有名になったのは同型艦が戦没する中で戦争を生き延びたことだけでなく、戦死者を一人も出さなかった、というところにあります。駆逐艦のような小さな艦艇はどうしても大型間の「盾」にならなくてはいけませんし、空からの攻撃、水中ではUボートとの戦いと気が休まる暇もないところですので、そんな中での活躍ぶりは「LUCKY JERVIS」と呼ばれていたそうです。
 こんなエピソードを知ったこともあり、アオシマが1/700で「ジャーヴィス」を発売した折には、模型屋さんに駆け込んだ一人でした。さて、キットですが最近の艦船キットということで塗装の便をある程度考えた組みやすい作りとなっており、指定された色に塗り、説明書に沿って組んで、とシャープなモールドを損なわないように組み上げていきました。エッチングパーツ等が含まれない「通常版」をストレートに組んだだけですので張り線などもしていません。艦戦模型を「専業」とされているモデラーには到底及ばないのですが、この気になる船を組むことができて満足です。
 艦船は現用艦艇なども手を出していますので「竣工」したらまたご紹介しましょう。


日本海軍の武勲と強運の駆逐艦「雪風」と。



 
 
 

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東京港に「めずらしい船」を見に行く

2023年05月20日 | 船だって好き
 今から四年前のこと、このブログで「東京みなと祭」の記事を書いたことがありました。今週末は実に4年ぶりのリアル開催で、しかも場所を晴海ふ頭から船の科学館至近の「東京国際クルーズターミナル」に移してこのお祭りが開催されています。私も本日出かけてきました。ゆりかもめは途中まで相当な混雑でしたが、お台場海浜公園、台場を過ぎるとだいぶ空いてきました。今日は午前中があいにくの曇り空で、ときどき雨も落ちていました。
 この「東京みなと祭」ですが、これまでも「めずらしい船の展示」ということでさまざまな機関が保有する船の公開が行われています。今年は東京都港湾局の浚渫船「海竜」と海上自衛隊の試験艦「あすか」でした。「海竜」はこのイベントおなじみですが「あすか」の方は今まで乗艦したことがなく、私にとっても「めずらしい船」となりました。


 「あすか」は将来的に艦艇に装備する機器、武装をテストするための艦船で、同型艦のない1隻だけの船となります。固定武装がないため、前甲板は物足りなくも感じます。

(クルーズターミナル4階から撮影)

艦橋を後方から見たショット。

ヘリコプターの格納庫。他の艦艇とはつくりも含めて少々異なります。

(ブレてしまいましたが)魚雷の発射管があります。

主砲がないだけで、後は普通の護衛艦とは変わらないじゃないか、というところですが、舷側の通路は他の艦艇と比べても少し広めにとってあります。

上から見るということも少ないと思いますので、クルーズターミナル4階から撮った写真です。


「あすか」は試験艦という性質上、艦形を変えたりしながらの運用となっていて、今後もそれは変わらないようです。

こちらは「海竜」です。


ターミナルの2階では、商船などの民間船舶を中心とした模型の展示も行われていました。

(日本郵船の「新田丸」。のちの空母「沖鷹」)

(同じく「浅間丸」)

(貨客船「帝亜丸」。もともとはフランスの「アラミス」という船でしたが、日本の仏印進駐ののち、日本船として運行されました。「アラミス」の模型もありました)

(東京港ゆかりの船舶ということで、大島航路の「橘丸」)

(漁業に使われる船舶も。こちらは捕鯨船です)(5月21日追記。写真を間違えておりました。正しいものを掲載しました)

ということで久しぶりの船と港を楽しみました。ターミナル内では国、自治体等さまざまな機関がブースを出していて、お土産もずいぶんいただきました。お土産をたくさんいただいたというのは豚児も一緒だったから、というのもありますが。
海上自衛隊からはシールや缶バッジをいただきました。ありがとうございました。


みなと祭、21日も開催されます。
(5月21日に一部訂正しました。)


 

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FFMって何?新しい護衛艦を見てきました

2022年11月13日 | 船だって好き
 船の科学館そばに近年完成した国際客船ターミナルで最新の護衛艦「もがみ」と「くまの」がこの週末公開されており、私も見てきました。なお、写真には12日に撮影したものと13日に撮影したものが含まれています。ご了承ください。

横浜港の公開でも写真をご紹介しましたが「もがみ」型はステルス性を考慮した構造をしており、在来の艦と異なり凹凸や突起物を極力減らした形をしています。
全体形を見てみましょう。客船ターミナル側から撮った写真です。

固定武装は127mm砲が一門と、これは標準的なものです。

甲板上の構造物はすべて箱状の構造で覆われています。

後部のヘリ用甲板。イージス艦等に見られた「オランダ坂」と呼ばれる傾斜もありません。

もはや「マスト」と呼べるものがありませんね。ホイップアンテナが散見されます。


では乗艦してみます。乗艦したのは13日の方で、公開開始の10:30には既に長蛇の列ができていました。乗艦まで2時間ほど待つことになり、午前のみ公開だった「くまの」には乗れませんでしたが「もがみ」には乗艦できました。
この開口部から乗艦します。ラッタルを上がって前甲板に出ました。前甲板のほとんどの面積が滑り止め塗装されていました。

主砲塔部

甲板から見た艦橋。

「くまの」が出航準備をしていました。

ラッタルを降りて後部甲板ら向かう通路を通ります。汎用護衛艦にカバーをかけたような構造となっていて、魚雷発射管も格納されています。
後部甲板、意外に広く感じられました。全幅も広い感じがします。ヘリコプターの運用もできます。

大きさを比較すると「はつゆき」型より少し大きく「むらさめ」型より一回り小さい感じです。久々に登場した「フリゲート艦」という艦種の「FF」という種別がつきますが、そのつぎの「M」というのは掃海任務の一部を行うというのと、多用途(Multi Purpose)のMという意味が込められているそうです。ただし、FRPなどで作られた掃海艇と異なり金属製の艦のため、掃海艇の任務を完全に取って代わることはできず、掃海任務は必要に応じて無人の掃海処分具などで対処するということでした。省人、省力化のために工夫された艦艇でもあり、乗組員の数も「はつゆき」の半分の90-100名程度と言われています。艦番号もこれまでの三桁ではなく、FFM-1としているのも、この艦の違いを際立たせています。
岸壁で待っている方も多いので早々に艦を下りました。岸壁にはこんなミニチュアがいました。隊員が中に入って動かしていました。

イージス艦のヘリ甲板も再現されています。かなり凝っています。

ヘリ甲板には本物と同じ滑り止め塗料が使われているとか。

こちらは一足先に公開が終わった「くまの」です。


さて、列を作って待っている間に中国語の話し声が聞こえてきました。言葉の様子から大陸の方のようです。見学については国籍等は問わないので誰でもウェルカムなわけですが、もし中国の軍港で「もがみ」型と似た「江凱」型のフリゲート艦が公開されているとして、我々日本人が気軽にアクセスできるのかと思いました。両国が緊張関係にある中で、自衛隊・日本政府が寛大なのか、これくらい見られても平気ですよ、という意思の表れなのか、ちょっと気にしつつ埠頭を後にゆりかもめに乗り込みました。






 

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