工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

玩具道楽 夏のオリンピック その3 いざ、勝負! 格闘技

2021年07月31日 | 玩具道楽
 ロンドン五輪に合わせるように2012年に発売されたプレイモービル「SPORTS ACTION」ですが、格闘技についても製品がありました。

女子の柔道です。

思えばカラー柔道着が五輪でも採用されてから20年たちます。肘が曲がらないので組むのも一苦労です。


もう一つはこちら、フェンシングです。

子供の頃、日本人が絶対かなわないと思っていた五輪の種目というと、夏はフェンシング、冬はフィギュアスケートでした。それが今や金メダルを獲得できるまでになりました。

男子選手2名が入っています。

フェンシングの選手の雰囲気をとらえていて、個人的には好きです。
 フェンシングは女子選手もブラインドパッケージの「Figures」から発売されていました。

二つ並べてみました


畳の上に戻りまして、東京大会から空手が新規の種目として追加されました。
プレイモービルはその昔、1体もののスペシャルというシリーズがあり、そのときに空手もラインアップにありました。
その後、ブラインドパッケージの「Figures」に受け継がれています。
今回も構成は変わらず。人形と二つに折れる木の板を模したパーツが入っています。


見事に割りました。

って、五輪ではこれを競うのではなく、相手との「組手」と演武の「形」で競います。


(令和3年8月4日に加筆しました)










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玩具道楽 夏のオリンピック その2 跳ぶ、回る、ひねる、着地する

2021年07月28日 | 玩具道楽
 玩具道楽版夏季五輪、今回は体操競技です。こちらもリアルの東京五輪は日本勢の活躍をはじめ、とてもレベルの高い試合になっていますね。
 前回も紹介しました「SPORTS & ACTION」シリーズですが、体操関連は何と4点も(!)ラインナップにありました。

 体操競技、確かにドイツも優勝争いに絡むことがありますが、人気種目なのでしょうか?
 
 では最初は男子の吊り輪から。

 目が半月型で、プレイモービルの東洋人の典型でございます。腕が横に広がりませんので十字倒立はできませんが、着地は両足をそろえて(片脚ずつは可動しませんからね)着地成功です(笑)。


 こうしたものも発売してしまうのがプレイモービルの芸の細かさ、と思ったのがこちら、男子のあん馬です。


落下しないように、演技が途中で止まらないように・・・。きれいに下りました。


 女子も負けておりません。まずは段違い平行棒です。

 こちらも着地がピタリと決まりました。


 もう一体はこちら、平均台です。

こちらの選手はフープやボールを持っており、新体操といった方がよさそうです。新体操と体操の二刀流なのでしょうか?


 おやおや、段違い平行棒の選手がやってきてここは私の場所、とばかりに平均台に立っております。


 この女子のセットをアレンジすると次のようなこともできます。
 段違い平行棒を2セット買ってきて、低い鉄棒のパーツを外してもう一つのセットの高い鉄棒をはめ込むと、ちょっと形は違いますが、男子の平行棒になりました。

大技「モリスエ」にチャレンジ! ちなみに「モリスエ」はロス五輪金メダリスト森末慎二氏にゆかりの技です。

 低い方の鉄棒を外せば、男子の鉄棒になります。


「栄光への架け橋だ~」とばかりに着地も決まりました。


体操競技といいますと、団体や個人総合など選手たちがそれぞれ最後の演技を終えると、国籍に関係なく労わり、ねぎらいの握手やハイタッチ(コロナ禍の昨今ではエアーやグータッチですが)をするのが印象に残りました。長時間体育館で過ごしたライバル同士、もしかしたら大けがをするかもしれないスポーツですので、あの場に立っている選手たちにしか感じることのできない特別な景色、思いがあるのでしょうね。
 






 


 

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玩具道楽・夏のオリンピック!? その1 陸もの、水もの、ストリート

2021年07月26日 | 玩具道楽
 東京五輪は金曜日に開会式が行われ、日本勢の活躍に胸を熱くされている方も多いでしょう。開催までこれほど混乱があったのも「見えない神々がこの土地では開催してはいけない」と言っているかのようにも感じましたが、開会したからにはそれぞれの選手がベストを尽くされ、特に海外の選手は良い思い出とともに帰国されることをお祈りする限りです。また、今日、この時間もたくさんの医療従事者や社会を維持するために働いている方がいらっしゃって、もちろんその人たちへの感謝の気持ちもあります。
 開会するまではコロナ禍、無観客で地元開催の実感がなく、知らない国のトーキョーという町で五輪が開催されるくらいに思っていたのですが、自転車のロードレースでつい先ごろまでツール・ド・フランスでフランスの田舎町やパリのシャンゼリゼを駆け抜けた選手たちが東京の郊外を出発して日本の田園地帯を駆け抜け、最後は富士スピードウェイでゴール、という光景を見たり、スケートボードで国旗掲揚台の向こうに見えるレインボーブリッジを観たときは、賛否はともかく、ああ、自分の国に、街に五輪がやってきた、と思いました。
 前置きはともかく、玩具道楽でも「夏のスポーツの祭典」ネタをご用意しました。プレイモービルなら反対デモもないでしょうし、開会式で長い挨拶もないでしょう。プレイモービルでは2012年のロンドン五輪に合わせて「SPORTS & ACTION」というシリーズをリリースしています。それ以外にもスポーツを題材にした製品がありますので、それらを今回からご紹介します。ということで、ギリシャの神々にその鍛えし肉体を奉納し、堂々と戦うことを誓います!

(ギリシャの神々 アテネ神)
 トップバッターは古代オリンピックにもありました陸上競技、なのですがプレイモービルで見かけるのはトラックではなくてフィールドの方で、女子のやり投げと男子のハンマー投げくらいです。

 女子のやり投げ選手はこんな感じです。



 まあ、槍じゃなくともトラック種目など、他の陸上選手としても使えそうです。プレイモービルは腕が前後に動き、脚は腰のところで曲がるだけで、ひじ、膝が動くわけではないので(例外もありますが)、可動する部分は少なく、雰囲気重視です。

 男子はハンマー投げが出ています。

 そうは言ってもプレイモービルの構造上、両手でハンマーのグリップを握れません。あしからず。
 渾身の力をこめて「どりゃー!」となげましたが、

 ポトリと落ちてしまったようです。

 陸上と共により速く、というところでは花形の水泳です。

 コースレーンの飛び込み台と選手のみの組み合わせです。選手のゴーグルはプリントです。

 飛び込み台の下の壁のように見えるものはオリジナルではなく、他の製品からもってきたものです。

 なお、サーフィンが今回から正式種目になりましたが、こんなサーファーがいます。


 当初撮った写真では臨場感のかけらもなく、改めて撮りなおしています。
 これは「スペシャル」と呼ばれる廉価な一体もののシリーズの一つで、2005年~2006年までカタログ入りしていました。その後もしばらく見かけましたし、私が買った元箱には海外の値札がついており、おそらくマルタで買ったのではないかと思います。→8月7日加筆。フィレンツェの模型屋兼玩具店のシールが貼ってありました。


 さて、五輪の方は今大会からストリート系の種目も開催されるようになりました。スケボーでも若い金メダリストが誕生しました。エッグと呼ばれる大きな卵型のケースに入った製品の中にストリートバスケっぽいものもありました。
 

 ストリートでゆるく3オン3というより、ユニフォーム姿なのでアリーナで戦うバスケプレーヤーとしても再現できそうです。
 2007年カタログではストリート系のスポーツが一気にシリーズ化されました。私は興味が湧かずスルーでしたが、それっぽいファッションの若者がスケボーで飛び跳ね、いや大きなエアを決めてやばいっすね、これという感じです。カタログの写真で失礼します。


 ただし、このシリーズはあまり長続きせず、短期間でカタログ落ちしています。プレイモービルの場合、カタログ落ちするのが早いシリーズなどもあり、そこがまた、玩具道楽する人たちにとって悩ましいところであります。

7月27日、8月7日に加筆訂正しました。
 

 




 
  
 

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「国鉄色の教科書」発、「プラ車体へのサーフェーサー吹き」行き。最近の鉄道書、趣味誌から

2021年07月23日 | 鉄道・鉄道模型
 いよいよ東京五輪の競技の一部が始まりました。いつもながら開会式より前に一部競技の予選が始まるというのは飲み会で全員が揃う前に「練習」と称して飲んでいるような感があり、個人的には違和感を禁じ得ないのですが・・・。それだけ種目、競技が増えているなら、日程も3週間くらいにしてゆったり開催すれば観たい競技が重なったりしないのに、と思います。今日はブルーインパルスがお昼に我が家の上空を航過していきました。予行の時も職場から偶然見えましたが、今日は久々のカラースモークでしたね。五輪開催についてはさまざまなご意見があり、私も思うところはあるのですが、それはここで話すべきことではないので、本題に移りましょう。

 さて、今日は鉄道模型関連の本や雑誌にまつわることをご紹介します。最初にご紹介するのは「国鉄色ハンドブック」(機芸出版社)です。
 本稿の読者なら改めて説明の必要は無いかと思いますが、国鉄の車輌については「クリーム色1号」、「赤2号」というように、塗装に関する色名が細かく定められておりました。国鉄は全国組織ですから、色調が地域でバラバラにならないよう「国鉄車両関係色見本帳」により塗色を指定し、これらの色の見本帳が作られて全国の工場、メーカー等で共有されることになりました。
 本書では国鉄の「車体色」として使用された52色を紹介しているほか、「資料 国鉄車両関係色見本帳集成」として、1956(昭和31)年から1983(昭和58)年まで、計8回発行された「国鉄車両関係色見本帳」の内容を色別に再構成し、解説しています。車輌内装の化粧板、腰かけ上張り、カーテン寄せ、敷物(カーペットなど)、テーブルの裏(!)なども形式ごとに細かく定められていたことがわかります。興味深いのは20系客車の内装色のみに使用され、その後は指定された形跡が無い色(赤10号、薄茶色8,9,11,12号)や、オロネ25の内装のみに指定された色(薄茶色13,14号)などもあります。20系客車の内装(特に食堂車)については外部デザイナーを活用したことが特色ですが、色も限定だったようですね。内装の色まで凝ってみたい、というファンの方には大いに参考になるのではないでしょうか。
 なお、本書は色見本にとどまらず、名取紀之氏、岩成政和氏による解説記事、片野正巳氏のイラスト記事も充実しておりますし、実車のカラー写真もふんだんに使われています。ありそうでなかった「国鉄色の教科書」、新体制となった機芸出版社・TMSのヒット作ではないでしょうか。
 
 次に気になりましたのは、「とれいん」8月号に掲載の連載対談「おとなの工作談義」でして、こちらは私も愛読している記事なのですが、プラ車体へのサーフェーサー吹き(ここでは「サフ吹き」と略)は必要か、というテーマでした。モールドが埋まって本塗装の塗装面が荒れるという理由でサフ吹きは推奨しないという意見が出ておりました。これのまでのブログでも車体にサフ吹きしてから本塗装を・・・と書いている私にとっては、ほほう、という内容でした。
 なお、私がサフ吹きをするのは次のような場合です。
1 GMの板状キットなどで車体にヒケや傷が目立つ場合
 GMの古い板状キットの場合、車体内側のリブに相当する箇所の外板がどうしてもヒケを起こしていたり、組んでいるうちに細かな傷がついたりすることがあります。私の段取りが悪く、腕が下手というのもありますが、下地を整えたいという時に使っています。
2 完成品車体や鉄道コレクションを塗り替える際に、IPA(この場合はビールではなくてイソプロピルアルコール)で元の塗装をはがせない場合
 既に塗装済みの完成品車体などに別の色を吹きたい場合、元の色やマーキングが邪魔をして綺麗に塗れないことがあります。こんな時に元の色を消すためにサフ吹きをしています。初期の鉄道コレクション、カーコレクション、バスコレクションはIPAで塗装がはがせたのですが、最近のものははがせないので、サフ吹きを使うことが多いです。
 なお、サフ吹きについて1000番以上のものを使い、軽く吹くようにしています。完成車体などの場合、サーフェーサーのグレー色(または白色)がかかる程度にし、ぼってりとした塗膜にならないように注意しています。500番などを吹いてしまったら、それこそモールドが埋まってしまうのでお勧めしません。
 また、板状キットに塗る場合は、下地に左右されたり、隠ぺい力の弱い色を塗る場合も極力サフ吹きをしないようにしています。例えば黄色ではクリームまたはアイボリー系の色を、赤系の場合は白を下塗りに吹いています。また、一体成型のキットの場合もサフ吹きをしておりません。
 技法というのは人それぞれですので、お前のやり方とは違うぞ、というご意見もあるかと思います。塗装についてはまだまだ書きたいこともあります。今後も折に触れて塗装の話をしていきたいと思います。
 では、これから開会式の中継観ます。





  
 
 

 

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期待と、厳しい現実と フェラーリF92A

2021年07月21日 | 自動車、モータースポーツ
 三栄のGPCar Storyは、過去に幾度も本欄で紹介しておりますが、最新号はフェラーリF92Aという1992年シーズンを戦ったマシンです。
 このマシン、インパクトだけは大きく、ジェット戦闘機を思わせるサイドポンツーンの空気取り入れ口に始まり、二層構造でダブルデッカーと言われたフロア部分など、デザイン的にはかなり注目を集めました。しかしながら、成績的にはみるべきものがなく、当時のエース、ジャン・アレジを以てしても表彰台の隅に立つのがやっとという体たらくで、結局1991年シーズンからずっと勝つことができないままとなり、翌年も未勝利が続きます。そういう意味では「どん底期」の一台と言えるでしょう。1970年代半ばの黄金期にチームを支えた監督モンテゼモロと、言わずと知れた「不死鳥」ラウダを迎え、チームの再建途上だったにしても、まだ遠い道だったことがわかります。

写真はモデラーズ1/20キットの箱絵より。後にフジミから再販されました。

模型ではありますが、フロアの二層構造が見えますでしょうか。相当な旧作(1994年頃作)なので、出来の方はご寛恕ください。今だったらもつと丁寧に作るか、カウルは固定してしまうかな・・・。

ジェット戦闘機のよう、と言われたインテーク部分

 このマシンが不振を極めた理由ですが、過去に例を見ないダブルデッカー構造は、その狙いであった空力性能の向上にそれほどつながらなかったこと、床面を上げたことで機器類の重心が上がってしまい、運動性能が低下したこと、そして要のエンジンがオイル漏れを筆頭にトラブル続きで、性能を発揮するに至らなかったことなどがあげられます。
 本書の特色ではありますが、今号も関係者へのインタビュー等を中心に、この美しく、しかしはかない夢だったマシンの紹介がされています。首脳陣の一人、C.ロンバルディはどこか他人事と言いますか、言い訳めいたことを語っていますし、マシンのデザイナーも、エンジン担当者も決して自分の非は認めず、他の部門にせいにしているのが何とも・・・というところです。西洋人は日本人と比べて自分の非は簡単には認めない、などという話も聞きますが、マシンをデザインしたJ.C.ミジョーに至っては「自分がデザインした中でベスト」と言っています。各部門の意思疎通ができていないから勝てないのか、勝てないから責任のなすりつけあいになるのか、そこは私にも分かりませんが「こんな組織では勝てないよなあ」と思ってしまいます。このシリーズの創刊号がマクラーレンMP4/4で、後に表面化するセナ・プロストの確執の萌芽があったとはいえ、16戦15勝するチームというのは車体、エンジンの開発が上手にできて、もちろんドライバーも含めた組織がきちんと機能してこそだな、と成功する組織論のビジネス書のように読みましたが、こちらは180度逆で、こうしたら負ける組織になります、という教科書のようでありました。
 一番気の毒なのはドライバー2名(ジャン・アレジ、イヴァン・カペリ)でしょう。思えば、フェラーリほどのチームにおいてグランプリ未勝利のドライバーで組ませるというのも異例で、それを不安材料としてとらえていたファンもいました。
 アレジは前年からフェラーリに在籍し、この年は実績も悪いながらに残しました。歴史ある(それゆえに独特な)チームでの処世術を既に身につけていたのか、チーム体制に不満も相当あったようですがその後もチームに在籍しました。面白いのはこのマシンの現物をフェラーリからプレゼントされ(いろいろな経緯でアレジの手元に現物が来たようですが、そこは本書を読んでのお楽しみということで)、本人も自分が走らせたマシンを手元に置くことができるのは幸せ、と言っていますので、苦労はしたけれど思い出深い一台なのでしょう。
 アレジのようにいかなかったのはイヴァン・カペリでした。もともとは中堅チームだったレイトンハウス(マーチ)で上位につけるなどの好走を見せ、91年はチーム状態の問題もあって振るわなかったものの、彼にトップチームのマシンを与えたら・・・というのは誰もが考えつくところだったのでしょう。イタリア人なら誰もが憧れるフェラーリに抜擢されたものの、チーム内は混乱の極みにあり、自身も満足な成績を残せないままシーズン終盤でシートをN.ラリーニに譲りました。したがって、何かとつながりのあった日本グランプリにも出走できませんでした。この1年の不振が原因でドライバーとしての評価も落としてしまい、翌年移籍先を見つけるもののシーズン途中で彼のF1ドライバーとしてのキャリアは終わりました。まだ20代だったのですが・・・。今回はこのカペリのインタビューが白眉でして、チームの体制、マシンなど、あらゆる対象についてまさに恨み節をぶちまけたというべきロングインタビューが掲載されています。この稿の題名も「カペリの恨み節」とか「跳ね馬でトラウマ」といったタイトルにしようかと思ったほどです。
 1992年シーズンは開幕前の私の見立てでは本命ウィリアムズ・ルノー、対抗マクラーレン・ホンダ、ベネトン・フォードとフェラーリがその次につき、この両チームがシーズンにそれぞれ1~2勝くらい上げるのでは、と予想していました。この年の開幕前に出版されたフジテレビのガイドブックでも、アレジ、カペリともに初優勝は時間の問題くらいに書かれていたほどです。このシーズン、結局はウィリアムズ・ルノーの「一人勝ち」で、マクラーレンホンダが幾つか勝利を挙げ、バナナノーズと呼ばれたベネトンはシューマッハが初優勝を遂げるなど、さらに躍進をとげたシーズンでした。しかしフェラーリは同じく名門で、こちらもハーバートとハッキネンという若手が駆るロータスにも置いて行かれる始末でした。日本GPでもラリーニ車はローラ・ランボルギーニを駆る片山右京に2コーナーか、S字だったかのアウトから抜かれしてまい、抜いたのが故郷・日本に「凱旋」した右京だったのではありますが、ティフォシとしてはなんとも複雑な思いがしました。

(やはりこの年目立ったていたもう一台のマシンはこちら。ベネトンB192 タミヤ1/20)

 GPCar Storyの前号はキミ・ライコネンのデビューマシンだったザウバーC20でした。あの頃のザウバーのマシンというは奇をてらったところがなく、優勝争いは難しくても確実に入賞(当時は6位以内)を狙えるマシンを作った、という感じでした。逆にF92Aというマシン、かなり奇をてらったところはありますが、それだけファンの脳裏に焼き付き、語り継がれていくのでしょうか。


写真はイヴァン・カペリ。2009(平成21)年にイタリア公共放送Raiのコメンテーターとして鈴鹿を訪れていたときのもの。胸にRaiのロゴが入っています。
鈴鹿のパドックに通じるトンネルの近くでファンに囲まれて写真撮影に応じていたのですが、そろそろ切り上げたがっている様子でした。私がイタリア語で「Le Posso fare una foto?」(日本語で写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか)と話しかけたところ、一瞬びっくりして「Prego」(どうぞ)と応じていただいたのがこの写真です。このときは「やった! フェラーリの元ワークスグランプリドライバーとイタリア語で会話ができたぞ」と思ったのですが、フェラーリの時代の話は聞かなくて正解でした。





 
 


 

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