ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

旅の出会い、というかハプニング、のようなもの 2002 ラオス

2010年09月07日 | 旅の空の下
ミャンマー旅行で味をしめた(?)開発の遅れている国への旅行第3弾は、ラオスとなった。
この当時、ラオスを訪れる日本人はポツポツと出てきており、
それでも外国人旅行者は、今のルアンパバーンの喧噪に比べたら、比較にならないくらい少なかった。

福岡-バンコク-ノンカーイ-ビエンチャン-バンビエン-ルアンパバーン-バンコク-福岡
という経路で、バンコク-ノンカーイ間は列車、ラオス国内はバスでの移動である。
ノンカーイから陸路で国境を越え、ビエンチャンに入ったが、
一国の首都とは思えない風情のひなびた町並み。


ナンプカフェのお転婆娘

ナンプカフェのおかみさんと若おかみ。なかなかの美人でしょう

ゲストハウスの近くにナンプカフェという食堂があり、ここは朝夕の食事場所だった。
値段の割に美味しくて、美人の若お上や、やんちゃな娘とも仲良くなって、食事に行くのは楽しかった。


バンビエンで串を焼いていた娘。笑顔が素敵だった。

次の滞在地はバンビエンで、ここでも日本人旅行者はほとんど見かけず、
欧米の旅行者がほとんどだった。
市場の近くで出会ったこの娘は、串焼きを焼いていて、
少し会話ができる程度に英語が分かって、とても笑顔が素敵な娘だった。


モン族の彼女らの店に行ったら、昼食を食べさせてくれた。

モン族のおばあちゃん。とっても笑顔が素敵な人で、裁縫のお師匠さんか。

モン族の店番の子どもたちと。持参の折り紙や風船で遊ぶ。

最後の訪問地のルアンパバーンでは3泊したが、
毎日モン族の広場に行って、土産物を売っている女性(子どもからお年寄りまで)と遊んだ。
土産物は買わず、折り紙や風船を使って遊び、
それでも毎日我々の相手をしてくれた。

特にハプニングも、特別な出会いもない旅だったが、
ラオスで出会う人々全ての、温かく素直な人柄に魅了され、
やはり東南アジアの旅はいいなぁと、改めて思い知った旅でした。
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旅の出会い、というかハプニング、のようなもの 2001 ミャンマー

2010年09月05日 | 旅の空の下
ベトナムから4年を経て、ミャンマーに行くことになった。
その間は、ソウルに行ったり台湾に行ったりしていたのだろう。

ミャンマーもその当時は外国からの旅行者は少なく、
特に日本人旅行者の姿はほとんど見かけなかった。
ヤンゴンに1泊し、バガンに飛び、バガン観光後マンダレーへは陸路で移動。
マンダレーからヤンゴンに飛び、帰国という日程だった。

出会いはハプニングから始まった。
バガンからマンダレーまでは車を25$でチャーターして移動。
その車があと少しでマンダレーというところまで来てパンク。
タイヤ交換するのに、工具を積んでいないという間抜けな運転手だったが、
通りがかりの車に助けられてなんとか非常用タイヤに交換。


タイヤ交換をする間抜けな運ちゃん

直近の集落まで走り、そこの整備工場でパンク修理の間、我々は暇をもてあまし、
道向こうの雑貨屋さんを覗く。
その店で何となく店の人と仲良くなり、おかみさんが我々を庭に連れて行き、
椅子とテーブルを出して、お茶にお茶菓子、バナナまで御馳走してくれた。
ほとんど言葉は通じないが、多分初めて会った日本人が余程珍しかったのか。
温かい持て成しに待ち時間はあっという間に過ぎて、パンクに感謝。


興味半分に覗いた雑貨屋さん

左が雑貨屋の女主人。笑顔の優しい人だった。

お茶や茶菓子、バナナを御馳走になりました。

マンダレーでは、時計塔が街の中心にあるが、この近くに来たとき、
マーケットの近くのビルの二階がやたらと賑やかである。
まだ昼にもなっていないのに、どうやら生演奏で宴会のようだ。
これを見逃す手はないと、二階へ行ってみる。よく見ると結婚披露宴らしい。
写真を撮る許可を頼むと、まぁ中へ入れと言う。写真を撮っているといつの間にか、僕らの席が設けられ、
「さぁ座れ、お茶を飲め、お菓子を食え。」と「そんな、申し訳ない」と思っても向こうのペース。
どっちが珍しがられているのかわかりゃしない状態に突入。


結婚式の会場。飲めや(といってもアルコールなし)歌えの宴の最中でした


この会場の主役、新婚さんお二人。

新婚さんはビデオに撮られながらあちこちの席に挨拶をしている。
やがて僕らの席に来ると一緒にビデオ撮影。
照れまくりながらミャンマーの方々と写ったのでした。
綺麗に化粧した綺麗なお姉さんたちも沢山いて、
親切なお兄さんやお父さんたちも沢山いて、
言葉はほとんど通じなかったけれど、小一時間の間、大歓待を本当にありがとう。

ハプニングと同様、好奇心もまた出会いのきっかけである。
積極的な働きかけが出会いを生む。
ということを学んだミャンマーの旅でした。
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旅の出会い、というかハプニング、のようなもの ベトナム1997

2010年09月03日 | 旅の空の下
出会いが旅。
そんな旅行をしていると、ツアーの旅にはなかなか行けない。
それはそれなりに、楽しいこともあるのだが、
思いもかけない出会いやハプニングのある個人旅行の楽しさにはまると、
どうしても物足りない感じで終わってしまう。

さて、1997年のベトナム旅行以来、東南アジアを中心に旅を重ねてきたが、
その旅には必ずと言っていいほど、何らかの出会いがあり、ハプニングがあった。
それを少し整理しておこう。

まず、最初の旅となった1997年のベトナム3人旅。
最初のハプニングとも言えるのは、トラブルで始まった。
ホーチミンからダナンへ列車で移動し、ダナンから車でホイアンに入った。

この当時は、ベトナムへの旅行者はきわめて少なく、ホイアンも実にのんびりした町だった。
我々もまだバックパッカー的な発想はなく、ホイアンの宿はホイアンホテルという一流ホテルだった。
このホテルは今でも営業しているが、高級ホテルの中くらいの位置づけになるのだろうか。


ホイアンホテルの前で。2005年に行ったときもほとんど変わっていなかった。その時は勿論泊まらなかったが。

ここで、フエ行きの車を手配してもらうことになり、
責任者が「フランスニューカー」と「普通の車」のどちらがいいかと聞いていた。
「フランスニューカー」は45$、「普通車」は30$という。
ここは奮発して「フランスニューカー」にしようということになり、翌朝期待に胸弾ませて「フランスニューカー」を待った。
ところが、やって来たのは中古車屋も匙を投げるような年代のカムリ。

責任者は、手配がどうのこうのと逃げを売って、45$を値引きしようともしない。
頭に血が上った我々は、「何ば言よっとか!」的な熊本弁と、拙い英語で相手を罵倒するが、
強かな相手はのらりくらりと我々の悪態を躱し、
結局15$の値引きのはずが、9$までしか値引きさせられず、我々の完敗だった。

「フランスニューカー」のガタガタカムリは、フエに行く途中の山道では、エンジン負担を減らすためにエアコンを切り、
我々に窓を全開させ、エアコン車で汗をかきながらの道行きとなった。
ホイアンホテルという一流ホテルの従業員が、必ずしも一流とは限らないという教訓を得たハプニングであった。

さて、フエに2晩滞在し、観光も終えてハノイへの移動もまた寝台列車で行くことになった。
ハノイ行きの列車が出るまで、待ち時間が約5時間というとき、
フォン川沿いの公園で休憩している我々に子ども達が話しかけてきた。
いつの間にか同じグループの大人も加わって、
英語ありベトナム語の辞書を引きだしての会話ありで、すっかり仲良くなると、


フエで出会った子どもや青年たち。

一人の女性が我々を家に招待したいと言い出した。
今夜の列車でフエを発つことを告げると本当に残念な顔をした。
その心の温かさに触れた我々も残念でならなかった。
どうしようもない待ち時間はすっかり楽しい時間に変わって、肉体の疲労と反比例して気分は上々だった。

ホイアンホテルでの苦い経験もまた旅の思い出ではあるが、
やはり出会いやハプニングは楽しいものに限る。
フエの公園での出会いは、我々のそれからの旅のきっかけともなる出会いだった。
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