ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

ジャール平原へ ービアラオを友にー 2

2023年08月01日 | ラオス2023
7月22日、ハノイ2日目。
ジャール平原は、ビエンチャンから飛行機で30分弱の近距離にある。

で、福岡からビエンチャンへ行くには幾つかのルートがあり、例えば陸路超えで入る場合は、
タイのバンコクからノンカーイというラオスとの国境の町まで国内線或いはタイ国鉄で移動し、
そこから国際バス又は国際列車でラオスに入国してビエンチャンに向かう。
列車は確かビエンチャンまでは行かないず、終点で降りた後はトクトク等を利用することになる。
今回ハノイ経由にしたのは、飛行機に乗っている時間をなるべく短くしたいというのがあり、
福岡-ハノイ間が4時間ちょい、ハノイ-ビエンチャン間が1時間15分程で、多分これが最短ルートと思われる。
ハノイ経由ならついでだ。ハノイ2泊して馴染みの店でビアホイ三昧を決めこもうという魂胆もある。

朝食はホテルで食べて9時に出る。
午前中の予定は、今まで5回以上ハノイに来ながら、まだ行ったことのないタンロン遺跡。
2010年に世界文化遺産に登録されたれっきとした世界遺産なのだ。
私のスマホはWifiがないと使えないので、グーグルマップのナビは使えない。
事前に地図を調べておいたところ、宿からは2㎞圏内にあるようなので歩いて行くことにする。

タンロン遺跡まではハンガイ通りを真っ直ぐ行って、途中から2回右折するといい。
最初の右折から200mほどのところに間口2m位しかない珈琲屋があった。
前の歩道に例によってプラ椅子とプラ机がひと組ある。
店の奥をのぞき込むと女性がいたので、声を掛けて「カフェスア(コンデンスミルク入りのコーヒー)」を注文する。
ここで2,30分ベトナムコーヒーを味わった後再びタンロン遺跡を目指す。


やっぱりベトナムコーヒーはこうでなくっちゃ

案ずるまでもなくタンロン遺跡に到着し、30,000ドン(180円)の入場料を払って園内に入る。
ここで昔の衣装を貸し出しているのか、外国人観光客が当時の衣装を着て記念撮影したり、
京都で着物を着て散策する観光客を思い出させる。この暑い中ご苦労なことだ、とは思うのだが。
小一時間園内を見物し、世界遺産はこんなもんでしょうという感慨を持って外に出る。

以下タンロン遺跡






 
撮影会かな、ちょっとポーズ


来た道をそのまま引き返し、ハンガイ通りで行くときに気になった店に入った。
そこに置いてある絵はがきは、観光写真の絵はがきではなく画家が描いたもののコピーで、
なかなか芸術性の高い絵はがきである。
店員に話を聞くと、画家を支援する一環で販売しているらしい(英語不足なので飽くまでも・・らしい)。
6枚買ったら2枚オマケしてくれて得した気分で宿に帰る。


ハノイから北へ向かう鉄道のレール。脇にはカフェなどの店がある

12時過ぎに昼飯食わないかんと外に出る。暑くなってきた。
当てにしていたCOM屋が廃業してたので、近所を30分以上彷徨いたが決めきれず、
結局ミーヴァンタンの店に入り、満席近いテーブルのカップルと相席してワンタン麺を食べる。
店先の女将さんの席には4年前の時の女将の姿は無く、よく似た顔の娘らしき女性が座っていた。
光陰矢のごとし。


ワンタン麺の具が豊富になっていたような・・・

昼食後、Tシャツを値切って購入する。
というのも10年以上前に買ったHANOIのロゴ入りTシャツを、今回買った地で処分することにしたのが理由。
暑いので宿に帰る途中のサークルKでビアハノイを買って帰る。
待ち合わせの6時までは体力温存のため、エアコンの部屋でビアハノイを友に本を読んだり昼寝したりと過ごす。

時間が来てフロントに降りると、Aさんが既に来ていて、すぐにMさんも降りてきた。
「じゃあ、行きましょうか」と3人で出かける。
行き慣れたビアホイへの道で吃驚したのが、そこへ右折する角にもう1軒少し小さめのビアホイ屋があって賑わっている。
それじゃこの近辺にビアホイ屋が3軒あるのか、やっぱりハノイはいいなぁ。
ホーチミンのビアホイ屋はどんどん姿を消しているのになぁ。

3人でまずはビアホイで乾杯。
肴は3人なのでちょっと贅沢に蛙の唐揚げ、鳥軟骨唐揚げ、牛肉炒め物、魚のグリルの4種。
私はビアホイ一本槍。Aさんは味が薄いとビアハノイに替え、Mさんにも強く勧める。
ビアホイに来て瓶ビールもないだろうと思ったが、人はそれぞれビールもそれぞれ。


贅沢なビアホイのつまみ

宿が一緒だったMさん、グローバルWifiを持参してきていた

イギリスから来た隣の席の3人組に肴を皿に盛って提供したり、冗談を言い合って盛り上がる。
私はひたすらビアホイを飲む。昨夜行けなかったので意地になって取り戻す。
Aさんは結局ビアホイは最初の1杯だけ、Mさんは最後の2杯はビアホイで締めた。
会計は年長のAさんと私の割り勘で済ませ、その場でホテルが異なるAさんと別れる。
Mさんと道行きでホテルに帰り、結局フォーザオ(焼きフォー)は食べずに終わった。
明日は早い。ホテルを6時前に出てバス停に行き空港バスを待つのだ。
早く寝よう。ビエンチャンが待っている。
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