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ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

中国は、雲南省へ行ってみよう  -1- 

2010年07月31日 | 中国の旅2010
2010年7月18日、福岡から上海行きの中国東方航空機が、
上海浦東(pudon)空港に着陸したのは、10時10分定刻だった。
当たりをつけておいた、上海南駅までの空港リムジンバスは、機場7線。
30分近く待つとバスが入ってきた。

バスはまず、ターミナル1を出発し、次にターミナル2で客を拾って上海南駅へ向かう。
料金はそこの車内で集金され、20元を支払った。
南駅まではノンストップなので、40分ほどで着く。
雲南省方面の列車は、上海南駅が起点になっている。


上海南駅、こちら側の入口にA1待合室がある。

昆明までの軟臥(4人コンパートメントの1等寝台)席の下段を2枚、
上海のペリカントラベルにお願いしていた。
中国では一般的な移動はまだ列車に頼るとこが大きく、
当日にチケットを購入するのはまず不可能に近いらしい。

チケットの受け渡しは、A1待合室の前で、ということになっていて、
というのが、チケットの販売開始は10日前からなので、日本に送ってもらう余裕がないのだ。
発車1時間前の15時が待合時間だったので、それまでは駅の周辺をぶらついたり、
冷房の効いたショッピングモールのベンチで1時間近く座ったりと、
時間を潰して、15時きっかりにチケットを受け取る。


だだっ広い総合待合室。真ん中に通路があって、その両側に列車ごとの待合ブースがある。

2回の総合待合室に入るときに、チケットの確認と荷物検査があり、
無事通過した後、列車内で乾杯するビールと水を売店で仕入れる。
待合室は列車ごとにブースがあり、いずれも人でごった返している。
30分前になるとホームへ通じるドアが開かれ、人の波が押し寄せる。


昆明行き、K181次列車の待合ブース。多くの人で座れない。

各車両の前には女性乗務員が待機しており、
チケットの確認をして、やっと車内に入れる。
冷房も効いており、軟臥席はなかなか快適だ。
4人部屋だが、上段ベッド2人の乗車はなく、まずは2人で南駅を定時に出る。


乗務員の女性。かわいかったが、愛想は悪い。

軟臥席の4人部屋。この列車では最上位の席である。


買ってきたビールで乾杯。
つまみは持参したものを出し合って、まずは列車の旅を楽しもう。
夜になって、父娘の2人が途中から乗車してきた。
彼らが同部屋の相客となる。
後で聞いたところによると、家は浙江省の「紹興」という町にあり、そこから乗ってきたらしい。
紹興酒の発祥地かな、などとT氏と話したものだったが、まさにそうだった。


純朴な感じの父親と、今風の娘、学生と言っていたような。

まず父親の方が、話しかけてきたが、さっぱり分からない。
我々は日本人で、中国語は分からないと、覚えたての中国語で説明。
あまり通じているふうではなかったが、何とか納得したようで、
こりゃ駄目だ、という顔になった父親は、我々に話しかけるのを断念したようだった。
しかし娘の方は、幾分英語を話せるようで、
それからの会話は、娘が英語で我々と話し、それを父親に訳するという形になった。
なにぶんにも、私の中国語は、「中国語は分かりません」というのがメインだったものだから。

1日目は、慌ただしい中に、列車の寝台車という、一種のんびりした空間の中で過ぎていった。
夕食は、持参したカップラーメンを出し合って、
車両の端にある熱湯の給湯器から、部屋内にあるポットにお湯を汲んできて、
カップに注いで3分待てば夕食はできあがり。


カップラーメン類は重宝する。T氏が持参したコーンクリームスープが絶品だった。
そのためにも、マイコップとマイ箸は欠かせない。

明日はまた1日列車である。
昆明に着くのは2日後の20日午前9時30分なのだ。
カップラーメンとビールの旅は、翌翌朝まで続くのだ。

旅の情報
※列車チケット手配サイト:http://www.pelican-travel.net/tourDetails_NewPage.php?frCd=shanghai&BNo=1
※浦東空港リムジン乗り場:到着ロビー(1階)を出たところにある。上海南駅行きは、7番乗り場なのだが、6と8の間でなく、1番乗り場の左にある。25分間隔で、料金は20元。
※上海南駅のA1待合室は、リムジンバスを降りたところの反対側1階にある。駅に向かって右に地下通路があり、そこに道標がある。
※上海南駅の総合待合室は2階で、すごく広い。そこに列車ごとのブースがあるという仕組みだ。
※待合室内に売店があるので、外で買い物をする必要はない。ただ、ホームには売店がないので注意。
※列車内の給湯器は常に熱湯が出る。ポットが設置してあるのは、軟臥室だけらしい。
※コップや箸はないので、マイ箸とマイコップは必ず持参すること。
※持参する食料は、カップラーメン類や茶・コーヒー類、それに味噌汁やスープなどのインスタントものもいい。&つまみ。
※食堂車のビールは1瓶(大瓶)が10元と割高。停車した駅のホームで買えば、ほぼ半値で済む。
※列車内のトイレはきれいとはほど遠い。それに紙はない。ポケットティシューは中国旅行の必需品である。
※駅や列車内の職員の高飛車な態度に腹を立ててはいけない。そういう国なのだ。

旅の経費(自分の)
※リムジンバス代:20元、茶:3元、車内用ビール及び水:24元(2人で)
※1人当たり単価:35元(1元=約14円)

中国雑感

2010年07月30日 | 中国の旅2010
中国を旅行していると、中国人のいろんな顔に触れて面白い。
我々日本人にとって、ある意味我慢できない部分があって、
その最たるものが、列を作っているところへの割り込みである。
バスや列車に乗るとき、何かの会場へ入るとき、子供も大人も平然と割り込む。
これはもう習性といっていいもので、本人に割り込んでいるという意識すらないように見受ける。

香格里拉(シャングリラ)の町で、路線バスに乗ったとき、
降りようとする乗客が、ドアのところにいるにもかかわらず、
次々と乗り込んでくる乗客がいて、なかなか降車できないでいる。
日本だったら考えられない状況だ。
そう言えば、バスのドアの外に正確ではないが、「請上降車下乗車」のような文字がある。
先に降車客が降りてから乗車して下さい、といった意味のことである。
つまり、そういうことを書かねばならないところに、問題の根深さがある。

それと、公共のトイレの使い方のひどさがある。
高速バスで移動したりすると、ガソリンスタンドのトイレを借りたりするが、
清潔に使おうとか、汚さないようにしようなどという意識は全くと言っていいほどない。
便器が少なくて人が並んでいると、
トイレの中にあるモップを洗ったりする洗い場にさえ小用を足すのだから、呆れ果ててしまう。

こういった面を見せられると、「たしなみ(節度という意味での)」という言葉の良さを考えてしまう。
ガンガン自己主張しなと生きていけないような状況があって、
そういう文化の中で育まれてきたものかも知れない。
日本人とはその環境に於いて対極にあるのかも知れないなどと感じたものだ。

一方、宿や食堂、列車の同室の人、バスで同乗した人等々、
個人で触れ合う人々は実に親切で親しみやすく、楽しい思い出を沢山くれた。
香格里拉で路線バスで宿を目指したときは、
わざわざ我々のために一停車場前で降りて、声を掛け、
携帯で宿の場所を訊いてくれ、案内までしてくれた女性がいて、
その宿が駄目だと分かると別の宿に案内し、宿泊費を値切ってまでくれた。
そんな人もいるのだ。

束河村では、何かの宴に紛れ込んだ見ず知らずの日本人を、
村人は何の躊躇いもなく誘ってくれて、宴の馳走を御馳走してくれた。


今回どうしても見たかった麗江の町から見た玉龍雪山二景


ツアーで行ったなら決して会うことのできない人々に会って、
列に割り込むのが、トイレの使い方がなっていないのが中国人だと、
そう決めつけて、不快な印象で彼らをみることで終わらない、
そんな旅行が今回もできたことを、嬉しく思う。

いろんな文化があるから、いろんな考え方や習慣や習性はある。
それでも人間一人一人は根本的には皆同じで、
言葉は通じなくても、全てを理解できなくても、
なんとなく、お互いに人間だよな、という程度には分かり合える、
そんな旅ができたと、中国雲南省の四都市を巡って思ったものです。

九寨溝・黄龍・三峡クルーズ -6-

2010年07月05日 | 中国の旅2010
夜中に船は三峡ダムを通り抜ける。
下流との落差は約100m。
これを5つの水門を一段ずつ水位を下げながら5時間ほどかけて抜けるのだ。
最初の水門を抜ける様子だけは見たが、なにぶんにも真夜中で、
睡魔に襲われてあとは諦めた。

朝食に行くときは、船は既にダムを抜けて、下流に接岸していた。
朝食後、バスで三峡ダムの見学。
三峡ダムは河川流域の環境破壊等を理由に、かなり物議を醸したが、
結局は完成して、膨大な電力を供給している。


三峡ダム全景を見下ろす。ダムの長さは約2.3㎞だそうだ。

昨夜通った水門を見たりしながら、ダムを見物。
その後再び船に乗り込み、昼食を摂りながら船は更に下り、
義宣というところに接岸する。ここが三峡下りの終点である。

義宣に上陸し、再びバスで荊州へ。
ここから再び別のガイド、陳さんが案内する。
荊州の博物館には、目玉とも言えるミイラがあって、
これは、今まで見たミイラのどれとも違っていて、
リアルな人体模型のようで、とても写真を見せることはできない。
いささかそのミイラに疑念を抱きながら博物館を後にする。


荊州博物館

荊州は城壁に囲まれた町があって、出入り口の門が数カ所にある。
その北門を見物し、荊州を後にして武漢へ。
武漢ではやはり博物館を見物したが、ここにはボランティアガイドの日本人が待っていて、
博物館が一般から買い入れた玉の細工品を、6点130万円で買ってくれないかと言われた。


荊州城壁にある、北門。

博物館の維持のためにすごく安く提供しているということだが、
博物館が商売かよ、てな感じで、誰も手を挙げなかった。
物はなかなか良い物だったが、我が家には飾るスペースがないので諦めた。(ホント?)

その後、レストランに向かい、湖北料理を食べたが、
このツアーの中で最も口に合う料理だった。
ホテルはメイフラワーホテル。やはり五つ星だそうだが、
チェックインが夜10時で、翌朝6時出発では、朝食も食べられず、
星の数など何の役にも立たない。


武漢のホテル、メイフラワーホテルのロビー。
上海万博の中国館のちゃちな模型らしき物が、発泡スチロールで作ってあった。

翌日は、武漢から上海経由で福岡へ。
ただ移動だけの日だったので、今回の実質旅行日は、6日間だったということになる。
ツアーは楽だが、ある意味きつい。
緊張感はないが、肉体的には結構ハードだということだ。

7月中旬には、再度中国に行く。
今度は個人旅行で、ハードではないが、緊張感はある。
さてどちらを取るか、ま、今のところ個人旅行かな。

九寨溝・黄龍・三峡クルーズ -5-

2010年07月04日 | 中国の旅2010
クルーズ船で3日目は、午前中に李白の

朝辭白帝彩雲間
千里江陵一日還
兩岸猿聲啼不住
輕舟已過萬重山

という詩で有名な、白帝城の観光がある。


上の詩の石碑。左は江沢民、右は周恩来、その右には毛沢東のものがあった。

余程有名な観光地らしく、驚いたことに
船を下りて岸に上がる階段にエスカレーターがあって、ちゃんと動いていた。
長江の水面から岸までは、100段ではきかないくらいの階段を上らなくては成らず、
若干足を痛めていた身にはありがたかった。

そこから白帝城の入口まで送迎バスに乗り移動。
長江支流に架かる橋を歩いて渡り、階段を上る。その数365段。
歩いて上り下りできない人のために、篭屋が待っている。
往復で200元という高値だが、これには誰かの中間マージンが入っているに違いない。

たかだか365段の階段は、篭屋に頼むほどのものではなく、
往復ともなんということもなく、無事帰り着いた。
その後、船内に帰り、昼食を摂り、小三峡クルーズのために船を乗り換える。
そこから支流に入るが、水の色は本流に比べて緑が強い。


小三峡クルーズの崖の途中に歩道を造っている。
観光用の歩道だそうだ。個人的にはあんなところを歩く気にはなれないが。

小三峡クルーズから更に小型船に乗り換えて、小々三峡クルーズへ。
地元のいろんな人が、三峡クルーズの観光客で潤っているのだと実感する。
3時間以上に及ぶ支流のクルーズ観光が終わり、再び乗船ししばらく休憩。


小々三峡クルーズの舳先で結局何もしなかったオジサン。


小々三峡クルーズの風景

夕方は、レストランでさよならパーティーがあり、
食事は夕食メニューだったが、シャンパンが無料で振る舞われ、
船のオーナーと船長の挨拶が一言あった。
昨日歓迎されて、今日はもうさよならか、と可笑しかったが。

夜は再び船内スタッフによる演芸会があり、
これもしばらく見て途中で部屋に帰る。
船の夜は長江の流れのようにゆっくりと時間が流れていく。

九寨溝・黄龍・三峡クルーズ -4-

2010年07月01日 | 中国の旅2010
昨夜船に乗り込み、今朝起きてみたらまだ動いていなかった。
あれあれと思って、それでも朝食会場へ。
朝食と昼食はビュッフェ形式。夕食はセットメニューだそうだ。


長江に浮かぶビクトリア・ジェンナ号。接岸中。

参加ツアー8人でテーブルを囲み朝食。
さすがに五つ星ホテルの朝食ほどには品数がない。
それでも我が家の朝食に比べれば、一汁一菜と満漢全席ほどの違いがある。
なんてことを言えば上さんが、「もう食べんでいい!」と怒りそうだが。


船内での最初の朝食。ビュッフェはつい食べ過ぎてしまう。

朝食が終わってからしばらくして汽笛の音がすると、出航した。
全長100mほどもあり、客数300人以上収容のビクトリア・ジェンナ号は悠々と長江を下り始めた。
6階のオープンデッキで、風に吹かれながらクルーズの第一歩を楽しむ。


まだまだ水嵩は低く、8,9月になるともう数メートル上がるそうだ。

河を航行するにはかなり大きいと思われるこの船も、
長江がかなり川幅が広いので、それほど大きく見えない。
この日の上陸観光は「鬼城」というところで、ここ専門のガイドが案内する。

我々のツアーには日本から添乗員が一人付き、
重慶から武漢までのスルーガイドの中国人が一人付き、
行った先々でその地のガイドが付くというのがツアーのシステムらしく、
というか、その地の旅行社に委託するというか丸投げするというか、
建築産業で言う孫請けのガイドがその地その地で付くことになる。

「鬼城」はちょっと高いところにあり、リフトで上り下りする。
なんてことない観光地だが、そこは中国、歴史はある。
が、どんなだったかもう忘れてしまった。


長江に陽が傾き始める頃。

上陸観光のあとは、船に戻って風呂を浴び、
船長主催の歓迎パーティーが6時から催された。
と言っても、特に正装しなければならない決まりはなく、
短パン草履でなければいい程度だったので、気楽に参加。
振る舞われたシャンパンと軽いつまみでツアー仲間と歓談し、
その後、7時から夕食。


千手観音の芸。パクリ芸だが、なかなかのものだった。

8:30からは、船内スタッフによる演芸があるというので見に行った。
フロントやレストランのスタッフなどが、素人芸とは思えぬ芸を披露。
しかし1時間ほどで飽いたので、部屋に帰って寝る。
さすがにクルーズはのんびりとして、ゆったり気分だ。