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ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

あれから2年

2022年01月22日 | 日記(?)
最後に海外旅行に行ったのはいつだったのかと、ふと思い返してみるに、2年前のことだった。
東南アジアの主な国でまだ未踏の地、フィリピンはマニラに行ったのだった。
2020年2月の初め、武漢で猛威をふるう新型コロナウイルスの海外での感染流行の始まりはあったが、
フィリピンの感染者は一桁代だったので、予定通り友人を訪ねてマニラに向かった。
ホテルに入るときは、検温消毒の関門があって、
フィリピンでもコロナ感染にかなり神経質になっていることを思い知らされた。
その顛末は、以下。
https://blog.goo.ne.jp/luckyriver2014/e/03a360acca7d818891b5d43efb3ad649

それから2年たった今、当時の予想に比べてウイルスは世界中で猛威をふるい、
2年後くらいには海外に行けるかなという楽観的な予想は打ち砕かれて今に至る。
次々に発生する変異株の、今、桁違いに感染力が強いオミクロン株の爆発的感染で、海外はますます遠い。
ある予測によると、2024年頃には海外に自由に行けるだろうとあるが、果たしてそう上手くいくだろうか。

効果的なワクチンと適切な治療薬が出ればその願いも叶うだろう。
しかし年月が過ぎるごとに自分も老いていくことを考えると、果たして再びの海外はあるのだろうか。
体力・知力とも落ちないようにと、ある程度気をつけては生活しているが、年齢には勝てないこともある。
ま、海外だけが未知への旅ではあるまい。
日本国中知らない土地は果てしないほどあるのだ。

焦らず、じっくりその時を待とうではないか。

梅酒の梅を始末する

2022年01月19日 | 日記(?)
昨年も梅酒を作った。
原料はもちろん梅とアルコール。
アルコールの種類は、日本酒・芋焼酎・米焼酎・ホワイトリカー・RAKI(ラクといい、トルコの焼酎)等。
RAKIなるアルコールが何故あるかよく分からないが、多分細君が娘とトルコに行ったときの土産かな。
昨年の暮れに全ての梅を取り出して、梅酒を種類別に瓶に移した。

先ずは梅酒を味見した感想。
日本酒原料は大変まろやかで優しい梅酒になっている。
焼酎類は、芋の方が米のものより少しコクがある。
ホワイトリカーは普通の梅酒。
RAKIは元々の臭いが強いので、好みが分かれるところ、と言うより薬っぽい。
養命酒と思えばいいかも、なんていうレベル。

で、これらを作った梅が大量に残ってしまった。
捨てるには勿体ないので、昨年同様、一部をカレーなんかに用いるチャツネに仕立てる。
RAKIに漬けておいた梅は焼酎の香りが移っていて臭いが強く、ジャムには不向きだったので、これをチャツネにした。
残りは梅ジャムに仕立てる。作り方は自己流なので、チャツネもジャムもほぼ同じ。

梅を圧力鍋で5~7分炊いて圧力が抜けるまでしばし待つ。
その後、しゃもじで鍋を掻き混ぜると梅の実と種が分離する。
その中から種を取り除き、梅肉だけを煮汁と砂糖を加えて30分ほど弱火で掻き混ぜながら煮詰めていく。
10分ほどすると、混ぜているしゃもじが重くなってくる。
さらに15分以上混ぜるとほぼ水分が取れ、粘り気も増してジャムの状態になる。
チャツネの場合、砂糖を控えめにする。梅自体に梅酒の氷砂糖が染みているのであまり必要ない。
ジャムはさらに砂糖を加え、塩をひとつまみとレモン半分のレモン汁を足す。

チャツネはご存じの方も多いと思うが、マンゴなどフルーツから作ることが多い調味料である。
カレーを作るときの隠し味に使うことが多いが、インドでチャトニと言われていて、よく使われる調味料である。
それでカレーに使用されることが多いのかと思う。
カレーの隠し味としては、普通のカレールーに大さじ1~2杯加えるといい味になる。
私は市販のルーは使わないので、チャツネはカレー作りの必需品になっている。

ジャムもチャツネも熟れていない緑梅だったので、色はあまり食欲を誘う色ではない。
だが味は保証付き(と言っても作成者の保証なので当てにはならない)。
ということで、昨年漬けた梅酒は全て始末できました。
メデタシ、メデタシ。

阿蘇市の竹灯り

2022年01月16日 | 日記(?)
阿蘇市内牧の中央公園(アソビバ横)で、竹灯りのイベントをやっている。
先日行ってみたが、一見の価値あり。
プロが制作した竹灯りの精緻さには目を見張ってしまった。







幽玄な雰囲気は私の下手な写真では伝わらないので、是非一度お訪ねあれ。
時間は、午後5時~午後9時。屋外だがマスク着用のこと。
期間は3月21日までで、水曜日は休み。入場は無料です。

中央公園に行く途中、中央橋という橋があって、その一帯にはイルミネーションがある。
これもまた一見の価値がある。
橋の上にはハートマークのイルミネーションがあって、カップルの思い出に写真をどうぞ。

毎日最低温度が零度以下になる阿蘇だが、せめて夜の灯りに心の暖を。

義母(はは)の死

2022年01月14日 | 日記(?)
正月初め妻の母、私にとっては義母が亡くなった。
90余歳の生涯だった。
義母(はは)にとっては、娘の婿ということもあるかもしれないが、
私にはとても優しい人だった。
一昨年の6月に連れ合いである義父が亡くなってから、生きる張りが次第に衰えていく感じがし、
その後介護施設に入所してからは、コロナ禍の影響もあって、直接に家族と会うこともできず、
窓越しに会う義母は段々と痩せて、体力の衰えが心配になるほどだった。
昨年11月に介護施設から病院に移されるくらいに容体が悪くなって、
医者からは、今年いっぱい保つかどうかといった話もあった。
それが、12月22日に妻が面会に行ったときは、大きな声で笑ったりしたのよ、という妻の笑顔も見られた。
医者も奇跡的ですよと言っていたとか。
ということもあって暮れの29日にいったん退院して介護施設に帰ることになった。
その日は私も同行して退院する義母の顔を見に行った。
一週間前に、大きな声で笑ったという義母の様子はそこにはなく、
意識はしっかりしているが、声は小さく辛そうな様子だった。
私の頭にふと、命が燃え尽きる前に一瞬明るく燃えるろうそくの灯の例えが浮かんだが、
縁起でも無いと誰にもそのことを告げなかった。
しかし私のその危惧は不幸にも当たってしまい、義母は一週間後に灯が消えるようにひっそりと息を引き取った。
自宅に帰った義母は体重30キロそこそこで驚くほど軽かった。

葬儀に使う写真を選んでいるときに、義母の家の前で義母と私が二人で写っている写真が見つかった。
二人とも屈託のない笑顔で写っていて、20年以上前の写真だろうか、
自分がこんなに屈託のない表情をすることがあるのだ。
お義母(かあ)さんは本当に優しかったからなぁ、と写真を見ながら改めて思った。

義母を葬儀用の着物に着替えさせるために部屋のタンスを探していた妻が、
「見てごらん、このタンスの引き出しが壊れかけとるとよ」
と、観音開きの蝶番が一つ外れかけたタンスの一部を私に指して、
「こんなに辛抱せんでもねぇ。自分のことには全然お金を使おうとはせんかったもんね」
義母は子どものため、家族のためにその一生を捧げた人だった。
子どもからはもちろん、孫やひ孫、その配偶者とその家族からも慕われた人だった。

私は、今まで多くの葬儀に参列し、人間死んだら終いという思いから抜けられなかった。
しかし今回義母を亡くしてはじめて、その思いが覆る気がした。
葬儀で私をはじめ、会葬者の誰もが亡き義母に思いを馳せ、真摯にその逝去を悼んでいる様子を見ると、
死んだら終いなんかではないんだ、ずっと人の心に残っていくんだと。
そういう人生を送ることが大事なのだと、義母への思いを新たにした。

いつか遠くない日に、自分も人生の終焉を迎えるだろう。
そちらに行ったら、
「な~んな、あた(あなた)も来たな」
と、昔のように迎えてくださいね、お義母(かあ)さん。
取り敢えずは、さようなら(see you again)で。
そうそう、先に見つけたお義母(かあ)さんと二人の写真は私がいただいて帰ります。

城を見に行きました

2021年12月24日 | 日記(?)
11月半ば、全国的にコロナ感染者減少が見られたので、
2泊3日で、久々に小旅行をしてきました。
まず、熊本空港から大阪伊丹空港へ移動。
伊丹からは、バスで京都駅に行きました。
京都には紅葉の見所はたくさんあるが、以前清水寺と東福寺に行ったことがあるので、
今回は二条城を見に行きました。


この奥がメインの観光場所です。

徳川慶喜が大政奉還の決意を宣言した大広間を見ましたが、なかなか華やかな部屋でした。
二条城に行く前に、京都駅に隣接する伊勢丹の地下にある店で昼食を摂りました。
京都料理店とのコラボで、ランチは料理店が提供し、地下にある店は日本酒を提供するというシステムです。
カウンターだけ7席くらいの店でしたが、ランチの料理は2,300円と結構なお値段でした。


お上品です

京料理らしく、彩りも良く洒落ていたのですが、えっこれでこの金額!と思ってしまいました。
やっぱり田舎モンですね、私は。

その後、JRで滋賀県の彦根に移り、念願の彦根城を見てきました。
彦根城は結構な坂道があって、城の内部の階段も急で、いささか疲れました。


なかなかいいですね。でも、ここに来るまでには坂道を相当歩きます。

地元の熊本城に比べると、彦根城はこじんまりとしていますが、なかなかいいお城です。
その夜は栃木から駆けつけてくれた友人と2年ぶりに居酒屋で一献傾けました。
楽しい酒になりました。

翌日は電車を使って、岐阜の犬山城に行きました。
日曜日ということもあって、多くの人出があった。
城に入るには1時間待ちの表示があって、城中に入るのは諦めました。
犬山城は少し離れたところから見るととても風情があります。
これまた、彦根城よりこじんまりしたお城ですが、非常にいい佇まいです。


風景と相まって、素晴らしい佇まいです

犬山城の正面からまっすぐの通りはほぼ歩行者天国状態です。
飲食店から土産物、いろんな店が300mほど両側に並んでいます。
観光客で大賑わいでしたが、その中の一軒で昼間から酒を飲んでしまいました。


珍しい日本酒と、串の味噌カツでした

いい気持ちで犬山を離れ、名古屋市に向かいました。
その夜は、かって世界一周をしたときにペルーのリマで知り合い、
その後も付き合いをしている友人と名古屋市の居酒屋でこれも2年ぶりに飲みました。
この歳になると、どの友人と飲んでも、何処が痛いだの何処の病院に通っているだの、
病気の話が主題です。お寺の話はまだ出ないので、よしとしなければなりません。
翌日は名古屋の小牧空港(名古屋空港)から熊本に帰りました。

今回の旅行で、昨年2月以来久しぶりの飛行機の旅でしたが、
ビックリしたのは、熊本空港の出発時には駐機場に私が乗るANA1機とJAL1機だけがあって、
こんなに寂しい情景は初めてのことでした。
名古屋空港には、FDAの飛行機が2機あっただけで、ここも寂しい空港でした。
未だにコロナの影響が色濃くあることを感じさせられました。