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ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

ハーゲンダッツ

2009年09月14日 | 日記(?)
昨夜、熊本市内の居酒屋で飲んだ。
最初の生ビールの一杯はいつにもまして格別である。
熊本特産の天草大王という種類の鶏の、それも白肝を食した。
結構な値段だが、それなりに美味かった。
ただ、串焼きで取った普通のレバーも美味く、
ほかの串も美味く、この店の串は当たりだった。

居酒屋は、やはり4~5人くらいで行くがいい。
サラダをとっても、2人で食べるには多すぎる。
あまり種類を食べないうちに、腹朽ちて、8時前には店を出る。

下通をブラブラしていると、ハーゲンダッツの店がある。
ここに入ろうと連れを誘ってアイスクリームを注文。
飲んだ後の甘味もなかなか良い。
若い頃には考えられなかった嗜好の変化である。
店は家族連れやカップルなどで8割方席が埋まり、繁盛している。

ハーゲンダッツと言えば、バンコクの繁華街にあるショッピングモールを思い出す。
ZENだったか、店内の一角にその店があって、食べることができる。
昨年世界一周の途中、たっぷり時間があって、
暇つぶしにうろついていたとき、そこで甘いものを食べたかったのだが、
一人だと何故か躊躇して、食べなかったことを、
今年6月にバンコクに寄ったときも同じ店を目にして思い出した。
そのときは、連れの旦那の方が甘いものは食べないというので、やはり食べられず、
考えてみれば、昨夜が念願のハーゲンダッツだったのだ。

だが、少し甘すぎて、その後の食欲も飲酒欲も失くしてしまった事が悔やまれる。

久しぶりの雨

2009年09月12日 | 日記(?)
今朝未明から久しぶりに雨が降った。
今週は、大根の種まきをした関係で、毎夕畑に水撒きに行った。
相当長い期間雨が降らずに、畑地は乾ききっていて、
モロッコの土漠のような状態になっていた。

知り合いのクリーニング屋さんの工場に、自噴している水場があり、
その噴出量は生半可でなく、トラックに積んだ樽に水を入れるのだが、
10分ほどで満タンになるほどの量が出ている。
おかげで水道水を使わずに心置きなく水撒きできるのだ。

昨日は聖護院大根の芽がいくつか出ていて、
毎夕の労苦が報われたと、一緒に畑をやっている4人で喜んだものだ。

悲惨なのは里芋で、長雨で今までにないほど大きくなった茎が、
このところの乾燥日照りで、クタッと萎れたものがかなりある。
聞くところによると、最近の日照りで、里芋が全滅したところもあるとか。
里芋は湿気を好むので、さもありなんと思われる。

この2日間、里芋にも相当量の水をやり、
今朝方の降雨で一息ついたと思われる。
10月の収穫時に、しっかり実が入っていてくれることを祈るばかり。

40年も昔、アフリカはタンザニアやケニアにいたことがあり、
特にタンザニアの中央部、現在首都の置かれているドドマあたりは、
年間降雨量が500mm前後で、乾季には乾ききった大地になり、
バオバブの巨大な木の影が、ゆらゆらと陽炎のように舞う。

この乾燥した土地で、何とか作物を継続的に収穫できないかと取り組んでいる人がいる。
熊本は宇土の出身で、寺尾さんという方だ。
年のうち数ヶ月をタンザニアで過ごし、農業の指導をしているという。
電気も水道もない土地での生活は大変だが、これを楽しめるというのは凄い。

40年前、私が滞在したタンザニアの奥地にも電気水道がなく、
水は近くの小川から汲んできて、バケツにしばらく置いて、上澄みを沸騰させて飲食に使う。
勿論ペットボトルの水など望むべくもなく、身体を洗うのもそこの水だ。
雨期になると、雨が降り始めたら裸になり、
身体に石けん、頭にシャンプーを掛けて、雨の中に飛び出して洗い流すこともしばしば。
シャンプーで洗っている途中に雨が止んだりという笑い話も時にあって、
仕方なく近くの小川まで行って洗い流すのだ。

肉は月に1回、それも保存できないので、3日ほどで食べてしまう。
後はジャガイモとタマネギ、これをトマトと塩で味付けしたもの。
それさえもなくなって、そこら辺に生えている雑草(現地の人はほうれん草と言っていたが絶対違う)を、
カレー粉を溶かしたスープで煮ただけの日が数日間あったりと、
よく栄養失調にならなかったものだ。

こんな生活を半年以上して、これでどんなところでも生きていけると思った。
それから幾星霜。
精神的にも肉体的にも、あのような生活をする自信は全くなく、
毎日ダラダラと、それを晴耕雨読などと、自己弁護しながら過ごしている。

12人の怒れる男

2009年09月08日 | 日記(?)
裁判員制度が発足して、平成21年5月21日から実施されることになった。
中でも性犯罪裁判が先日あって、
青森地裁は強盗強姦(ごうかん)罪などに問われた被告の男に、
求刑通り懲役15年を言い渡した。

裁判員制度が法制化された時点で、
いろんな事件の裁判で、このような判決結果になるだろうことは、予測されていた。
一般人の事件に対する意識は、被害者側に寄り添うものであることは、想像に難くない。
自分だって勿論そうである。

マスメディアで、裁判員制度による裁判のニュースを見たり聞いたりするとき、
必ず思い出す映画がある。
シドニー・ルメット監督作品のアメリカ映画、「12人の怒れる男」である。

日本で公開されたのは、1960年頃で、封切り当時見たのではない。
多分、高校時代に熊本市内にあった「名画座」で再上映されたのを見たのだと思う。
画面は白黒で、主演は当時大好きだったヘンリー・フォンダ。

12人の陪審員が審議する部屋の中でドラマは進行し、
最初は、いろんな状況から被告の有罪は確定的と思われていたが、
ヘンリー・フォンダ演じる1人の陪審員が異議を唱え、
陪審員同士のいろんな葛藤もありながら、
次第に無罪に傾いていく課程を描いた映画である。

多感な年代に見た映画は、文学に触れたときと同じように、
いろんな意味で人生に影響を与える。
映画少年だった私は、映画から数多くのことを学び、
それがまた映画にのめり込む動機となっていった。

この映画が、シドニー・ルメットという巨匠の監督初作品というのは最近知った。
この人の映画で何が好きかと言われると、
アル中の弁護士を、やはり大好きなポール・ニューマンが演じた「評決」である。
これも裁判にまつわる映画である。

アメリカの陪審員制度と日本の裁判員制度を同列に語ることはできないが、
ニュースを見聞きする度に、
「12人の怒れる男」という映画を思い浮かべるのは何故だろう。

この気持ちを分かってもらうには、映画を見てもらうしかない。
多分、DVDで手に入ると思うが、もし駄目なときは、
2年ほど前にロシア映画でリメイクされているようなので、そちらを御覧頂くか。
個人的には、白黒画面だけど、それ故に緊迫感のあるオリジナルを見て欲しい。
ヘンリー・フォンダもいいが、練りに練られた脚本の妙も味わえます。

武士道エイティーン

2009年09月07日 | 日記(?)
最初何気なく手にとって、表紙をめくったところに張ってある本の帯を読み、
試しに読んでみるかと思って借りたのが、武士道シックスティーン。
我が市の図書館の本には、表紙を開いた部分に本の帯が張ってあり、
それを読めば、だいたいの内容が分かるというものだ。
帯は本来その本の宣伝文句のようなものだから、鵜呑みにはできないが。

これが読んでみると結構面白い。
分類すれば、青春小説といったジャンルに入るものだろうが、
(つまり私の年齢からすれば、読んじゃいけない?)
面白くて、読み始めると一気に読んでしまった。

恋愛話はほとんどなく、題名の通り、部活で剣道をしている女の子が主人公。
話が進むうちに、主人公は女の子2人になり、
その2人の性格や生き方の対比が面白く、
ときどき、クックッと笑って読んでいる自分に気づくという具合だ。

武士道セブンティーンが続編として出ており、
これは絶対武士道エイティーンが出るな、と思っていたら、
つい最近図書館のウェブで新刊として、紹介されていた。
しかし、誰かファンがいるのか、ずっと借りられていて、いまだ読んでいない。

作者は、誉田哲也。
エンターテインメントというか、警察小説なども多い作家で、
その方面では人気のある作家らしい。

早苗と香織という極端に対照的な主人公が、
剣道という武道に打ち込む青春ストーリー、というと俗物的すぎるが、
ま、一度御覧あれ。
ただし、シックスティーンから順を追って読むこと。

香織がよく口にする言葉、
「絶対斬ってやる。」
その決意の言葉を口にしてみませんか。
奮い立つこと間違いなし。

政権交代2

2009年09月05日 | 日記(?)
民主党政権になって世の中はどう変わるか。
果たしてマニフェストは実行できるのか。
などなど実にかしましい。

政権交代が実現した今、
政治に対して、何となく気怠い感覚は自分だけだろうか。
選挙前の高揚感みたいなものは既になく、
さあ、民主党政治が始まるぞ、みたいな意気揚々とした気分もない。

そうしてみると、自分もやはり自民党政治に嫌気がさしていただけで、
民主党にそれほど期待感を持っていたのではないのか、
そう思えてきた。

結果として、民主党政権を国民が選んだのだから、
どんどんマニフェストを実行していったらいい。
高速道路無料化だって、財源もへったくれもない、ともかくやっちまえ。
駄目だったら、やり直しゃあいいじゃなか。

一度民主党にやらせてみたら、という民意があるなら、
いろんな政策を、ともかくやってみたら、と私は思う。
マスコミや評論家もしばしお手並み拝見と行かないのかねぇ。
反対政党の議員が何を言っても、所詮は負け犬の遠吠え。
攻守所を変えたにのだから、みなそう思っている。

無茶な論理かも知れないが、
今回の政権交代の最大の意義はここにある。
政権交代した民主党は、政権故に自らのマニフェストに縛られる。
もし実行できなければ、次の鉄槌は民主党に打ち落とされる。

次の選挙で別の選択肢を示すであろう自民党もまた、
自ら掲げたマニフェストを実行しなければ、その次はない。
首班指名は白紙だ、麻生だ、などと言ってる場合ではないのだ。

健全な野党として、国は国民のためにこそあるのだという基本に立ち帰り、
政党としてのビジョンを提示しなければならない。
次の政権交代に向かって、自らの爪を研いでおくいい機会ととらえ、
負けの中に、いかに次に勝つための教訓見つけ出すかが、再生の分かれ道なのだ。

私の中では、政権交代の意義は2つある。
国民が、自分の意志で政権交代を実現できる、と自覚したことが一つ。
政治家や政党が、自らの言葉に責任を持たなくてはならなくなったことがもう一つ。

かって、「その程度の公約は守れなくても大したことじゃない。」
と言った、大馬鹿な政治家がいた。
これからはもうそんなことは、口が裂けても言えないだろう。
それだけでも大いなる進歩じゃないか。