人間万事塞翁が馬

長い人生では、人の周囲に何がどのように展開されるか分からない。だから人生は生きている価値がある。

新卒採用

2021-02-26 21:22:58 | Weblog

今年も22年卒業予定の学生さんに早くも面接でお会いする時期が到来しました。昨年はコロナ禍ですべてオンラインでの入社試験で、学生さんも企業も慣れない中での採用活動のやり取りでした。しかし今年はだいぶ慣れてきたせいなのかリアルに近い雰囲気で面接がスムーズにこなせているようです。

今年はめずらしく県外からの学生さんが応募してきていることです。例年は自宅から通えるところの方が先ず動き出すのですが、今年は地方の方がやや動きが早いようです。これもコロナの地域別感染者数の違いの影響なのか、それとも通年採用の兆しでしょうか。

先手必勝は採用試験にも言えることで、行動の早い学生さんは明るくて元気な方が多い気がします。昨年と今年はコロナ不況で企業の採用状況がかなり違いますので、VUCAと言われる経営を取り巻く環境下において積極的な企業はチャンスだと思います。

働き方改革でオンラインが普通となった今、中小企業も地方からの人材を採用することで人財選択の幅が広がるはずです。これからは仕事と勤務地は分けて考えなければなりません。コロナ以前の無駄な時間を有効に活用できれば、仕事の効率も格段に上がるはずです。

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ウェルビーイング(Wellbeing)

2021-02-25 17:25:14 | Weblog

 今、幸せの重要度が注目されています。幸せは単なるハピネスではなくウェルビーング、つまり元気に生きなければ満足は得られないと言われています。弊社も長らく「満足」をキーワードに経営理念を考えてきましたが、どうもそれだけでは人生が幸せではないと感じました。

いつも夜、TVで「小さな村 イタリア」の録画を長年にわたり観てきましたが、日本はイタリアの地方と比べて幸せ度が低いのではないかと感じています。本当の幸せは自己の満足ではなく、他人のために尽くすことで得られることをイタリアの人は示しているのです。

人のために尽くすためには自分自身も幸せでなければなりません。幸せになるためには家族を大事にしなければ自分の幸せも得られません。彼らはかつての日本のように兎に角、親の教えを尊重し、感謝し、忠実に守ります。その光景をTVで観ているだけの私たちも幸せに感じます。

ある方が、日本のGDPは客観的には先進国でも高いが、主体的ウェルビーングつまり個人的な幸せ度は世界的にも低下傾向であると話していました。 モノには不自由もなく、生活も便利になりましたが、人の心の内面は幸せ度が落ちてきているのではないでしょうか。

もっと我々は企業としても、すべてのステークホルダーの幸せを追求していくことが使命だと認識することが必要な時代だと考えます。コロナ禍を契機に、地に着いた本物の主体的ウェルビーイングの実現に邁進していければ幸いです。

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人と年齢

2021-02-24 18:20:16 | Weblog

今日のニュースで、スズキ自動車の鈴木修(91)会長が退任されるという記事を見ました。90代まで経営の第一線でご活躍されたのも驚異的ですが、弊社の近くにも4,5年前に亡くなられましたが、同業者で94歳まで社長を務められた方がいました。何と言っても元気で気持ちがお若い面がありました。

私の知る限りでは旺盛な好奇心を亡くなられるまでお持ちだったことです。ある講演者が今の日本の20歳の若者は、スウェーデンの64歳と同程度の好奇心しかないと話していました。生き方への考えが北欧の人たちと日本人とでは対照的なのです。フィンランドも同じような特徴です。

つまり社会で活躍しているのは殆どが女性の人がだからです。家庭で子どもの面倒を見ているのは男性なのです。女性が活躍しやすいように社会ができているのです。消費税は高額ですが、すべて使途は国民にオープンにされているため生活の満足度も高いわけです。

言いたかったことは90代の日本人にも、考え方として時代の先端を走っている方も存在するということです。日本人はもっと深く考えて行動すれば無駄をしなくて済むと思うのです。バイデン大統領が米国人のコロナでの死者は50万人で、第一次、二次大戦、ベトナム戦争より多いと話していました。

しかし、太平洋戦争では日本人だけで300万人も戦死しました。人口が米国の半分以下の日本ですから、戦死者は6倍どころか12倍以上の犠牲を戦争で生んだ計算になります。もっと日本自体も人の命を真剣に考えるべきだと思った次第です。又、いつものように話が飛んでしまい失礼しました。

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天皇誕生日

2021-02-23 18:45:33 | Weblog

恥ずかしながら、先週になって漸く今日2月23日が祝日であることに気が付きました。昭和20年代生まれの私は今でも4月29日という昭和天皇の誕生日が記憶に焼き付いています。現在の天皇陛下の幼少期(ナルちゃんと呼ばれていた)からのお姿が印象強いので、歳月の過ぎ去る速さを自分自身の年齢に重ね合わせて驚く次第です。

本日は千葉工業大学で開催された「朝日教育会議」にオンライン視聴で参加しました。小惑星探索の技術が世界で先頭を走っているとの話は、世界レベルから衰退する日本の技術水準の話題が多い中で、嬉しくもあり、驚きでもありました。これも初めて知ったことですが、ゲストで宇宙タレントと呼ばれている黒田有彩さんのトークも大変ユニークでした。

これまで色んな大学の「教育会議」を視聴してきましたが、学長を始めとした未来志向の話はとても参考になりました。休日にも関わらず、大学主催のイベントに自宅でオンラインにて参加できることに大変感謝しています。アフターコロナにおいても各種のイベントがオンラインとリアルのハイブリットで開催されることを期待しています。

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SDGsシンポ

2021-02-22 16:25:13 | Weblog

地球環境は世界的に大変重要な問題です。新興国の経済発展で今後益々二酸化炭素の排出量が拡大する傾向にあります。国連がSDGsを提唱するのも世界が協調してこの問題に取り組む必要があるからです。今日も某大学の主催するSDGsのシンポジウムに参加していた最中に、経団連の中西会長の「カーボンニュートラル」に関するコメントがニュースとして飛び込んできました。

地球の人口が今後開発途上国の経済成長で増えていくと、水の問題で紛争が絶えなくなるという話がありました。事実、アフリカや中東では感慨が進んでおらず、水の確保で人種間の争いが多いようです。また地球環境を維持するには牛肉の消費を減らすことも考える必要があるようです。食糧を精算するには水が必要ですし、炭酸ガスを世界中の牛が排出するのも問題だと思われます。 

しかし食糧問題を民間レベルで規制をかけていくのは困難です。やはり国連レベル、政府間で地球環境を守るために、食糧需給をどうするのかも含めて高次元で協調していくしかありません。ワクチンの問題も世界的な感染においては自国優先で考える問題ではないと思います。水の問題しかりです。コロナは国際協調の重要性を世界に示したものと言えます。

自国ファーストを唱えて協調路線を否定したトランプ前大統領が残した世界的な分断を、これ以上放置させないように、天の神様が新型コロナで独断に歯止めの裁定を下したようにも思われます。国連が主導権を果たして課題解決を目指さなければ、国家間の果てしない争いも収束しないと考えます。

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札幌の空

2021-02-19 09:36:32 | Weblog

かつて前職時代に異郷の地の札幌で勤務していた頃、弊社を心底嫌って取引しない田村組という市内の小さな建設会社がありました。その会社で建設現場で監督をしている永田さんという八代出身の方との突然の出会いの中で、過去の愚痴を聴きながら立ち話を続けていたら、同じ熊本出身という同郷の思いで懐かしくなり、それ以来親しくして戴き、遂には長年途絶えていた会社間の取引を再開することになったのです。

前職の会社は全国な知名度はありましたが、当時の札幌の地元では工事の評判が悪く、稼ぎ頭である現場事務所では営業的に大変苦労しました。営業担当としては工事をちゃんと仕上げてくれることを顧客との契約のたびに祈る思いでした。そこで学んだのは会社は看板があってもお客様は信用してくれないが、営業担当者の人間力での対応が認められれば顧客は信用してくれるいう事でした。

右も左もわからない別業界でも、営業担当者の人間力をお客様が認めてくれれば契約にだけは結びつくものです。しかし受注から納期、そして保守まで現場が約束を果たしてくれなければ営業努力も水泡に帰します。若い頃は多くの中小建設会社の社長から大変可愛がっていただきました。しかし手形商売が中心だったので、集金時は鞄に一杯の手形と僅かな小切手で、本来の現金化である手形が落ちる期日までは毎月が心配でした。 

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手形が消える

2021-02-18 21:15:57 | Weblog

政府の意向では近い将来は手形取引を無くそうと考えているそうです。考えてみると電子化の時代に、未だに手形取引がなされていること自体が時代遅れのような気がします。大学時代は法学部で手形・小切手法を学び、たまたま就職した会社でも資金回収においては手形取引は普通でした。その後、IT企業へ再就職したのですが、なぜか現金振り込みが普通だったので驚きました。古い業界と新しい業界の混在が今の日本の実態ではないでしょうか。

株券はすでに電子化されましたが、手形だけは未だに世の中に出回っていたのです。裏書して回したり、現金化のために割引したり、独特の金融の世界が長い歴史の中で形成されてきました。デジタル化の進展で産業構造が変わるので、既存の事業も変わっていかなければなりません。手形・小切手法など旧来の法律から(仮称)デジタル決裁法などへ新しい時代に適した学問に変えるべきです。

 

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時間の効率化

2021-02-17 19:35:24 | Weblog

今日は久しぶりに国会中継を聴きながらウォーキングやデスクワークでしたが、これまで国会の状況はニュースや新聞を一瞥する程度で、国会審議を傾聴する機会など多忙なビジネスマンは時間もないし、持てなかったはずです。テレワークによって普段見かけない平日の周囲の様子を垣間見る機会が増えてきました。国会中継を聴くのもその一つです。

やはり勤労世代の有権者が、昼間に行われる国会中継に耳を傾ける時間を持てることは大切だと思うのです。昼間の視聴者が増えることで、国民から選ばれた議員の審議の姿勢も変わると思うのです。これまでは、たまたま空港のロビーや病院のテレビで流れている国会中継を時間調整に眺める程度でした。

住居周辺の様子もビルが立ち並ぶオフィス周辺の環境とは全く違います。世の中の様子を間近で見て知ることは大事だというのがテレワークを実施してみて実感しました。何と言っても規則正しい食事と適度な運動に加えて、自宅で過ごす自由な時間が増えたような気がします。オンラインがもっと当たり前に普及すれば、限られた一日の時間の使い方がより効率化すると思います。

 

 

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30年ぶりの奇跡

2021-02-16 17:08:16 | Weblog

1990年の株価が3万8千円をピークにバブル崩壊して以来、30年ぶりに日経平均株価が3万円台に戻ったことで少し市場関係者の中で話題となっています。私も当時のバブル経済の状況は今でも鮮明に覚えています。驚いたのは高価な高級外車に乗った若者が市中を運転していたり、一方、ゴルフ会員権はうなぎ上りで価格が上昇し、投資用のマンションや別荘が次々に全国的に販売されたり、値上がりを見込んだ資産を担保に市場に資金が供給される異常な状況でした。

こんな話をしても当時を知る人は既に現役を退いており、今や遠い時代の出来事で思い出せないほど歳月が経ちました。私自身は当時の日本経済の修羅場を経験してきましたので、振り返ると懐かしい限りです。ここで言いたかったのは、バブル崩壊後30年目にして漸く日本経済の復活への兆しが、コロナ禍において遠方に微かな明かりとして見えつつあるのではないかという事です。単なる外国人投資家の自由な資金遊びかもしれませんが・・・。

私はポジティブに物事をとらえるタイプなのですが、円高や大震災や今回のコロナに苦しめられた日本は長い年月で耐える底力を蓄えてきたので、過去のしがらみを捨てて日本人が変われば、イノベーションにより経済が新しい姿に生まることで成長の可能性もあると考えています。肝心なのは潜在的な成長力を見出し、そこに適正な投資をしていくことではないでしょうか。 不透明な時代だからこそ、自由に考えることでチャンスが生まれます。

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具申

2021-02-15 20:05:01 | Weblog

「晩節を汚す」のは大変勿体ない事です。と言いましても、人間にとって「有終の美を飾る」ことも大変難しい生き方であります。「引き際が肝心」と言われますが、中々自分で地位を去る時期を決めることも難しく、いつまでも地位にしがみつく人も少なくないようです。

やはり年配者が組織の上に立つと若い人たちは遠慮してしまいがちです。つまり年配者が自分の考えに固執して、若い人たちから率直な意見を聴こうという姿勢が欠けているからだと思います。特に高齢化社会になった日本は、年配者の声が若い人たちの声より強いような気がします。

他人事ではなく私自身も気を付けなければならないと反省する次第です。日本人は先輩を尊ぶあまり、美徳なのですが遠慮して自分の意見をはっきり主張しない面があります。先輩のためにも後輩として主張すべきことは主張した方が良いと思います。他人から言われて初めて自分自身も気が付くものです。

 

 

 

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