人間万事塞翁が馬

長い人生では、人の周囲に何がどのように展開されるか分からない。だから人生は生きている価値がある。

出生数

2020-12-28 13:09:22 | Weblog

日本の19年度の出生数は80万人くらいのようですが、中国は1465万人の子どもが19年度生まれたようです。それでも58年ぶりの低水準の出生数のようです。中国では一時は人口増を抑制するために一人っ子政策を取ってきましたが、現在は増やす方向に舵を切っているみたいです。日本は人口の10倍以上の14億人いる中国と比べても出生数が少な過ぎます。

私の世代は現在の出生数の3倍以上の2百万人台の子どもが毎年誕生していましたので、1億2千万人の現在の人口から考えると80万人とは危機的状況です。私も2人しか子どもは持ちませんでしたが、今思えば4人くらいいたほうが良かったのですが、集団就職で都会へ出てきた私の世代も子どもは2人が圧倒的に多いようで、経済的にも限界がありました。

つまり40年前から日本には将来に向けての綿密な人口政策がなかったという事です。会社は毎年、将来の成長のために新卒者を雇用して平均年齢も維持するように努めますが、国を会社だとすれば、高齢化してとうの昔に倒産していることになります。やはり政治や行政に司る人は将来を見据えて、子どもは国が責任を持って育てるような意識が必要だと思います。

新しい年を目前にしてコロナ禍にばかり目が行っていますが、富裕層に税金を掛けてでも日本の将来に向けてもっと出生数を増やす政策を練ることが重要だと思います。目の前の蠅ばかり追っているような気がしてなりません。知の巨人ドラッガーから学びを得たマーケティングの大家であるフィリップ・コトラー教授のような人に日本の有るべき姿を学ぶべきだと思います。 

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年末

2020-12-25 11:18:31 | Weblog

 年末押し迫る中で季節外れの「桜の会」とか言うニュースが舞い戻ってきていますが、桜と言いますと、私は戦国時代の派手好きとして知られる豊臣秀吉が最晩年に催した「醍醐の花見」の宴会が頭に浮かんできます。無謀な朝鮮出兵で各大名は疲弊してしまっている状況下で、秀吉はのんびりと花見見物ですから、冷静沈着な徳川家康の性格からすれば秀吉の行動は呆れたことだったろうとも想像します。

今、新型コロナの感染拡大に際して各国のリーダーの国民に対する呼びかけが話題を生んでいます。国民と同じ目線でオンラインで訴えかけますので、国民も信頼して行動を自粛しようと言っている光景をテレビで拝見しますと、「我が国は如何に?」と思ったりします。幸運にも日本は島国なので欧州のように陸続きでコロナ感染が広がる心配も少なくて済みます。

日本人のように国から強制されることもなく、礼儀正しく、自主的にマスクをつけるという自然な形でルールも真面目に守る国民は世界でも珍しいと思います。お陰様で弊社では一人もコロナ感染者がでませんでしたが、スタッフたちの社員への注意の呼びかけは社内中に浸透していたと思います。やはり会社は全員の協力無くして困難な状況下ではビジネス市場で戦えませんので、リーダーの責任は重大だと思う次第です。

今年も社会全体に色んな動きがあり、国民も苦しみに遭遇しましたが、きっと来年は良い一年であることを期待しつつ、あと僅かな日々の年末を締めくくりたいと思います。

 

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My History(その2)

2020-12-22 11:39:57 | Weblog

高校時代、自宅から通える県立高校の分校に第8期生として入学しました。進学校へは下宿が必要なので経済的な理由で断念し、偏差値の高くない高校でのんびりした学校生活を送りました。祖父母と3人家族だったので、休日は農作業の手伝いが多かったです。

高校3年になり祖父母や親戚からは田舎に残るように説得されましたが、どうしても大学進学を目指そうと、旺文社の大学受験ラジオ講座から受験準備を始めました。学費を稼ぐために夏休みに上京し、新聞配達のアルバイトをしながら駿台予備校の夜間に通いました。

その時の国立を目指して競争している連中と田舎でのんびり過ごしてきた私の実力の差はあまりにも大きく、精神的にもショックを受けて田舎へ帰省したことを今でも記憶しています。結果的にはゼロから勉強するしかないと、翌年卒業と同時に上京することを決断しました。

若い頃から私は性格的に、自分で決めたら自分の思った通りに行動するタイプです。今でも家族からは長い間振り回されてきたと言われていますが、多くの方に御迷惑ばかりかけてきたのは事実です。今は歳も取りましたが、若い頃は確かに血気盛んな時期がありました。 

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My History

2020-12-21 17:20:18 | Weblog

田舎の高校を卒業して、家族や親せき反対を押し切って上京してきたのが1971年の春頃でした。最初の住まいは東京都北区の静かな住宅街にある新聞販売所での住み込み生活でした。それまで東京は銀座しか見たことがなく、随分静かな所もあるのだなぁと当時は思った次第です。片道の交通費と僅かな小遣い銭を持って上京しましたが、その晩から夕食にありつけて東京での住み込み生活がスタートしました。

新聞販売所には大学進学の浪人生がほとんどでしたが、3割は何処からともなく流れてきた無職の人たちでした。新聞配達員は大学生でも無職の人でも時々入れ替わるのですが、ある時、中年の人が入ってきました。所内で親しくなるうちに前科のある人だというのが後に無銭飲食で捕まって発覚しました。

高校を卒業したばかりで浪人中の私がその人から教わったのが競馬です。それから長年にわたり競馬やパチンコに嵌ってしまいました。お金を使うことに関しては働いて稼いだお金なので誰にも干渉されないのですが、浪人の身でありながらギャンブルに熱中して受験勉強も疎かになったのは事実です。

それ以外に、二度も違う病で入退院を繰り返すなどして、1年かけて挑んだ国立大学の受験は見事に桜が散りました。翌年は私大に切り替えて再度進学のために上京して、中野区の新聞販売所にお世話になりました。この販売所にも様々な訳ありの人たちがいました。長い話なりますので、本日はこの辺で終わりにしたいと思います。

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シリコンバレー

2020-12-18 17:57:01 | Weblog

今から20年近く前に2度ほどシリコンバレーの企業を訪問したことがあります。まだサン・マイクロシステムズやシリコングラフィックスが業績絶好調の頃です。

サンノゼのインキュベーションセンターでの講師は、日本企業でシリコンバレーで積極的な活動が目立つのはソフトバンクくらいだと話していたのが印象的でした。

サンフランシスコでは立ち上がって1,2年のLINUX企業を訪問したのですが、200名くらいの技術者をあっという間に採用する米国ベンチャーのスピード感には驚きました。

その前からも当時も、シリコンバレーは雨後の筍の如くベンチャーが生まれては消え、消えては新しく誕生する土壌でした。現在のGoogleやFacebookなど、もっと後にスタンフォード大学などの学生ベンチャーから誕生した企業です。

一方の我が国は、その後の2000年に世界一のIT先進国を目指すと言い出したのです。しかし現実は、明確なビジョンも戦略も変革に伴う実践も無くて今日(2020年)を迎えたのです。

まだ当時の日本は既存の産業界が潤っていたので、ITを駆使した産業構造の変化を志す機運はあまり感じられませんでした。

しかし、新型コロナを機にIT後進国の汚名挽回を新政権も掲げましたので、最後の追い上げのチャンスだと思って我々も力を発揮したいと思います。

 

 

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生き方

2020-12-17 18:49:23 | Weblog

昨日、私たちのふるさと(天草)会の会員さんから10時ごろにSNSで、NHKテレビで夜7時半から某会員さんが出演するという情報が届きました。その場では朗報なので是非拝見したいと思っていたのですが、夕刻の定時ごろにはすっかりその事を忘れて帰宅しました。ところが、毎日テレビばかり見ている家内が、たまたま偶然にも当該の天草の番組を録画していたのです。午前中には、是非拝見したいと楽しみにしていたので本当に嬉しかったですね。

内容は東京から天草へ引っ越しする新婚夫婦の話題でした。ご夫婦とも東京のホテル業界に務めていて知り合った仲ですが、今回のコロナ禍の影響もあり、ご主人が故郷・天草のホテルに再就職先が決まり、都会から地方の天草へ引っ越すことになったという内容です。実家から車で20分の海沿いの古民家を庭付き500万円という安さで購入して住んでいました。実家のご両親も大喜びで、奥様も地方での生活に憧れていたとの事で、若い新婚夫婦の笑顔を見て羨ましい限りでした。 

テレビで放映されることで、若者のUターン現象が再び見直されることを期待するばかりです。私たちの先輩や私たちの時代は都会へ集団就職するのが当たり前で、再び故郷へ戻る人はほとんど少なかったため、地方の過疎化は年々進んで行きました。新型コロナは都会で働く若者の生き方を大きく変えることでしょう。実際に、全国どこの地方でも都会の3分の1の生活費で暮らせるところばかりです。人口減の地方で就職したり、都会の仕事が地方でも可能となれば素晴らしい日本になるだろうと思います。

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PCR検査

2020-12-16 17:32:53 | Weblog

 最近、漸く民間のPCR検査センターが首都圏にお目見えするようになりましたが、返す返す何故、早くから国費で大量の検査をしなかったのでしょう。個人が数万円も払わなければPCR検査を受けられない、感染の不安を払拭できないのは国家の医療システムとしておかしいような気がいたします。

マスクの供給やGoToの前に、国家予算で希望する国民に何回も無料でPCR検査を進めるべきでした。大量にスピーディに検査を行えば必ずコストは下がるはずです。感染者が見えない、何倍もの広がりを特徴とするコロナウイルスをしらみつぶしに検査しない限り、安心して経済は動かせないと思うのです。

旅行も会食も事前に国民がPCR検査を受けて陰性が保てれば、その後の感染の可能性は低くなるはずです。PCR検査を受けていない日本人がほとんどですから、国内を移動する感染者からコロナ感染するのは物理的に防げない気がいたします。個人的には疫病対策の予算をPCR検査に使って感染を未然に防ぐ方が効率的だと考えます。 

感染後に対処する今のシステムでは収束は難しい気がいたします。しっかり検査をして感染の不安を取り除かない限り、この不安定な状況は続くような思いがいたします。医療に関して全くの素人ながら発言させていただきました。一刻も早く感染者が収束して医療体制の崩壊に繋がらないことを一国民として祈るばかりです。

 

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床屋

2020-12-15 13:54:18 | Weblog

もう10年近く通っている床屋があります。私も戸塚に30数年住んでいますが、床屋と歯科医だけは数えきれないくらい替えました。歯科医は15年近く同じところですが、今回の床屋も出店時からなので長い付き合いとなります。平均20~30日以内にはお店に顔を出しますが、コロナ禍でも人間の髪は伸びるので、床屋業はそれほど経営的に影響はないようです。

一方、駅近くに家内が通っていた美容院がありましたが、無理な多店舗展開が影響したのか緊急事態宣言後に倒産しました。店舗が潰れるのはあっという間ですが、古くから地道にやっている商売の方はコロナ禍でも健在のようです。私は待つのが嫌いなので、床屋も客が空いている平日の閉店前を見計らって入ります。待つ時間は無駄だと思うからです。

床屋は世の中の様々な情報を聴けるところです。私も色んな話をしますが、逆に聴かれることが床屋では多いのです。昨日は初めて「嘱託ですか?コロナでボーナスは出たのですか?」と聴かれて、「嘱託のようなものです。ボーナスは???」と会話を濁しました。昨年4月に入社した床屋さんの娘さんはボーナスが業績が下がり減ったようです。これは私が一方的に引き出した情報です。

会話はテクニックです。私もいろんな方と会って話しますが、自分の事を言う前に相手からの情報を引き出すことが多いです。聴かれたら人は話しますので、タイミングを計って話に興味を示しながら、相手になるべく多くをしゃべらせるようにしています。人は知ってほしい事があっても、相手が快く聴いてくれなければ話さないものです。

 

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クラシック

2020-12-14 17:43:52 | Weblog

今年はベートーベン生誕250年らしいです。正確に言うと12月16日に満250歳となるわけです。先日から週末にベートーベンの交響曲を楽しみに聴いていますが、ベートーベンの曲で何が一番人気があるかと申しますと、年末に近いからなのか、やはり「交響曲第9」です。私も毎年、恒例のNHK交響楽団による「第9」はEテレで欠かさずに聴かせていただいています。

第9は年の締めくくりに相応しい曲だからです。今年も第9で大いにコロナ禍の年末を盛り上げてほしいと思います。さらに2番目に人気なのは「悲愴」のようです。悲愴は悲しみで痛ましい事を意味しますが、ベートーベンの曲ではそれほどの悲愴感は感じないし、気持ちが安らぐような曲です。

ベートーベンは1800年代に活躍した作曲家ですが、日本では江戸末期でちょんまげの時代です。私はその頃のヨーロッパの物語を好んで観ていますが、日本は当時かなり時代が遅れていたことが分かります。当時の鎖国の影響が大きかったのだと思います。

ベートーベンやモーツアルトやショパンなど優れた作曲家のクラシック曲が250年後の今でも世界中で愛されていることには驚きを感じます。残念ながら日本の昭和初期の童謡はあまり世界的に人気を博していませんが、海外で日本の音楽家が学ぶ機会があれば違ったかもしれません。

また元旦恒例の「ウィーンフィル管弦楽団」のニューイヤーコンサートも毎年聴いていますが、年明けに相応しく毎年楽しみにしているコンサートです。ヨハンシュトラウスの行進曲はまた新年を飾るには格別の曲です。ニューイヤーコンサートを聴いて新年の元気づけをしたいと思います。

 

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研究会

2020-12-11 20:18:40 | Weblog

本日は、長年お世話になった某研究会のクロージングイベントがオンラインで開催され、同日宅配されたデリバリーのオードブルを食しながら皆さんと一緒に語り合いました。オープニングはオーケストラの演奏会そして最後は抽選会と、事務局側の方の段取りはさぞ大変ご苦労されたことと思います。残念ながらオードブルのメニュー画像は割愛しますが、折角の料理なので残さずに食べてしまうのもやっとの思いでした。

このIT研究会に参加して30年くらいになりますが、会員の勉強と親睦が目的です。私のように古くから会に参加して、本日のフィナーレまで顔を出された方はおそらく数少ないのではないかと思います。それだけITの変化のスピードは速く、会に関わった多くの方々もこの場に存在は無く、既に引退されているのでしょう。

この1年はコロナですべてのイベントが中止に追い込まれました。年末年始のあらゆる忘年会や新年会もすべて中止のようです。今回、年末最後に企画された古くからお付き合いしてきた研究会の本日のオンラインイベントは、事務局の皆さんがご苦労された企画でまずまず成功裏に終わったと参加者として感じた次第です。

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